日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

蛙おばさんの家

2010-08-25 23:24:30 | インポート

 プリーの街から郊外に向かって10分くらいはしると、林さんの民宿に着いた。日本でいうところのペンションである。広い敷地の中に、庭と3階建ての素敵な建物、蛙の野外学習をするための裏庭がある。この民宿の名前は「青蛙阿婆之家」、かえるおばさんの家という意味。

 経営は長男ご夫婦で、娘さんも手伝っている。次男ご夫婦はアメリカに移住しているが、このときは、ご実家に遊びに来ていた。奥様は神戸出身の日本人である。お会いしてびっくり、日本人の容貌でないのだ。アメリカ人とのハーフであるとおっしゃった。なるほど、とてもおきれいで洗練されていた。P1030230

P1030179 朝食の準備、庭の手入れ、部屋の掃除などに、3,4人雇っているようだった。これだけ大きな家と庭を管理するには、人件費もかかるだろうなあ。

 この地区は「桃米生態村」という。「桃米」とは地名である。自然体験型の旅行村といったところか。しゃれた民宿が点在している。

 私の外、家族連れが一組泊まっていた。夜8時ころから、民宿の娘さんが蛙見学に庭を案内してくれた。生徒は私を含めて5名、長靴を履いて懐中電灯をもって夜の庭を散歩する。娘さんは蛙の勉強をしっかりされているようで、詳しく丁寧に説明されていた。私に、気の毒そうに、「解りますか?」。「解りません」と笑って答える。中国語で説明されてもチンプンカンプンだ。庭での蛙観察が、この民宿の特徴のようだ。次、泊めていただくときは、もっと中国語を勉強してきます。

P1030225 このレストランで食事をした。私は外国の宿泊所がB&Bであることに、不覚にも気がつかなかった。夕食が付いているものと思い込んでいた。林さんは気を遣ってくれて、私を食事に連れて行ってくださった。P1030209

P1030207 料理は野菜中心であった。見たことも無い野菜が次々とでてきた。味付けは薄味で日本人の口に合うと思った。一人で旅をしていたら、このような豪華な食事にはありつけない。

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民宿の朝食。お粥とおかずとバナナ。バナナはその辺、いたるところにある。当然といえば当然。

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同じ日、泊まっていた家族。お父さんは仕事で日本に来たこともあるらしく、日本語をいくつか知っていた。私が接触した台湾人の殆どが、日本に行ったことがあるといった。北海道、名古屋、沖縄、東京、等等。それほどには日本人は台湾にいっていないと思うが。


台中からプーリーへ

2010-08-21 01:04:50 | インポート

 台北に着いた翌日、日本でいうならば、特急列車のような自強号に乗って台中へ向かった。目的地のプーリーへは、台中からバスで1時間である。

 自強号は全席指定のようだ。きれいでゆったりしていて快適だった。ホーム、待つべき位置など、とにかく駅員さんに切符を見せて聞く。

 台中にはお昼ごろ着いたので、少し観光しようと、インフォメーションセンターに行き地図をもらう。時間と距離を加味して、寶覚寺というお寺のみ見学することに決めた。

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歩いているとペットやさんがあった。ネコ、イヌ、小鳥、チラッと見ただけだが、たくさん飼われていた。

 地図を片手に暑い中歩くけれど、どうも方向がわからない。タクシーに乗ることにした。思ったより遠かったので正解。

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高さ30メートルの弥勒大仏。

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 この寺には、たくさんのお位牌が納められていて、日本人のも多い。日本から送られた鐘があったり、日本とはなにかと縁が深いようだ。台湾は日本の植民地だっただけあって、関連した事物がいたるところにある。

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 昼ごはんは街角の食堂で。皿に盛られた何種類かのおかずを、好きなだけトレイに取る。ごはんに鶏肉のスープをかけたもの、野菜炒め、筍とブロッコリーのサラダ、しめて300円くらい。サラダを取ったとき、中国語でムニャムニャって言われたけれど??? 首を傾げていたら、ドレッシングをブチュブチューとかけてくれた。マヨネーズみたいで、ちょっと違う。やや甘い味だ。筍は台湾の名物である。これはおいしかった。しかし、茹でたブロッコリーは傷んだ味がしたので食べなかった。あぶない、あぶない。

