山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第21日

2010-09-19 02:46:45 | くるま旅くらしの話

第21日 <7月30日(金)>

【行 程】 

川湯温泉・川湯園地駐車場 → 美留和名水 → 別海町フクハラ店 → 別海町ふれあいキャンプ場(泊) <91km>

昨夜は夜中に突然腹が痛み出し往生した。時々このようなことがある。何とか凌いで、朝を迎えたのだが、夜中には星が見えたのに、晴れの天気にはなっておらず、北の山地の天候の変化は激しいようである。この分では、摩周湖は完全に霧の中だろう。摩周湖の霧は、歌の文句よりも遙かに厳しく険しい。人間などを寄せ付けない環境なのだと、何度も思い知らされている。今日は、ダメの日だなと思った。

ここへ来ての第一の楽しみは、近くにある足湯に浸ることである。源泉掛け流しの足湯は、北海道といえどもそれほど多くは無い。42℃前後のお湯が湯口から絶えず流れ出て、緑色っぽい色に岩を染めて小さな川となって流れている。足湯は深さが30cmほどで、最大15人ほどが坐って足を浸すことが出来る。でもそれほど大勢の人が足を揃えているのを見たことは無い。今朝の足湯は我々二人占めの状態だった。今日の湯温は、少し低くて、いつもはピリッとした熱さなのにそれがなく、何だか穏やかで刺激がない感じだった。30分ほど足を浸したのだが、去年のように全身が汗を噴出すような状態にはなれず、少し物足りなかった。でも30分の足温は心を和ませ、身体をほぐしてくれたようで満足だった。

足湯の後は、川湯園地内の野草などの写真を採りに出かける。川湯園地は、温泉街に隣接して造られており、原野を切り開いた森の中の公園で、木立ちに囲まれた中にエコミュージアムなど幾つかの建物があり、その中には遊歩道が何本かあって、その一つは2kmほど離れた硫黄山の方まで続いていて、温泉を訪れた人たちが、早朝散歩を楽しむようにできているのである。その散歩道の周辺には、何種類かの野草や樹木が花を咲かせており、中には名も知らないものが混ざっている。それらの幾つかをカメラに収めたいという考えである。邦子どのはカメラのレンズを新しくしてきているので、自分よりも張り切って重いカメラを構えていた。普段見過している遊歩道脇の地面には、みごとな杉苔が小さな花()を咲かせていたり、群生するマイヅルソウが褐色に輝く小さな実を誇らしげに稔らせていた。コバイモに似た名も知らぬ草は、花とは気づかぬような地味な花をつけて、ひっそりと木立ちの下草に紛れて立っていた。その様な野草の存在を改めて確認できるのは嬉しい。

   

マイヅル草の実。マイヅルとは舞鶴であり、この草の葉が丁度鶴が羽を広げたような形をしているところからそう呼ばれたらしい。全国どこにでも見られる野草であるが、実のついているのは気づかないことが多い。

1時間ほど散策を続けた後は、邦子どのが、エコミュージアムというのに入って見るというので、つられて入ることとなった。去年もここに来ているのだが、未だ入ったことはなかった。中はこの辺一体の成り立ちや、自然環境の状況を示す写真や模型、それに剥製や実物などが展示されており、夏休みを迎えた親子連れの人たちが何組か勉強を兼ねてなのか訪れていた。中にVTRの観賞コーナーがあり、この辺一体の地形の成り立ちや四季の様子などを収めた作品を見ることができるというので、事務所の方にお願いしてそれを見せて頂いた。屈斜路湖や摩周湖、そして硫黄山などの形成の歴史が解り、大変役に立った。その昔地学という学問に興味を持ったことがあり、山や大地の形成など地球の今日までの自然界の歴史には今でも興味をそそられる。館内の販売コーナーに北海道の野草とそれから樹木の図鑑が置いてあったのだが、少し値段が高くて、今の状況では手を出せない。来年は貯金をしてやって来るぞと密かに思った。年金暮らしには、ものを直ぐ手に入れることに常にためらいが付きまとう。残された時間は少ないというのに。

イヤに腹がグーグー鳴るので、時計を見たら12時近くになっていた。昨夜来、腹の調子がおかしくなり、すっかり掃除をしてしまったので、空っぽになった腹の中で何だか知らないけど騒ぎたてる奴がいるらしい。車に戻って、ご飯を炊いて昼食とする。今日のメニューは久しぶりにカレーライス。レトルトだけど、バカにするようなレベルではないなと思いながら賞味した。

さて、本当はもう一晩くらいはここに泊って大自然を味わいたのだが、この川湯園地を管理する側では、我々のようなくるま旅などの者をあまり歓迎してはいないようである。というのも、園内のいたるところにキャンプ・オートキャンプ禁止の張り紙があり、その様な行為をする者はここに来てはいけない、出てゆけ!といわんばかりの雰囲気なのである。勿論キャンプ行為などする考えなど全くなく、単なる駐車場をお借りしての宿泊だけなのだが、SUN号のような一応の装備を持つ車はともかくとして、食事を摂るために外にテーブルや椅子を出さざるを得ない人や、洗濯物を何とか乾かそうと外に干す人もいるわけで、その様な人たちの行為が、園地本来の景観を損ねるということなのであろう。このような考えが間違っているとは思わないけど、このような状況に出くわしていつも思うのは、行政に係わる人たちの思想の貧困さである。行政には様々な立場があり、軽薄な批判は慎むべきだとは思うけど、今現在の世の中がどのようなものなのかをもっと確実に捉え、それに対処する行政を工夫すべきと思うのである。

