予定通り8日21時、男性3名女性6名合計9名で観音寺を出発、長野県諏訪へ向かう。うちの会の女性陣は、本当に元気で威勢がいい。
車2台のうち1台は私の車だったので、運転は慣れている。しかし、ナビはつけていないので、Mさんが少し前の時代のナビを貸してくれた。お蔭で順調に行けたのだが、2度ばかりミスを犯した。1度目は、分岐をなんとなく違う方向、信楽方面に行ってしまった。この新しい道は、古いナビにプログラムされてなかったのである。すぐに男性ドライバーが気が付いて、1区間走っただけでUターンした。もし私が運転していて、この方が後ろで眠る番だったら、いつまでも間違いに気が付かなかったろう。遠回りして、名古屋方面で合流するらしかったけど。2度目のミスは、吹田の分岐で、1号車は瀬戸大橋経由、私たち2号車は淡路経由と、別々のルートで帰ってしまったことである。ナビさんの仰せのとおり、右進路をとったものの、またもや男性ドライバーがおかしいことに気付く。ナビの設定は淡路経由になっていたのである。大差ないからこのまま行こうということで、不安なまま狭い道路を走らせ、明石大橋の標識が出てきてやっと安心したのである。さあ、どちらが早いか競争だ。大笑いの珍道中である。淡路の方が距離は少し短く、料金は高くなる。坂出のジャンクションでピッタリ出くわしたらドラマチックだね、なんてしゃべっていたけれど、実際は淡路組が少し早かった。
年末年始、太平洋側と西日本は天気が良く、ネットで調べても、八ヶ岳に雪はほとんどないと出ていた。なので、林道を歩くことなく、赤岳山荘まで車がはいれた。2010年に来たときには、美濃戸口に駐車して延々歩かされ、しんどかった記憶がある。
すでにたくさんの車がきていた。登攀スタイルの若い人が多い。赤岳鉱泉のテント場もテントの花盛りだったが、小屋のお泊りはその夜200名だったそうな。
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登山口到着時は、曇って雪がチラチラしていたが、次第に青空が見え出し、この日の晴れは約束された気がした。
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名物アイスキャンデー
気温が高くて、一部氷の壁ができてないところもあったが、練習している人もいた。
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赤岳鉱泉とキャンプ場
あまりの晴天!
計画のように、これでこの日の行動終了、ではもったいない。Mさんの判断で、車中泊の睡眠不足ではあるが、全員で硫黄岳を目指すことにした。次の日、天気が悪ければどこにも登れなくなる可能性があるからだ。
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赤岩の頭から見る、横岳と赤岳
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硫黄岳頂上、風がきつくなく過ごしやすい。
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頂上から見る、横岳と赤岳
いつかあそこまで縦走できたらいいな。
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山荘の夜ごはん
豚シャブ、一夜干しみたいな赤魚の焼いたん、生野菜、果物
一人鍋がスゴイ
食事をしながら翌日の行動を相談する。初めの計画では、1日目は小屋まで、2日目は、初心者は硫黄岳コース、経験者は赤岳コースにと、分かれて行動することになっていた。1日目に硫黄岳をやっつけてしまった。テレビの天気予報では、2日目も晴れ。さてどうする? 冬山上級者コースといわれる赤岳、初心者は大丈夫だろうか。初心者にとって、はなから予定のなかった赤岳登山、事態の思わぬ展開に、皆、心中では慌てていたのではないだろうか。なかなか決断がつかない。
「私たち行けるでしょうか?アイスキャンデーをやって待ってましょうか?」
と初心者メンバー
「行けます」
とリーダーのMさん、きっぱりと言った。リーダーシップはこのような時に発揮される。
「行きましょう」
と私たち
それゆけどんどん、全員で赤岳!に決定。大丈夫かな? 少し不安はあったのは正直なところ。
部屋は、9人で貸切にしてくれた。ただし、5000円アップで。ファンストーブが部屋に備えてあって、汗がでるほど暖かく、快適だった。夜中には電気が停められたけど。皆、翌日の赤岳を思い、緊張して寝床にはいったことだろう。睡眠不足と硫黄岳の疲れで眠りまで10分とかからなかった。
小屋は混んでいる。朝一番に朝食を取るためには並ばなくてはいけない。私たちは4時起床であった。私はいつものように、山では頭痛がするし、ごはんも食べられない。朝ごはんはほとんど食べられなかった。登山家山野井の奥さんの妙子夫人も、高山病で頭痛と吐き気に苦しむと本に書いてあった。あちらは数千メートルの高度、私は高々2000メートル、全くレベルがちがうんだけど、あの本を読んで、食べられなくても心配しなくていいと思えた。少々食べなくても行動できるのだ。
さて、身支度整えて最後アイゼンを、という段になって、ワンタッチ式のアイゼンの右つま先の金具がどうしても入らない。昨日付けて硫黄に登ったのにどうして? 何かの原因で金具が変形したのかな。アイゼンを外してから、くっついた雪を落とすために、木にコンコンとぶつけたけど、あれかな? ドライバーでねじを緩め、ひとつサイズを大きくして何とか靴に取り付けた。ザックにアイゼンをおしまいするときも、外から変に力が加わって金具が変形することのないよう、気を遣ってやらなければいけないなあと実感した。
私のせいで出発時間が30分遅れた。申し訳ない。このとき、「ああ、私はここでやめて皆の帰りをまたなくてはいけないか」と思っていた。アイゼンの調整に尽力してくださって感謝です。お蔭で、みなさんと一緒に達成感を味わうことができました。
地蔵尾根の急斜面をクリアして赤岳展望荘で休憩、前回ここで泊まっている。展望荘を出てすぐの斜面で、風が恐ろしくきつかったのを覚えている。小さく見える頂上小屋まで鎖の急斜面が続く。
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このあたりから、富士山を見ながらの登山だ
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ついに登頂
雪が少ないのでかえって危ない。岩と氷と、ときどき雪という感じだ。人間必死になればなんでもできるんだね。死ぬわけにはいかないものね。
みなさんの勇気と元気に感心感動しました。二日間で二座登ったとは、熟年にしてはすごい。お天気が応援してくれたことと、皆の前向きな姿勢がいい結果をくれたのかな。
残念ながら、赤岳では緊張の連続だったので写真を撮る余裕がなかった。下から、はしごや鎖をのぼる、迫力満点のシーンを撮りたかったのだけどね。