 タクシーをひろって台中駅にもどった。2時半発のプーリー行きに乗らなければいけないので、台中バスのターミナルのベンチにかけて待っていた。次々とバスが入って来て、そのたびに私がソワソワするので、職員のお兄さんが「まだまだ」と制する。バスが来ればお兄さんが教えてくれる、安心して待ってたら いいんだ。電車に乗るのはそう難しいことではないけれど、バスは緊張する。路線がいっぱいあるからだ。

 車の排気ガスと真夏の太陽、ウウーッ暑い・・・。けれど、台湾人はあまり暑そうにしていない。この土地に暮らす人にはなんでもないんだ。

 ここで、ひとりのおじいさんから日本語で話しかけられた。親しみが感じられ嬉しかった。台湾では、思いがけず日本語で話しかけられたりして、緊張が解れる。年配の方は、子供の頃日本語教育を受けている。

 無事車中の人となり、冷房のきいたバスで居眠り。お客は地元のオバサンと私の二人だけ。1時間の快適なドライブが終わりプーリーの街の中へ・・・。プーリーは、紹興酒が有名である。

 バスは通りに停まって、オバサンが降りた。運転手が私にも「降りろ」といっているように見えた。怒ったような口調である。そんな言い方しなくてもいいのに、と思った。で、私は賑やかな通りに降ろされた。さて、今日泊まる民宿の林さんに電話しなくてはいけない。しかし、さっき、靴がどうも変と思ったら、ソールが剥がれていた。山でよくあるアクシデントだ。明日、山へ登ろうとしているのだから、今ここで靴を買わねばいけない。幸いすぐ傍に靴屋さんがあって、ウォーキングシューズを買えた。この店から林さんに電話をしてもらった。林さんは日本語が堪能である。20分後に、息子さんと一緒に、トヨタのレクサスで迎えに来てくださった。


台北、到着

2010-08-11 14:10:38 | インポート

 朝、緊張の面持ちで、観音寺を出発、リムジンバスで関空へ。台北行き、午後1時15分発の飛行機にのる。

 着いてすぐ、空港内の銀行で1万円両替した。先ほど関空では3100元だったのに、台北では3500元くれた。2日後、南投縣の銀行でも3500元だった。関空で換えるのは損だ。

 空港からはガイド本などに載っているとおり、國光客運という会社のバスで台北駅まで行った。台北駅からは、地下鉄で一駅の西門駅まで行く。街を見渡すと、徐々に数年前の記憶が蘇る。

P1030128 駅前の風景

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西門紅楼、日本人建築師が建てたという。

P1030368 后天宮というお寺、宿泊するホテル國光大飯店の隣にある。部屋の窓の隙間から、お寺を垣間見ることができる。なんと、お大師さまがおられた。しばらくここで見学していると、お参りにくる人達が皆若く、熱心に拝んでいるのに驚かされた。お年寄りをみかけなかった。日本では、お寺に人がいることが少ないし、信仰は儀式の上だけだ。

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 夕食は、前に来たときと同じ、遼東デパートの地下の食堂でとりたかった。安くて種類もたくさんあるし、どれもおいしそうで迷う。選んだのは、牛肉の味のスープ、野菜に肉餡をかけたもの、もち米のごはんの上にやはり何か肉入りの餡をかけたもの、おめあてのデザートは豆花とピーナッツの甘煮。B級グルメのこれらは、どれも安くて美味しかった。

P1030137 食事をしていて、私の前の席にすわったこの方とお友達になった。台湾では、食堂で水は出ないんだね、なんてはなしていると、親切にも水を5本も買って来てくれた。彼女も日本へは何度か行ったことがあるらしかった。

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 最後の宿泊所、西門町のホテルに戻ってきた時、地下鉄の駅から出たところで音楽が聞こえてきた。なんと、目の不自由なストリートミュージシャンが二胡を弾いている! 彼の周りを結構たくさんの人が囲んで、熱心に聴いていた。何人かが箱にお金をいれていた。なんだか台湾人のあたたかさを感じた。私も30分くらい聴いていたが、上手なのだけど、流行歌しか弾いてくれなかったので、ちょっと飽きて、お金を箱に投入して立ち去った。


おばさん、バックパッカー

2010-08-08 09:55:26 | インポート

 7月後半、まとまった休みがとれそうなので何処行く?、2つ、案があった。中国の世界遺産、九賽溝へツアーでいく。もうひとつは、台湾の山岳地帯に個人旅行する。

 うちに宿泊される外国人遍路さんのなかには、日本語をほとんど話さない人がまれにおられる。それでもなんとかなっている。こんな人たちに勇気付けられ、ならば私も、と思った。そして、台湾行きに決めた。外国人遍路が問題なく回れるのは、日本の治安の良さと、四国に住む人々のあたたかい心があるからだ。台湾人も、きっと日本人と同じ気質を持っていると思った。予想通り、台湾の人たちは親切で人なつっこくて、日本人に好意的だった。私が接した台湾人は皆、「北海道へ行ったことがあります」と言った。日本人は、それほどには行ってないよなあ。

