日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

草取り

2015-04-25 22:08:07 | 日記

 草取りをはじめると、つい夢中になって時間を忘れてしまう。腰の疲れも忘れている。何も考えない作業、私は草抜きが好きだ。

 畑のサヤエンドウが実をつけ出したのと同時に、庭のスズメノエンドウとカラスノエンドウも種ができている。スズメノエンドウ、葉が緑から赤紫色に変わったら、1センチくらいの、一人前に豌豆のかっこうをした実をつける。可笑しいくらいかわいい。カラスノエンドウは、未だ黒く熟していないので、少し猶予はある。猶予期間中、庭からこの雑草を見つけ出して尽く退治しなくてはいけない。タンポポについても、あの黄色い可愛い花を見つけては、ほじくり出している。ここ3,4年、まめにタンポポを抜いたお蔭で、今年はめっきり少なくなった。母が元気な頃、いつも麦わら帽子を被って庭で草を取る姿があった。認知症の兆候がでてから、草取りをしなくなって、庭は雑草だらけ、荒れ放題になった。10年放っておいた庭は、元に戻すのに10年以上はかかる。

 子供の頃、畔に無数に咲いたタンポポは、田舎の子供の大事な遊び道具だった。タンポポを摘みながら首飾りを作ったり、茎を笛にしてブーブー鳴らしたりして遊んだ。草を舐めたり噛んだりするのはみんなやっていたことなので、何の抵抗もなかったが、母に、「してはいけない」と注意を受けていた。昔は人糞を肥料として畑にかけていて、そのせいだろうが、寄生虫を持っていた人が少なくなかった。現代の清潔な暮らしからは考えられないことだろう。清潔、潔癖過ぎて、アレルギーを持つ人が増えているとも言われているではないか。回虫と共生した方がいいとか?

 庭の白いフジが満開。よそのお宅でも、ふじ色のきれいな房が垂れて丁度見ごろだ。

 


コシアブラ

2015-04-24 21:43:38 | 日記

 この間まで、菜種梅雨というのか、毎日雨がふっていたが、ここにきて漸く晴天が続いている。野菜たち、太陽のエネルギーをいっぱいもらって、すくすく成長して、美味しく安くなっておくれ。

 招かれざる客、雑草たちも、雨と太陽のお蔭でどんどん伸びている。草取りをしていたら、エンドウが採り頃になっているのに気がついた。今年初めての収穫だ。

 初どりは、片手くらいの収穫だった。茹でて、ピザのトッピングに加えて孫に食べさせよう。

 これからは、毎日エンドウ採りに行かなければいけない。

 昨日は、阿讃山脈の尾根筋へコシアブラを採りに行った。タラは麓の雑木林などでよく見かけるが、コシアブラは標高900メートルくらいまで行かないと採れない。手が届く高さの木はあまりないので、高枝切りを持って行った。若葉をたくさん採ったけれど、どの木も上へ上へと伸びて、あと3,4年もすると高枝切りでも到底届かなくなるだろう。

 大きな木の先っちょに、食べごろの芽がついている。若葉の前のこの時期が一番美味しい。6,7メートルもありそうな木を、指を銜えて見上げている。残念。

 尾根筋には、私の好きな、山桜がたくさんある場所がある。ここ数年見に来ていない。桜も世代交代をしつつあるようだ。親が枯れて、脇から子供の木が元気に伸びてきている。周りの木に負けないように、早く大きくなりなさいよ。

 私は山桜が好きだ。遠くから見ると、ほのかに赤みがかって、ぼんぼりのように春の山をやさしく彩る。山桜の下に居たとしても、足元に落ちた花びらで、ようやく、あ、山桜が咲いているんだ、と気が付く。地味な花である。豪華絢爛ソメイヨシノは花の下で見上げる桜、ヤマザクラは遠くから眺める桜であると思う。

 毎年この縦走路で蕨を何キロもとっていたのに、この3年くらい前からごそっと減ってしまった。植林の木の背丈が伸びて、植生が変わってしまったのだ。自然もヒトも変わってゆくものだ。


有缘

2015-04-23 23:01:26 | 日記

 一昨日のこと、香川と愛媛の県境、余木埼から山に入って、毎年というわけではないけれど、機会あれば蕨を採りに行く場所に向かった。阿讃山脈縦走コースであるが、あまり人が歩かないので道はわかりにくい。とても質のいい蕨がとれるので、たのしみにして登ってきたのに、なんと、行き方が分からないではないか。確かこっちの方向、と踏跡を辿っていくとヤブになる。あれ?とばかり、行ったり来たりするも、道が見つからない。諦めて、真冬の時期に出直してテープでもつけよう。