言いたいのは、今の世は車社会であり、世の中の多くのものが車によって運ばれ、移動して目的を達しているということである。熟成しつつある車社会は、個人が車を使って旅を考える時期に至っていると思う。いわゆる団塊世代の大量のリタイアの時期を迎えており、これらの世代の人たちが、残された人生を時々旅をしながら過したいと考えるのは普通の心情ではないか。このとき車を使ってと考える人が多いのも当然の現象であり、車を使うという理由には、旅館やホテルなどを利用したご馳走まみれのリッチな旅のための交通手段としてばかりではなく、むしろ質素だけど本当に行きたいところに自在に行って、目的を達したいという、その様な車を使っての旅をしたいということなのではないか。自分にはそう思えるのである。

今、キャンピングカーの旅や車中泊と呼ばれる普通の乗用車などを使った旅がブームになっているようだけど、雑誌などで派手に紹介されているほど旅の実態は優雅ではない。それらの関係雑誌などでは多くは装備などのハード面の工夫の様子などがやたらに取り上げられて強調され、読者の関心を誘っているけど、実際の旅はハード面の充実ばかりでは決して満足は出来ないのである。旅には旅の環境があり、その環境が満たされていないとどこかに無理が生まれ、旅は不本意なものとなってしまう。この川湯園地の場合も、本来くるま旅の人の利用を期待していたものではなく、そこにくるま旅の人が勝手に割り込んで来たために、慌ててネガティブな対応をとらざるを得ないということなのだと思う。このような現象は全国の至る所で起こっており、くるま旅を指向する者にとっては、夢と現実とのギャップを思い知らされることになるのではないか。

この最大の原因は、行政がくるま旅の出来る環境を全く考えていないことにあると思っている。先日国の観光局の職員の方の話を聴く機会があったが、その際にこれからの日本の人口減少に伴い、近隣国を中心とする観光立国の重要性を強調していたが、その観光客をどう受け入れるかについてのあり方の中に、くるま旅の人を想定したような話は無かった。中国も韓国も台湾も、もはや車社会となっているのは明らかであり、日本に来られた時も個人として車を使っての旅をしたいと願う人は、増えるに違いない。その時に現在のようなくるま旅の環境のままでは、恐らく問題だらけの事態が発生し、観光地では歓迎どころか締め出しなどという相矛盾した現象が出来するに違いないと思う。ま、問題が大きくなり出して、おろおろしながら対応を考えるのが、行政の常とも言える傾向だから、その時にはくるま旅の人が安心して安価で宿泊できるような施設が生まれ出るのかもしれない。しかし、当分の間、つまり自分が生きている間には、このようなくるま旅の環境づくりは少しも進まないように思っている。

横道に逸れ過ぎてしまったようである。このような事態にぶつかると、つい憤ってしまう。悪い癖、性格なのかもしれない。とにかくもう1泊するのは止め、どこへ行くか迷った後で、やっぱり別海に行くことにする。というのも、神戸から来ておられるMさんご夫妻が若しかしたら別海辺りにお出でになっているかも知れないというのを、以前に頂戴した旅の予定表を確認していて知ったからである。Mさんは喜寿のお祝いを済まされた年齢だけど、とてもその様なお歳には思えず、今回の北海道90日余の旅の行程計画を、パソコンを使っての詳細な絵地図に作りあげて、その一枚を頂戴している。失礼なのだが、このお歳で、これほどのパソコン操作をされる人を他に知らない。又そのようなことだけではなく、Mさんご夫妻は、心底くるま旅を楽しんでいらっしゃる。自分が理想とする、老いを重ねるほどに少年のように好奇心溢れる行動で旅を過したいという思いを、とうの昔から実現・実践されていらっしゃるのである。まさに理想のくるま旅の大先輩なのだ。そのMさんご夫妻に今年の北海道で是非一度はお会いしたいと願っていた。それが実現できるかも知れない。

食事が済んで一休みの後、出発。少し行って、R339の道脇にある美留和という所の名水を汲む。数多い摩周湖の伏流水の中でも、ここが飛び切り美味い水なのだとか。それは本当だと思っている。空になっているペットボトルを満たして、別海を目指す。

   

美留和名水。摩周山の伏流水は多いけど、ここの水も名水に相応しい清冽なものである。あまり知られていないのか、汲みに来る人は比較的少ないようである。

弟子屈からR243に入りしばらく走る賭、次第に霧が濃くなってきた。ライトを点けないと危ない状況で、視界は100m足らずの感じだった。安全を期して速度を下げて進む。いつもなら見える牧場も牛たちも馬も、時折霧の中にそれと確認できる程度に現れるだけである。邦子どのの不安はいや増したようで、いつもの居眠りも途絶えてしまっている。鹿や熊が飛び出してくるのを案じているのかも知れない。その様な状態でしばらく走ったのだが、別海の市街に近づくにつれ、霧は薄くなり、やがて普通の曇天に戻った。キャンプ場に入る前に、いつものスーパーで買物をしようといってみたら、何とそこは廃業となっており、代わりに近くに新しい少し大型のスーパーが営業していた。1年の間に、この町でもいろいろな出来事があったのだと気づかされたのだった。

キャンプ場に行くと、先ほどの電話の問合せでは来訪者がほんの少しのような話だったのに、意外と多くの車やテントが張られていたのに驚かされた。ここの管理人さんご夫妻は顔見知りである。我々の方が、このキャンプ場では古手となってしまっている。ぐるっと場内を見渡すと、見覚えのある車が停まっていた。何と、Mさんご夫妻のそれだった。頂戴した予定表では、明日ここにお出でになるとのことだったが、少し行程を早められたらしい。今日からご一緒できるなんて、ラッキーとしか言いようが無い。嬉しい。受付を済まし、いつもの場所近くにSUN号を留める。とりあえず3日間はここに留まる予定である。ここには電源もあり何の心配も無い。

