第21日 <7月30日(金)>
【行 程】
川湯温泉・川湯園地駐車場 → 美留和名水 → 別海町フクハラ店 → 別海町ふれあいキャンプ場(泊) <91km>
昨夜は夜中に突然腹が痛み出し往生した。時々このようなことがある。何とか凌いで、朝を迎えたのだが、夜中には星が見えたのに、晴れの天気にはなっておらず、北の山地の天候の変化は激しいようである。この分では、摩周湖は完全に霧の中だろう。摩周湖の霧は、歌の文句よりも遙かに厳しく険しい。人間などを寄せ付けない環境なのだと、何度も思い知らされている。今日は、ダメの日だなと思った。
ここへ来ての第一の楽しみは、近くにある足湯に浸ることである。源泉掛け流しの足湯は、北海道といえどもそれほど多くは無い。42℃前後のお湯が湯口から絶えず流れ出て、緑色っぽい色に岩を染めて小さな川となって流れている。足湯は深さが30cmほどで、最大15人ほどが坐って足を浸すことが出来る。でもそれほど大勢の人が足を揃えているのを見たことは無い。今朝の足湯は我々二人占めの状態だった。今日の湯温は、少し低くて、いつもはピリッとした熱さなのにそれがなく、何だか穏やかで刺激がない感じだった。30分ほど足を浸したのだが、去年のように全身が汗を噴出すような状態にはなれず、少し物足りなかった。でも30分の足温は心を和ませ、身体をほぐしてくれたようで満足だった。
足湯の後は、川湯園地内の野草などの写真を採りに出かける。川湯園地は、温泉街に隣接して造られており、原野を切り開いた森の中の公園で、木立ちに囲まれた中にエコミュージアムなど幾つかの建物があり、その中には遊歩道が何本かあって、その一つは2kmほど離れた硫黄山の方まで続いていて、温泉を訪れた人たちが、早朝散歩を楽しむようにできているのである。その散歩道の周辺には、何種類かの野草や樹木が花を咲かせており、中には名も知らないものが混ざっている。それらの幾つかをカメラに収めたいという考えである。邦子どのはカメラのレンズを新しくしてきているので、自分よりも張り切って重いカメラを構えていた。普段見過している遊歩道脇の地面には、みごとな杉苔が小さな花(?)を咲かせていたり、群生するマイヅルソウが褐色に輝く小さな実を誇らしげに稔らせていた。コバイモに似た名も知らぬ草は、花とは気づかぬような地味な花をつけて、ひっそりと木立ちの下草に紛れて立っていた。その様な野草の存在を改めて確認できるのは嬉しい。
マイヅル草の実。マイヅルとは舞鶴であり、この草の葉が丁度鶴が羽を広げたような形をしているところからそう呼ばれたらしい。全国どこにでも見られる野草であるが、実のついているのは気づかないことが多い。
1時間ほど散策を続けた後は、邦子どのが、エコミュージアムというのに入って見るというので、つられて入ることとなった。去年もここに来ているのだが、未だ入ったことはなかった。中はこの辺一体の成り立ちや、自然環境の状況を示す写真や模型、それに剥製や実物などが展示されており、夏休みを迎えた親子連れの人たちが何組か勉強を兼ねてなのか訪れていた。中にVTRの観賞コーナーがあり、この辺一体の地形の成り立ちや四季の様子などを収めた作品を見ることができるというので、事務所の方にお願いしてそれを見せて頂いた。屈斜路湖や摩周湖、そして硫黄山などの形成の歴史が解り、大変役に立った。その昔地学という学問に興味を持ったことがあり、山や大地の形成など地球の今日までの自然界の歴史には今でも興味をそそられる。館内の販売コーナーに北海道の野草とそれから樹木の図鑑が置いてあったのだが、少し値段が高くて、今の状況では手を出せない。来年は貯金をしてやって来るぞと密かに思った。年金暮らしには、ものを直ぐ手に入れることに常にためらいが付きまとう。残された時間は少ないというのに。
イヤに腹がグーグー鳴るので、時計を見たら12時近くになっていた。昨夜来、腹の調子がおかしくなり、すっかり掃除をしてしまったので、空っぽになった腹の中で何だか知らないけど騒ぎたてる奴がいるらしい。車に戻って、ご飯を炊いて昼食とする。今日のメニューは久しぶりにカレーライス。レトルトだけど、バカにするようなレベルではないなと思いながら賞味した。
