日記

お遍路情報と、日記を綴っております。

銅の道

2018-03-22 18:49:34 | 日記

 4,5年前から気になっていた、土居大野城から尾根を越えて肉淵へ繋がる昔の道、地図に載っている道は見つからないけれど、ようやく私なりに通じたので、大野城、峠、縦走コース、峨蔵越、大野城、という周回をやった。

 大野城からワサビ谷の沢に沿って右岸を行く。テープの標を捜してどんどん登って行くが、相棒のスマホのGPSによると、いつの間にか登山道から大きく外れている。テープは、誰が何のためにつけたのだろうか。林業のテープには思えなかったのだけど。私のような、古い道に興味のある人がいるんだろうと思っていた。

 テープがなくなってからは自分で思うように登るしかない。獣道か仕事道かわからないような、道とは言いにくい微かな踏み跡を辿ると、上からおりてきたはっきりした登山道に合流する。大野城からも、縦走路からも、しばらくは確かな道を歩けるのだが、やがて道はなくなる。何度か上から下から挑戦して、漸く地図上の道ではない、私の道が完成したのである。

 峠には、住友の家紋が彫られた古い石がある。旧道はここから左に小箱越に行き、下る。

 整備された縦走路を峨蔵越に向かって歩くと、小箱越分岐にでる。

 尾根はスズタケが茂る、本来ならヤブだけど、去年一斉に花が咲いたせいか、全部枯れて、歩き易いといえる。

 

 峨蔵越に到着、あとはまともな登山道を下るだけ。けれども、登山道の標識が立派な割に、道が荒れているのには少し驚いた。

 私が追及したこの旧道、「銅の道」というのだそうな。銅山は元禄時代に開坑されたが、当時はこの旧道で粗銅を土居に運んだらしい。当然人力である。明治になってから、牛車道、明治後半には上部鉄道、下部鉄道が整備され、新居浜に運ばれた。愛媛の山の中には、鉱物の採掘跡や運搬道、炭の道、遺跡がたくさんあって面白い。

 


二二八事件、記念日

2018-03-14 09:27:44 | 日記

 台北3日目、ホテルチェックアウトは11時半、飛行機は2時過ぎくらいなので、午前中に民族楽器店へ行って二胡の弦を買いたいなあと思った。歩いてその方向に行くと、台湾総督府の辺りが、警察官や警察の黒いバスで何か物々しい。 

 

 そして、二二八和平公園の中を通り抜けていくと、音楽が聞こえてきた。

 外はシトシト雨、テントの中で学生ブラスバンドが演奏会をしている。

  

 幕に「二二八事件71周年記念」とかいてある。そうか、今日は2月28日だね。トロンボーンソロは映画「追憶」のテーマを演奏している。台北市立交響楽団員であり、台北芸術大学、台北教育大学などで教授をしておられる偉い先生らしい。このあと指揮をされていたが、棒を振りながら、マイク片手に「もっと大きく」とか「いいよー」とかしゃべっているのにはちょっと驚き。演奏会本番なのだから。

 二二八事件てなんだろう?

 日清戦争後、半世紀にわたって日本は台湾を統治していた。第二次世界大戦後、日本が去り、共産党から逃れて蒋介石率いる国民党(外省人という)が台湾にはいり支配したのだが、その政治は汚職、略奪、暴力に満ちていた。当時の台湾人は、「犬(日本)去りて、豚(中国)来たる」といった。犬はうるさいけれど番犬になる、豚はただあさり喰らうのみ、という意味。そして1947年2月28日、終に台湾人と日本人(本省人)の不満と怒りが暴動と化したのである。多くのエリート層が虐殺、処刑された、台湾の歴史上重大な記念日である。その後も40年のあいだ、戒厳令がしかれた。

 何処の国の戦争も悲惨だ。台湾も例に漏れない。この事件を知った限りは、次回旅行は二二八記念館を見学したいなあ。訪れる前にその地を勉強していくと、旅行も数倍楽しいだろう。


台鉄、平渓線

2018-03-08 19:57:11 | 日記

 さて、台湾二日目は何処に行こうか。丸一日遊べるのはこの日だけ、あれやこれや考えた末、平渓老街、(ピンシーラオジエ)を見学することにした。

 台北の東に位置し、炭鉱で栄えた山あいの古い街である。私の大好きな、田舎の景色と鄙びた街と地元のヒトの生活が見られたらいいな、と思った。ところが、瑞芳という駅から乗り換えた平渓線の汽車は、十分という賑やかな駅まで満員。この国では、私くらいのおばさんにはすぐに誰かが席を譲ってくれるのだが、こう立ってる人が多いのでは無理である。ガイドブックに載っている観光地だから人が多いのは当たり前か。

 まず、終点の箐桐駅まで行き、一時間過ごして、帰りの汽車に乗り、十分で街並みと滝を見学する、という計画だ。

  

 ゴーッという音とともにホームに入ってくるディーゼル車、車体が派手だ。ホームとの隙間が20センチくらいあいていて怖い。

 線路は、汽車さえ来なければどのように横断してもいい。

 

 老街と炭鉱跡

 終点箐桐は小さな街なので、これといった食堂がない。小腹が空いたし、感じのいい店はないかなと歩いていたら、「素食」という文字は見えた。ベジタリアンメニューである。小さな店の奥に気のいい親爺さんが座っていて、台湾人らしい4人の男女の客が静かに食事をしていた。下りの汽車の時刻が迫っているので、残念ながらバナナの天婦羅だけ注文した。台湾人の食卓といった、野菜炒めやなにやら揚げ物もようなもの、食べてみたかったのに本当に残念。次回食べに来るには遠すぎる。