LPガスの補填に行かれて戻って来られたMさんご夫妻と再会の挨拶を交わす。昨年の秋に神戸のご自宅をお邪魔して以来である。お二人ともお元気そうで、そのパワーは我々を圧倒している感じがした。邦子どのの病のこともあり、その話になって少しびっくりされたようだったが、いろいろと温かいおことばを頂戴して、邦子どのも回復の自信を深めたようだった。幾つもの病や怪我を乗り越えて来られた方のお話には力がある。

その夜は、Mさんご夫妻と夕食をご一緒させて頂き、何もかもすっかりご馳走、お世話になってしまった。奥様は料理するのをご自分の天職だと考えておられる方である。その手に掛ると、どんな食材でも嬉しい美味の料理に生まれ変わってしまう。このような魔法を使える奥様を、Mさんは拝んでいるのだとおっしゃっていた。さもあらん。ついでにあなたも邦子どのを拝んだ方が良いと勧められたのだけど、さてどうしたものか。とにかく楽しいひと時だった。超満腹となり、車に戻った時はかなりのキコシメシてしまったこともあり、たちまちの爆睡となったのだった。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第20日

2010-09-18 05:06:59 | くるま旅くらしの話

第20日 <7月29日(木)>

【行 程】

道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯 → ワッカ原生花園 → 道の駅:葉菜野花 → 道の駅:パパスランドさっつる → JR川湯温泉駅 → ホテルパークウエイ → 川湯温泉・川湯園地駐車場(泊) <169km>

今朝もまた雨で始まるようである。毎日お天気に対する愚痴ばかりを書いているけど、12日に函館に上陸以来、終日晴れた日といえば、たったの2日くらいしかなかったような気がする。今日は道内にもかなりの大雨が降るとの警報も出ているようで、若しかしたら蝦夷梅雨も、内地と同じように梅雨末期の大雨とやらが来訪したのかも知れない。晴れれば暑くなるのは承知しているけど、こんなに暗い空模様ばかりでは、折角の北海道行が翳ってしまう。

この道の駅には、少し離れた所に文化センターのような立派な建物があり、そこにも広い駐車場があって、トラックなどはそちらに泊って休んでいたようである。北海道の土地の広さには、改めて羨ましさを覚える。昨夜は結果的には、温泉の方の駐車場に泊った車は我がSUN号と乗用車が2台ほど居ただけで、駐車場はその広さがひときわ目立っていた。トイレの処理などするために、鉄道資料館側の方に移動する。こちらには数台のくるま旅の車が留っていて、皆さん思い思いに出発の準備をされていた。

今日は久し振りに常呂町(現在は北見市)のワッカ原生花園を訪ねることにしている。ワッカは毎年訪ねる場所なのだが、去年はコース取りの都合で行けなかったので、今年は是非行こうと思っていた。北海道には幾つもの原生花園があるが、自分にとっての格別の原生花園は、ワッカと野付半島である。野草の観察に興味を持つようになって以来、北海道に来て初めてその不思議な植生に驚き、感動したのがワッカだった。内地では高山植物に入るようなものまでが、海辺の原野に他の多くの野草たちに混ざって花を咲かせていたのである。こんな不思議な花園を見たのは初めてのことだった。それから十年以上が経って、ワッカは自分の中では、日本一の野草の天国となっている。

9時頃出発。R238を一路南下して走る。40分ほど走って左折して常呂港方面へ。ワッカ原生花園は、サロマ湖を海から仕切るように細長く突き出た半島の右側(西)の部分にある。港の先の方に架かる橋を渡ると、ネイチャーセンターがあり、そこが原生花園散策の基地となる。10分ほど走って、ネイチャーセンターの駐車場に到着。今日は今のところ雨も降らず、風も吹いていないので、散策には良い条件である。前回の時はカンカン照りの猛烈な暑さで、下着まで汗まみれになったことを思い出す。来訪者はそれほど多くないようだが、20台近くの車が留まっていた。

先ずはネイチャーセンターに行き、現在の野草たちの開花状況を見に行く。ここではその時期の花の開花情報を掲示して提供してくれている。それで、今どんな花がどの辺りで見られるのかの見当がつくのである。ありがたいことだ。原生花園に咲く花の大方の名前などは知っているけど、未だ見たことのないものや知らないものもあり、楽しみである。今日は目一杯野草たちの花の写真を撮ろうと考えている。

一番の楽しみは、今まで一度しか逢えなかったクロバナハンショウヅルと再会するということなのだ。掲示板には今咲いていると表示されていた。ワクワクする。クロバナハンショウヅルというのは、カザグルマ(=テッセン、クレマチスの原種)の仲間なのだが、名前の通り黒っぽい濃い紫の半鐘に似た形の花を咲かせる蔓性の野草で、開花の後にカザグルマと同じ様な、丸い風車状の翁草の咲き後のようなのを残すのである。これは口で説明するよりも、写真を見れば直ぐに判ることである。

初めてワッカに来た時、偶然にもこの花に出会ったのだった。図鑑でしか見たことがなかったのだが、直ぐにそれだと判った。野草に関心を持ち出すと、一度も会っていないものでも、野に出れば花の方から呼びかけてくれるような気がする。勿論図鑑を見ていなければ名前も姿もわからないのだけど、見ていれば自然とそうなるのだから不思議である。その様にして確認した野草が幾つかある。この時は実に嬉しい。感動も大きいのである。クロバナハンショウヅルはその中の代表的な野草なのだ。

