山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第23日

2010-09-21 04:06:07 | くるま旅くらしの話

第23日 <8月1日(日)>

【行 程】 別海町ふれあいキャンプ場に滞在 <0km>

晴天は昨日の一日だけで終り、朝起きると外は再び雨模様の曇天に戻っていた。去年よりは寒くは無いけど、この曇天にはもう辟易する。連日曇天が続くと、心のどこかで滅入ってしまうものがあるようだ。

今日は天気が良ければ尾岱沼の方まで出かけてみようと考えていたのだが、この分では海の方も釣りでもしない限りはあまり楽しむ材料が無いように思う。この頃は釣りをするのが面倒になり、道具は持参していない。正確に言えば、釣った後の魚の処理が面倒くさいのである。この分ではとうとうカラフトマスを1匹も釣らないまま、北海道での釣りは終りとなりそうである。ということで、今日はどこへも行かずに、ここで終日ゆっくり過すことにしたい。

10時少し前に、Mさんご夫妻が霧多布方面へ向けで出発されてゆくのを見送る。知人の方が待っておられるとか。真にお元気なお二人である。スケジュールもダイナミックで、決して行き当たりバッタリではない。90日間の行程計画は、事前に楽しみを満載してお作りになっておられるようで、それを確実にこなしてゆくことで、旅の楽しみを実現しているのだと、以前に伺ったことがある。自分といえば、今のところは、行き当たりバッタリ主義ばかり採っており、そろそろMさんのやり方を見習わなければならないかなと、少し反省させられた。出発前には、管理人さんご夫妻も一緒に加わって記念撮影をした。

Mさんご夫妻が去られて、キャンプ場内に残った車は数台を数えるほどとなった。乗用車とバイクの方ばかりで、キャブコンは我々1台きりである。しばらく経つとテントを張っている人たちも、車で思い思いの場所に出かけて行かれたようで、殆どいなくなってしまった。時々霧雨の膨らんだのが落ちてきて、どうも落ち着かない空模様である。邦子どのは、Mさんご夫妻との出会いに少し興奮疲れしているのか、今日はあまり動き回らないで、横になってゆっくり音楽を聴いたりして過すということである。音楽の趣味が必ずしも一致しない時もあり、今は先日北海道HMCCのHさんに頂戴した徳永英明という人の歌を聴きたいらしい。甲高い声の男性の歌い方には、あまり興味が持てないときがあり、今のところ、好みが一致しないのである。同じ部屋にいなければいいのだけど、旅先では部屋は一つしかなく、このような時には、外に行かなければ問題は解決しない。

ということで、町の中心部まで、野草などの写真を撮りながら歩いて買物に行くことにした。何時雨が降り出してもおかしくない空模様だけど、傘は邪魔になるので持って行かないことにした。もし本降りになってカメラを濡らしたりしてはいけないので、ポリ袋はしっかり持参する。昨日も道端の野草を何種類か撮っているけど、未だお目に掛っていないものも幾つかある。別海町のこの辺りの野草は、主なものは大体どこにあって、どのような花を咲かせているのか知っているつもりでいる。10年近くも毎年ここを訪れて、歩きの度に観察し続けていれば、それは当たり前のことであろう。

   

別海町に多いホサキシモツケの花。漢字では穂先下野と書く。文字通り、花の先がシモツケと呼ばれる花によく似ている。通り掛にはあまり美しさに気づかない花だけど、虫眼鏡やカメラの接写では、何ともいえない穏やかな温かさのある花である。

キャンプ場を出て、昨日自転車で通らなかった道を選んで歩く。別海町は広いので、街角から次の街角までが遠い。町の中心街ではそれほどでもないけど、郊外へ行くと、次の角まで1km以上などというのはざらにあり、中には4km以上などという場所もあるのだ。自分の住む守谷市は町全体の長さが6km程度しかないのに対して別海町は70kmもあるのだから、とても比較にならない。何処かの資料には、牛の飼育数が12万頭を超えたとあった。町の人口は1万6千人余というから、守谷では想像もつかない町の構成である。もし宮崎県のようなことがここに起こったら、大変な悲劇の事態になってしまう。宮崎県には真にお気の毒だけど、北海道には絶対に口蹄疫を飛び火させてはならない。キャンプ場から町の中心街までの間には牧場は無いけど、この町に来るとやっぱり牛たちのことを思うのである。

