日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

大窪寺で再会

2018-10-30 20:53:34 | 日記

 一昨日の日曜、お天気いいし、予約もなく、お仕事休みにして、88番札所大窪寺に山道を使って登った。車では、母のお伴で来たことはある。先日泊まられたお遍路さんに、「大窪寺へはキビシイですか」と聞かれ、歩いたことのない私はお答えできなかった。大窪寺は日帰りで偵察できる距離だ。その日、お客様を見送って、10時というちょっと遅い時間だが出発した。

 私の車にはナビがないので、パソコンで道を調べ、頭に入れておかなければいけない。高速は使わず、塩之江回りで行くことにした。少し迷って、たっぷり2時間でお遍路交流サロンに着いた。結願の証明書をいただけるというのはここのことか。色々展示物や資料があるようだったが、見学の時間はない。お遍路が一般に知られる前の時代、実態はどうだったのか、興味があるので、また今度ゆっくり見にこよう。

 交流サロンのスタッフに詳しい地図をいただき、大窪寺までは4つのコースがあると教えてくださった。県道3号線の車道が遍路道らしい。ウーン、いくら遍路道とはいえ、車がビュンビュン通るところを歩くのはつらい。歩きの遍路さんがよくつかうのは四国の道コースらしい。私もこれを行くことにした。初めはほとんど車道を歩く。時々ショートカットのため、細道にはいる。四国の道の道しるべと遍路マークが要所にあるので、迷うことはない。

 だんだん山道らしくなって、高度をあげていくと、女体山直下に岩場が現れる。なるほど、これが話に聞く難所か。雨の日は車道を行くようにアドバイスされるのも頷ける。

 

 頂上の、絶好の展望所で、デンマークからの仲良し遍路さん二人が休憩していた。長い道のりを経て、とうとう最後のお寺大窪寺まで辿り着き、感動もひとしおと思われる。この方たち、善根宿、紫雲庵の運営者である久保さんのフェイスブック投稿で、私は知っていた。

 さて、私は大窪寺3時50分発のコミュニティーバスに乗るため、1000メートルの道を急いで下らなくてはいけない。バス発車10分前、お寺に到着。バス停に、すらりとした女性のお遍路さんが立っている。まさか、大窪寺のことを聞かれたあのUさん? 近寄って笠のなかのお顔を覗き込んで、「やっぱり、Uさん!」Uさんも、こんな所で若松家の女将にまた会うとは、驚きだったろう。不思議なご縁である。日曜の朝、お客様がもっと早くチェックアウトされていたら、私はもっと遠くの、愛媛か徳島の山へ行ってたかもしれない。

 大きくてきれいなコミュニティバスに私たち二人だけ。すぐに交流サロンに着き、私は降り、Uさんはそのまま志度駅まで乗り、高松のホテルに泊まる。行きは、お昼の混雑で駐車場も満杯だったが、夕方4時も過ぎると、道の駅も交流館も閉まっていて、人もまばら。

 Uさんは陶芸家である。お若いけれど、白い髪がとても綺麗で、上品で、印象的だった。ご主人を亡くされ、思うところあってお遍路されたんだろう。大分に戻られて、また陶芸に入られるよう祈りたい。

 

 急ぐあまり、お参りもせずに通り過ぎてしまったお寺。

 次は、歯抜けのような私の納経帳持参で、ゆっくりお参りに来ます。

  山登り半ば、携帯が鳴った。「今日泊めてください」ならば、急いでとんぼ返りだ。声の主は金沢のSさん、お得意さんだ。「明日行きます」だったので、ホッとした。お大師様ありがとうございました。


子ネコは元気、ネズミは死んだ

2018-10-27 22:25:17 | 日記

 少し割れてきて、完熟間近のアケビ。今日、完全に割れたので食する。これは山でよく見る、赤紫色の実である。2本植えてある、もう一本の木は実に色がつかない。けれども味はとても甘い。葉っぱの形態が、美味しい方は5枚葉で、薄味のは丸い感じの葉である。アケビも種類によって味が異なるようだ。

  

 実家の隣の休耕田のコスモスは、大輪でとてもきれい。うちのは、小さくてヒョロヒョロ。隣は種を買ってまいたのだそう。うちのはこぼれ種。自家受粉してだんだん質が落ちたのかな。

 母の家にネコ2匹追加。日中は、外で走り回ったり、木登りしたり、いつも兄弟いっしょに居る。

 

 8月半ば、2か月以上も前のこと、お隣のSさん宅に住み着いてしまった野良猫の子供、一目で病気とわかるやせ細って汚いネコ。4匹のうち2匹は元気で捕まらない。競争に負けてお乳に充分ありつけなかった2匹、可哀想なので私が面倒をみてやることにした。我が家にはすでに2匹の大ネコがいるので、母の家で飼っている。