とにかく未だ一度しか実物にあったことがない。今日はどこで会えるのかが楽しみだ。花園に入ると、たちまち野草たちの歓迎を受けた。一番盛大だったのは、アキカラマツとカセンソウ、それにノコギリソウだろうか。いや、クサフジやナデシコやナミキソウなども結構声を掛けてくれていたように思う。アキカラマツは、東京では玉川上水の側道辺りに多く見られるのだが、その花を見ることが殆どできなかった。というのも、花が咲く前に雑草として刈り取られてしまうからなのである。それがここに来ると、何の心配もなく花を咲かせている。真に地味な花で、野草に関心のない人たちには、それが花なのだと気づかないほどではないか。派手な花ばかりに目が行くのは人の常なのだと思うけど、それだけでは本物には気づけない。野草の観察を始めて以降、花の美しさというのは必ずしもその色や形だけではないということに気づくようになった。それは花だけではなく、人間についても同じように言える気がする。

写真を撮り続けながら、目当てのクロバナハンショウヅルを探す。なかなか手を挙げてくれない。挙げていても遠すぎて気づかないのかもしれない。20分ほど経った頃だろうか、遂に見つかった。思わず、おおっ!と声が出てしまった。来る度に会いたくて焦がれていたものにようやく再会を果たした瞬間だった。黒っぽい花というのは、自然界には少ないようである。クロバナハンショウヅルのきりっとした姿は、真に印象的である。一度見たら忘れられない。かなりの数の半鐘形の花をつけて歓迎してくれた。その後も、他の場所にたくさん咲いているのを確認した。大歓迎振りで、少し有頂天になってしまったようだ。

   

何年ぶりだろうか、ようやく今年はクロバナノハンショウズルに会うことができた。この花はこの季節のキング的な存在ではないかと自分は思っている。咲き終わった後に、風車のような髭を生やすからである。

海辺の方にも出向いて、オホーツクの厳しい冬を耐えて乗り越えてきたウンランやハマニガナなどの小さな花を撮る。ハマエンドウも。花という雰囲気では無いけど、コウボウムギやハマボウフウも至る所に根を下ろしていた。ハマベンケイソウを見たいと探したが、なかなか見つからなかった。これは後で、邦子どのがネイチャーセンターの人に訊いて、その場所に出向いて確認することが出来た。さすが、専門家はその所在にも詳しい。

   

ハマベンケイソウの大株。やや肉厚の葉は弁慶草と呼ばれる花の特徴だが、これほどたくさんの花をつけているのを見たのは初めてだった。ここのハマベンケイソウは、以前静岡県の伊良湖近くの浜で見たよりも小型のように思えた。

2時間ほど散策をしたのだが、歩いたのはセンターから500mに過ぎない距離である。花園は、4km以上に渡っているのだから、詳しく観察しようとすれば、数日は必要であろう。でも、2時間でもここの現在の主役のほとんどにお目にかかることができて十二分に満足だった。実に楽しい時間だった。

観察を終えた時は12時を過ぎており、珍しく邦子どのが食欲を示していた。久し振りに外食にしようと、近くにある船長の家という店に出向く。この店は本来は民宿であり、超豪華な海の幸が味わえることで有名でもある。我々はまだ泊ったことがなく、邦子どのは予てより知人などからその情報を得て、泊りたがっているようである。今日は豪華とはゆかないけど、ま、少しの海鮮料理で我慢して貰うことにする。自分としては、海の幸は大好きだけど、ウニやイクラやカニ、エビなどという食べものはもう卒業済みで、健康のことを考えると、一大決心が必要なのである。ま、一年に一度の馬鹿食いくらいは大目に見ていいのかもしれない。

食事の後は、今日の宿を川湯温泉の駐車場にすることにして、一路南下を続ける。網走市街を抜け、小清水町経由で清里町札弦の道の駅に寄って、汚れた車の拭き掃除をした後、上手く行けばさくらの滝で、サクラマスの遡上ジャンプを見物したいなどと考えている。

少し走ると大きな湖が目に入る。能取湖である。この湖名をどう読むのかが判らなかった。「のうとり」と呼んでいたのだが、これは「のとろ」と読むのだと後で気がついた。北海道の地名は、大和のアイヌ征服のゴリ押し感が強い。土地は征服できても地名だけは文化として残ったのかも知れない。その能取湖は、サンゴ草が有名だが未だそれを見たことがない。秋になると葉を朱に染めたサンゴ草が湖畔を赤く彩るという。その場所に行ってみたいと思っている。何時になったらその季節まで旅を延ばせるのか今は未定であり、その時が来るのを楽しみにしている。網走に近づくにつれ、能取湖の水面が荒波立って来ていた。走っている感覚では、左右の草木などはさほど風に揺れてはいないのだが、湖の彼方では、風が強いのかも知れない。

間もなく網走市街に入る。網走といえば、北の最果てのようなイメージがあるけど、湧別町辺りから見れば、大都会である。刑務所というのは、多くの場合は都会の外れ等に造られていることが多い。昔は犯罪者を離島や孤島などに送り込んだようだが、今ではその様なことをしたら、そこが犯罪者の天国になってしまいそうである。網走番外地が有名なのは、昔の映画の中での話であり、現在の姿では無い。犯罪者を収容する施設が観光資源となるような話には、あまり好感をもてないのが、馬の骨の付き合いにくいところなのであろう。(こりゃ、脱線)

