4,5年前から気になっていた、土居大野城から尾根を越えて肉淵へ繋がる昔の道、地図に載っている道は見つからないけれど、ようやく私なりに通じたので、大野城、峠、縦走コース、峨蔵越、大野城、という周回をやった。
大野城からワサビ谷の沢に沿って右岸を行く。テープの標を捜してどんどん登って行くが、相棒のスマホのGPSによると、いつの間にか登山道から大きく外れている。テープは、誰が何のためにつけたのだろうか。林業のテープには思えなかったのだけど。私のような、古い道に興味のある人がいるんだろうと思っていた。
テープがなくなってからは自分で思うように登るしかない。獣道か仕事道かわからないような、道とは言いにくい微かな踏み跡を辿ると、上からおりてきたはっきりした登山道に合流する。大野城からも、縦走路からも、しばらくは確かな道を歩けるのだが、やがて道はなくなる。何度か上から下から挑戦して、漸く地図上の道ではない、私の道が完成したのである。
峠には、住友の家紋が彫られた古い石がある。旧道はここから左に小箱越に行き、下る。
整備された縦走路を峨蔵越に向かって歩くと、小箱越分岐にでる。
尾根はスズタケが茂る、本来ならヤブだけど、去年一斉に花が咲いたせいか、全部枯れて、歩き易いといえる。
峨蔵越に到着、あとはまともな登山道を下るだけ。けれども、登山道の標識が立派な割に、道が荒れているのには少し驚いた。
私が追及したこの旧道、「銅の道」というのだそうな。銅山は元禄時代に開坑されたが、当時はこの旧道で粗銅を土居に運んだらしい。当然人力である。明治になってから、牛車道、明治後半には上部鉄道、下部鉄道が整備され、新居浜に運ばれた。愛媛の山の中には、鉱物の採掘跡や運搬道、炭の道、遺跡がたくさんあって面白い。