日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

モモのお葬式

2010-01-31 11:18:15 | インポート

 昨日、モモタロウを母の敷地内の隅に埋めてやった。ロナウジと玉緒が眠っている場所だ。

 ゆうべから降っている雨がまだ止んでいない。表通りに染み付いたモモの血を洗い流してくれただろう。勝手口や庭から眺めやると、モモが何処からか、チリンチリンと鈴の音とともに現れそうな気がする。

 一昨日の夜、7時過ぎ、うちの前の藤川旅館さんが深刻な様子で勝手口にこられた。

 「たった今、ネコが撥ねられたんだけど、三谷さんのところのと違うかなあ?」

 モモは1時間ほど前、勝手口のあたりにいた。まだ家に帰りたくないようなので放っておいた。モモか、はたまたノラちゃんたちのどれかか、私に係りのあるネコであることはほぼ間違いないので、いそいで藤川さんに現場に連れて行ってもらった。うちから20メートルくらい離れた道路上にネコが横たわっている。脚を動かしたのが見えた。近づくにつれ、白黒ブチでもなく、クロネコでもなく、縞模様であることがわかった。決定的瞬間、そのネコは水色の首輪をしている!

 「モモッ!」

呼んでも何の反応もない。口を開けて舌が出ている。死んでいるようだった。まだ柔らかいモモを拾い上げて家に連れて帰った。頭が変形している。胴体には傷はない。口からは血が流れ続けている。頭蓋骨骨折で即死だった。タオルにくるんで箱に入れた。じっと見ていると、眠っているかのようで、息をしているようにも見えた。

 事故の後、すぐに連れてかえれて本当によかった。次々と轢かれてぺしゃんこになる前でよかった。知らせてくれた藤川さんに感謝したい。タイミングがよかった。良かったというか、何とも・・・。運悪く事故を目撃すると、その情景は何年経ってもふとアタマに蘇る。私はたった今撥ねられたという犬を見たことがある。ネコもある。完全に死体となっていて道路に転がっているものよりずっと悲惨である。車ではしっていて、犬にドンと当たったこともある。街中だったのでスピードをだしていなかったことと、犬がキャンと鳴いて見えなくなったので、たぶん怪我は軽症であったと慰めている。飼い主はもちろん、撥ねた人も目撃者も、何か心に影をおとす。事故を起こさないように気を配るべきなんだけど。


やっと庭がきれいになった

2010-01-24 23:41:41 | インポート

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庭師さん、今年は余程忙しかったのか、母の家の剪定は、今日やっと終わった。2日半の延べ11人、剪定、掃除、ごみ処理、消毒、全部で20万かかった。出費は大変だけど、すっきりきれいになった。私もそばで草抜きに励んだ。抜きながらいつも思う。なんて無駄なことやってるんだろう。今取ったって、1週間後には傍に控えてたヤツが成長してくる。邪魔者を除いてやっただけなのだ。もっと大きくなってから抜いたほうがいいかも。あまり草が伸びすぎると、もういやになってやる気も失せる。草枯らしをやるのが簡単ではあるが。

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3年前、小さな苗を買ったのが、こんなに大きな株になって花を咲かせた。クリスマスローズは高い。花が咲くまであと3,4年はかかるだろう、ちっちゃな苗が3,4百円はする。値段は高いけれど、大きなポットの苗を買うと、花を見られる確率がたかい。枯らさないようにお世話しなくてはいけないのだけど、しばしばお世話しすぎて根腐れさせてしまう。植物をそだてるのもなかなか難しい。


八ヶ岳、その2

2010-01-18 00:04:46 | インポート

P1020704_2 赤岳展望荘、後ろのピークに頂上小屋。

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夕暮れの富士山

 八ヶ岳は関東方面から行き易いせいか、都会的な人が結構多かった。麓あたりでは、アイスクライミングを楽しむ人たちをたくさん見かけた。彼らは途中で道を反れて、何処かでクライミングしてるんだろう、いつのまにか消えている。