網走を抜けると、道は自動的にR244となる。右に濤沸(とうふつ)湖を見ながら走る頃から一段と風が強くなり出した。嫌な予感がする。SUN号は風には滅法弱い。特に横風は要注意である。邦子どのはワッカで歩き疲れたのか眠っている。静かになるときは眠る時である。外の強風などに気づかないのは幸いである。少し行って、葉菜野花という妙な名の道の駅にちょっと立ち寄る。何もないのでパス。直ぐにR244と別れて右折してR391に入り小清水町市街を抜け、少し先から札弦(さっつる)方面への道道に入る。風は一段と厳しく強くなり、さすがの邦子どのも途中から目覚めたようだっした。時々雨粒が落ちてくるようだけど、雨降りとはならないのがありがたい。しかし、この強風は何とか早く止んで貰いたい。間もなく道の駅:パパスランドさっつるに到着。ここには水があるので、それを使わせて貰って汚れた車を拭く。洗車などは論外である。水も最小限で済ませるようにして、拭き終るのに小1時間ほど時間がかかった。この間疲れた邦子どのは午睡。車が少しきれいになり、気分も少し回復する。この道の駅からは斜里岳が大きく見えるはずなのだが、黒雲に覆われていて、全く見えない。アイヌの神様達は、よほどに何か懲らしめの相談でもしているのであろうか。

札弦を出て、道道から再びR391に入り、川湯方面へ。途端に雨となった。この辺りはずっと前から雨降りだったのかも知れない。野上峠を下っても雨はかなりの勢いで降っており、先ほど拭いたばかりの車体はもとの汚れに戻ってしまったに違いない。何だか無駄な骨折りをした感じがする。間もなく川湯エリアに入って、先ずはJR川湯温泉駅に行き、摩周の水を補給する。ここの水は美味い。水を汲んだ後は、近くのホテルパークウエイに立ち寄り湯をする。ここの温泉は、我々の気に入っている場所で、いつも入ることにしている。川湯は硫黄の匂いのする湯が多いようだが、ここの湯は、匂いはなく、ソフトである。そして料金も300円と安い。1時間ほど温泉を楽しんだ後は、川湯園地の森の中にある駐車場に車を止める。ここが今夜の宿である。未だ小雨が降っている。風は止んだようだ。既に18時近くになっており、辺りは暗闇の中である。留まっている車は数台ほどか。とにかく、疲れているので、早めに食事を済ませ、寝床にもぐりこむことにした。

※ 原生花園の花については、追って別途ご紹介したいと思っています。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第19日

2010-09-17 04:46:26 | くるま旅くらしの話

第19日 <7月28日(水)>

【行 程】 

ウスタイベ千畳岩キャンプ場 → 道の駅:マリーンアイランド岡島 → 道の駅:おうむ → 紋別市内:コインランドリー → 道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯(泊) <132km>

昨夜も時々車の天井を雨音が叩いて、空の機嫌の悪さをしつこく伝え続けていた。記録の記載を終え、外を見てみると悪意に染まった空が、黒雲を走らせて、蝦夷梅雨は未だ終わっていないことを改めて宣言しているかの感がした。何時になったらスッキリ晴れてくれるのか、今までに北海道の夏を感じた日は数日もない。この日照不足は、遠からず農作物などには様々な影響が出るに違いない。

ウスタイベ千畳岩キャンプ場は、枝幸の市街地を南方向に見下ろす巨大な岩場につくられており、その広さは千畳などの狭さでは無い。7月初めの枝幸カニ祭りの時には、ここが会場となって、数百台もの大小様々な旅車が集まるのである。ウスタイベが何を意味するのかは地名辞典を持参しなかったので解らないけど、恐らく直ぐそれと納得できる地形をさしているに違いない。ここのキャンプ場は、嬉しくもありがたいことに、水もトイレもそしてゴミ処理も全て無料でOKなのである。広い北海道といえども、このようなサービスを提供してくれる自治体は少ない。

   

ウスタイベ千畳岩キャンプ場の景観。この広大なキャンプ場の向こう側はオホーツクの海である。毎年7月第1土~日曜に行なわれる枝幸町のカニ祭りには、この広大なキャンプ場が全国からの訪問者で溢れる状態となる。

枝幸町にはもう一箇所岡島エリアにキャンプ場があるけど、ここも同じようにサービスを提供して頂いている。岡島の方には無料の電源供給設備も作られていたのだったが、来訪者のマナーの悪さに堪忍袋の緒を切った行政サイドが電源の供給を止めてしまった。それは当然だと思う。せっかくの好意に対して形振り構わぬ我欲の行為は、人間社会を破壊するに等しい。破壊を防ぐためには、好意のサービスを引っ込めるというのは当たり前のことだと思う。それにしても世の中の常識のレベルは、相当に低下してしまっている。自由と規律とのバランスが個人主義社会を支える基盤となっているはずなのだが、今の世はそのバランスが自分勝手という、仲間勝手という我欲の張り出した醜悪さにまみれ出しているようだ。寂しい話である。

食事の後、海の方に少し歩きに行く。雨は止んでいるけど、何時降り出すかはわからない。暗い海の中には、早くも何かの漁をしているのか何艘かの漁船が波間に漂って見えた。岩場の突端にこの地の開発に携わった先人の中での、海で遭難された人々を慰霊する碑が建っている。いつもここへ来ると祈りを奉げることにしている。般若心経を誦した。枝幸町は今はこのエリアの漁業などの中核地として栄えているけど、その昔の先人たちはオホーツクの海の厳しい自然との闘いの中に、幾人もの尊い生命を犠牲にされたに違いない。果てしなく広がる海を見ながら、改めてそのご苦労のことを思った。

   

ウスタイベ千畳岩の上に建つ海難慰霊碑。眼下に広がる北オホーツクの海に命をかけて漁に取り組んだ先人たちの尊い犠牲が今日の枝幸町の礎を築いたのだ。

岩場の至る所には、巨大に茂ったイタドリなどの草の中に愛らしいツリガネニンジンやアヤメなどが咲いていた。このあたりで特に目立つのは、エゾニュウと呼ばれるウドに似た巨大な植物である。北海道の植物は、同種の内地のものに較べて、その多くが大型になっている。それは年間を通しての短い生育時間にしか恵まれていないことに対する、植物達の生命力の反動なのかも知れない。北海道へ来るといつもその不思議を思うのである。

