日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

娘の結婚

2016-05-30 22:51:31 | 日記

 

 先月末、32歳の末娘が結婚して、これですべて片付いた。やはり、遅くてもいい、一応嫁に行ってくれると、親としては安心する。千葉で一軒家を借りて一緒に住み始めて2年、遂に決心したようだ。喧嘩もよくするらしいが、我慢して心に溜めておくより、言葉に出してぶつけたほうがいい。

 お婿さんはアメリカ人である。彼がairbnbに登録してくれて、外国人お客様の対応をしてくれている。こちらに帰って、ゲストハウスをしながら、英語教室を開くというのはどうだろうと、チラリと考えるが、あちらはあちらの都合がある。彼の夢は、日本で英語の学校をつくりたいのだそうだ。娘は、バニラ・エアーでしっかり仕事をしているので、まだやめる気はないようだ。私は、あと10年は元気で仕事をするつもりである。目まぐるしく変わる世の中、遍路宿も変わってゆく。今、古い宿が消えて、ゲストハウスが増えてきているようだ。うちも、このままの旅館でやっていくか、先がみえない。10年後、この夫婦がどこで住んでいるか、わからない。ひょっとするとアメリカかもしれない。ひと昔前と違って、人は自由である。世界はぐっと近くなった。

 長女はドイツ人と結婚した。何人かの友人に言われた、「よく許したねぇ」って。長女のときは8年前だったが、そんなに抵抗はなかった。大好きな人と一緒になるのだから、本人にとっては一番幸せなことだ。言葉も充分でないのに、日本人のほとんどいない、習慣も文化も違うところで、精神はまともでいられるのか、それが心配だった。しかし長女は強い精神をもっているようだ。あちらの人たちに、めげずに頑張っている。うまく泳いでいる。「マッサン」の時代のエリーの苦労は想像もつかないが。

 世界中、どの場所であってもいい、家族とともに幸せに暮らしてくれればそれが理想だ。日本人と結婚して、日本で暮らしていても、子孫は故郷に戻らず、先祖の墓の心配をしている人が大勢いる。長男が跡を継がなくてはいけない時代は終わった。これから私たちを取り巻く社会はどのように変わってゆくのだろう。

 3人の子供のうち2人が国際結婚をするなんて、思ってもみなかった。ご先祖さまも、さぞや驚いていることだろう。 

 

 


もっと雨が欲しい

2016-05-25 09:01:35 | 日記

 毎日よく晴れて、畑や植木の水遣りも面倒だったが、今日は曇って落ち着いた空気だ。しかし、雨はお湿り程度しか降っていない。もう少し欲しいところだ。

 畑では、サヤエンドウが終わって、種を取るためにまだ少し残してある。ここ数年、種は買わないで、自家製のを蒔いていたが、やはり自家受粉ではだんだん質が落ちてくるのだろうか。改良型の前のものに帰っていくのだろうか。グリンピース用のエンドウをそばに植えたこともあってか、これってキヌサヤ?と思われるほど、大振りで堅めのサヤエンドウもある。来年は新しい種を蒔こう。

 胡瓜はこのあいだ苗を買ってきて植えたばっかりなのに、早くも3本収穫した。トマトも小さな実をつけている。ナス、カボチャ、ズッキーニはどうもうまくいかなくて、買ったほうがマシといつも思うが、トマト、キュウリは、私のようなずぼらな者にも収穫の歓びをもたらしてくれる。絶対、元とれるよね。

 4月から始まった朝ドラ、「暮らしの手帳」の創業者、大橋鎭子をモデルとしたフィクションである。物置を壊して新しく建物を建てようとしたとき、置き場に困ってかなりのものを捨てたが、義母が遺していた古い「暮らしの手帳」、オークションで売れないかなと2年くらいは保管していた。A4サイズで、今のより小さいもので、シリーズで2年分くらいあったかな。忙しい娘に頼んで漸くオークションにだしてもらったが、値がつかなかったので思い切って捨ててしまった。これは面白いなと感じてくれる人に、見つけてもらえなかったということである。30年以上前に買った、池田理代子の「オルフェウスの窓」のコミック版、全18巻だったか、持ってても仕方ない、どうせ死んだらゴミになるんだからと、オークションで売ってもらったら、なんと500円。欲しい人とマッチングしたら、もっとましな値段がつきそうなものを。私の持ち物、高価な物はないけれど、売れたとしてすべて二束三文だ。これから先は何も買う気がしない。もっとも、何も欲しいものはない。これも老化だ。

