日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

横峰寺

2007-07-30 12:23:33 | インポート

100_0268  2年くらい前だったろうか。女性一人の歩き遍路さんが泊まられて、夕食のとき、たぶんその方おひとりだったと思うが、いろいろお話をした。驚いたのは、横峰寺から石鎚山まで山道を歩いたとおっしゃる。遍路のついでに石鎚へ、と言う方は時々いるが、山越えて御参りする方は少なかろう。女性はそんなに若くもなく、中年くらい、山歩きの達人風でもない、普通のお遍路さんだった。それで、どんな道なのか確かめるべく、先ずは横峰寺までピストンすることにした。

 河口(こうぐち)の登山口はすぐわかった。写真が横峰への登山口である。車道を隔てて反対側の石鎚への登山口もすぐわかるが、登山道崩壊のため通行止めと書いてある。いつから通行止めなんだろう。お遍路さんはこれを押し切って行ったのだろうか、それとももうひとつの道、今宮道を登ったのだろうか。また機会あれば、本当に通れないのか確かめにこよう。

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100_0271  道は広くて歩き易く、問題ない。ほとんど全部植林の中だ。植林が途切れて、日当たりのいい雑木が生えているところでは、やはり草が生い茂って足元が悪い。こんなことだろうと思って鎌を持ってきたので、小枝を切らせてもらった。人通りの少ない道だからすぐにのびてくるだろう。1時間くらい歩くと小さなお堂がある。「千足山村云々」と書いた石柱が建っている。ここに昔があったのだろうか。石垣がいたるところにあった。

100_0275 星が森

横峰寺はすぐそこだ。100_0276

15分ほどたらたらと車道を下って山門に到着、下から登ってくる遍路道がある。何年も前にこれを登ってきたことあるなあ。上り詰めたところで山門がどんと構えているのだ。100_0279

本堂、ひっそりしている。

車でおいでたお遍路さんを数人見かけただけ。

100_0282  帰り道沢沿いでミズナをとる。ずっと沢の音を聞きながら歩く感じ、水に不自由しない。ここのミズナはとても太っているのでたべてみよう。丁寧に皮を取ってよく煮ても、口の中に繊維が残る。ま、気にしないことだ。味は癖なくまあ美味しい。


捨身ヶ嶽禅定寺

2007-07-26 22:17:51 | インポート

 うちにお泊りになったお遍路さんが、私が持っていた古い版の歩き遍路用の地図がどうしても欲しいとおっしゃって、気迫に押されてお譲りしてしまった。前々から横峯寺へ山道を歩いて行きたいと思っていたが、地図がなければどうにもならない。観音寺、本山寺、小松尾寺、どこにもおいてない。それで、わざわざ善通寺まで買いに行った。真夏なのでひっそりしている。

100_0231_1 寺の裏にある駐車場傍の大師うどん

本日定休日なり

100_0232 広々とした駐車場、お客さんはバスが1台と乗用車数台、私は少し離れた木陰を見つけて路駐した。

舗装の照り返しがじりじりと暑苦しい。

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名物の堅パン屋さん。ずいぶん古くからやっているんだろうけど、建替えもせず、お菓子を保存するケースも入れてくれる袋も昔もまま、すごい!例えば、一度にたくさん焼いて、乾燥剤ほうりこんで、ビニール袋につめて密閉すれば手間がかからないではないか。ずっと昔のやり方を貫くところがえらい!

 この頃はこんなノスタルジックな雰囲気が好まれるのかも。ところで、うちの場合も、たまにお客様が、「我が家にいるみたいで落ち着く」とか「古いものがたくさんあっていいですね。うちにも昔こんな物があったなあ、もう捨ててしまったけど」とおっしゃる。古くて落ち着くといわれれば聞こえはいいけど、真に受けていいものか???

