日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

トレイルランの大会、中止

2022-07-28 15:06:04 | 日記

 7月10日の雲辺寺の写真である。台風がきてから、少しぐずついた天気が続いていた。山頂は霧のように靄っている。里から見ると、その名の通り、寺は雲の中なのだろう。

 この時はトレーニングのため、五郷から登って奥谷に下り、林道を歩いて周回する行程だ。なんでトレーニングかというと、9月10日のトレイルランのイベントにエントリーしたからである。これからは、週一で雲辺寺に登らなくては、と思っていた。ところが3日前、コロナ感染者急増のため、大会中止のメールがきた。落胆この上ない。他県で、催し物が中止になったニュースは聞いたことがあったが、インカレのバスケットの開会式が高松で行われたという話もある。山を走るのは、そんなに密ではないと思うんだけど、とその時は思った。けれども、今週は感染者グラフが上がりっぱなしだ。仕方ないな、いつ行動制限がかかるか、心配だ。8月は、いくつか宿泊の予約が入っている。

 6月に、友人からトレイルランの大会があると聞いて、さっそくネットで調べた。旧知の登山道だし、大会会場がこんなに自宅から近いなんて願ってもない、私にはうってつけの、初回トレイルランレースだ。でも、膝は心配だし、高齢の参加者はいるだろうか、年甲斐もなく出て、恥をかくことになるかもしれない。5歳くらい年下のその友人もでたいようなそぶりだったので、「一緒に出よう!」と話は決まった。

 決心すると、善は急げ、6000円払って申し込んだ。さて、この暑い季節、どのようなトレーニングをしたらいいかな、大まかな計画も考えた。歳も歳、やり過ぎて、体を壊してはいけない。周りの数人の人には「私、トレイルランの大会出るよ」と宣言しておいた。背水の陣である。何が何でも完走する、そんな覚悟である。棄権なんてかっこ悪い真似はできない。

 出るとなると、プレッシャーも感じるが、久しぶりに目標が目の前に設定され、充実感もあった。今でも努めてジムへ行って、運動を心掛けているが、ここ何年来、ダンス系が楽しくて、苦しいトレーニングは避けていた。筋肉は年とともに、拍車をかけて落ちてゆく。このトレラン大会では、目標を定めてトレーニングを積んでいたころを懐かしんで、もう一度そんな自分に帰れるかもしれないと楽しみにしていた。

  

 雲辺寺で、お仲間らしき人々を見た。大会のお世話をするスタッフかな、と思った。

 五郷からの遍路道は、尾根で草ぼうぼうになっている。イベントが開催される前、8月後半には登山道がきれいに整備されて、お遍路さんも歩きやすくなるだろうと喜んでいたのだが、中止になったからには、このままホッタラカシ?

 頂上のロープウェイの駅横から五郷に下りたい人のために、あの草は切らなくてはいけない。下りの道を見つけるのは難しくなっている。昔からの遍路道であり、地元の人のハイキングコースであった、大事な登山道だ。私が若いころは、大勢の人が、この道を歩いて雲辺寺へ初詣に行ったものだ。

 長い林道を歩いて車まで行く途中、ネジバナが何株か咲いていた。かつては、普通に野山に自生していて、珍しくもなかったんだ。


母を看取る

2022-07-19 11:09:32 | 日記

 6月の終わり、異例の梅雨明け宣言がなされ、今年の夏は水不足かと不安を感じたが、この間の台風から前線が停滞して、今日も西日本で大雨の警報だ。梅雨明けのはずが、まるで梅雨が戻ったかのように、毎日曇りか雨。枯れかけた畑の野菜は生き返ったが、今度は日照時間が足りるか心配だ。

 私の菜園のつるまめは、こんなにゴツゴツした、干からびた姿だ。私が育てた大事な野菜、少々硬くても食べてあげる。

  

 今年も三つ葉にキアゲハがタマゴを産み付け、孵化した幼虫が大きくなろうと一生懸命葉を食べている。左は、大きく育って動きが少なくなった幼虫。もうすぐ蛹に変身するだろう。隣はまだまだ食べ盛りの幼虫。右は、いつの間にか私と一緒に家に入り込んでいたピンクの幼虫。どんな成虫になるんだろう。ピンクの蛾?

 一か月以上ブログ更新を怠っていた。梅雨が明けるころ、母が逝ったからだ。満97歳という高齢だったので、容体が変化して亡くなるまで早かった。コロナ禍で施設に会いに行くことは難しかったけれど、最期は私が傍に居られて良かった。

 元気だったころ、いつも「葬式は密葬にして」と言っていた。家族葬という言葉が使われていなかった時代、密葬?それどうするン?

 母は、自分が死んだあとの煩わしい交際を私たちに引き継がせたくなかった。香典を頂かない葬式、今どきの家族葬と解釈している。それで、私と妹は小さなお葬式を執り行った。妹は言葉通り、自宅で家族だけでやるつもりだったようだ。私は、一般的な家族葬を故人は望んだだろうと思う。お葬式も多種多様のやり方があり、どう対応したらよいのか悩む場面もあり、喪主って難しいなあと感じた次第である。

 お葬式は終わったけれど、これからまだまだ煩雑なことがいっぱいある。この間、ようやく未給付年金請求の書類を提出したところ、寡婦なんやらを余分に受け取っていたらしく、約13万円掛ける5年分の金額を返さないといけないという。明後日もう一度年金事務所に出向いて、説明を受けることになっている。一つ片付いたかと、ほっとしていた矢先の事である。

 8月には49日の法事をいなくてはいけないのだが、コロナ感染者がおさまらない。どのような会にすればよいのか。会場となる家の掃除片付けもあるし。まず草刈り機の、便利で軽くて使いやすいのを買わなくては。

 母の棺には、般若心経1000枚と遍路の装束を入れてあげた。遺言であった。娘が「おばあちゃん、写経1000枚と着物入れてと、確か言ってた」というので、仏壇の上を捜すと、几帳面な字で書かれたお経の束が見つかった。ああ、娘よ、よく覚えていてくれた。あとから見つかったら後悔するところだった。

 49日まで毎週「まわりめ」をして、般若心経を動画で流して唱えるのだが、覚えられそうにない。母の真似をして写経してみたい気もするけれど、落ち着きのない私には無理かな。