 「とと姉ちゃん」は、どうもあまり面白いとは感じないので、飛びついて見るわけではない。どうしても見たいテレビがあると、その時間に万障繰り合わせてしまうので、物事が果取らなくなるときがある。大地真央のおばあちゃん姿がきれいすぎてどうも不自然、秋野暢子は睫毛まで白髪なのに。ドラマでは夏の設定だけど、女優さんのしゃべる吐く息が白く、これは冬に撮ってるんだと素人でもわかるおかしさもあった。

 視聴率はどうなんだろう。「あさが来た」は衣装が興味深かったし、大阪ことばも何か耳に心地よかった。なんといっても脇役が個性豊かで、演技を見ていてたのしかった。

 

 ガラス戸で休んでいる小さな蛾、花びらみたいによくできた羽だなあと感心した。

 


老いとともに生きる

2016-05-17 22:14:15 | 日記

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 先日、山歩きで取ってきた山菜をOさんにお裾分けしたら、紅花山芍薬をくださった。海老で鯛を釣ってしまったかな。草花を育てるの、あまり得意じゃないので、貴重なこの植物、枯らさず面倒をみられるかどうか不安。このまま土に降ろしたらいい、とOさんは言ってたけれど、鉢からこぼれんばかりのタツナミソウが見事で、とても景色がいいのでこのまま木陰に置いておくことにした。苗はまだ幼いので、花が見られるまで、あと3,4年かかるんじゃないかな。楽しみだ。

 日曜日、半日、一生懸命ムキになって草取りをしたら、首の周りやら肩が痛くなった。年だ。

 キッチンの天袋の中のものをごそごそやっていたら、踏み台から足を踏み外し、80センチほどの高さから仰向けに落ちた。腰のあたりを踏み台替わりの椅子に軽くぶつけただけで、幸い怪我はなかった。転び方がよかったかな。しかし、なんというバカげたこと、どうしてこのようなミスをするの? 我ながら、情けないやらあきれるやら。年だ。

 その日一日の、しなければいけないこと、したいことの時間の割り振りをしては、夜、就寝の時刻が迫ると、「ああ、半分しかできなかった」と、いつも焦る。からだが動かないくせに、予定だけはしっかり立てるからだ。これも年だ。

 認めたくない老化を目の前に突き付けられると、ショックだし、自信を無くす。すっかり遠ざかった岩登りも、もうそろそろ終わりの時期かもしれない。自分が怪我をしても、人に怪我させてもいけないから。


赤星山南西斜面の花畑は最高

2016-05-12 23:08:55 | 日記

 ゴールデンウイークは、去年と同様、サッカーの試合にやってきた高校生のチームで、3日と4日は満室だった。夕食は別のホテルで食べてくれたので、食事は朝食だけ用意すればよかった。お蔭で、とても仕事は楽になったが、団体受け入れの体制になっていないので、寝具や食器の準備が結構大変だった。夏のトライアスロンの大会と、この時期のサッカーの、年2回程度の団体のお客様だけど、滅多にないことだけに、やはり神経を遣う。疲れるのは年のせいでもある。大仕事を目前に、くれぐれも体調を壊さないように、気を付けていた。私の変わりは誰もいないのだから。

 連休も終盤になると、ぐっと暇になる。去年から何度となく偵察に行っている山がある。伊予土居から小箱越を通り、肉淵へつながる道である。北から入ってみたり、赤星山の中尾から下ってみたり、本当にしつこくウロウロしているが、道が繋がらない。GPSも高度計も持たず、地図とコンパスとあてにならない勘を頼りに歩くのだから、そう簡単ではない。この道はもうないという人もいるけれど、マニアックに登山する人が、たまに、今でも歩いているとは思う。少しの目印テープはある。でも、辿っていくとなくなってしまうのだ。こんなとき、文明の利器、GPSがあればなあと思う。

 また、道を失ってガックリきたけれど、素晴らしい褒美があった。

      

 去年、送電線巡視路を歩いていて見つけた山しゃく、予想通り大群落だった。タイミングよく、満開の満開、時折爽やかな風が吹いて、木漏れ日のなかで気持ちよさそうに咲いている。ほかに、ヤマブキソウ、ラショウモンカズラ、ニリンソウ、イチリンソウなど、素晴らしいお花畑だ。赤星はカタクリの山であるというイメージだが、実は山シャクの山である。赤星南西斜面は山シャクの群生地である。

 イノシシのヌタバに、真っ黒い、全長3センチくらいのオタマジャクシがうじゃうじゃ。身動きとれないほど隙間なく埋め尽くしている。いったい何を食べているんだろう。みんな食べるものはあるんだろうか。このオタマの何パーセントがおとなになれるんだろう。なんだか可哀想になった。自然は厳しいよ。

 

 尾根にはタラがたくさんある。コシアブラも少しある。春の山歩きは必ず山菜取りがはいるから、時間に余裕をもって行くべし。