 先ず、病院へ連れて行かなくてはいけない。毛が抜けて皮膚がガサガサしているので、疥癬だろうと思ったら、カビと言われた。先生の沈んだ口調から、やっかいな病気だとわかった。ネットで調べると、水虫と同じ真菌で、薬を長期に飲まさなくてはいけない。えっー、面倒くさッ。しかしながら、連れてきた以上放っとくわけにもいかない。頑張って、毎日薬を飲ませた。1か月以上かかった。ネットでは4か月飲ませたという人がいたので、案外早く治った。私や、ほかのネコにうつらなくて良かった。母の家では、風呂場に隔離して飼っていた。

 

 上は一か月後の様子、だいぶきれいになった。

 2週間前、ネズミが死んだ。突然だった。寿命は短いと聞いているが、あまりに急だった。3か月前うちに来たときはとても元気で、食べ物もなんでも食べていた。最近は食欲が落ちて、バナナ、サツマイモ、リンゴ、ペット用の餌を、少ししか食べなかった。ひどく、檻から出たがっていた。この子の冬越しをどんなふうにしたらよいか、悩んでいた矢先だったので、ほっとした気持ちもある。獣医さんに「冬は暖かくしてあげて」といわれていた。ネコにはアンカをしてやれるけれど、ネズミには齧られたら危ないのでできない。

 3か月の間だったけど、動物は癒しの効果があるのだろう、結構楽しく様子をみていた。檻の中から、何か訴えていたような、どうしてあげたらよかったか、私にはわからなかった。

 

 


秋は深まる

2018-10-22 18:20:05 | 日記

  

 自然が秋の深まりを教えてくれる。

 小鳥が、柿をつつき始めた。多分ムクドリだろう。直接木に登ったり、脚立、高枝伐りを使ったりで、柿は籠いっぱい収穫した。でもこの柿、病気なのか、シミのようなのもがあって、人様におすそ分けできない。

 子供の頃、柿の木は、どこの家にも何本か植えられていた。大事な食料だったに違いない。私の家にも、渋柿を含めて、記憶では5本あったように思う。木登りが好きだったので、屋敷内の登り易い木でよく遊んだものだった。今は、柿の木は一本しかない。登り慣れた木ではあるが、慎重に手足で3点確保する。柿の木は、割くいので気を付けるように言われている。年も年、落ちたら大怪我だ。

 藤棚に這わせてあるアケビ2本が、今年は10個も実をつけた。秋、山歩きをしていると、道にときどきお芋のような紫色のアケビが落ちていることがある。余程タイミングが良くないと、食べられるシロモノのは当たらない。その点、家でつくっているアケビは、山へ行かずとも、丁度熟したときに食べられる。果肉は殆ど種で、その周りを僅かにしゃぶるだけだ。けれども、その甘さたるや、山のアイスクリームといっていいほど、濃厚なのだ。台湾に、森のアイスクリームと言われる、バンレイシ(釈迦頭)という果物がある。台湾に行ったら、これを食べるのを楽しみにしている。残念ながら、アケビには可食部分がほんの少ししかない。たっぷり食べられたとしたら、きっと引っ張りだこの高級品になるだろう。

 私がよく通る道の、ある信号機の電線に、夏の間中、100羽以上の小鳥が並んで寝ていた。暗くなるとそこにとまっていて、明るくなる前には飛び立つようだ。お腹が白くて、尾羽が長い小鳥であることだけわかる。ツバメだろうか。そこの角にはコンビニがあるけれど、駐車している車に糞が落ちることはないようだった。だから、追っ払うようなことはしなかったのだろう。歩道あたりは糞で汚れている。ここを通るたび、車の中から見上げて、鳥を確認するのが楽しみだった。町の中で暮らすのが安全なのかもしれない。ところが、だんだん減っていって、今は一羽もいなくなった。暖かい地方へ引っ越したかな。

 代わりに、池に水鳥がたくさん見られるようになった。こちらもとても可愛らしい。季節はどんどん進んでいく。

 昨夜は雲一つなく、十三夜の月が煌々と照らしていた。ニュースで月が隠れた2時あたりから、オリオン座で流星群が見られると言っていたが、ダメだ、起きていられなかった。見たいなあという願望はあったんだけど。


雲辺寺で栗拾い

2018-10-15 16:11:14 | 日記

 10月初め、栗拾いを兼ねて雲辺寺へいく。と言っても、栗が主なので、栗が多すぎて時間がかかり過ぎたら、雲辺寺は途中までにしとこう、という柔な考えである。

 栗はすでに拾われたのやら、イノシシに齧られたのやら、まともなのは少ない。結構拾ったが、ほとんどは親指の爪の先くらい。栗ご飯には小さすぎて向かない。

 その何日か後、青空やさんの隣のSさんが、「栗ご飯にして、お遍路さんに食べさせてあげて」と、大きな栗をとどけてくださった。それからは、お客様の夕食には、毎回栗ご飯をお出ししている。

     

