日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

ロナウジが死んだ

2007-02-26 09:45:04 | インポート

100_0827 ロナウジが死んだ・・・

 誰にも看取られず、ひっそりと逝ってしまった。悲しみから抜け出せず、2、3日何もする気がしなかった。かろうじて少しの仕事だけはこなせた。1週間経った今でも、元気だった姿、死んだときの場面が思い出されて涙が出る。

 ロナは、母の家に住まわせてもらっていた、もともとは長女が飼っていたネコである。年齢は5歳くらい、少し太り気味で大きな図体をしているくせに甘えん坊で可愛かった。

 死ぬ二日前、ちょっと様子が変だった。オシッコを砂場以外であちこちもらしていた。出にくそうに少しだけ。去勢しているからマーキングしたりはしないと思ったが、獣医さんから去勢してもオシッコをかけるネコもいるときいたことがあるので、この時期ネコの発情期だし、そのせいかなと思った。次の日、母の家に行くと、いつも迎えてくれるのに、母のベッドの上でまるくなって元気がない。「ロナ、調子悪いンかい?」と声をかけると、顔を上げて「ニャー」と返事した。若いんだから、じっと寝ていれば元気になるだろうと、そう深刻に考えなかった。

 そして翌朝、様子を見に行くと、どこにも姿がない。具合が悪くてどこかで寝てるんだろうか、それともまた母が風呂場にでも閉じ込めてしまったか。離れのネコ用布団をはぐると、うつ伏せにロナが寝ている。背中を揺すると体温が低い。死にかかっている!ひっくり返すとそのままの形で仰向けになった。死後硬直していた。いったいどうしてこんなことに!! あまりにも急で、動転してしまった。私がロナを最後に見たのが前の日の昼前、たぶん死んだのは未明だろう。急激に容態が悪化したんだ。彼は眠るように死んでいた。でも、苦しかったんだろうなあ、かわいそうに。昨日夕方見に来てやればよかった、と悔やまれてならない。そしたら、医者に見せる必要がある深刻な状態だとわかっただろう。できるだけのことをしてやりたかった。本当にかわいそうなことをした。

 後にインターネットでネコの病気を調べてみた。泌尿器の病気だろうと思われた。症状が現れたときは手遅れのようなこともかいてあった。若いからいっそう、不調が外に見えにくかったのかもしれない。食欲もあったし、動き回っていたし、異常は感じられなかった。でも、この件でよくわかった。しゃべれないからこそ、気をつけてみてやらなくてはいけないのだ。

 亡き骸をどうするか、ペット霊園なんて看板をみたことはあるが、それはうちの近くにはない。母の敷地内に、掘って埋めようと思った。仕事に行かねばならなかったので、夕方まで布にくるんでここにおいておこう。心がどん底のなか、やっとのことで仕事を終えて母の家に来ると、死体がない・・・。また母が余計なことを! 「池に持っていって捨てた」という。なんということを! あの時代の人は、川や池にものを捨てる習慣から抜け出せない。ボケているくせにそんなことができるの、と腹が立つやら悲しいやら。見つかれば引き上げて、つれて帰って埋めてやろうと、池を覗き込んでも深くて何も見えない。岸辺に咲きほこる水仙があわれだ。またドッと涙が溢れてくる。腐敗したら浮いてくるのだろうか。そうしたら引きあげてやろう。あれから毎日池を見ている。

 兄妹ネコのヒメは、捜すような素振りで啼いているが、すぐ忘れるのだろう。2匹いた時は、ロナウジが権力を振るっていたので、ヒメはいつも後ろの方で控えていた。ひとりになった今は、甘えたそうに寄ってくる。ロナの分までかわいがってやろう。