 13年前うちの三女がここのせんべいが好きでときどき買いに来た。色の白い美人の若奥さんがてきぱきと応対していた。今日は別の人が店にでていたが、若奥さんは奥にすわっていた。前とかわらぬ田舎っぽい服装がこの店に合っている。(ごめんんさい、ひとのことはいえないのです)せんべいやで生活ができるとは思えないが、どうかこのまま続いてほしい。

 まあるい生姜糖のかかったせんべいはとても堅い。歯が立たない。一口大に割って唾液で溶かすと美味しい。コロッとしたヘソまんは柔らかい。四角いのはやや堅い。どれも素朴なお菓子だ。せんべいは1枚いくらのばら売り、小さいヘソまんのようなものは100グラム単位で売ってくれる。

 さて、善通寺で用事を済ませて、捨身ヶ嶽へ向かう。出釈迦寺から2,3分走らせると駐車場がある。しかし、ここからさらに上に向かって、コンクリートで固めた急な道が続いていて、ほとんど寺までいける。但し、この急登を車で登るのも勇気が要る。

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数年前は素敵な山道だった。春には山吹が咲き乱れ、山桜もあった。舗装のお蔭で暑いこと!僅かな陰を求めて歩く。汗が滝のように流れてくる。

100_0259 僅かに残された昔の道

 小一時間歩いてやっと山門に着いた。涼を求めてどっこいしょ、お昼にする。出釈迦寺から30分で奥の院へいけますなんて、お遍路さんに説明していたが、これからは、1時間みていたら大丈夫ですと言おう。少なめに言うと、まだかまだかとイライラするかもしれない。

 少しして、年配の男性のお遍路さんが御参りにこられた。本堂裏手の鎖場に登っていった。元気だ。私は今日はここまで。お昼をすませてさっさとおりた。帰りに道端でウドの株を40くらいみつけた。ひあたりがよくて余程お気に入りなのか。まだ食べられそうなところを摘んで帰った。食べていただけるお客さんに不足しているが。


お遍路さん

2007-07-24 20:51:24 | インポート

 今年は、団体の歩き遍路をよく見かける。つい先日も、先頭からシンガリまで3,4キロは離れていそうなグループを見た。人数が多いからではない。各自マイペースで歩いているのだ。一番過酷な季節である。ヒトにあわせては歩けないのだろう。

 春に、よく列をなして歩く2,30人くらいの団体を見かけた。集団で歩いているとちょっと圧倒される。彼らは荷物という荷物をほとんどしょっていない。きょうの宿か、次の寺までスタッフが車ではこんでくれるのだろう。

 以前は団体と言えばバスだったが、遍路のカタチも多種多様だ。マットと大きな荷物を担いだ野宿さんも本当に多い。若いヒトだけでなく結構年取ったヒトも多い。元気だ。

 去年、テレビドラマやNHK教育の趣味悠々でお遍路が取り上げられて、ひとつのブームになったのかな。団塊の世代の大量退職を控えて、遍路宿も準備と心構えが必要だ。それが過ぎたらどうなるのだろう。

 先月、ブラジル人のご夫婦のお遍路さんがいらした。前日、予約の電話を受けたとき、話し方の特徴から「この方達は2年前にきてくれたひとだ」とわかった。「OOさんですか?」と聞くと、「そうです!又よろしく」と嬉しそうな声がかえってきた。

 奥様が日系3世、ご主人がブラジル人だ。奥様は日本人の顔をしておいでで、日本語もとても流暢だが、少し外国人っぽいところがある。

 今年は外国人のお遍路さんも多い。以前はアメリカ人がおおかったが、ドイツ人、オランダ人、フランス人、そしてブラジル人がみえた。たいていの方は日常会話くらいの日本語ははなす。なかに日本語があまりできない人もいたが。私も英語が話せるようになりたいなあ。おしゃべりできたらたのしいいだろうなあ。

 外国人のリピーターははじめてだ。日本は物価が高くて、気の毒なくらいお金がかかるではないか。ヨーロッパにも巡礼の旅があるけれど、宿がやすかったり、ボランティアで泊めてくれたりして、さほど出費しなくていいように聞いている。2年前いらしたとき、ブラジル人夫妻もヨーロッパの巡礼をすでに済ましていると言った。四国巡礼は車が買えるほどお金がかかると笑っていたっけ。それでも再度御参りするとは!