さて、本当はもう一晩くらいはここに泊って大自然を味わいたのだが、この川湯園地を管理する側では、我々のようなくるま旅などの者をあまり歓迎してはいないようである。というのも、園内のいたるところにキャンプ・オートキャンプ禁止の張り紙があり、その様な行為をする者はここに来てはいけない、出てゆけ!といわんばかりの雰囲気なのである。勿論キャンプ行為などする考えなど全くなく、単なる駐車場をお借りしての宿泊だけなのだが、SUN号のような一応の装備を持つ車はともかくとして、食事を摂るために外にテーブルや椅子を出さざるを得ない人や、洗濯物を何とか乾かそうと外に干す人もいるわけで、その様な人たちの行為が、園地本来の景観を損ねるということなのであろう。このような考えが間違っているとは思わないけど、このような状況に出くわしていつも思うのは、行政に係わる人たちの思想の貧困さである。行政には様々な立場があり、軽薄な批判は慎むべきだとは思うけど、今現在の世の中がどのようなものなのかをもっと確実に捉え、それに対処する行政を工夫すべきと思うのである。
言いたいのは、今の世は車社会であり、世の中の多くのものが車によって運ばれ、移動して目的を達しているということである。熟成しつつある車社会は、個人が車を使って旅を考える時期に至っていると思う。いわゆる団塊世代の大量のリタイアの時期を迎えており、これらの世代の人たちが、残された人生を時々旅をしながら過したいと考えるのは普通の心情ではないか。このとき車を使ってと考える人が多いのも当然の現象であり、車を使うという理由には、旅館やホテルなどを利用したご馳走まみれのリッチな旅のための交通手段としてばかりではなく、むしろ質素だけど本当に行きたいところに自在に行って、目的を達したいという、その様な車を使っての旅をしたいということなのではないか。自分にはそう思えるのである。
今、キャンピングカーの旅や車中泊と呼ばれる普通の乗用車などを使った旅がブームになっているようだけど、雑誌などで派手に紹介されているほど旅の実態は優雅ではない。それらの関係雑誌などでは多くは装備などのハード面の工夫の様子などがやたらに取り上げられて強調され、読者の関心を誘っているけど、実際の旅はハード面の充実ばかりでは決して満足は出来ないのである。旅には旅の環境があり、その環境が満たされていないとどこかに無理が生まれ、旅は不本意なものとなってしまう。この川湯園地の場合も、本来くるま旅の人の利用を期待していたものではなく、そこにくるま旅の人が勝手に割り込んで来たために、慌ててネガティブな対応をとらざるを得ないということなのだと思う。このような現象は全国の至る所で起こっており、くるま旅を指向する者にとっては、夢と現実とのギャップを思い知らされることになるのではないか。
この最大の原因は、行政がくるま旅の出来る環境を全く考えていないことにあると思っている。先日国の観光局の職員の方の話を聴く機会があったが、その際にこれからの日本の人口減少に伴い、近隣国を中心とする観光立国の重要性を強調していたが、その観光客をどう受け入れるかについてのあり方の中に、くるま旅の人を想定したような話は無かった。中国も韓国も台湾も、もはや車社会となっているのは明らかであり、日本に来られた時も個人として車を使っての旅をしたいと願う人は、増えるに違いない。その時に現在のようなくるま旅の環境のままでは、恐らく問題だらけの事態が発生し、観光地では歓迎どころか締め出しなどという相矛盾した現象が出来するに違いないと思う。ま、問題が大きくなり出して、おろおろしながら対応を考えるのが、行政の常とも言える傾向だから、その時にはくるま旅の人が安心して安価で宿泊できるような施設が生まれ出るのかもしれない。しかし、当分の間、つまり自分が生きている間には、このようなくるま旅の環境づくりは少しも進まないように思っている。
