日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

もったいない、雅之郷

2015-06-30 18:12:42 | 日記

 この間、日曜日、琴弾公園の奥の端にある雅之郷(みやびのさと)という建物の中で、ソロプチミスト主催の茶会があった。この建物、20年以上も前に建てられ、能舞台があり、お能やその他のコンサート、句会が催されている。ホームページをみると、結婚披露宴、食事会もできるようだ。どんな建物か、たいへん興味があったけれど、訪れる機会がなかった。ソロプチからうちの先生に茶会開催の依頼があり、私も水屋仕事のお手伝いで雅之郷を見学できたというわけである。

 琴弾公園をずっと進んでいくと雅之郷がある。この公園、財政不足か草ぼうぼうだ。銭形の砂ざらえはボランティアが大勢でてくるが、公園内の草抜きの奉仕まではないか。

 ひっそりと雅之郷が建っている。

 

 庭園と茶室、一滴庵。茶室の裏手に回るとごみがいっぱい、何年も使われていないのでは?

 さらに雅之郷の建物の裏庭に回ると、荒れている。草枯らしを撒いて、今日の催しのための応急処置をしたかな?

 広々とした玄関、さすが。お庭がもうちょっと趣があったらなあ。古い、由緒ありそうな屏風の裏は敗れてボロボロ。客に見られる。

 能舞台のわきでお茶を点て、お客様がいただく。私は水屋で茶碗洗いに大忙し。

 茶会もそろそろ終盤、お客様も少なくなったので館内をうろうろする。居間と呼ばれる部屋にはいって庭を眺めていたら、ここのオーナーとおっしゃる老婦人と、弟子と称する若い女性のお二人と、雑談する機会にめぐまれた。噂では、大阪出身のけいこ先生のいう、もとオーナーが建てた雅之郷の維持ができなくなって、観音寺市が買い取ったとか、あるいはどこかの企業が買い取ったとか。今は管理人としてここに住んでいるというはなしだ。まさか市が税金で買い取ったなんて、そんな訳ないだろう。ほとんど活用できていない、宝の持ち腐れみたいなものなのだから。せっかくのりっぱな建物、もっと利用して人を呼ばないと寂びれるいっぽうだ。ホームページを見る限りでは、最近はほとんど催し物はしていない。もったいない。

 けいこ先生の弟子という方、中国人とおっしゃった。ほとんど日本人と区別がつかないほど日本語が上手だ。大阪に住んでいて、週末、バスで観音寺にくるのだそうな。私がつたない中国語でしゃべったら、こんなところに中国語を話す人がいると、とても驚いていた。そういう反応が私には面白いのだ。

 

 


子猫可愛くなりました。もらってください。

2015-06-26 22:00:54 | 日記

 朝ドラの続きで、なんとなく「朝イチ」をみていたら、岸恵子がゲスト出演していた。彼女のファンでもなんでもないが、女優さんて全然年取らないなあと思って眺めていた。岸恵子が「私、82歳なんですよー」なんて、自分の歳を暴露していた。女性は歳については、曖昧にするのが普通であるが、にこやかに嬉しそうにしゃべるのは、やはり若さに自信があるからだろう。周りから「もうそんなお歳になられるんですか!とても見えませんよ」なんて驚嘆されるのは楽しいだろうなあ。高齢の自分を自慢したくなるだろう。本当に確かに、そこいらへんの82歳のおばあさんとは天と地ほども違う。もともとの顔のつくりからして違うけれども、テレビに出るような人はエステにいってさらに磨き上げるんだろうな。20年後の私はどんな様相をしているのだろう、ゾッとする。

 

 新しい住人ロクは、一週間前から下痢をはじめた。あまりに食欲が旺盛なので、ついつい要求のままに与えてしまったのがいけなかったか?液体状の下痢便をあちこちに落とすので掃除に閉口した。プチ絶食をさせてみたが、改善されなかったので、とうとう医者に連れて行った。下痢止めと抗生物質を二日間のませたらピタリと止まった。

 うちの近辺には二軒の動物病院がある。けれども、ロクは8キロくらい離れた病院についている。ここは、料金の明細がきちんと書かれた領収書をくれる。したがって、支払は十円の位まで出てくる。他の病院は「うーん、そうやねー、2000円もろとこか」ってな具合でなんだかいい加減だ。まあ、犬やネコ程度のことだからいいんだけど。

 ロクは今、かわいい盛りだ。何がしか見つけて来ては、しばらく一人で遊んでいる。ウェイの尻尾で遊ぶのが好きだけど、あまりしつこいと怒られる。ウェイはやさしい子なので上手に相手をしてやっている。しかし、コロちゃんはロクが大嫌いらしく、可哀そうに、奥にひっこんだまま出てこようとしない。ネコの性格も十人十色のようで、ネコ関系がうまくいかない。

 ところで、「お願い」ですが、子猫もらってください。男の子です。


老いるということ

2015-06-15 07:29:54 | 日記

 

 一週間前、孫がネコをひろってきた。茶トラのコロちゃんを保護した二年前から、幸い捨て猫をみていない。が、ついに、また一匹追加。生後二か月くらいのガリガリに痩せた男の子だ。先ずは医者に連れて行って、目とノミの処置をしてもらった。今では目ヤニもとれて、食欲旺盛、お腹がすくとゴロゴロ喉をならしてすり寄ってくる。ウェイは、子猫が近づくと、時に、威嚇するけれど、もともと気性が穏やかなので、不愉快そうでもなく、距離を置いてみている。もう一匹の住人コロちゃんは、まったく傍に寄ってこない。ネコの性格も十人十色である。

 先日、母の施設を訪問した時のことである。丁度お風呂の日で、母は車いすに座って浴場の外で順番を待っていた。私も傍に座って、中の様子を見るともなく眺めていた。頭も体も心もとないおばあさんを、若い男性職員がきつい口調で所作について注意していた。部外者の私が見ているのに、である。相手は、まだ感情も感性も存在する方たちである。おばあさんたちは、悲しそうな、不機嫌そうな表情をしていた。楽しい、気持ちのいい入浴であってほしいなあ。あの男性職員は、介護の仕事には向かないのでは?