 夏山は中高年が多いけれど、12月の大山山行といい、八ヶ岳といい、冬は若い人、とりわけ女性が目に付いた。山登りの好きな娘さんも結構いるんだ。

 赤岳展望荘に13時半に到着、あとは夕食まで、ストーブのはいった暖かい部屋で、飲んで食べてうたた寝して寛ぐ、至福である。ビール、ウィスキー、ワイン、皆さん酔いもまわって上機嫌だが、残念ながら私はアルコールは受け付けない。

 小屋の食事は、夕食朝食、バイキングだった。山で食欲が落ちる者にとって、好きなものだけ皿に取れるのは、とてもありがたかった。どこの小屋でも、揚げ物がひとつやふたつ、ついているが、脂っこいものは喉を通らない。ここでは、山の上では貴重な野菜のおかずが、何種類もバットに盛られている。おかわり自由である。私がいただいたのは、ごはん少々、温野菜、味噌汁、オレンジ、デザートのケーキである。そして、女性のみ、湯たんぽのサービスがある。おかげで、暖かく眠れた。

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夜明け。

いつもなら、暗いし、寒いから、日の出を見るより布団にもぐりこんでいるけれど、この日は頑張って外に出てみた。でもすぐに屋内に入った。マイナス15度である。

P1020708 8時半小屋を出発。稜線に出たところで強風に飛ばされそうになる。姿勢を低くしてピッケルで支える。危なかった。

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鞍部に見えるのは展望荘、向こうのゴツゴツのピークは横岳、後ろの平なのは硫黄岳、その後ろは北八ツの山々かな。

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展望荘から急なのぼりを経て、頂上小屋に着いた。稜線で寒いかなと、用心してしっかり着こんで登ったので、汗びっしょりだ。いつも衣服は少なめに着るので、このときの大汗はとてもつらかった。着るものの判断は難しい。

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頭部の衣装も難しい。目出帽を被ってサングラスをつけると、メガネが曇って見えなくなる。鼻の辺りを空気抜きの為切ってみた。少しはましだけど、どうも・・・。

赤岳からの下りは、鎖や梯子がつけられている急なコースである。下りの方が怖い。いざというときのため、小屋を出るときからハーネスを着けている。結局は、使わないで降りられた。

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下りで見上げる中岳と阿弥陀岳。最初の計画は、可能であれば阿弥陀岳まで行く、ダメなら、中岳越えた鞍部から下る、ということであったが、実際は、もうひとつラクに、文三郎尾根を降りた。我々の体力と時間を考慮しての決断である。ああ、それにしても冬の山は美しいなあ。凛として私のような者を寄せ付けない。もう登らせてもらうチャンスはないだろうか。後ろ髪を引かれる思いがする。

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行者小屋まで帰ってきた。往きとだんちがいの晴天。

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P1020729 横岳、赤岳の稜線もくっきり見えた。

 風邪の具合をみながら、この山行に参加するかどうか迷い、歩き出したら引き返すかどうか迷い、まあ無事帰ってこられたものだと、感慨深い思いがする。咳きの度に皆に心配かけている。不調にもかかわらず、「行きます」 と厚かましく出てきた私を、快く受け入れてくれた仲間に感謝したい。


八ヶ岳、その1

2010-01-16 23:56:42 | インポート

 5日間の迷子(たぶん)の後、家に帰ってこられたのが余程嬉しかったのか、モモタロウの甘えることといったら、私の傍を離れなかった。

 この寒空にいったい何処にいるのやら、と涙ながらに捜しておきながら、又、モモにせがまれて外に出してやった。お天気のいい日は日光浴させてやりたいし、ノラチャンたちと遊ぶのも気分転換になっていいかなと思う。獣医さんは外に出さないほうがいいと言うが・・・。そのうち後悔することになるのかもしれない。

 

 しつこい咳きと痰はいまだに続いている。よく赤岳まで登れたものだ。マスクは、車中はもとより、歩いているときも、山小屋でもずっと付けていた。登りながら咳きをしている。常識から言って、信じられない。山小屋のお客達、マスクしたおばさんがウロウロしているのを見て、「この人、インフルエンザ? どうしてこんな人が山に居るの?」と思ったに違いない。