台湾、その3

2007-02-16 23:24:42 | インポート

 たっぷり一日かけてちょっと遠くへ遊びに行こう。何処にするか迷ったが有名な観光地、九份に決めた。オプションで、4000円ぐらいでらくらく観光バスでいけるが、それでは面白みがない。台湾人を観察したり、おしゃべりをしたり・・・。緊張するけれど、何かいいことあるかもしれない。去年は台北駅のホームで、30歳くらいの女性と知り合った。彼女、日本に留学したことがあって、きれいな文字で書いた手紙をもらった。

  先ず台北駅へ行く。観光案内で、乗るべき電車の時刻、下車駅、所要時間など教えてもらった。勿論、スタッフは日本語ができる。台湾では、日本でいう、特急、急行、快速、鈍行みたいに、4種類の電車がある。急行の切符を買ってホームにおりた。電車は、遅れることが常のようだから気をつけよう。

 ホームのイスに腰掛けて、ガイド本をみたり切符を弄ったりしていると、隣の若い女性が「ここで待っててOKよ」と身振りで教えてくれる。日本人のおばさんが一人で不安げにしてる、と思ったのだろう。これをきっかけに私達は日本語、中国語、筆談で会話をはじめた。そのうち、もひとつ隣の男性も加わった。二人とも日本語を勉強したことがあるし、日本に行った事もある。昨日、あまりに買い物の荷物が重くて、仕方なく乗ったタクシーの運転手は、お姉ちゃんが日本人と結婚していて自分は9回日本に行ったと言う。台湾人は日本に好意的だなあと感じる。年取った人が日本語が解るというのは知っているが、若い人も話せる人が多いのに驚いた。戦後、日本は驚異的発展をしたが、今はアジアから取り残されそうになってるのに、台湾人はまだこちらに目を向けてくれている。最近の日本の若い子は、英語ができる子は多い。でも、中国語までやろうという人、台湾に目が向いている人は少ない。私には台湾の若い人はとても勉強家でまじめにみえた。日本に興味をもってくれているのが嬉しかった。皆、親切にしてくれた。

 去年の台湾旅行で、鶯歌(イングー)という陶器の街へ、これも電車で遊びに行った。たっぷり遊んで買い物もして、背中にデイパック、両手に荷物を下げて、鶯歌駅のトイレに駆け込んだ。用を足してほっとして、台北往きの電車に乗り込んでふた駅くらいのところでハッとした。リュックがない!!、トイレのフックに掛けたまま忘れたんだ。慌てて車掌さんに何とか事態を伝えようとする。知ってる単語を並べたり、紙に書いたり。車掌さんが無線機で連絡をしてくれた。私は次の停車駅でおりた。その駅の駅員さんが私の方に歩いて来て、「没有」とすまなさそうに首を振る。やっぱり・・・。あるわけないよなあ。あの中には、現金2400元、電子辞書、鶯歌で買ったばかりの服、割と新しいウィンドブレーカーなど、5万円相当のものが入っていた。がっくり落ち込んだ。誰かが盗ったとしたら、中身を抜いてリュックはその辺に捨てられたかもしれない。家の鍵やその他メモは私にとって大事なものなので、自分で確かめに行こう。下り線に乗って、もう一度鶯歌駅に行く。そのときの私はとても沈んだ悲しそうな顔をしていたに違いない。中学生の女の子が席を譲ってくれた。台湾では、社会的弱者に席を譲るのは当たり前のことらしい。私はたぶんにこりともせず、かろうじて、「謝、謝」と弱々しく言ったのだろう。

 やっとのこと、鶯歌駅に着いて、半ば諦めてはいたが、先ずトイレ、そして駅の外をぐるりと捜した。仕方ないホテルに帰ろう、もう疲れちゃった、とぼとぼホームに下りると・・・、なんと!、私のリュックが駅員さんの詰め所のような小さな建物の中にあるではないか。そのときの嬉しかったこと・・・。

 掃除のおばさんが届けてくれたらしい。中身はそっくりそのままだ。その方を捜し当てて、少しだけれど現金でお礼した。彼女は要らないと言ったが、ポケットにねじ込んできた。とても感謝していたので、どうしても受け取って欲しかった。こんな出来事があったので、私は台湾が好きなのだ。

