日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

東京で、民泊認可

2016-01-30 20:50:19 | 日記

 ジャーパンファン先生の二胡コンサートが3月末に高松で行われる。チラシをたくさん預かったので、人目につきそうな所に置いてもらう。時々立ち寄る「花麹」というカフェにも持って行った。ついでに、軽めにお茶をする。写真は、玄米甘酒ラテと無酵母自然発酵のパンである。やさしい口当たりのドリンクと、体に良さそうなパンである。

 ネコが数匹、うろうろするカフェにも置いてもらう。ランチを食べている隙にボンネットを占領された。暖かい場所をよく知っている。エンジンかけてゆっくり発車しはじめて、漸くどいてくれた。ここのネコ、車に轢かれたことはないのだろうか。

 きのうのニュースで、東京でいよいよ「民泊」が 認められたらしい。外国人観光客をまだまだ増やしたいのだから、いたしかたない。ここ香川でも、外国人観光客に来てもらいたいし、そうすると当然ハイシーズンには宿が足りなくなるだろう。空き家を改造して民泊を経営する人がでてくるんじゃないかな。民泊の条件てどんなものだろう。ホテルや旅館に課せられる規制より緩いんだろうなあ。料金の安い民泊に、私たち旅館経営者は脅かされるのではないかな。

 民泊紹介サイトも次々と生まれるだろう。家が登録しているair bnbも民泊である。去年夏、ここから数件お客様が来てくれて、インターネットはやはりすごいなと思った。そのうちの5人がレビューを書いてくれている。うち一人がマイナス印象を書いている。布団が小さくて薄い、枕が硬い、と書かれた。このときはとても落ち込んだ。一番の失敗は、お客様と会話しなかったことである。片言でもいいからしゃべっていたら、不満を解消できたかもしれなかった。インターネットはこわい。

 町の酒屋さんや八百屋さんがなくなり、薬局はドラッグストアになった。世の中の移り変わりは目まぐるしい。うちも旅館を廃業して民泊にしたらどうだろう。NHKの受信料は安く付くかもしれないし、建築、防火についてもうるさくないのかもしれない。そして、英会話は私の必修科目となった。


雪の雲辺寺

2016-01-29 20:48:21 | 日記

 昨日から少し気温が上がって、今日は朝から雨である。天気予報の通りだ。

 先週末の寒波で、雲辺寺は麓のほうまで雪が見える。こんなに降ることは滅多にない。車で30分もはしれば雪にありつけるのだから、融けないうちに歩いてこなくては。昨日は午後から雨になりそうだったので、急いで決行。

  

 いつもの遍路道ではなく、もと五郷小学校のところから登る。こちらのほうなら、まだ人が踏んでない雪があるかもしれないから。

 この道はお遍路さんの地図に紹介されていないけれど、鯖大師沙門明善という札が掛かっている。鯖大師が主催した歩き遍路一行がここを通ったのだろう。昔は、萩原寺へいうのにこの道を使ったのかもしれない。これが本来の遍路道ということだ。雲辺寺から下って林道までは、登山道で、問題ないが、そこから萩原寺へ行くには、里道がいたる方向にのびており、私でもすっとはいけないだろう。遍路の案内札はない。方向を決めて適当に歩けば行けるには違いない。

 今は、ロープウェイの麓駅におりてくるルートが分かりやすい。車道を行けばいいからだ。これは遍路地図に載っている。

 足跡はあった。2人くらいかな。それとイヌ1匹。この頃、雲辺寺もハイカーが多いから。

 スキー場のそばを通る。雪がようやく積もって、スキー場関係者は胸を撫で下ろしているかな。平日だからガラガラ、リフトには十分の一も乗っていない。空席の椅子が淋しそうに上っては下っていく。

 山の上には30センチくらい積もっていただろうか。屋根の雪がドドッと滑り落ちてくる。軒下に、危険なので近寄らないで、と書いてある。

 今は大興寺に向かう遍路道が登山道として主流だが、私が10代のころ、つまり45年くらい前は、この五郷からの道からも、皆さん登っていた。むしろ、雲辺寺に登るといえば、こちらの道をイメージする。今は、平日でも車が登山口に停まっているほど、奥谷の遍路道はハイカーに人気だ。五郷ルートは台風のときに崩れた箇所がそのままになっていて、注意を要するところもあるけれど、階段状に整備された登山道ではなく、昔のままの道なので、かえって歩き易いかもしれない。お寺ではこの道は勧めないらしいので、山頂ロープウェイ乗り場のそばの、下りの取り付きに、遍路道の札を取り付けたら撤去されるだろうか。鯖大師も歩いているのだから、紹介してもかまわないとは思うが、地図に載せてないのは残念だ。

  