横道に逸れ過ぎてしまったようである。このような事態にぶつかると、つい憤ってしまう。悪い癖、性格なのかもしれない。とにかくもう1泊するのは止め、どこへ行くか迷った後で、やっぱり別海に行くことにする。というのも、神戸から来ておられるMさんご夫妻が若しかしたら別海辺りにお出でになっているかも知れないというのを、以前に頂戴した旅の予定表を確認していて知ったからである。Mさんは喜寿のお祝いを済まされた年齢だけど、とてもその様なお歳には思えず、今回の北海道90日余の旅の行程計画を、パソコンを使っての詳細な絵地図に作りあげて、その一枚を頂戴している。失礼なのだが、このお歳で、これほどのパソコン操作をされる人を他に知らない。又そのようなことだけではなく、Mさんご夫妻は、心底くるま旅を楽しんでいらっしゃる。自分が理想とする、老いを重ねるほどに少年のように好奇心溢れる行動で旅を過したいという思いを、とうの昔から実現・実践されていらっしゃるのである。まさに理想のくるま旅の大先輩なのだ。そのMさんご夫妻に今年の北海道で是非一度はお会いしたいと願っていた。それが実現できるかも知れない。
食事が済んで一休みの後、出発。少し行って、R339の道脇にある美留和という所の名水を汲む。数多い摩周湖の伏流水の中でも、ここが飛び切り美味い水なのだとか。それは本当だと思っている。空になっているペットボトルを満たして、別海を目指す。
美留和名水。摩周山の伏流水は多いけど、ここの水も名水に相応しい清冽なものである。あまり知られていないのか、汲みに来る人は比較的少ないようである。
弟子屈からR243に入りしばらく走る賭、次第に霧が濃くなってきた。ライトを点けないと危ない状況で、視界は100m足らずの感じだった。安全を期して速度を下げて進む。いつもなら見える牧場も牛たちも馬も、時折霧の中にそれと確認できる程度に現れるだけである。邦子どのの不安はいや増したようで、いつもの居眠りも途絶えてしまっている。鹿や熊が飛び出してくるのを案じているのかも知れない。その様な状態でしばらく走ったのだが、別海の市街に近づくにつれ、霧は薄くなり、やがて普通の曇天に戻った。キャンプ場に入る前に、いつものスーパーで買物をしようといってみたら、何とそこは廃業となっており、代わりに近くに新しい少し大型のスーパーが営業していた。1年の間に、この町でもいろいろな出来事があったのだと気づかされたのだった。
キャンプ場に行くと、先ほどの電話の問合せでは来訪者がほんの少しのような話だったのに、意外と多くの車やテントが張られていたのに驚かされた。ここの管理人さんご夫妻は顔見知りである。我々の方が、このキャンプ場では古手となってしまっている。ぐるっと場内を見渡すと、見覚えのある車が停まっていた。何と、Mさんご夫妻のそれだった。頂戴した予定表では、明日ここにお出でになるとのことだったが、少し行程を早められたらしい。今日からご一緒できるなんて、ラッキーとしか言いようが無い。嬉しい。受付を済まし、いつもの場所近くにSUN号を留める。とりあえず3日間はここに留まる予定である。ここには電源もあり何の心配も無い。
LPガスの補填に行かれて戻って来られたMさんご夫妻と再会の挨拶を交わす。昨年の秋に神戸のご自宅をお邪魔して以来である。お二人ともお元気そうで、そのパワーは我々を圧倒している感じがした。邦子どのの病のこともあり、その話になって少しびっくりされたようだったが、いろいろと温かいおことばを頂戴して、邦子どのも回復の自信を深めたようだった。幾つもの病や怪我を乗り越えて来られた方のお話には力がある。
その夜は、Mさんご夫妻と夕食をご一緒させて頂き、何もかもすっかりご馳走、お世話になってしまった。奥様は料理するのをご自分の天職だと考えておられる方である。その手に掛ると、どんな食材でも嬉しい美味の料理に生まれ変わってしまう。このような魔法を使える奥様を、Mさんは拝んでいるのだとおっしゃっていた。さもあらん。ついでにあなたも邦子どのを拝んだ方が良いと勧められたのだけど、さてどうしたものか。とにかく楽しいひと時だった。超満腹となり、車に戻った時はかなりのキコシメシてしまったこともあり、たちまちの爆睡となったのだった。