   

北国の植物たちは概して大型のものが多いが、その中でも海辺に自生するエゾニュウはとりわけて目だった存在である。この写真のものは3m近い大きさだったと思う。

その後、同じ駐車場に滞在されているつくばナンバーの旅車が居られたので、その様な話をKさんにすると、ご存知の方だとか。それで一緒にいって紹介して頂いて挨拶を交わした。Gさんとおっしゃるご夫妻は、守谷市の隣のつくば市在住で、常磐道の谷田部IC近くにお住まいだというから、我が家からは15kmほどしか離れていないようだ。ご主人はおとなしそうな方だったが、その分の元気を一身に満たされたように、奥さんは多弁、能弁の方とお見受けした。世の中にはよくある夫婦の組み合わせパターンの一つのように思った。(失礼) 我が家は、さてどうなのであろう。Gさんと同じなのかもしれない。新しい知り合いが又一つ増えて、旅は楽しい。

Kさんご夫妻は一足先に北に向って出発されていった。我々も少し後に南に向って出発する。今日はどこまで行けるのか、行く先は未定である。紋別市内のコインランドリーで洗濯をしたいと邦子どのが言うので、その先の適当な場所に錨を下ろすことになるのだと思う。ウスタイベ千畳岩キャンプ場を後にして、先ずは近くの道の駅:マリンアイランド岡島に立ち寄る。ついでに電源付サイトのあったキャンプ場を覗いてみた。一説では有料になって電源付サイトが再開されたと聞いていたが、3台ほど滞在している方に訊いたところでは、電気は来ていないとのこと。やはり風説だった。火の無い所に煙は立たぬというけれど、火元も確かめずに煙ばかりを噴出す奴も世の中には多い。

岡島を後にして、本格的に南下を開始する。左手に横たわるオホーツクの海は、波も穏やかで、ゆったりと浜辺をさすっている感じだった。この海が冬には流氷で埋まってしまうなどとは到底想像もつかない。その様なことを思いながら走り続けて、12時過ぎ雄武の道の駅に到着する。ここで昼食休憩とする。道の駅脇のスーパーに行き、うどんを仕入れて食す。調理担当は邦子どのではない。彼女はご老女のような存在で、麺類の調理は殆どが自分の担当となっている。久し振りに熱い汁を啜って、先ずは満足。少し休むことにして、この間駅舎の方に出向き、ブログの更新をする。先日もここの公共ネットワークを利用させて頂いて旅に出て初めての更新をしたのだったが、今日再訪できたので、旅のその後の状況について簡単に報告をさせて頂くことにした。少し古いタイプのパソコンのため、画面が暗く字がよく見えないこともあって、少し手間取った。終わって外を見ると雨が本降りになっていた。慌てて車に戻る。

俄かに空が暗くなって、突然一発雷鳴が轟いた。宗谷の方には雷注意報が発されていたようだが、ここもその対象エリアだとは思わなかった。雷はあまり好きでは無い。しばらく様子を見ることにした。幸い雷鳴はその一発だけで、驟雨も一度きりで下火になったようなので、出発することにした。

次の目的地は紋別のコインランドリーである。小西さんに凡その場所をお聞きしているので、直ぐに見つかると思う。興部町を過ぎ、紋別が近づく。興部を「おこっぺ」と一発で読める人は少ないと思う。アイヌ語を知らないと、北海道の地名や町名などは、まさにチンプンカンプンである。それにしてもこの最初の当て字は一体誰が作ったのであろうか。紋別までは雨は降ったり止んだりで、濡れた道路と乾いた道路が入れ替わりやってきて、このあたりの天候が乱れているのがわかる。14時半近く紋別のコインランドリー店に到着。

それから後は、邦子どのの世界。洗濯物を運んだ後は、一人近くのショッピングモールを覗きに出向く。今頃はちょっとした市や町の郊外には良くあるタイプのショッピングモールで、大型のスーパー、ホームセンター、ドラッグストア、家電店、衣料店、ファストフード店などが広い駐車場を中心に点在している。ここへ来れば何でも手に入ってしまうというのは、他の小売店などから見れば悪魔がやって来たに等しいのかも知れない。町の中心街が移り変わって行く姿を幾つも見てきたが、この北のエリアでも同じ様な現象が起こっているのを実感した。

洗濯は16時少し前に終了。少し暗さが増してきたようだ。これでは、やっぱり上湧別の道の駅に泊るのがいいかなと思った。サロマ湖周辺にも道の駅が2箇所ほどあるけど、泊りには向いていないように思う。駐車場が坂で傾き過ぎていたり、夜間寂しくなり過ぎるような場所は敬遠したい。その点、上湧別の道の駅は、温泉も併設されており、町の真ん中にあって駐車場も平であり、治安なども安心できる。くるま旅はどこでも自在に泊れるという考え方もあるけど、間違いではないとしてもあまりに安易なのは同感できない。健康と安全・安心あっての良い旅なのである。