八ヶ岳、やはり雪がすくない

2016-01-17 21:07:52 | 日記

 予定通り8日21時、男性3名女性6名合計9名で観音寺を出発、長野県諏訪へ向かう。うちの会の女性陣は、本当に元気で威勢がいい。

 車2台のうち1台は私の車だったので、運転は慣れている。しかし、ナビはつけていないので、Mさんが少し前の時代のナビを貸してくれた。お蔭で順調に行けたのだが、2度ばかりミスを犯した。1度目は、分岐をなんとなく違う方向、信楽方面に行ってしまった。この新しい道は、古いナビにプログラムされてなかったのである。すぐに男性ドライバーが気が付いて、1区間走っただけでUターンした。もし私が運転していて、この方が後ろで眠る番だったら、いつまでも間違いに気が付かなかったろう。遠回りして、名古屋方面で合流するらしかったけど。2度目のミスは、吹田の分岐で、1号車は瀬戸大橋経由、私たち2号車は淡路経由と、別々のルートで帰ってしまったことである。ナビさんの仰せのとおり、右進路をとったものの、またもや男性ドライバーがおかしいことに気付く。ナビの設定は淡路経由になっていたのである。大差ないからこのまま行こうということで、不安なまま狭い道路を走らせ、明石大橋の標識が出てきてやっと安心したのである。さあ、どちらが早いか競争だ。大笑いの珍道中である。淡路の方が距離は少し短く、料金は高くなる。坂出のジャンクションでピッタリ出くわしたらドラマチックだね、なんてしゃべっていたけれど、実際は淡路組が少し早かった。

 

 年末年始、太平洋側と西日本は天気が良く、ネットで調べても、八ヶ岳に雪はほとんどないと出ていた。なので、林道を歩くことなく、赤岳山荘まで車がはいれた。2010年に来たときには、美濃戸口に駐車して延々歩かされ、しんどかった記憶がある。

 すでにたくさんの車がきていた。登攀スタイルの若い人が多い。赤岳鉱泉のテント場もテントの花盛りだったが、小屋のお泊りはその夜200名だったそうな。

 登山口到着時は、曇って雪がチラチラしていたが、次第に青空が見え出し、この日の晴れは約束された気がした。

 名物アイスキャンデー

 気温が高くて、一部氷の壁ができてないところもあったが、練習している人もいた。

 

 赤岳鉱泉とキャンプ場

 あまりの晴天!

 計画のように、これでこの日の行動終了、ではもったいない。Mさんの判断で、車中泊の睡眠不足ではあるが、全員で硫黄岳を目指すことにした。次の日、天気が悪ければどこにも登れなくなる可能性があるからだ。

 赤岩の頭から見る、横岳と赤岳

 硫黄岳頂上、風がきつくなく過ごしやすい。

 頂上から見る、横岳と赤岳

 いつかあそこまで縦走できたらいいな。

 山荘の夜ごはん

 豚シャブ、一夜干しみたいな赤魚の焼いたん、生野菜、果物

 一人鍋がスゴイ

 食事をしながら翌日の行動を相談する。初めの計画では、1日目は小屋まで、2日目は、初心者は硫黄岳コース、経験者は赤岳コースにと、分かれて行動することになっていた。1日目に硫黄岳をやっつけてしまった。テレビの天気予報では、2日目も晴れ。さてどうする? 冬山上級者コースといわれる赤岳、初心者は大丈夫だろうか。初心者にとって、はなから予定のなかった赤岳登山、事態の思わぬ展開に、皆、心中では慌てていたのではないだろうか。なかなか決断がつかない。

 「私たち行けるでしょうか?アイスキャンデーをやって待ってましょうか?」

と初心者メンバー

 「行けます」 

とリーダーのMさん、きっぱりと言った。リーダーシップはこのような時に発揮される。

 「行きましょう」

と私たち

 それゆけどんどん、全員で赤岳!に決定。大丈夫かな? 少し不安はあったのは正直なところ。

 部屋は、9人で貸切にしてくれた。ただし、5000円アップで。ファンストーブが部屋に備えてあって、汗がでるほど暖かく、快適だった。夜中には電気が停められたけど。皆、翌日の赤岳を思い、緊張して寝床にはいったことだろう。睡眠不足と硫黄岳の疲れで眠りまで10分とかからなかった。

 小屋は混んでいる。朝一番に朝食を取るためには並ばなくてはいけない。私たちは4時起床であった。私はいつものように、山では頭痛がするし、ごはんも食べられない。朝ごはんはほとんど食べられなかった。登山家山野井の奥さんの妙子夫人も、高山病で頭痛と吐き気に苦しむと本に書いてあった。あちらは数千メートルの高度、私は高々2000メートル、全くレベルがちがうんだけど、あの本を読んで、食べられなくても心配しなくていいと思えた。少々食べなくても行動できるのだ。

 さて、身支度整えて最後アイゼンを、という段になって、ワンタッチ式のアイゼンの右つま先の金具がどうしても入らない。昨日付けて硫黄に登ったのにどうして? 何かの原因で金具が変形したのかな。アイゼンを外してから、くっついた雪を落とすために、木にコンコンとぶつけたけど、あれかな? ドライバーでねじを緩め、ひとつサイズを大きくして何とか靴に取り付けた。ザックにアイゼンをおしまいするときも、外から変に力が加わって金具が変形することのないよう、気を遣ってやらなければいけないなあと実感した。

