山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第25日

2010-09-24 00:44:30 | くるま旅くらしの話

第25日 <8月3日(火)>

【行 程】 

別海町ふれあいキャンプ場 → 道の駅:しらぬか恋問 → 道の駅:浦幌 → 池田ワイン城 → 道の駅:しほろ温泉(泊) <234km>

今日はいよいよ別海に別れを告げる日である。Nさんとは1日でのすれ違いとなるけど、今年も会うことが出来、お互い元気な姿を確認できて何よりのことである。キャンプ場の朝は早く、バイクや乗用車で来た人たちは、9時前には殆どの人たちが次の目的地に向かって出発して行った。残ったのは、今日ここに滞在する人たちだけで、我々が一番遅い出発となった。Nさんご夫妻、管理人さん夫妻に別れを告げて出発した時は、9時半を過ぎていた。

今日も昨日に引き続き天気は良さそうである。朝の内の霧は、この地の毎日の決まりのようなもので、晴れの予報でも日の出を拝める日は少ない。今日は釧路を経由して、白糠の道の駅で名物のこの豚丼を食べ、R38を走って幕別町の手前から右折して池田町にあるワイン城に行き、倅からのオーダーに応えた後、本別町から道道を通って士幌町の道の駅の一つの士幌温泉に行って、そこに泊る予定でいる。200kmを超える走りとなるので、適当に休みを取りながらの道行とするつもりでいる。

別海町の中心街にあるキャンプ場を出て、弟子屈方向に走り、左折してR272に入り釧路に向う。この道を走ると、改めて別海町の広さを実感する。山というほどのものは殆ど見当たらず、緩やかな大地の谷間を道が通っているが、その両側には幾つもの牧場が広がり、森や林が広がっている。北海道にはこのような場所が幾つもあるけど、根釧平野の広さを実感するのはここを走るのが一番のように思う。今は一面の緑の大地が広がっているけど、やがて秋になり、冬が来て真っ白になった広野は、それと判らぬような雪の嵐が吹きまくる厳しい世界と豹変するのであろう。冬の世界を一度も見たことのない自分には、想像も追いつかない。

同じ様な景色の中を走り続けて、11時過ぎようやく釧路郊外に辿り着く。ここからは景色が一変する。今はどこの都市でも同じだけど、街の中心街は発展や賑わいの限界に到達して静かになり、その代わりに郊外に進出した大型の店舗が、日本式ショッピングモールを形成しているようである。釧路にも来る度にそれを実感する。明らかに車社会なのである。広い駐車場がなければ、人はやってこないのだ。自分も車を所有し、むしろ商用としては真っ先に車を購入し活用したはずの街の中心街の商人の人たちには、先を読む力が不足していたのは明らかであろう。今の世の中は、歩いて買い物にやって来るような場所は、大都会のほんの一部に過ぎない。

しかし車社会はまだまだ未成熟だ。あまりにも急速に車が手に入るようになった所為なのか、細かいインフラが欠如している。その中の一つに、個人が車を使って旅を楽しむという世界を受け入れる環境が殆ど作られていない。駐車場もトイレも、水汲み場もごみ処理施設も皆既存のものを利用しているのが現状で、しかもそれらを出来るだけ無料(タダ)で使おうとするので、随所でトラブルが発生している。これにマナーの劣化が油を注いで、受け入れ先は受け入れを拒否し、公園の水道の栓を潰し、ゴミ箱を撤去し、駐車場にはお断りの張り紙を何枚も貼り付けている。このような対応の仕方は、事態を改善するどころか、益々悪化させるだけである。

もはや、くるま旅という人々の欲求は、車社会が生み出す必然なのだと思う。止められない現象なのだ。この現象は、やがて外国人観光客、特に中国からの来訪者においても同じニーズとして膨らむに違いない。このようなことを思うとき、この事態への対応は、やはり政治というか為政者の役割としか考えられないように思う。

本来旅というのは、人の心を活性化させ、豊かにしてゆくものだと思う。高齢化社会は、車を使っての旅を排除すればするほど医療費を増幅させるに違いない。老人が病に養われるようになるのは、狭い世界のくらしの中で身体の活動と頭脳の活動を停止させることに起因することが多いのではないか。旅に出て、文字通り日々是新の刺激を貰っての体験を積み上げることを覚えれば、人は病に養われるのではなく、病を養うことができるようになるのである。病が皆無などという老人はいない。元気というのは、病を養っている老人にのみ当てはまる言葉なのだと思う。車社会のことを考えると、いつもこのような想いが湧き上がってしまうのである。

釧路市内で給油して、郵便局に寄り、鳥取大通りを通過して、白糠町に向う。釧路は鳥取と縁の深い町のようだ。それは、以前山陰の方を旅したとき、ふとしたことから鳥取市内を3日ほど探訪する機会があり、その時空港に向う海岸沿いの道脇に、ここから北海道に向けて出発したという碑を見たからである。池田の殿様の命令だったのか、下級武士などが開拓の為に船出して行ったのだと思った。その先人たちのご苦労が、今は鳥取大通りの名称の中に実っているのではないかと、ここを通る度に思うのである。