17時少し前、道の駅:上湧別温泉チューリップの湯に到着。ここの温泉は人気があり、かなりのくるま旅と思しき人の車が留まっていた。大型の旅車も何台か混ざっていた。我々の方は、今日は入浴は止めることにしている。夕食には少し早いので、少し付近を歩いてみることにした。温泉側の駐車場の裏に鉄道資料館というのがあり、小さな駅舎と二本の二列のレールの上に、ラッセル車と古い客車が置かれている。これはこの近辺の国鉄の保線の仕事を担当していた中湧別保線区のOBの人たちが、路線の廃止に伴い、その歴史を留めるべく北島さんという方を中心につくられたらしい。その碑が建っていた。その裏にもう一つの駐車場があり、トイレや水汲み場もあって、くるま旅の人はどうやらこちらの方を利用しているようである。その水飲み場に、置き忘れたのか、歯ブラシ入りのコップが一つ置かれていた。こんなのを見ると、マナーの悪さを云々されても仕方ないなと思う。忘れた本人は良かろうが、あとから来た人はそれを見て決して愉快には思わないであろう。こういう輩が、新しい老人の中に結構多いような気がするのは、古くなりかけた老人の僻みなのであろうか。

雲が多い所為か、かなり暗くなってきたので、町中の散策は止め、車に戻る。ご飯を炊き、味噌汁を作って質素な夕食となる。一杯の酒さえあれば、他は何も構うものなど無い。映らないTVをチョッピリ見て、諦めて寝床にもぐりこむ。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第18日

2010-09-16 09:36:07 | くるま旅くらしの話

第18日 <7月27日(火)>

【行 程】 

クッチャロ湖畔キャンプ場 → ベニヤ原生花園 → 浜頓別温泉ウイング → クッチャロ湖畔キャンプ場 → ウスタイベ千畳岩キャンプ場(泊) <39km>

夜半2時頃から強くなり出した雨は、朝起きる頃には、かなりの大雨となっていた。昨日は大風、今日は大雨と、今年のクッチャロ湖は外れのようである。これじゃあ、夕陽どころの騒ぎではない。空のどこを見たって、お天道様の存在など判るものではない。さて、どうするかだけど、とにかくしばらく様子を見ることにする。我々のような少しスペースに余裕のある旅車は未だいいけど、普通車やワンボックスの車、それにバイクでの旅の人たちは、この雨には相当難義されるに違いない。特にバイクの人たちは、移動の為にテントを畳まなければならず、濡れながらの作業は厳しい。丁度降りが酷かった頃に、多くのバイクのライダーの人たちが出発して行った。

8時過ぎくらいになると、小止みになり、少し空が明るくなってきたようである。終日の雨降りなら、ここに3泊するのは止めて、次の目的地へ移動した方がいいかも知れないなどと考えながら、未だ会っていない知人にメールをする。神戸のMさんは、ウトロの方におられるとのこと。そしてわが同郷守谷からのKさんは、枝幸(えさし)のウスタイベ千畳岩のキャンプ場に滞在中とのことだった。枝幸というのは、浜頓別町の隣町で、ここからは30kmほどしか離れていない。どうやら、天気はここよりも上等らしい。それならば、Kさんのところへ行って、今夜はご一緒させて頂こうと決めたのだった。

雨が止んで来たので、オホーツク海に面して広がるベニヤ原生花園に野草たちを見に行くことにする。毎年、ここの野草たちを見るのを楽しみにしている。今年は去年よりも時期が早いので、好きな野草の一つサワギキョウは、未だ咲いていないかもしれない。こちらに来て未だ見ていないコウリンタンポポも浜辺に行けば見られるに違いない。その他、様々な野草たちがそれぞれの表現の仕方で、艶を競っているはずである。

ベニヤ原生花園は、浜頓別の市街を抜け、稚内、つまりは宗谷岬の方に向って2kmほどの直ぐ近くである。直ぐに到着。去年は、ここへ来て以来初めての「熊出没注意」の看板を見て驚いたのだった。このように車の往来も結構多い場所にまで熊が出てくるとは、彼らにとってかなり厳しい状況なのであろう。今年はどうなのか、邦子どのが案内事務所の人に訊いていたようだが、何と、小学校に現れたとか。具体的にどのような状況なのかは判らないけど、まことに物騒な話である。まさかこの日中に花を食べに来るなどということはないだろうと、幸いにも雨の止んでいる中を散策に踏み出す。

ベニヤ原生花園は、概して地味な花が多い。時期の問題もあるとは思うけど、今頃一番の最盛期を迎えている花といえば、カワラマツバやアキカラマツなどであり、それらは彼らのことを知らなければ、花として認知するのを忘れてしまうかもしれない。ただ、黄色っぽい花らしきものを纏った草が、そこいら辺に雑然と生えているだけである。虫眼鏡を持参して、一度じっくり観察すれば、紛れもない花であることに気づくのに違いないのだけれど。多くの人たちは、派手な色のハマナシやエゾミソハギ、ギボウシ、それにアヤメなどに目を奪われ、湿原の本当の美しさというか、植物達の生命の凌ぎ合いを見過してしまっているような気がするのである。幸いなことに、自分は糖尿病のための運動療法としての歩きを心がけ始めてから、野草の観察の楽しさを覚えて、出来る限り分け隔てなく野草たちを見るように心がけている。その様な目で見ていると、北海道の原生花園というのは、実に素晴らしい花の宝庫なのである。

案内事務所のある辺りは、波打ち際からはかなり離れており、自生する野草たちも比較的大型のものが多い。そこから少し歩いて、小さな橋の架かっている流れを渡ると、植生は一変して、丈が短くなる。特に厳しい環境では、どのような植物も20cmに満たない丈である。ナデシコやコウリンタンポポも咲いていたけど、せいぜい15cmくらいの高さだった。一番強くはびこっているのは、外来種のブタナであり、これはタンポポとヘラオオバコとを掛け合わせたような花で、相当に生命力が強いのか、このような風雪厳しい環境でも次第に数を増し続けている。やがては日本中をこの野草が席巻してしまうのかも知れない。関東近辺でもかなり増えてきている。このことが何を物語っているのかは判らないけど、日本が日本でなくなり、植生がグローバル化しているということなのかも知れない。その良し悪しは、現在よりも、未来において気まぐれに決められるのであろうか。日本人の日本人らしさが変化しているのと同じように、今は地球上の生物のグローバル化が急進しているのかも知れない。ブタナやヘラオオバコを見る度に、チョッピリ複雑な気持ちになる。