 私のせいで出発時間が30分遅れた。申し訳ない。このとき、「ああ、私はここでやめて皆の帰りをまたなくてはいけないか」と思っていた。アイゼンの調整に尽力してくださって感謝です。お蔭で、みなさんと一緒に達成感を味わうことができました。  

  

 地蔵尾根の急斜面をクリアして赤岳展望荘で休憩、前回ここで泊まっている。展望荘を出てすぐの斜面で、風が恐ろしくきつかったのを覚えている。小さく見える頂上小屋まで鎖の急斜面が続く。

このあたりから、富士山を見ながらの登山だ

ついに登頂

雪が少ないのでかえって危ない。岩と氷と、ときどき雪という感じだ。人間必死になればなんでもできるんだね。死ぬわけにはいかないものね。

みなさんの勇気と元気に感心感動しました。二日間で二座登ったとは、熟年にしてはすごい。お天気が応援してくれたことと、皆の前向きな姿勢がいい結果をくれたのかな。

残念ながら、赤岳では緊張の連続だったので写真を撮る余裕がなかった。下から、はしごや鎖をのぼる、迫力満点のシーンを撮りたかったのだけどね。

 


 


八ヶ岳、出発の時間を待つ

2016-01-08 19:02:17 | 日記

 天気予報通り、午後からどんどん気温が下がって行って、本来の寒の気候になった。

 今夜9時、八ヶ岳に向けて出発する。冷蔵庫の食料の始末もまあなんとか終え、緊張と不安の面持ちで、時間を待つばかりとなった。家をあけるときは、あれもこれもきちんとやって出ていきたいものだが、きりがないので、適当なところで線引きをする。

 ネットの情報によると、八ヶ岳にも雪がないということだったが、この寒さで少しは降ったろうか。今まで暖かかった分、寒さが身に沁みる。何を好んであんな寒い所へ行くんだろう。願わくば、好天に恵まれて、素晴らしい景色を見たい。

 留守番のネコたち、気温が一転して可哀そう。私がいれば暖かいところで寝られるのだが、自分たちで寒さを凌げる場所を見つけて過ごしてもらうしかない。3匹のネコは他人なので、団子になって寝ることはない。それぞれ思いの寝床で、丸くなって寝る。立派な毛皮を着ているから、心配に及ばないかな。母の家の2匹のネコも、3日間閉じ込められっぱなしで寂しいだろう。あちらは全く人気もないので、冬はずっとあんかをしてやっている。あれこれ気にかけても、車中の人となれば、もうすっかり家のことはどこかに飛んで行ってしまう。


年末、年始

2016-01-02 07:44:55 | 日記

 大晦日、最後のお正月用品の買い出しにスーパーへ行くと、たくさんの人が店内を歩き回って、主に食料品を物色している。私も必要な物だけをカゴに入れて、早々に勘定を済ませたかった。ところがどのレジも長蛇の列、うんざりだが致し方ない。人やそのカゴの中を観察しながら、番を待っている。若い人のカゴは焼き肉用の肉でいっぱい、一万円を優に超える買い物である。親類、家族で焼き肉パーティか。お年寄りのカゴの中には、うどんや蕎麦が何玉も入っている。年末は食料品は2割高だけど、来客や帰省の家族をもてなすために、いくら高くても肉や野菜をたくさん買わなければいけない。私のところでは、誰も帰省しないし、お遍路さんも暮れに一人、二人という程度なので、静かで質素なお正月だ。

 年々ケジメのないお正月になっていく。一年の締めくくりと迎春のための作業や設えを、ひとつふたつと省略するようになった。めんどうくさくなって、どうでもいいと思ってしまう。やらなくても誰に文句をいわれることも、叱られることもない。これも老化というより外ない。今年は、年頭の決意もない私である。

 しかしながら、何十年と続いている正月雲辺寺詣では今年も実施。面倒なことは省略、けれど好きなことは続けられる。

 去年は、雪がちらつくとても寒い元日だった。今年の年末年始は、暖かい穏やかな天気が続く。やはりお天気がいいと初詣の人出も多い。ロープウェイが到着する度、境内が賑やかになる。

 でも、焚き火を囲む人は少ない。酒肴で、楽しく火の周りに集ういつものグループが来なかった。小さな子も含めた家族集団で登ってくる、観音寺のかまぼこ屋さんとは、下り道数分のところで出遭った。

 「今年初参りデビューの子がいて、出遅れて今頃の時間になったんよー」

と、わたしとほぼ同年代の奥さん。年々、集団が膨れていく、素晴らしい家族だ。

 「待ってたんよー、竹輪食べ損ねて残念!」

 来年の約束をして別れた。

ターコイズブルーの小さなお地蔵さんに挨拶して帰る。