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瑞芳という駅で電車を降り、バスに乗り換える。バスは狭い坂道をぐんぐん登っていく。とあるバス停で一斉に客が降りはじめた。私もここで降りるのかな?ガイド本を差し出して運転手に聞く。ここで降りなくてはいけないらしい。ほとんど全員降りた。外はひどい雨、ざーざー降り。傘さしてもびしょびしょだ。写真は、バスをおりたところ。

100_1444 こんな雨の中歩くの?とうんざりしたら、大丈夫、遊歩道の細い路地には、両側からのきが迫り出していてあまり濡れない。そうだよねえ、たくさんの観光客に来てもらうためには、快適に歩けるようにしなくては。日曜だからか、人が多い。ほとんどは台湾人だ。

100_1445_1 九份名物の芋圓、お汁粉ににているが、日本のほどあまくない。やさしい味だ。里芋の団子と、豆類、ピーナッツを甘く煮ている。温かくてとても美味しかった。これを絶対食べようと決めていたから、実現できて幸せだった。茹でる前の芋団子をパックで売っていたので、買おうとしたら、

 「いつ帰る?」

 「あした」と、私 

 「ダメだ」

傷むから売ってくれない。今日帰る、と言えばよかった。残念!

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バスで高いところまで行って、お店や景色を見ながら、歩いて下ってくるのが九份の観光の仕方だ。

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「非情城市」という映画のロケが行われたそうだ。私もビデオを借りてきてみなくっちゃ。

 九份観光は短時間で終わってしまった。まだ台北に帰るには早すぎる。台湾北部のもう一つの観光名所、基隆(ジーロン)へついでに行こう。瑞芳駅の切符売り場の前でたたずんでいると、中から

 「どちらまで?」

という、とても流暢な日本語が聞こえてきた。5,60歳くらいの男性だ。

 「基隆まで」

言葉もたどたどしいおばさんが一人で旅行しているのが珍しかったらしい。私は、このような小さな駅で、きれいな日本語が聞けてとても嬉しかった。

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 基隆は大きな街だった。駅前から少し歩くと賑やかな商店街だ。歩道を人が大勢歩いている。冬物バーゲンらしかった。観光名所へはタクシーでいかなくてはいけないようだった。天気も悪いので商店街を歩いただけで帰ってきた。

 台北まで各駅停車で帰ることにした。空いているし、気持ちよく揺られて、居眠りしてしまった。外国で、こんなにリラックスしていいものだろうか。

 いつもないしょで果物を買って帰る。バナナ(小さくてすっぱい)、ナツメ(味は日本のものと似ているがかなり大きい、ほんのり甘く梨のよう)、ドラゴンフルーツ(味はちょっと淡白)、パパイヤ、を持って帰った。とても買いたかったのはチェリモヤだ。初日、ガイドさんが、「美味しいから是非食べてみて。御釈迦さんの頭みたいだからシャカトウといいます」とせつめいした。スーパーで売っていたので、ホテルに持ち帰り試食したら、なるほど、甘くてこってりして、美味しい。森のアイスクリームといわれ、世界三大美果のひとつということだ。帰国までにどこかで買って持って帰ろうと思っていたのに、スーパーに見当たらなかったりして、チャンスがなかった。果物の王様、ドリアンも買って帰りたいけれど、不可能だなあ。日本では1万円はする。

 いつものことながら、帰りのカバンの中は食料でいっぱいだ。果物(厳重に隠す)、お茶、麺、お菓子、調味料など。日本を出国の際、カバンを開けて検査されたとき、空っぽのガラガラで恥ずかしかったが(何も持って行くものがないのだ)、帰りの検査では、カバンをあけたとたん、ラーメンが滑り落ちたり、溢れた荷物を元に収めるのにてこずったり、また赤面だ。密輸品が見つかりはしないか、ドキドキだったが、無事通過。