 テレビで、老人や障碍者の施設での虐待が報道されているが、虐待まではいかない多少のことはどこにでもあると思っている。やさしく気の長い職員ばかりではない。内部告発されたあの件は氷山の一角である。

 十五年くらい前、母がまだ心身共に元気で、デイサービスに通い始めたころ、お風呂に入るのを嫌がっていた。浴場には男性職員もいたのだろう。人に体を洗ってもらったり、オムツを替えてもらったり、人の尊厳が徐々に失われて受け入れられるようになる、それが老いていくということだろうか。辿るべく自分の将来から目をそらしてはいけないのだが、複雑な心境である。

 デジカメを失くしたかもしれない。この間山で撮って、車まで持って帰ったのは確かなんだけど、車の中も、家にもない。最近、しばしばもののありかが分からなくなる。山を歩いていても、頭上の枝にぶつかって危うく目を怪我しそうになったり、石の上でバランスを崩しそうになったり、年取ったなあと感じることがある。最近は、計画書を提出して保険に備えることが大切と実感する。

 

 私が余木埼で拾ったストックの持ち主のIさんへ

 ひと月前、きてくださってありがとうございます。その後連絡しようと思ったら、どういうハプニングか、電話帳からお名前が消えていて、お手上げです。もしこのブログみてくださっていたら、お手数ですがご一報ください。山の情報、お知らせします。私のカメラにも名前を書いておけばよかったです。


ジャー先生

2015-06-02 14:30:08 | 日記

 

 もうそろそろ梅雨に入るそうな。このところ晴天続きで畑はカラカラである。今夜から雨になるようなので、豌豆や菜花など春野菜が終わった後に次の種を蒔いた。高い気温と水分で発芽は早いだろう。取り急ぎ、バジルとエンサイ(空芯菜ともいう)を蒔いた。あと余ったスペースにサツマイモを植えようかと考えている。梅雨の時期にやっておかないといけない。

 先日取れた第一号ズッキーニと胡瓜。私はズッキーニが好きなので、これまで3度ほどつくったことがあった。いずれも失敗、葉っぱが繁って花が咲いてかわいい実ができるのだけど、なぜか、大きくならないうちに先から腐ってくる。今年のは私としては最高、腐ってこないうちにさっさと切り取った。

 一昨日、二胡奏者ジャーパンファン先生のコンサートが宇多津であった。作曲家でありピアニストの美野春樹さんとのデュオであった。演奏曲目にめずらしく中国の曲が入ってなく、ジャー先生や美野春樹さん作曲の曲だったり、映画音楽が演奏され、心の琴線にふれるような美しい曲もいくつか演奏され、感動で涙がジワーッとなった観客も多かったのではなかろうか。私たち二胡教室の生徒は、前列齧り付きで、先生の一挙手一投足を食い入るように見つめている。先生の弓捌き、ビブラートをかける音かけない音の奏法、ビブラートのかけ方、等々、僅かでも技を盗みたいけれどまだまだ遠く足元にも及ばない。家に帰って音を出してみて、ガクッ、「こりゃあ、別物だぁー」

 ジャー先生は、ハルピンの北、黒竜江省の出身である。8歳で二胡を始め、18歳でプロを目指して北京へ。当時、北京へは汽車で38時間かかったそうである。黒竜江省といえばソビエトとの国境近い、すごく遠い田舎だった。大きな覚悟で北京に出てきたのだろうが、中国最高峰の中国中央民族楽団に合格したのがスゴイ! 一度目は落ちて、2度目で合格したとおっしゃっている。先生ご自身作曲の「睡蓮」という曲を弾くとき、いつもこれを書いたときのことを話される。朝、北京の北海公園を散歩していて、湖に咲く睡蓮を見てうかんだ曲であると。故郷の懐かしい家族や友人との思い出、プロとしての苦労、そんな先生の思いが詰まっている美しくもの悲しい曲である。

 先生は日本に来て27年になる。中国最高の楽団で10年間勤めて、日本に来られた。どうして?とおもわざるを得ない。が、今や先生は日本で独自の音楽を築かれている。様々な二胡の音色が流れてくるけれど、先生の音はすぐわかる。中国古来の二胡から一歩飛び出た、別の二胡の世界である。

 6月のレッスンはジャー先生がみてくださる。教室にはほかに二人の先生がいらっしゃるが、ジャー先生のレッスンが一番緊張する。怖いのである。欠点を即座に指摘する。できないと何度も弾かされる。レッスンのあと落ち込むときもあるけれど、これが進歩のミナモトである。あぁ、たのしみだなあ、目を皿のようにして、耳を研ぎ澄ませて、ジャー先生の演奏を見てこよう。

 コンサートの前に、友人とカフェでランチする。もとは料亭だったが、隣にカフェもやり始めたという。建物は古い。中は感じよく、今流行りの古民家カフェだ。お料理も手間がかかっていて、大変美味しかった。はしっこのテーブル席に座って、川向こうの大きなお屋敷を眺める。どこかの社長さんのお屋敷だろうか、車4台はいる車庫と、広い敷地に蔵やら屋敷が何棟か建っている。何人住んでいるんだろう、お掃除大変だろうなあ、なんて要らぬことを話している。