 じつは、ご主人、仏教の修行をしたいらしい。「どこかそのようなお寺知りませんか」と聞かれた。「明日善通寺に行ったとき、聞いてみたらどうでしょう。大きなお寺だから、そういう人の受け入れもしているんじゃないかしら」と答えた。その後どうされたろう。

 7月20日ごろブラジルに帰るとおっしゃっていたが、18日ごろだったか、サンパウロで大きな飛行機事故があったではないか。どうか無事帰っておられることを祈りたい。100_1717

ブラジルのお遍路さん、

とても気さくな方たち。ブラジルに遊びにいらっしゃいと誘われてしまった。その気になって行ったりして・・・。


我が家は灯が消えたよう

2007-07-21 00:53:59 | インポート

100_0228  1週間ほど、オーストラリアにいる娘を訪問して、11日に我が家に帰ってきた。出掛ける前は水不足だったが、1週間の留守の間に畑が草ぼうぼうになっていた。毎日のように雨が降ったらしい。お蔭で私の作物もすくすく伸びた。

 写真は、バジル、ツル豆、中国野菜のエンサイ。バジルは、にんにく、松の実、チーズ、オリーブオイルでソースをつくった。エンサイはたくさん収穫できたので、友人にもおすそ分けした。ツル豆の種は友人から数粒もらったものだが、ほぼ100パーセントの発芽率だ。さすが買った種は質がいいようだ。

 

 日本に帰ってすぐ台風がやってきた。台風が通り過ぎてから、かれこれ4ヶ月里帰りしていた娘と孫が大阪に帰っていった。子供連れで、ひとりで大阪まで運転するのは大変だろうと、私も一緒についていくことにした。大阪の町の中は運転できないが、田舎道なら手助けできる。

 ちょっとした引越し騒動だ。送れるものは先に送って、さいごまで使うものは車に積み込む。大人二人、幼児2人、ベビーカーやらベビーバスその他、「ビッツ」はぎゅうぎゅうのパンパンだ。

 最後の挨拶にと母の家に行くと、なんと、又、行方不明。よりによってこんなときに・・・。1時間ほどいつも買い物に行くコースを捜したが、見つからない。娘は「一人で帰れるから来なくていい」というが、やはり心配だ。母は、たぶんいつものように、財田の叔母のところにタクシーで行くに違いないので、電話でよろしく頼むといいおいて、大阪へと出発した。30分はしったところで、叔母から電話があった。母がタクシーできたから、少し休ませて送っていくということだっだ。やれやれ、一安心。万が一、足を滑らせて池にでも落ちていたら大変なことになる、運転しながらも気になってしかたなかった。

 大阪で1泊して、早々に引き上げた。狭い家では居場所もない。あとは二人で力を合わせて子育てするしかない。コウちゃんはやはりムリクソいってるらしい。慣れるまで大変だけど、いつまでも家においとくわけにもいかない。

 4ヶ月の間に、コウちゃんはこころもからだも随分成長した。小さい子の発達の早さには驚く。彼はお客さんが大好きで、玄関のチャイムが鳴ると飛んでいく。ぺこっとお辞儀したり、「ご飯たべてくさい」「どーぞ」といったり、愛嬌を振りまいていた。お客さんの傍から離れないので、終には出てこられないように扉を締めなくてはいけなくなる。託児所にも楽しく通っていた。そこではとてもたくさんのことを学んだに違いない。大人の方は感傷的になるが、当の本人の記憶にどれほど残るだろうか。

 少子化少子化というけれど、子育ての環境が整っていないことを実感する。コウちゃんを預ってくれる保育所はないらしい。何処もいっぱいで、仕事を持ったお母さん優先という。保育料高くてもすこしの間の辛抱と思って、私設の託児所でも探したら、と私は言った。ノイローゼになって虐待してもいけないし、危険の認識が足りないコウちゃんが赤ちゃんに怪我させてもいけない。取り返しのつかないことが起こらないよう、無事過ごしてくれることを祈るしかない。

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3ヶ月の次男、悦春くん。

我が家は、台風一過のようなしずけさ