日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

藪漕ぎ

2021-01-30 20:24:28 | 日記

 冬の晴天の日は、里山歩きがいい。県境の山、大谷山へ北から登ってみることに。神社から取り付く。ここは、かつて、花見の人気スポットだった。最近はあちこちに新しい花見の名所ができ、20年、30年前に賑わった場所はひっそりしている。桜の木の寿命は長くないので、次々若木を植えていかなければ本数を減らすことになるのでは?

  

 里山の藪漕ぎは、シダである。背丈ほどもあると、もう進めない。道が現れたと思うとまたシダに阻まれる。丈の低いものは踏んづけ乗り越え、高いものはイノシシよろしく、這いつくばってトンネルをくぐる。

 216メートル四等三角点に出た。そこから少し歩くと、伐採されたところにヒノキが植林された、見晴らしのいい場所にでた。眼下に大きな施設がある。鶏舎にしては大きい。時折、ギャーッとか、キイーッとか、悲鳴が聞こえる。豚だ。このあたりのイノシシは、どんな気持ちで、仲間のこの声を聴くのだろう。かわいそうな豚、しかし、豚肉は食べないことにしよう、という決心はつかなかった。肉類は食べなくてもいい、とは思うのだけど、やはり美味しいものね。食欲に負ける。豚舎の豚と肉屋のブタニクは別物。

 さて、なんだかやめたくなって、続きはまた今度にする。同じ道を歩くのはゴメンだ。藪漕ぎで谷あいに降りたところで、渡渉できるか、橋はあるのか。幸い、下っていくきれいな道、間違いなく道、が見つかり、どんどん下ると、底は何のことはない、深い谷ではなく小川だった。豚舎のすぐ下である。この小さな谷は行きどまりに豚舎がある。それからは、梨畑をはしる車道を下り、パーキングへと向かう。

 川を堰き止めて池や公園を造り、子供に水遊びさせたくなるような小川なんだけど、すぐ上に豚舎があるのはどうだろう。汚水はちゃんと処理されているだろうが。

  

 そんなことを考えながら、ぶらぶら散歩。ここら辺の田舎には、〇〇御殿といわれる、お城のような豪邸がよく見られる。例えば、レタス御殿とか。このお宅はナシ御殿といえばよいのかな。大規模農家さんならばこのような家を建てることができるのだろうか。サラリーマンではまず不可能だ。

 フリースに付いた草の種、うんざり。こんなことだろうと、ズボンは木綿の、種を取りやすいものを穿いてきた。おかげで、藪漕ぎの途中で自然に落ちていた。うまくできてる。種は私に運んでもらって、どこかの新天地で芽を出して繁殖しようとしている。

 観音寺市の豊浜という地区は、山のすそ野にナシの果樹園が広がっている。桜の花が終わったころ、梨の花見と散歩はどうだろう。


暖かい一日

2021-01-26 17:15:30 | 日記

 真冬でも、たまに、3月下旬の気温です、なんて日があったりして、寒暖の差に驚く。昨日は久しぶりに庭の草取りをしていると、時折吹いてくる風がまさしく春、とても気持ちのよい一日だった。この間から山を白く化粧させた雪は、もうほとんど消えた。

 満開の椿にメジロがやってきて花をつついている。庭にやや大きめの鳥だったり、メジロのように小さいのだったり、いろんな小鳥がやってきて、小枝に止まってつついている。ふと気が付いたのだけど、梅の成りが悪かったり、プルーンの実がならないのは、鳥が花を食べてしまっているから?? 辛夷だって、本来なら真っ白な可愛い花をたくさんつけているはずなのに、一枝花瓶に挿しましょうと、折りに行くと、まともな花は一つもない。どれもこれも誰かに齧られている。

 小鳥の名前はわからないけれど、仕草を観察していると、とても面白く、飽きない。私の部屋からそう離れた距離でないところに、スモモ、梅、プルーン、椿の木がある。部屋の中からそれらの木を眺めていると、たまにきれいな小鳥がやってくるので、私はしばらく身動きせず、じっと見て楽しんでいる。肉眼でわかる程度に、特徴のハッキリした鳥については、ネットで調べてみる。最近では、コゲラ、イカルを覚えた。秋口だったか、スモモの木に3羽キジが止まっていたのには驚いた。少し小ぶりだったので、春に生まれた若鳥かなと思う。母の家の周囲の畑や荒れ地には、春に、キジが大きな声で鳴きながら歩き回る。なわばりを主張しているのだろうか。

