山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第6日

2010-09-02 10:58:41 | くるま旅くらしの話

第6日 <7月15日(木)>

【行 程】 

道の駅:真狩フラワーセンター → 真狩湧水 → 道の駅:ニセコビュープラザ → ニセコワイス寶亭留 → 道の駅:スペース・アップルよいち(泊) <82km>

昨夜は明け方近くに少し雨が降ったようで、起きて外を見ると地面が濡れていた。夜半に駐車場に入ってきた大型トラックが、ずっとエンジンを掛けっ放しで、排気ガスを撒き散らし続けていた。何度経験しても、馴れて気にならなくなるなどというわけには行かない。早く国を挙げてこの公害対策に取り組んで貰いたいものだと、改めて思った。直ぐ近くにCO2をより多く吸収するとして開発されたクリーン・ラーチが植えられていたが、たった2本だけであり、1台のトラックの出す排気ガスの方が、遙かに厖大な量であり、地球温暖化や環境問題対策に関して調子のいいことを言っているだけの為政者の人たちに、このありふれた現実をしっかりと認識して貰いたい。このところ、口先ばかりで、心を打たない為政者ばかりで、真に困ったことではある。

今日は余市の道の駅に泊ろうかと考えているだけで、他の事はまだ考えていない。とりあえずゆっくり出発することにして、気の向くままに途中真狩湧水を汲み、ニセコの道の駅に寄るなどして、北上することを考えている。温泉博士に載っているニセコワイス寶亭留という所に立ち寄り湯をしてもいいかなと考えている。ここから余市までは大した距離ではない。

この道の駅に泊る旅車は少ないようで、昨夜は我々の他には2~3台だった。近くのニセコの道の駅などと較べて、こちらの方が駐車場は平だし、広いように思え、泊るのには好条件だと思うのだが、良く知らない人が多いのかもしれない。勿体ないなと思ったりしながら車の点検や水処理などをする。目の前の羊蹄山は雲に包まれて全く見えない。今日は雨は降らないようだが、すっきり晴れるという天気でもないらしい。やっぱり蝦夷梅雨というのは実在するらしい。遠く九州・四国、それに中国地方辺りでは梅雨末期の集中豪雨で、甚大な被害に見舞われているというニュースが連日報道されているが、その様な事態が北海道にまで及ばないことを切に願いたい。この頃の異常気象ぶりは、それを実感する度合いが益々多くなって来ているように思う。北海道もこのところの天気は、農作物には不安を及ぼすほど日照不足傾向にあるらしい。旅の者にも去年ほどでは無いけど、やはり少し涼しすぎる嫌いがある。

10時になり、ともかく真狩湧水を汲むことにして出発する。5分ほどで水汲み場に到着。思ったよりも空いていたが、10分もすると、焼酎の空きペットボトルなどを大量に持った人たちの車が何台もやって来て、たちまち広い水汲み場は満杯となった。その間隙を縫いながら我々も何本かのペットボトルを満たし、車の水槽を満たす。それにしても毎度のことながらここといい京極の噴出し公園といい、羊蹄山の伏流水の迫力には感動する。富士山の忍野八海もすごいけど、こちらのように気軽に汲める様にはなっていないので、あまり親近感は覚えず、何度も訪ねる気にはならない。たっぷり水を満たした後は、ニセコの道の駅に。勿論、野菜類をゲットするためだが、水を汲んでいる間に心が決まり、ニセコワイス寶亭留に立ち寄り湯をすることにする。但し受付開始が13時なので、それまでの間、道の駅で時間調整をすることにした。

ニセコの道の駅は人気スポットの一つのようで、いつ来ても出入りする車が多い。何といってもここの野菜売り場は、町の人たちの取組むエネルギーが伝わってくるようで活気があり、又それに相応しい優れた品質の新鮮な野菜が並んでいる。昨日に引き続き、何点かの野菜を購入した。あさってからのクラブキャンプにお邪魔する際の手土産にと、地元で採れたという特大の西瓜も買った。まさか北海道でこれほど大きい西瓜が採れるとは思えないので、売店の人に訊いたら、ここの売り場では地元の産物以外は一切販売していないとのこと。すごいなあと思った。

車に戻り、未だかなり時間があるので、軽い食事の後しばらく横になる。日差しは無いけど少し暑さを感じる程度の天気で、眠気がほどほどにやって来て、たちまち時間が過ぎ、出発となった。目指す場所は、倶知安の市街から15分ほど二セコの山側に入った所にある。30分足らずで到着。丁度13時になったので、ホテルの受付で尋ねると、何と只今修理中で入浴は14時頃にならないとダメとのこと。どうするか少し迷ったが、折角ここまで来たことなので、1時間待つことにする。少し晴れ間も出て、ここからは正面に羊蹄山がでんと構えているのが見えるのだが、山の上部を雲が取り巻いて邪魔をしていて、景観を台無しにしてしまっていた。何もすることがないときには、寝るのが一番。あれこれ悩むこともなく寝床の中に。丁度1時間ほどで目覚める。もう一度受付に行き訊いてみると、OKとのこと。我々の他にも、2組のくるま旅の待ち人が居て、合せて3組6人がフロントへ。

風呂は1Fの下の方にあって、何種類かの浴場が作られていた。露天風呂からは羊蹄山が正面に見えるようになっており、素晴らしい景観なのだが、今日は残念ながら諦めるしかない。ここは源泉が37℃で熱くも冷たくもないお湯である。各浴槽は41~42℃ほどに加温されていて、今頃の季節は入るとちょっと熱い感じがする。本当は源泉が30℃くらいだと、熱いのと交互に入ると長湯が楽しめるのだが、ここではそれは叶わない。専ら37℃の源泉を楽しませて頂いた。1時間ほど好い湯を味わわせて頂き、十二分に満足する。