 台湾には、富士山より高い、玉山という3952メートルの山がある。そのほか、3000メートル以上の山がたくさんある。玉山は国の公園になっていて、登るには許可が要るようである。合歓山はドライブウェイが高いところまで通っていて、3000メートル以上の山々が連なっている。これならば私でも行けそうだった。台湾観光協会の大阪支部から、台湾中部地方のパンフレット、資料をおくっていただいた。宿のリストもプリントしてくださり、とても丁寧で気持ちが良かった。観光旅行者の窓口であるこういった案内所の対応は、その国の印象を大きく左右する重要なポイントだと思った。冊子を眺めながら、期待とゆめが膨らむのである。これこそ個人旅行の面白みである。

 飛行機と、はじめと終わりのホテルだけ決めた。ホテルは、1回目のツアー旅行のとき使ったホテルで、きれいじゃないけれども、安いことと、2回目なのでどことなく安心できるのがよかった。あいだの3泊は、はじめがプリーの民宿、あとは民宿の方に聞く、という算段だ。合歓山には行ってみたいがあとは空白、柔軟に対応するというか、行き当たりばったりなのだ。

P1030141 ホテルは繁華街の路地の奥にある。歩行者天国のような通りがあり、夜中まで賑やか。台湾の新宿といったところ。

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P1030134_2 昔の劇場


二胡の演奏会を聞きに

2010-08-04 22:53:20 | インポート

 猛暑は続いているが、体も少しは慣れたのだろう、汗を滴らせながら掃除している。週末には孫達がやってくるからである。

 こんな暑い日には、沢へ行きたいなあ。シャワークライミング・・・、気持ちいいだろうなあ。何度も沢登りをしたけれど、水に飛び込みたくなるような暑ーい日の経験は、ほとんどない。まだ梅雨明けやらぬ小雨だったり、台風の低気圧がいすわっていたり、冷たい水が辛く感じられることが多かった。

 一昨日、ジャー先生とミン・フイフェン先生のジョイントコンサートを聞きに、大阪へ行ってきた。ミン先生は65歳の女性で、プロフィールを見ると、すごい方のようだ。ジャー先生が一部の前半を演奏されて、ミン先生がステージに現れると大拍手だった。ジャー先生は、「ミン先生は中国の美空ひばりのような方です。今日は、私は、前座をつとめます」と冗談をおっしゃっていたけれど、あのジャー先生が小さく見えた、正にそんなコンサートだった。ミン先生は、演奏はさることながら、お姿もマッコト堂々としておられた。大柄で、ウェスト周りひょっとして1メートル?おっと、失礼いたしました。紫色のキラキラ光るドレスとストールをまとい、美しい笑顔で客席に微笑む。曲が終わるたび、盛大な拍手が響き渡る。

 以前、天華二胡学院香川教室でも講師をしてくださっていた周先生も、ミン先生も、国家1級演奏家である。迫力がすごい。これぞ民族音楽の真髄、という演奏を聞かせてくれた。一方、ジャー先生の音色はやさしくてロマンチックだ。東洋だけでなく、西洋音楽におけるその表現力は素晴らしい。先生のCDのほとんどが西洋だったりラテンだったり、二胡の新しい道を進んでいる。アンコール2曲目はボサノバ調の曲、「光る海」だったが、ミン先生とジャー先生の個性の違いがよくあらわれていた。ミン先生は、それまで楽譜など1曲も容易してなかったのに、アンコールのこの曲は譜面を必死でみておられた。得意分野じゃないんだなあと感じた。ジャー先生は、やはりこういう曲を弾くと素晴らしい。私は先生のうたいかたに憧れている。

 ずっと気になったのは、ミン先生が、ステージへの2段の階段の昇降が、多分体重のせいでとてもおつらそうだったことだ。「よいしょ、よいしょ」って感じで転びはしないかハラハラした。すぐ傍にいたピアニストの方とジャー先生、手をかしてさしあげてといいたかった。欧米では、こんなとき、男性はすぐに女性の手をとるだろうなあ。