 朝台北を出て、関西空港に昼前に着いた。母に電話する。話の内容がなんだか変。家に着いたらすぐ見に行かなくては。そして、翌日、母の買い物の後始末に奔走する。それについては、日記「危機一髪、云々」に書いた。


台湾、その2

2007-02-14 18:15:07 | インポート

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 暇日市場を見学し終わって、大安森林公園の中を通って、グルメの街、永康街へお昼を食べに向かう。森林公園と称するから興味を持って歩いたが、何のことはない、日本と同じ、市民の憩いの場である。植えられている植物は亜熱帯性のものだから、景色は少し違う。

 丁度昼食の時間で、グルメの街は賑わっていた。ガイド本にのっているラーメン屋、「川味老張牛肉麺」、ビーフシチューのようなスープが売り物らしいが、客が店の外に溢れている。並ぶ気もしないので、すぐそばの「永康牛肉麺館」という店に入った。小さくてあまりきれいでないガヤガヤした庶民の店だが、入れ替わり立ち代り客が入ってくる。お姐さんがすぐに日本語で注文をとりにくる。台北では、言葉ができないからといって緊張する必要はない。牛肉とスジのはいったラーメンを注文した。おかずもいろいろあって、お皿に取ってもらうようだが、残念だけれど入りそうにない。ラーメンのお味は・・・、正直なところ、あまり好みでなかった。牛肉の匂いが気になった。日本では牛肉の味のスープはあまりお目にかかったことがない。100_1427

 愛国東路の長安楽器店を探さなくてはいけない。旅行者用のパンフレットに楽器店が載っているのを見つけたので、是非覗いてみたい。その店はビルの3階にあった。中に入ると二胡がずらりと掛けられている。二胡のほかにもいろいろな民族楽器がおいてある。日本語が堪能な女性が出てきて説明してくれる。「この間ジャー先生が台湾でコンサートしたでしょう」と言うと、驚いたような顔をして「お弟子さんですか」なんて聞かれた。弟子だなんてあつかましくて言えない。土産に二胡をかいにきたんじゃないことはわかってくれたかな。

 ちょっと興味がある京胡もある。二胡より単純そうな楽器なのに結構値段がする。100000円以上だ。一番安いのを弾かせてもらう。特有の甲高い音がする。この楽器がいいものかどうか、やはり専門の人にアドバイスをうけたい。安いからといって飛びついたら後悔する。この日二胡の先生が帰ってしまったあとだった。次回、先生がおいでる時に寄ってみたい。

 買うつもりはなかったが、高価な部類の二胡を何本か弾かせてもらった。好みの音色だと思った。ここでは、32000元、日本円で120000円ぐらいが高級品だ。たぶんこれより値引きはするだろう。問題の書類、「CITESは用意できます。1000円費用がかかります」と女性は言って、現物を見せた。私が北京で二胡を買ったとき、発行してもらった書類と同じだ。待たなくてすぐくれるのかな?確認しなかった。

 台北には長安楽器と先進楽器の2軒の楽器店が品揃えがいいらしい。ホームページにでていた。次は先進楽器店へも行ってみたい。

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龍山寺夜市の蛇料理店

何軒かこのような料理店があるが、どこも店内は閑散としている。

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ホテルの前のしゃれたケーキ屋さんでケーキを3個買って帰る。なんと1個ずつしっかりした小箱にはいっている。スーパーに袋を持参する国なのに、この包装はゆきすぎなのでは?値段もお味もまあまあ、日本と変わりないということは、ここでは高級品になるのかも。 

 


台湾へ行く

2007-02-10 22:53:04 | インポート

 去年もこの時期、台湾へ旅行した。真冬、、真夏はシーズンオフなので、休み易い。民宿の岡田さんはほとんど年中お客さんがあるようで、本当に、お父さんには、ご苦労様ですと、頭がさがる。