15時半ごろホテルを出発する。余市の道の駅までは1時間ほど。倶知安市街に戻り、R5に入って、ゆっくりと走る。といっても空いていて道がいいので、気がつくと70km近くになっており、あわててアクセルを戻すということが多かった。共和町を通り、坂を登ってトンネルを抜けると、仁木町となる。今度は坂を下って、しばらく走ると、この町の名産のサクランボの畑と沿道の店が賑やかに連なる景観となる。サクランボは、これからが最盛期となるのであろうか。道端の木にはたくさんの赤い実が鈴なりになっていた。サクランボは山形が有名だが、自分としては北海道の方により親しみを感ずる。そして仁木町の方には申し訳ないけど、北海道の中では買って食べるのは何時も美瑛のサクランボと決まってしまっている。そのサクランボの街を抜けると、余市である。

余市の町には、16時半到着。何時もの第2駐車場に車を止める。表の駐車場は古平に向う国道に面しており、騒音が煩わしい。それで何時も裏にある駐車場に行くのだが、来てみると今日は何時もの駐車場所に大型のトラックが2台並んで留まっており、それらがエンジンを掛けっ放しで唸り声を発していた。ここも又かとうんざりしたが、夜になれば何処かへ行ってしまうのだろうと、少し離れた場所に車を止め、先ずは夕食のオカズの買出しに行くことにした。ここへ来ると、買出しは概ね駅前近くにある柿崎商店に行くことになる。5分ほど歩いて行って見ると、何だか去年とは雰囲気が変わってしまっていた。店内の大改装を行い、これに合わせ商品の売り場のレイアウトも大幅に変更されたようで、どうも落ち着かないのである。心なしか、並んでいる商品も以前のような精彩がない感じがした。これは何なんだろうと考えてみたのだが、良く判らない。はっきりいえるのは、以前の柿崎商店には、市場の雰囲気とそれに伴う活気があったのだが、それが大分に薄れたような感じがした。改悪になっていなければ良いがと、チョッピリ心配した。近所に大型のスーパーなどできたら、いっぺんに凋落の憂き目を見る危険性も感ずるのである。余計なおせっかいなのだが、流行っていた店が廃れるきっかけは、このような改修が、本来保持していたその店の一番の特徴を失わせた時にやって来ることが多いからである。顧客心理というのは、店の経営者が考えるほど上品でも下品でもない。

車に戻り、夕食の準備に取り掛かる。今夜は邦子どのの担当。というので、ブログの原稿をチエックしようと携帯をズボンの後のポケットから取り出したのだが、何と電源が切れており、ウンともスンともいわないのである。これには焦ってしまった。普通だと、電源ボタンを押せば再起動できるのだが、今回は全く無反応なのである。これじゃあブログの投稿ができないと不安になり、近くにNTTはないか、ドコモの店はないかと街の中の方に飛び出してみたのだが、考えてみればもう18時近くになっており、店が開いているわけがない。諦めて車に戻り、もう一度あれこれやってみたのだが、全く微動だにしないのである。こうなったら、壊れるのを覚悟で裏側の蓋を開け、中に入っているバッテリーやチップのようなものを取り出し、もう一度はめ込むようなことをしてみようと、思い切って実行することにした。すると、今度は再起動ができたのである。その原因はわからないけど、何かの弾みで接触不良が発生し、それがため電源が切れてしまったらしい。何はともあれ、元に復帰して安堵する。

夕食が済んで、しばらくTVを見ようなどと思っていたのだが、急に眠気が襲ってきたので、先に寝ようと寝床にもぐり込む。いや、もぐりこむというのは正確では無い。もぐりこむなどしたら暑くて眠れない。横になるというのが正しい。その横になって、しばらくうつらうつらしていたら、メールが入って目覚めさせられてしまった。何かと思ったら、下の方の倅からで、ブログを見ているけど、旅に出てから以降更新がされてないので、どうなったのか心配でメールをしたとのこと。そんなことは無い筈だと返信したのだが、少し気にはなった。自分としては今までどおり同じ要領で書いて発信しており、携帯の発信記録でも未着などにはなっていない。毎日2時間以上もかけて書いており、それがもう1週間近く続いているのである。しかし、実際にパソコンの画面を見ているわけではないので、ネット上に掲載されているかはわからないのである。倅は、今はパソコン関係の仕事をしているのだから、彼の言っている方が正しいのであろう。それで、自分の携帯でネットの画面を見てみたら、なんと、10日以降は更新されておらず、旅の出発予告のままで終わっているのである。

いヤア、参ったねこりゃ。どういうわけなのか判らないけど、携帯には以前どおりの要領での発信記録が残っており、特段間違えているという訳でもないので、恐らくはプロバイダーの方で、携帯からの投稿の要領を変更したのではないか。それに気づかず、従来のままでやっていたものだから、つながっていないという結果になっているのではないか。その様に思った。しかし、手元のパソコンでは、ネットに接続することはできないので、今のところは処置なしのお手上げである。どこかでネットが使えるパソコンに出会うまでは、しばらく現状のままで行くしかないなと思った。考えようによっては、毎日早朝からの苦行から開放されることになるので、ブログを見ておられる方に対してはチョッピリ罪悪感の様なものを感ずるけど、ホッとするところもあるのである。とにかく、明日以降の新たな対応問題となった。

少し寝そびれてしまったけど、その後は再びあの世の世界へと戻ったのであった。

コメント
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