白糠町の道の駅は恋問という地名のエリアにあって、そのままの日本語では、何だか物語がかったイメージを覚えるのだが、その実はアイヌ語に当てたタダの当て字に過ぎない。恋問に着く前に大楽毛という場所があるけど、これをオタノシケと読むと知ったときは思わず笑ってしまった。今は現地に住む人もその昔のアイヌの人たちも決して笑いなどはしないと思うが、初めての日本人の旅人には、想像もつかない読み方ではないか。

横道に逸れてしまったが、この道の駅には、ある人によれば、日本で2番目に美味いという豚丼があり、道の駅の駅弁としても売り出されている。「この豚丼」と名づけられたそれを食べるのが、ここを通るときの楽しみである。とても食べきれないのが分っているので、予めタッパーを持って行って夕食用に取り収めることにしている。普段は豚丼は全く食べないのだけど、1年に一度ここへ来て食べるのを楽しみにしている。未だ日本で一番というのを食べていないので、それを味わってみたい。恐らくそれは本場の帯広のどこかにあるに違いない。帯広を通るときに、探してみたなと思った。

     

道の駅:しらぬか恋問の名物となっている「この豚丼」この肉の下のご飯の中にも肉が隠れ潜んでいる。左にちょっと見えるのは、近くの浜で採ってきたオカヒジキの株。獲物は見逃さない。

お腹を満たした後は、再びR38を池田町に向かう。海岸沿いの道には、時々霧が襲ってきて、気温は上がらないようだ。海にはかなりのうねりがあって、少し荒れ模様のようである。海から離れ、トンネルを潜ってしばらく走ると、浦幌の町へ。ここに新しい道の駅が出来たというので、ちょっと立ち寄る。裏の方に森林公園というのがあって、広い駐車場もあり、近くには入浴施設もあるようなので、泊りにも向いているかもしれない。今日はサッと見ただけでパスする。

豊頃から池田町のワイン城に向う道に入る。ワイン城到着14時20分。倅からのオーダーでワインを買って来て欲しいというので寄った次第。邦子どのは直ぐに出かけていったが、自分はしばらく寝ることにした。この頃は車の中でも午睡をとることが多くなってきている。疲れには眠りが一番の薬のように思う。眠りを避けて、薬に頼るようになるのは愚の骨頂だと思っている。眠りは健康の証であり、基本的に無料である。セコセコと歩き回るばかりが旅ではない。古希を迎えると、眠りの理屈も変わってきているようである。40分ほど眠って目覚めて、ワイン城へ。自分としてはワインにはあまり興味が無い。この酒に深入りすると、とんだことになると思っている。飲みたくなったときでも高級なものは避けるようにしている。何故かと言えば、ワインというのは、レベルが幾つもあり、一度その味を知ってしまうと、そのレベルを下げるのが難しくなるからである。かといって上げてばかりいたら、破産するのは必定だ。この頃はワインによらず、どのような酒でも出来る限りレベルを下げようと心がけている。不味ければ飲む量が減り、身体にも懐にも具合がよくなるはずだと思うのだが、これがなかなかそうはゆかない。何を飲んでも不味さに直ぐに狎れてしまい、美味いと思うようになってしまうからだ。ありがたいような、淋しいような妙な気分である。

   

池田ワイン城から見た十勝平野の広がり。右手の向こうの方に帯広市街が遠望できる。大きな景観である。

ワイン城を出た後は、今日のゴールの士幌町の道の駅:士幌温泉を目指す。帯広の方には行かず、本別町から道道を通ってのコースである。この頃は松山在住のKさんの奥さんがおっしゃっていた、国道ではない地方の道を走るのが好きという言葉が分るようになってきた。特に北海道の地方道は皆国道に引けを取らないほど立派である。どんな山道でも舗装は完備し、離合に苦しむようなことは無い。初めて通る士幌への道も予想以上に立派だった。途中眼下に牧場が広がる雄大な展望の場所もあり、邦子どのの要請で所々車を止めて写真を撮ったりするのだが、後続車も前からの車も殆どない。真に恵まれた環境である。

16時過ぎ到着。たくさんの旅車が屯(たむろ)していたのに驚かされた。20台を超えていたのではないか。その多くはバンコンやワンボックスの乗用車で、それが旅車だと判るのは、駐車がトイレ近くに集中しているからである。直ぐ傍に温泉があり、もう入浴を終えたのか、お腹を出して歩き回っている人なども居り、毎度のことながらあんなのを見たら、土地の人が不愉快になるのだろうなと思った。昨年は数台にも満たない車だったが、今年はどうしたことなのだろうか。圧倒的に関東ナンバーが多くて、茨城県からの車も何台かあった。

我々も温泉に入って汗を流し、さっぱりして車に戻る。久し振りに長距離を走って疲れたので、簡単な食事の後はさっさと寝床へ。ここはTVが良く映らない。邦子どのも諦めて寝たようである。

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