 雲辺寺の登山道は、台風で、大きな木が道を塞いでいたが、通過するのに問題はなく、被害は少なかったと言える。

 尾根付近で、二人目の下りのお遍路さんに遭った。あと、どこか事業所のイベントなのか、20人くらいのハイキング遍路に遭った。境内もひっそりしていて、遍路シーズンなのにこんなに少なくていいの?と思ってしまった。

 尾根で出遭った武田喜治さんというお遍路さんと、しばし立ち話をした。お遍路さんが少ないという話である。武田さんは5回目遍路、藤川旅館さんを常宿としている。フェイスブックで武田さんのことを少し書いたら、何度かうちに泊まられた浜松のAさんが「中日新聞に武田さんの記事が載っていますよ」とコメントしてくださり、コピーを郵送してくださった。それによると、定年退職後歩き遍路を5回実践、東京歩き遍路交流会事務局長をされている。著書、「四国歩き遍路」「遍路で学ぶ生きる知恵」。四国の自然や人々が大好きで、お遍路文化を広めてくださる方に偶然お会いできました。立ち止まってお話ししなければ、「こんにちは」で通り過ぎていくだけだった。ご縁は、チャンスと、繋ぎたいという心で生まれる。

   

 下りは、鰻淵の看板から数メートル下ったところの旧遍路道にはいる。コシアブラの小さな木に付けてある、地籍調査のピンクのテープが目印の、左手のヤブっぽい道である。丁石もある。地籍調査のテープを頼りに下ると車道に出る。そこから少し歩くと遍路さんの墓地がある。

 旧遍路道は、誰も通る人がいないので荒れている。斜面が崩れて道がなくなっているところがあるが、通過できるところを捜しながら、沢を下っていく。山に慣れてない人にはおススメできない道だ。でも、遍路が一般的に知られる前は、このような道が普通だったと思う。山越えは、厳しい巡礼だ。

  

 尾根を歩いていると、こんなかわいいツル性植物の花が。足元には、斑点二つ、シソ科のような黄色い花が群生。

 栗の季節になると思い出す。京都のKさんご夫妻、雲辺寺で拾った栗、持って帰って栗ご飯作るとおっしゃって、夜、部屋で皮を剝いていたっけ。今年は、10月も半ばになるのに、宿泊予約がこない。去年いらしたときに、奥様にガンがみつかって手術したとおっしゃっていたので、体調がよくないのかなと心配している。

 


市川市

2018-10-01 10:48:42 | 日記

 時折強い風が吹くものの、台風一過で空は晴れている。湿度も低く、爽やかな秋晴れである。

 昨夜の雨風は、今年一番の強さだった。お蔭で、朝から、濡れた床カーペットを剥がして干す仕事に忙しい。去年の台風はもっと横風がきつく、家に入ってきた雨でブレーカーが落ちる始末だった。昨日のは少しマシ、でも、どこから入ってくるのか、壁から雨がしみ出て、床がびしょびしょ。この夏、業者さんに屋上の塗装をしてもらった。以前から夫がチョコチョコ材料を買ってきては、古い剥がれた塗装に上塗りしていたが、さすがプロ、丁寧な工事をしてくれた。費用64万円なり。けれども、雨の日も安心だ。客室は雨漏り解消したけれど、横から入ってくる雨はどう修理したらいいかわからず、廃業解体するまでなんとか我慢するかな?

 秋分の日の連休、2日間の東京滞在の後、市川市の三女の家を初めて訪問した。娘の指示で、山手線の日暮里で降り、京成線に乗り換え、八幡で待つ。切符の買い方さえわからず、駅員さんに即聞く。駅を出て、「イデカフェ」という店で娘を待ち、駅前の「Jホテル」でチェックインをすませ、夕食に和食の店へ向かう。

 「塩すき焼き」なる料理を初めていただいた。醤油と砂糖の甘がらい味付けではなく、見た目も透明、お味もさっぱりしている。こんなすき焼きもいいかも。

 翌日のランチはイタリアン、ウェイトレスがスパークリングワインをなみなみと注いで、受けた升にも満タン。表面張力でもりあがってる。どうやって飲む?そっと啜るしかない。

 

 娘のところには、まだ子供がいない。子供の替わりのスピッツだろうか。子は授かりもの、きっとコウノトリが運んできてくれる。

 お婿さんはアメリカ人で、子供たちに英会話を教えている。生徒さんが増え、アルバイトの講師を雇っているらしい。今は二階建ての一軒家を借りているが、適当なテナントが見付かったので近く引っ越すようだ。

 市川市でわたしの好きな写真家、星野道雄の展示施設でもあるかなと思ったら、ひとつも見つからない。娘の家を訪問したときには、必ず星野道雄の痕跡を見つけたいと思っていた。私はなぜかクマやオオカミが好きだ。彼が撮ったヒグマやホッキョクグマの写真が好きだ。彼のエッセイも好きで、これらにふれると、彼のアラスカに対する想いが同感できる気がする。アラスカの原野で数週間キャンプする、これが私の夢だ。