 今日は午後から雨の予報なので、午前中、落ち葉などを燃やした。強風で折れたユーカリの太い枝は、細いところを切り取って少しずつ燃やした。この木は油分を多く含むので、火が付くと、シュワーシュワーと勢いよく燃えあがる。こんな恐ろしい音をたてながらオーストラリアの森を焼き尽くし、コアラを焼死させたんだなと、テレビの映像を思い出し、熱風のなかを逃げ惑うかわいそうなコアラを連想してしまった。

 冬の焚火は暖かくて好きだ。田舎でも、野焼きは一応禁止されているけれど、皆やっている。母の家の南側には住宅が2軒あるけれど、あと三方は田んぼなので、敷地北東の隅で燃やす。風向きが変わって、隣接する2軒のお宅の方に煙が流れていくとちょっとまずい。すみません、少しの間辛抱してください、と心の中でお詫びしている。平日の日中は、どこのお宅もお留守ではある。

 山のよう積み上げた落ち葉や小枝を燃やしても、残るのは僅かの灰。嵩の減り具合が心地よい。灰は畑にまいて、耕す。石灰替わりになるだろう。

 小さな電気カーペットの上で、日がな一日昼寝する、うちの大ニャンコ。

 


厳しく自粛しましょう

2021-01-16 11:16:24 | 日記

 

 鳩が3羽地面をつついている。秋に巣立った子供と親かな、と思ってしまった。巣は、手の届くような藤棚にあった。ようも、猫に襲われず、巣立ったものだ。この春も、必ずここに建設するだろう。

 この3日間、春のように暖かかった。山の方は黄砂でぼやけて見えた。明日は、冬に戻るそうだ。私達は、山登りを計画している。天気はそう悪くなさそうだが、きっと寒い。

 年末から、コロナ感染者がとまらない。どうぞ自粛してください、とテレビでやかましく言っているのに、人々は言うことを聞かない。昨日は、全国で7000人を超え、香川でも過去最高の感染者が出たという。

 GOTOトラベルが停止になって、うちでもまったく予約はない。秋にあの政策で観光地がにぎわったのは確かだ。大きな観光会社、宿は、恩恵を受けたはずだ。GOTOトラベル対象ではなかったうちでも、少し盛り返した。皆が、感染対策をしていれば旅行に行ってもいいんだと認識した。あれから一気に気持ちが緩んだのではないか? 誰もが、去年春の時期の深刻さは感じていない。

 宿の収入は全く見込めず、不安を感じるけれど、これはどの商売もおなじ、4月5月のような厳しい措置をとられても仕方ないと思う。皆が我慢しないとコロナはおさまらない。


2021年、元旦

2021-01-02 12:57:58 | 日記

 元旦は、恒例の雲辺寺初詣へ。数年前から、Yさんと私にOさんを加えて、3人で登山している。3人とも、のっぴきならない用事以外、絶対これを実行しなければ、新しい年がいい年にならない、と思っている。

 ニュースでは、「大雪になる」と大袈裟に注意を呼びかけていたが、やはり雲辺寺では大した雪でなかった。もう少し積もっていたら、綺麗な雪景色だったろうに。

 

 登山口では、車はいつもよりやや少ないかな。5台である。

   

 スキー場だったところに、夏にできた「天空のブランコ」が大当たり、若い人たちがロープウェイで上がってきて、お金を落としてくれる。スキー場時代はレストハウスだった建物が、「天空のカフェ、ルポ」になった。あまりに寒いので、コーヒーとケーキの誘惑に負けそうになったが、カップラーメンと弁当が無駄になる。境内まで戻り、陽だまりで湯を沸かし、ラーメンを啜る。風がないのが幸いだった。昔のように焚火をしてくれとは言わないが、あずまやかベンチでもあれば座って弁当が食べられるのに。零下何度だろう、ゾクゾクと冷えてくるので、早々に下った。

 ロープウェイも歩きも、お参りの人が少ないなあとおもっていたが、下りの途中、登ってくる何組かの家族に遇った。皆若い人たちで、正月登山のおじさんおばさんが本当に少なくなった。気になったのは、若いお父さんお母さん、小さな子供たちが薄着で、手袋も付けてないことだった。お寺はとても寒いのに。山登りの経験があまりないのでは、と思う。