山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第18日

2010-09-16 09:36:07 | くるま旅くらしの話

第18日 <7月27日(火)>

【行 程】 

クッチャロ湖畔キャンプ場 → ベニヤ原生花園 → 浜頓別温泉ウイング → クッチャロ湖畔キャンプ場 → ウスタイベ千畳岩キャンプ場(泊) <39km>

夜半2時頃から強くなり出した雨は、朝起きる頃には、かなりの大雨となっていた。昨日は大風、今日は大雨と、今年のクッチャロ湖は外れのようである。これじゃあ、夕陽どころの騒ぎではない。空のどこを見たって、お天道様の存在など判るものではない。さて、どうするかだけど、とにかくしばらく様子を見ることにする。我々のような少しスペースに余裕のある旅車は未だいいけど、普通車やワンボックスの車、それにバイクでの旅の人たちは、この雨には相当難義されるに違いない。特にバイクの人たちは、移動の為にテントを畳まなければならず、濡れながらの作業は厳しい。丁度降りが酷かった頃に、多くのバイクのライダーの人たちが出発して行った。

8時過ぎくらいになると、小止みになり、少し空が明るくなってきたようである。終日の雨降りなら、ここに3泊するのは止めて、次の目的地へ移動した方がいいかも知れないなどと考えながら、未だ会っていない知人にメールをする。神戸のMさんは、ウトロの方におられるとのこと。そしてわが同郷守谷からのKさんは、枝幸(えさし)のウスタイベ千畳岩のキャンプ場に滞在中とのことだった。枝幸というのは、浜頓別町の隣町で、ここからは30kmほどしか離れていない。どうやら、天気はここよりも上等らしい。それならば、Kさんのところへ行って、今夜はご一緒させて頂こうと決めたのだった。

雨が止んで来たので、オホーツク海に面して広がるベニヤ原生花園に野草たちを見に行くことにする。毎年、ここの野草たちを見るのを楽しみにしている。今年は去年よりも時期が早いので、好きな野草の一つサワギキョウは、未だ咲いていないかもしれない。こちらに来て未だ見ていないコウリンタンポポも浜辺に行けば見られるに違いない。その他、様々な野草たちがそれぞれの表現の仕方で、艶を競っているはずである。

ベニヤ原生花園は、浜頓別の市街を抜け、稚内、つまりは宗谷岬の方に向って2kmほどの直ぐ近くである。直ぐに到着。去年は、ここへ来て以来初めての「熊出没注意」の看板を見て驚いたのだった。このように車の往来も結構多い場所にまで熊が出てくるとは、彼らにとってかなり厳しい状況なのであろう。今年はどうなのか、邦子どのが案内事務所の人に訊いていたようだが、何と、小学校に現れたとか。具体的にどのような状況なのかは判らないけど、まことに物騒な話である。まさかこの日中に花を食べに来るなどということはないだろうと、幸いにも雨の止んでいる中を散策に踏み出す。

ベニヤ原生花園は、概して地味な花が多い。時期の問題もあるとは思うけど、今頃一番の最盛期を迎えている花といえば、カワラマツバやアキカラマツなどであり、それらは彼らのことを知らなければ、花として認知するのを忘れてしまうかもしれない。ただ、黄色っぽい花らしきものを纏った草が、そこいら辺に雑然と生えているだけである。虫眼鏡を持参して、一度じっくり観察すれば、紛れもない花であることに気づくのに違いないのだけれど。多くの人たちは、派手な色のハマナシやエゾミソハギ、ギボウシ、それにアヤメなどに目を奪われ、湿原の本当の美しさというか、植物達の生命の凌ぎ合いを見過してしまっているような気がするのである。幸いなことに、自分は糖尿病のための運動療法としての歩きを心がけ始めてから、野草の観察の楽しさを覚えて、出来る限り分け隔てなく野草たちを見るように心がけている。その様な目で見ていると、北海道の原生花園というのは、実に素晴らしい花の宝庫なのである。

案内事務所のある辺りは、波打ち際からはかなり離れており、自生する野草たちも比較的大型のものが多い。そこから少し歩いて、小さな橋の架かっている流れを渡ると、植生は一変して、丈が短くなる。特に厳しい環境では、どのような植物も20cmに満たない丈である。ナデシコやコウリンタンポポも咲いていたけど、せいぜい15cmくらいの高さだった。一番強くはびこっているのは、外来種のブタナであり、これはタンポポとヘラオオバコとを掛け合わせたような花で、相当に生命力が強いのか、このような風雪厳しい環境でも次第に数を増し続けている。やがては日本中をこの野草が席巻してしまうのかも知れない。関東近辺でもかなり増えてきている。このことが何を物語っているのかは判らないけど、日本が日本でなくなり、植生がグローバル化しているということなのかも知れない。その良し悪しは、現在よりも、未来において気まぐれに決められるのであろうか。日本人の日本人らしさが変化しているのと同じように、今は地球上の生物のグローバル化が急進しているのかも知れない。ブタナやヘラオオバコを見る度に、チョッピリ複雑な気持ちになる。