その昔パイロットファームという国の施策が展開されたことがあるらしい。以前九州は熊本県を旅したときに、九重高原に住むある人から、ここから何人もの人たちがそれに応募して、移住して行ったという話を伺ったことがある。別海町はその受け入れ先の一つであり、その様な先人のご苦労が、今日本一の酪農の地として実を結んでいるのだと思う。しかし、農業の自由化が進み、海外のより大規模な酪農経営のパワーが、先人のご苦労を押しつぶそうとしていたり、或いは後継者不在が将来を暗くしているという現状の話を聞くにつれ、他所ごとながらも、何とか未来に明るい兆しが生まれることを願わずにはいられない。

あれこれ思いながら歩いていると、クサレダマを見つけた。この野草は、ちょっと見には、センダイハギに似た黄色い花を咲かせる。センダイハギは別海の町の花となっているらしい。多分その多くは野付半島の原生花園に見られるのではないかと思う。もう花期は終わっているであろうか。センダイハギは確かマメ科の野草だったと思うから、クサレダマとは花の形も違うはずである。似ているのは花の色だけかもしれない。その姿をカメラに収める。ついでだけど、クサレダマというのは「腐れ玉」ではない。「草連玉」が漢字の書き方である。黄金色の玉が幾つも連なるように花を咲かせているので、そう呼ばれるようになったらしい。この花の名誉のために一言解説を付け加えさせて頂く。

   

クサレダマの花。草叢の中では割と目立つ存在だと思う。黄色い花の中では、しゃきっとした咲きぶりが気に入っている。

花の写真というのは、自動焦点の場合は、なかなか上手く撮れない。自分が思う所にピントが合ってくれないのである。カメラが肝心の花ではなく、地面などにピントを当てたがったりするので、ボケた写真が多くなってしまう。安いカメラでは仕方がないのかもしれない。どうにかそれらしい花を写すことができた。その後も花を探しながら中心街に向って歩く。何種類かの花を見つけたが、その中にはヤマルリソウもあった。見過してしまいそうな小さな花である。北海道には内地と同じでも大型の野草が多いのだが、この花は内地のものよりも小さかった。偶々恵まれない環境に生えてきてしまったのかもしれない。

野草の観察を止め、町のスーパーで野菜などを買う。以前はJA系のスーパーがあったのだが、それは廃業になって新しい店が営業している。概して値段が高い感じがした。特に野菜類は高値である。別海では野菜の生産を殆どしていないようだ。農家は自宅で食べる程度のものは作っているらしいけど、出荷するレベルではないと聞いたことがある。ニセコあたりの道南エリアとは違って、この辺は日照時間も少なく、野菜作りには無理のある環境なのであろう。幾ら高くても野菜を食べないわけには行かない。地元の人たちには、牛乳は安く手に入っても野菜はそうはゆかないというハンディがあるようである。旅人は、一時我慢するか諦めることで済ますだけである。

買物を終えて外に出ると、少し路面が濡れていた。雨が断続的に降り出したらしい。帰りは写真を撮るのは止めて、歩きに集中することにした。キャンプ場までは20分以上は掛るので、この間に大降りになったら困ってしまう。そうならないことを願いながら、少し汗ばむのを我慢して歩き続ける。どうにか大丈夫だった。ヤレヤレ。

戻った時は13時を過ぎており、少し腹が減った状態。邦子どのはおかゆを作っていた。少しお腹の状況が定まらないらしい。自分としては、おかゆでは物足りないので、うどんを茹でて食べることにする。その後は定番の午睡となる。

夜はTVの大河ドラマなどを見て、再び眠りを貪るという、まあ、このような暮らしの一日でした。

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