 次に下車する街は十分(地名)だ。ここの賑わいは凄い。老街も店がずらーっと並んでいて、満員列車からはきだされた人たちがゾロゾロ歩いている。また小腹が空いて、スィートポテトフライを買う。ネコは、誰がそばを通ろうが気にせず、昼寝している。

                                                                                                   

 観光客のお目当ては、名物ランタンとナイヤガラの滝といわれる幅広い滝だ。

  

 路地で、線路の上で、紙製の風船みたいなランタンに願い事を書いている。中国語、ハングル語、日本語、お客はほとんど若い女性だ。願い事を空高くに放つ、なんだかロマンチックじゃない? ランタンに取り付けた、油をしみこませたような紙に火をつけて、ランタン内の空気を温め、飛ばす。つまり気球だ。そのうちの一つが失敗、空に上がる前に外側のランタンの紙に燃え移り、そばの木立に落ちたのには驚いた。ランタンはすぐに燃えてしまったが、木々には燃え移らなかった。これは危ないよね。よく火事にならないものだ。

 山、川、至る所、やはり残骸が落ちている。願いを託されたランタン、何分か後には自然を汚すゴミと化している。なんか変。

   

 老街を抜けて、遊歩道を大勢の人が歩いていく。30分後に大きな滝に到着。見物客は絶えることがない。汽車だけでなく、貸し切りバスでもやってくる。添乗員が旗をもって先頭を歩く、何処でも見られる光景だ。多分中国人の団体と思う。

                                                                                                                    

 

 


久々に、大失敗した

2018-03-07 21:44:32 | 日記

 久々に、朝食時間遅延のミスをしてしまった。携帯のアラームが鳴ったので、とりあえず確認のため時計をみると、なんと6時半! ややッ、5時に設定するの忘れていた。お遍路さんとの約束の時間は6時である。飛び起きてバタバタと準備をはじめるものの、パニクって何から取り掛かればいいのか頭が混乱している。ご飯はタイマーで出来上がっている。蒲鉾を切って、冷蔵庫からおかずを出してチンして、味噌汁を作って・・・。急いでも15分はかかる。

 お客様、多分6時過ぎに食堂にきてくださっただろうなあ。辺りはしんとして暗いし、一体どうなっているの?と思ったことだろう。大幅にスケジュールを狂わせてしまって、本当に申し訳ない。「今日の行程はそれほどきつくないですから」と言って発たれた。気持ちを引き締めて仕事に臨まなくては。

 

 


6度目、台湾

2018-03-05 19:57:05 | 日記

 先月末、台北へ行ってきた。何と、6度目の台湾である。第一希望は台南だったが、ここで遊ぶには日数が要る。ねこさんたちが気がかりなので、2泊3日の旅である。

 関空からでると飛行機代が安くつくけれど、やはり年だなあ、しんどい。一番便利な高松から飛ぶことにした。空港近辺の駐車場に車を置いたら、無料だったのには驚いた。誰が払ってくれてるんだろう。県が補助してるのかなあ。

 飛行機では空席が目立っていたのに、台北桃園空港の入国審査を受けるところでは、長蛇の列だった。欧米人はほとんどいない。アジア人ばかりだ。服装、会話、雰囲気などよく観察すると、大部分は中国人じゃないかな。トラピックスのバッジをつけた日本人ツアーも少しいた。私の後ろに並んだ中国人の奥様とちょこっと会話してみた。韓国人もいるよ、だって。まさに、中国人韓国人の海外旅行ブームだ。私はなに人に見えるのだろう。

 ホテルは台北駅近くでとった。次の日、列車で郊外の観光地へ行きたかったからだ。

 駅が建っている場所は、19世紀の終わり台北府城だった。今は城門がわずかに残っているだけだ。上は北門である。

 ホテルまでは歩いて10分、地図を片手に繁華街をきょろきょろ、台湾では縦横の通りの名前で目的地を捜す。スマホがあれば簡単だろうけど。

 わりと簡単にホテルは見つかり、チェックインしようとすると、何か問題発生か、待たされた。一番安いシングルを予約していたけれど、アップグレードの2段ベッドの部屋になった。

 全然アップじゃない! 部屋の広さは多分シングルと同じだし、上のベッドが邪魔。頭を何度かぶつけた。

 なんでこんな下半分の写真になったんだろう?お恥ずかしい限り。夕食は名物の牛肉麺。太くて短いうどんのような麺だった。お腹が空いていたので、スープもほとんど飲み干した。店のお客は、男性が大半、私のようなおばさんが少し、高校生のような女の子がひとり、夕方おひとり様で麺を食べにくる人達、いったいこれは何だ? 間食だろうか。家で夕食しないのだろうか。ひとり暮らしなのだろうか。

 ホテルの周りは、食べ物屋さん、音響器具屋さん、本屋さん、コンビニなんでもある。特にここは書店街で、専門書を扱う店も何軒もあり、本の好きな人には堪らないだろうなあ。

 夜はやはり夜市に行かなくちゃ。西門の夜市は歩いて10分くらいだ。大通りを歩いていると大道芸がいくつも見られた。救護や警察のテントもある。イルミネーション明るい通りを人が沢山歩いている。かき氷屋さんでは、ピーナッツと蓮の実、タロイモ、白きくらげをトッピングした豆花を食べて、フルーツとベーカリーのパンを朝食に買って帰って、第一日目終了。