 旅行はかれこれもう一ヶ月も前のことだ。妹が休みをとって、3日間母の面倒をみてくれるので、安心して出かけた。何処へ行こうか、北京、上海、台湾。出発、帰国の日程、費用、ツアーの内容など調べた結果、暖かい台湾に決めた。それに、なんといっても安心感がある。物価はあまり安くはない。本当は北京の古い街、胡同や、商店街をもういちど歩きたい願望はあったのだが。

 一人参加可、内容はフリー、一番安いので33500円だった。これに、空港使用料、燃料サーチャージ、一人部屋追加料金を加えて、しめて62450円を旅行会社に払った。旅行会社が、航空券、ホテル、別にとった場合の費用を試算してくれた。だいたい同じだった。ただし、飛行場から自分でホテルまで行かなくてはいけない。タクシーをつかったとして5000円ぐらいだそうだ。他に交通手段があるかもしれない。もう少しことばが堪能になったら、完全個人旅行しよう。

 飛行機は、関空18時40分初、台北20時45分着だ。まだまだ夜市が楽しめる時間だ。ホテルについたら即でかけよう。デザート食べに行こう。

 空港での持ち物検査で、ウエストバッグにストップがかかった。山用三種の神器、ナイフ、ホイッスル、コンパス、デジカメなどがはいっている。やっぱりナイフはだめだったか。結局、ナイフを預け用の荷物にするため、もういちどカウンターに戻るはめになった。機内持ち込み用バッグの中のペットボトルのお茶は、この時点でとおったのに、飛行機に乗り込む手前、再度調べられて取り上げられた。去年より厳しくなったなあ。アメリカの場合はもっともっと厳しいらしい。当然か。

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今年泊まったホテル、一楽園大飯店100_0391

去年泊まったホテル、国光大飯店

 今年のホテルは去年よりましだった。けれども、去年と同様、室内は少し傷んでいるなと思った。私は、まあまあ清潔な布団で安全に寝られたら充分と思っているので、安口の旅行だから文句はいわない。2軒とも西門駅の近くだ。地理はまだよく覚えている。

 ホテルに荷物を置いて、先ずコンビ二へ水を買いに行く。そして去年もうろうろした西門町夜市へ行った。うんうん、おぼえがあるぞ、ここでかき氷を食べたなあ、この店で牡蠣の玉子焼きと大根餅を食べたなあとか・・・。

 さっそく氷やさんへ入る。細かいかき氷の上に白きくらげ、芋(里芋のこと)、ピーナッツの甘煮(とても気に入った、自分でつくれないものか)、豆、をのせて、練乳と蜜をかけてもらう。お代は70元、4倍弱で日本円になる。食べ物や、バス電車地下鉄タクシーなど交通費は、日本より断然安い。果物やゼリー、小豆や緑豆などトッピングは多種多様。全部食べてみたいが胃袋の許容量に限界がある。現地世話係の女性ガイドが「夜市では食べないように。お腹こわします」と注意してくれたが、神経質な人は気の毒だなあ。到着の夜は氷でおしまい。明日からのプランを練らなくては・・・。

 

 朝食はバイキングだった。去年のホテルでは、コーヒーと薄い食パン1枚、ハムとミックスベジタブルだけだった。簡素さに驚いてしまった。でも、お蔭で、路上の屋台の粥や豆乳や餅米を蒸したものなど、食べるられるチャンスにめぐまれた。こういう庶民の朝ごはんはとても安くて美味しいのだ。

 9時にホテルをでて、暇日玉市、花市、骨董市へ行く為、地下鉄に乗る。台北の地下鉄はとてもきれいで分かり易く安心だ。ゆっくり歩いても10時半についてしまった。やはり恐れていた通り、はやすぎたのだった。やっとポツリポツリ店が出始めたという時間帯だった。もったいなくも時間を潰しにかかる。商品を並べ始めた中年のお姐さんとおしゃべりだ。翡翠などの石でつくった飾り物、アクセサリーを売っている。1時間くらいお邪魔したので、お礼のつもりで、高すぎると思ったが値切りもせず2点買ってあげた。彼女、日本の会社で働いていたことがあるとかで、日本語が少しできた。100_1405

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 花市の蘭は、南国だけあってさすが種類が豊富だ。

 カトレアは200元、800円弱だ。相場を知らないのだが、安いのでは?