浜辺近くには、独特の姿をしたハマボウフウやコウボウムギなどに混じって、小さな花を咲かせているウンランがあった。気をつけてよく見ないと見落としてしまう草である。また、ここのハマヒルガオは、僅か10cmほどの丈で、漏斗状の花を持ち上げていた。何とも健気である。更に浜の方に行くと、波打ち際に近い辺りに、シロヨモギに混じってオカヒジキが自生していた。群馬県の山地でも栽培されている、あのオカヒジキである。これを採ってきて熱湯に入れると、真っ青に変って、なかなかの食感なのだが、このオホーツクの北の海に僅かに生命をつないでいるものを採る気にはなれない。あと何十倍にも育ったらチョッコシ頂戴してもいいとは思うけど、恐らくその様な恵まれた環境はここにはやってこないのではないか。その様なことを思い浮かべながらの散策だった。

浜辺の辺りに一人たたずんで、何やら調べ物をしているのか、記帳のようなことをされている人がいて、邦子どのが、何時の間にやらその人と話をし出していた。呼ぶので、何事かと行って見ると、その方はさいたま市在住の方なのだが、茨城県の小美玉市辺りに住みたいというような話をされていた。何のことなのか良く判らなかったが、お話を伺っているうちに判ってきたのは、彼はどうやらミュージシャン活動をされている方らしく、茨城県での活動に心を動かされておられるようで、水戸や日立の文化活動を高く評価するような話をされていた。日立生まれの水戸育ちとも言える自分にとっては、その様なコメントは、嬉しいものである。普段から水戸のことなどをバカにしている風がある邦子どのとは違って、素直に我が故郷の良い点を評価して頂いて真にありがたい。そう思った。彼は、ギタリストとしての他、音楽イベントやコンサートでは、ボーカルや司会のようなことも担当されるらしく、多才な方とお見受けした。海外暮らしも豊富なようで、外国語も堪能の方のようである。しばらくあれこれと立ち話をしたのだったが、お話を伺っていると、自分よりは若い世代の方で、井上陽水や吉田拓郎、泉谷しげるなどという人たちとは皆古くからの仲間であるとのこと。エピソードなどを聞きながら、こりゃエライ方と出会ったものだとビックリした。あとで、名刺交換をしてお名前を伺ったら、Tさんとおっしゃる方だった。自分にはいわゆるニューミュージックという世代の方たちの世界はさっぱりわからないけど、それでも陽水や拓郎などという人のことは多少は耳にしている。家に戻ったらもう少し勉強して、彼のイベントやコンサートに出かけてみたい。実に闊達な江戸っ子だった。良い方と出会えてありがたい。

ベニヤ原生花園を後にして、少し汗ばんだ身体をさっぱりさせようと、昨日も行った浜頓別温泉ウイングに行くことにした。正午近くの入浴だが、このところ食べ過ぎ、運動不足の気があるので、二人とも入浴に支障は無い。今日はかなり空いていて、入りやすかった。1時間ほど温泉を楽しむ。その後は午睡などしてしばらく休む。又、雨が降り出し、次第に本降りとなってきた。これでは、ここにいるよりもKさんの居るウスタイベ千畳岩の方へ行った方が良いと判断し、少し早めに出向くことにした。

雨の中を枝幸の町に入り、キャンプ場に着いたのは、16時少し前だった。Kさんの車は直ぐに判った。お待ちになっておられたらしく、小雨の中に出迎えて頂き恐縮した。どなたかとご一緒なのかと思ったら、そうではなかったので、Kさんもいよいよ本格的なくるま旅に入り始められたなと思った。というのも、初めてKさんご夫妻に出会ったのは、3年前の別海町のキャンプ場で、その時は初めての北海道行だったらしく、新しいキャンピングカーを手に入れての旅だったのに、なかなか思うような旅ができず、かなりネガティブな気持ちになっておられたのである。いろいろ話を伺って、何と同じ守谷市在住の方だと知り、驚くと共に、何とか旅を楽しんで欲しいと、自分の旅についての記録などを差上げたりしたのだった。その後お互いの自宅を訪問し合ったりして、今では大切な知人の一人となっている。その後旅を重ねられる内に親しき仲間も出来て、様々な経験を積まれたようで、今では確実にマイペースでの旅を楽しまれておられるようで、何よりのことである。

旅先の2家族4人で、水入らず(?)の状態でKさんご夫妻と話をするのは初めてのことなのである。邦子どのは、Kさんご夫妻のその後の旅のことなどをいろいろ訊きたいなどと、メモ帳を片手に持参していた。そんなことは出来るはずもなく、たちまち自分ばかりが話す様となるのに、時々柄にもないことを思いつく人ではある。

今回はKさんの車にお招き頂き、奥さんの心づくしの料理を頂戴しながら、まあまあ、時間の過ぎるのも忘れて、歓談が続いたのだった。改めてKさんのくるま旅に対する考え方や思いなどを伺い、自分自身も感ずるところ大だった。邦子どのはやはりメモ帳は不要だったようである。旅先での親しき知人との歓談の一夜は、旅の宝物である。

コメント
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