 9日、21時観音寺を出て、10日早朝、赤岳山荘駐車場に到着。登り始めて行者小屋までの3時間の間、ずっと考えていた。皆に付いていけるだろうか、止めるならここで引き返して、麓の宿でひとりで泊まり、皆を待つか。ここから先に進めば、もう個人行動は許されないだろう。仲間にやっかいをかけてしまう。

 「私、ここで下ります」

勇気を出して、切り出す。

 「え?しんどいんナ? 肺に負担かかっとんやな。」

リーダーが驚いて言う。

 「咳きがでるだけで、しんどくはないです。これくらいのペースなら行けると思います。これ以上速くは歩けませんが。」

呼吸が、ハアハアゼイゼイいうと、胸に苦しさを感じた。息があがらないように登れば大丈夫と思った。

 「あと2時間で赤岳展望荘につくし、あとは何もすることないんだからゆっくり行きませんか。」

 リーダーに背中を押していただいて、前に進むことに決めた。

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駐車場で身支度を整える。パーティは総勢6名である。

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行者小屋は皆が休憩する場所だけれど、雪宿りする軒もほとんどない。テント場にもなっていて、人がいっぱいだ。お天気悪く、赤岳も横岳も臨めない。P1020681

 ところが、ここからが大変だった。地藏尾根のきついこと。地図の等高線から解ってはいたけれど、鎖やら梯子続きで、一瞬たりとも気を抜くことができなかった。鎖や梯子があるところはまだ安全かもしれない。上から降りて来る人は、ハーネス着けて、コンティニュアスで下ってきていた。

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地藏の頭、ここまでくればあと一息。


モモタロウが遭難?

2010-01-13 23:35:36 | インポート

 9日夜、私は八ヶ岳へと向かう車中の人となったのだが、昼間外に遊びに出たまま、モモタロウが帰宅しなかったので、気になっていた。今までも、朝帰りしたことは何度かあった。戸を開けて、「モモー、モモー」と呼んでやったらすぐに何処からか帰ってきた。だから、山小屋に着いてから、夫に、モモが帰ってきたら入れてくれるように、携帯で頼んだ。しかしモモは留守中帰らなかった。遊んでいる最中も、そのことは時々頭をかすめる。

 11日夜中、家に帰り着いて先ず「モモー、モモー」と呼んだ。寄って来るのは、外ネコばかりである。翌日から、何度も家の周りを「モモー」と呼びながら捜した。集まってくるのは、外ネコ4匹。

 「うちのモモしらんかえ?」

 「しらニャー」

野良ちゃんは生きる術をちゃんと知っている。母さんから小さいうちから教えられている。それに引き換え、モモは拾ってきたときからおっとりして、危険察知能力が欠けているように見えた。車がひっきりなしに通る、国道の路側帯に座っていたのだから。

 今日で、モモが行方不明になって5日目だ。もしか、交通事故に遭って、何処か家の隙間でも逃げ込んで衰弱して死んだか、はたまた、近所の業務用冷蔵庫の戸が開けられた隙に入り込んで閉じ込められたか。家の外に出したら、いつか何か困ったことが起きると予感していた。神様は、私の無事帰還と引き換えに、モモの遭難という試練を課せられたのだろうか。今朝は今年一番の寒気で、海辺のこの町にも珍しく雪が舞っていた。ああ、この寒さ、モモはどこで凌いでいるのだろう。

 ところが、ところが・・・、

3時半頃、用事をすませて、駐車場に車をいれて降りたら、ネコがわりに大きな声で鳴いている。足元によってきたネコはモモだった。

 「モモーッ、オマエ何処いっとったン」

抱きか抱えて、いそいで家に連れ帰ったのである。モモは死んだと半ば諦めていたのだから、どんなに嬉しかったことか。モモも喜ぶこと・・・。久しぶりに我が家に帰った安心と喜びを、ゴロゴロニャンニャンと、身体全部で表現している。ガツガツと餌を食べてストーブの傍から離れない。ひもじくて寒かったろう。どこか遠くで迷子になったのかなあ。

 モモはもう看板ネコとして、若松家別館の重要な役割を果たしてくれているのだから、いなくなりましたなんて、どんな顔をして言えただろう。モモが心配で、何をしても気になって落ち着かなかったが、無事帰ってきてくれて本当に良かった。今日は最高の一日だった。