 珍しい蘭がたくさんあった。


雪山を楽しんだ

2007-02-06 23:45:34 | インポート

 今週末、雪山を楽しむ為の山登りをする予定だが、今日の陽気といい、週間予報といい、雪景色を見られそうにない。雪乞いをしたいくらい。あまりの暖冬で、残念がっている人も多いことだろう。冬の遊びが楽しめないと嘆くのはまだいいが、仕事にひびく人はお困りだろう。

 先週は久しぶりの寒波だった。雲辺寺を越えておいでたお遍路さんが、雪が積もっていて大変だったとおっしゃっていた。車の窓から見上げても、うっすら白いものがはっきりと確認できるのだから、だいぶ積もっていると思った。1週間後の山行に備えてちょっとトレーニングしてこよう。

 さて、どの山にしようか。雲辺寺でも雪の練習になるだろうが、もう少し高いところに行きたい。ただし、登山口まで積雪なしでなければ危ない。別子山村に決めた。

 法皇トンネルの峠も全く雪がなかった。もうすっかり融けてしまったようだ。道路に雪がないのはいいことだが、はたして山に雪は残っているかしら。別子銅山の登山口には車が数台とまっていた。人が多そうなのでやめた。この先の中七番まで行くと、車は1台しかなかった。もう10時をまわっている。沢沿いに歩いてカタクリの場所を越えて、できれば尾根まで登って一の谷の景色を眺めたいが、無理な気もするので、時間を見計らって引き返そう。

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住友林業、フォレスターハウス、2月まで休館だ

おがげで、番人さんに会わずにすんだ

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沢沿いに行こうと思ったら、通行止。去年、この道はとおれなくて、上の林道を歩かねばならないと聞いていたが、こうなっていたんだ。100_1496 橋の修理してくれないのかなあ。渡れなくもないが、この先順調に進めるかどうかわからない。

 林道を歩くのいやだから、平家平に向かって登ることにした。沢で釣りをしている人が一人、遊歩道ですれ違った中年が二人、出会った人はこれだけだ。100_1495

うっすら雪が乗っていてちょっとこわい丸木橋、ツルッとすべったが大丈夫。

100_1489 一面真っ白の銀世界、を期待していたがこんな感じの雪だった。深いところでは膝まで届きそうだった。道は埋もれて分かりにくいところもあったが、赤テープをたよりに登る。稜線はまだか、雪の抵抗を受け足も疲れてくる。12時まで登ろうと決めていたが、尾根まであとすこし、もう少しという気がして、引き返せない。やっとのことで稜線にでたのが12時40分、10時10分に駐車場を出たから2時間30分のタイムだ。

100_1490 平家平が前方に。尾根筋と南側にはほとんど雪はない。頂上まで行くのにさほど時間はかからないだろう。けれども私は今日はここまで。腰を下ろしてお昼にする。ポカポカいい天気。だあれも見えない。

 20分で済ませて、帰途につく。気をつけて、ゆっくりいそいで帰ろう。事故を起こしたとしても、足跡がくっきり残っているから捜してはくれるだろうが、救助を待つ間が寒いだろう。

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雪面を、やわらかい午後の陽がてらす。静かで穏やかな空気だ。立ち止まって、少しの間身をおきたくなる。

 帰りは道を迷う心配がなかった。何も考えず、自分の足跡を辿っていけばよい。雪がある程度積もっていると、木の根や石につまずくこともなく、クッションにもなるし、下りは楽に歩ける。とはいっても1時間25分かかった。

 雪山へひとりで来たのは初めてだが、お天気さえよければ大丈夫、ちょっと自信がもてた。