ゆうべは、やっと、エアコンなしで眠れた。満月のような、一日足りないのか十六夜なのかわからないお月さんが、煌煌とかがやいていた。薄い雲がたなびいていて、秋には間違いない。
8月26日、残暑はものすごく厳しかったけれど、大学生達のトライアスロン大会がうちの近くで行われた。トライアスロンの会場として可能な場所を探すのもたいへんだっただろう。観音寺の住民も、トライアスロンはテレビでしか見たことのない人が殆どだろうから、物珍しく楽しく見学できたのではないだろうか。これから3年くらいはこの地で開催されることになっている。
うちには、審判、選手半々くらい、合計19人泊まられた。真夏、満室状態で、エアコン、テレビ、パソコン等等一斉に使われると、ブレーカーが落ちるだろうと、はらはらしていた。学生さんたちが入られた時に、「ブレーカーが落ちたら、ローカに取り付けてある盤のレバーを自分で上げてね。そして要らない電気消してね」とお願いしておいた。夕食時のてんてこ舞いの時間には、私は客室の方まで出向けないからだ。
神奈川大学、国士舘大学、和光大学、選手と応援含めて9人泊まった。うち2人が女性選手。選手は大会前々日から泊まった。中には、その前から観音寺に入って、琴弾公園のあずまやでテントしていたという子がいた。東京から自転車で10何泊かしてここまでやってきたのだそうだ。真っ黒に日焼けした、人なつっこい感じの学生だった。さすが男の子、やることが・・・。しかし、帰り際、「来年はもう自転車では来ません」と言った。トレーニングというより疲れのほうが大きかったのかな。「もっと強くなって、来年また来ます」といって帰って行った。それも、夜行バスに乗るため、高松まで自転車で行った。大会のあともう1泊しているとはいえ、この暑いのにほんとに元気だ。神奈川大学の学生さんが11位という好成績だった。「すごいですねえ」というと、「来年、優勝します!」と言って帰って行った。満足できなかったのかな。くやしかったのかもしれない。失格になった学生さんも何人かいるけれど、ひとまわり強くなって、又きてほしいものだ。同じお顔が見られたらうれしいなあ。
6台のバイクが互い違いに、狭いスペースにきれいに収まっている
大会当日
女子は7時45分スタート、有明海水浴場で
ランは琴弾公園を4周
当日、審判は5時半に集合がかかっているので、朝ごはんは4じ半、選手は女子のスタートに合わせて5時の食事、したがって、私の起床は2時半である。寝る時間がない、でも、頑張らなくっちゃ。しんどいのは今日だけなんだから。
朝食の片付けが終わって、女子のスタートを見に行く。このときは雲が多くて日差しがなかった。ずっとこんなだと選手も応援も楽なんだけど。雲は次第にどっかへ飛んでいってしまい、いつものようにガンガン照り出した。救急車、パトカー、なぜか消防車まで出てきた。新聞によると、40人を越える人が熱中症で手当てをうけ、5人が救急車で運ばれたそうだ。
あのサイレンの音が聞こえると、倒れたかな、怪我したかな、とか、野次馬根性で覗きたくなるが、12年前、私は救急車にのせてもらったその本人だった。その頃、丸亀沖の広島という小さな島でトライアスロン大会が行われていた。友人がやっていたので私も挑戦、ショートの半分のビギナーの部に出た。バイクで下りカーブで転倒、左手首骨折、左頭部打撲、救急車のお世話になったわけだ。1週間検査で入院した。さあもう退院、というところで、左顔面神経麻痺になった。驚きと不安と悲しみに打ちひしがれたが、2ヶ月の治療で、多少後遺症はあるものの、なんとかみられるようになった。あの時は、鏡に笑いかけると、ビートたけしの顔が思い出されて、絶望的になった。彼は事故による損傷だが、私のは事故の1週間あとだから、たぶんウィルスが原因だろうと麻酔医は言ってた。懲りずに、その後2回、広島で完走できたので、満足している。
選手達の姿を見ていると、又出てみたいなあとチラッと思ったりするが、つらくて、苦しーいトレーニングに、今の私は耐えられそうにない。安易な生活にどっぷりひたっている。大会を目の当たりにして、自分もやってみたいなあと感じた観音寺の若い子が、挑戦してくれたらいいなあと思う。