 うろうろしていたら、ストックを拾った。よく見ると、名字と携帯番号が書いてある。驚くだろうなと、わくわくしながら、さっそく電話してみる。女性の声が返ってきた。

 「Iさんですか? 突然ですみません、三谷といいます。山でストックを拾いましたよ。」

 「エッ!、もう戻ってこないかと思っていました。」

そうでしょうとも。ヤブ漕ぎの最中で落としたものは、まず返ってこないと思うでしょう。私もヤブ漕ぎ中、ストックを一本落としたことがある。名前は書いてあるが、電話番号は書いてない。またいつかヤブにはいって捜そうと思っている。電話番号書いとくんだった。

 Iさんと話しているうちに、「元気の会」の会員であることがわかった。「元気の会」は、毎年縦走路のコース整備をしている。会員さんは高松周辺に住んでいる方が多い。山登りを趣味とする人たちのグループである。かつて、中高年のハイキングが流行った頃、メンバーの数は300人以上いたんじゃないかな。主催者の方のお人柄だろう。私は山は殆ど参加しないけれど、20年くらい前からの会員である。私の会員ナンバーは、今や二ケタにあがった。会員の高齢化と時代の流れで、メンバーの数も減ってきている。

 Iさんが高松在住であること、熟年ハイカーであること、縦走路を歩いていることなどから、もしかしてそうかな、とは思った。私も会員であることを告げると、二人の会話は一気に弾んだのである。私の方はこの会の山行に滅多に参加することがないので、Iさんがこちらに来る折にストックをお渡しすることになった。お会いするのが楽しみである。案外、「あなたでしたか」なんて、知っている人だったりして。

 新しいご縁ができそうな気がしてわくわくする。うちに泊まってくださったお客様とも、たくさんご縁ができた。親戚が泊まりに来るような気持ちさえする。切れる縁、繋がる縁、明日はどんな縁が生まれるのだろう。「縁がある」とは、中国語で「有缘」という。


筍尽くし

2015-04-13 20:31:06 | 日記

  福山在住の、Nさんという年輩の男性のお遍路さんが泊まられる日の前日に、毎年、雲辺寺登山口の近く、遍路道に面したところにお住まいのSさんという方が

 「お遍路さんにお料理してあげてください」

とおっしゃって、段ボール箱にいっぱい筍をもってきてくださる。十年くらい前だろうか、遍路道を歩くNさんをみかけたSさん、亡くなったお兄さんにそっくりなのに驚き、以来おふたりの交流がはじまった。Sさんは、4月に入ると、うちとか民宿岡田さんにNさんが何時お泊りになるか電話で確認するのだ。そして、NさんはSさんのお宅に立ち寄り、Sさんご夫婦のお接待を受けるのである。というわけで、数年前から私も交流のお相伴にあずかっている。

 今朝Sさんからいただいた筍、さっそく大鍋総動員で茹でる。

 この季節、お客様は、ほぼ毎日筍ごはん

 味を付けた筍に鶏のミンチ肉を挟んで天麩羅にする。私の好きなおかずだ。

 そろそろ庭の山椒も採りごろに成長した。木の芽和えもしなくては。


アルミの弁当箱

2015-04-08 21:47:28 | 日記

 今日は冬に逆戻り、関東の方では雪だそうだ。仕舞いかけた冬ものを取り出して寒さを凌いでいる。

 なんとなくテレビを見ていたら、葛飾区のアルミ製の弁当箱を作っている工場が取材されていた。昔ながらの弁当箱、まだ生産されているんだ。つまり需要は、たくさんではないけれど、あるということだ。

 うちにはまだ、この手の弁当箱がある。私はこういったものを捨てられない。むしろ好きなのだ。いや、まだ使えるものを捨てるわけにはいかないのだ。新しいのもに買い替えるよりも、古いものを最後まで使ってやるべきと思っている。

 放送されていたメーカーのものか調べてみると、二個とも三和鶴印と彫られてあった。鶴が三羽、まるく手を繋いだ図案だ。葛飾区のものと違う。ネットで検索すると、中古でも1900円と値段がついていた。売れるかかどうかわからないが。ガラクタみたいなものを好む人もいる。

 うちでは、夫も私もモノを捨てないので、ごみ屋敷と化している。死ぬまでには何とか整理しなくてはいけない。この一年、私は何も買い物をしていない。モノを増やしていない。スゴイ、と褒めてあげたい。