浜辺近くには、独特の姿をしたハマボウフウやコウボウムギなどに混じって、小さな花を咲かせているウンランがあった。気をつけてよく見ないと見落としてしまう草である。また、ここのハマヒルガオは、僅か10cmほどの丈で、漏斗状の花を持ち上げていた。何とも健気である。更に浜の方に行くと、波打ち際に近い辺りに、シロヨモギに混じってオカヒジキが自生していた。群馬県の山地でも栽培されている、あのオカヒジキである。これを採ってきて熱湯に入れると、真っ青に変って、なかなかの食感なのだが、このオホーツクの北の海に僅かに生命をつないでいるものを採る気にはなれない。あと何十倍にも育ったらチョッコシ頂戴してもいいとは思うけど、恐らくその様な恵まれた環境はここにはやってこないのではないか。その様なことを思い浮かべながらの散策だった。

浜辺の辺りに一人たたずんで、何やら調べ物をしているのか、記帳のようなことをされている人がいて、邦子どのが、何時の間にやらその人と話をし出していた。呼ぶので、何事かと行って見ると、その方はさいたま市在住の方なのだが、茨城県の小美玉市辺りに住みたいというような話をされていた。何のことなのか良く判らなかったが、お話を伺っているうちに判ってきたのは、彼はどうやらミュージシャン活動をされている方らしく、茨城県での活動に心を動かされておられるようで、水戸や日立の文化活動を高く評価するような話をされていた。日立生まれの水戸育ちとも言える自分にとっては、その様なコメントは、嬉しいものである。普段から水戸のことなどをバカにしている風がある邦子どのとは違って、素直に我が故郷の良い点を評価して頂いて真にありがたい。そう思った。彼は、ギタリストとしての他、音楽イベントやコンサートでは、ボーカルや司会のようなことも担当されるらしく、多才な方とお見受けした。海外暮らしも豊富なようで、外国語も堪能の方のようである。しばらくあれこれと立ち話をしたのだったが、お話を伺っていると、自分よりは若い世代の方で、井上陽水や吉田拓郎、泉谷しげるなどという人たちとは皆古くからの仲間であるとのこと。エピソードなどを聞きながら、こりゃエライ方と出会ったものだとビックリした。あとで、名刺交換をしてお名前を伺ったら、Tさんとおっしゃる方だった。自分にはいわゆるニューミュージックという世代の方たちの世界はさっぱりわからないけど、それでも陽水や拓郎などという人のことは多少は耳にしている。家に戻ったらもう少し勉強して、彼のイベントやコンサートに出かけてみたい。実に闊達な江戸っ子だった。良い方と出会えてありがたい。

ベニヤ原生花園を後にして、少し汗ばんだ身体をさっぱりさせようと、昨日も行った浜頓別温泉ウイングに行くことにした。正午近くの入浴だが、このところ食べ過ぎ、運動不足の気があるので、二人とも入浴に支障は無い。今日はかなり空いていて、入りやすかった。1時間ほど温泉を楽しむ。その後は午睡などしてしばらく休む。又、雨が降り出し、次第に本降りとなってきた。これでは、ここにいるよりもKさんの居るウスタイベ千畳岩の方へ行った方が良いと判断し、少し早めに出向くことにした。

雨の中を枝幸の町に入り、キャンプ場に着いたのは、16時少し前だった。Kさんの車は直ぐに判った。お待ちになっておられたらしく、小雨の中に出迎えて頂き恐縮した。どなたかとご一緒なのかと思ったら、そうではなかったので、Kさんもいよいよ本格的なくるま旅に入り始められたなと思った。というのも、初めてKさんご夫妻に出会ったのは、3年前の別海町のキャンプ場で、その時は初めての北海道行だったらしく、新しいキャンピングカーを手に入れての旅だったのに、なかなか思うような旅ができず、かなりネガティブな気持ちになっておられたのである。いろいろ話を伺って、何と同じ守谷市在住の方だと知り、驚くと共に、何とか旅を楽しんで欲しいと、自分の旅についての記録などを差上げたりしたのだった。その後お互いの自宅を訪問し合ったりして、今では大切な知人の一人となっている。その後旅を重ねられる内に親しき仲間も出来て、様々な経験を積まれたようで、今では確実にマイペースでの旅を楽しまれておられるようで、何よりのことである。

旅先の2家族4人で、水入らず(?)の状態でKさんご夫妻と話をするのは初めてのことなのである。邦子どのは、Kさんご夫妻のその後の旅のことなどをいろいろ訊きたいなどと、メモ帳を片手に持参していた。そんなことは出来るはずもなく、たちまち自分ばかりが話す様となるのに、時々柄にもないことを思いつく人ではある。

今回はKさんの車にお招き頂き、奥さんの心づくしの料理を頂戴しながら、まあまあ、時間の過ぎるのも忘れて、歓談が続いたのだった。改めてKさんのくるま旅に対する考え方や思いなどを伺い、自分自身も感ずるところ大だった。邦子どのはやはりメモ帳は不要だったようである。旅先での親しき知人との歓談の一夜は、旅の宝物である。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第17日

2010-09-15 05:28:28 | くるま旅くらしの話

第17日 <7月26日(月)>

【行 程】 終日、クッチャロ湖畔キャンプ場に滞在 <5km>

昨日とは打って変わった悪天候で、朝から大風が吹き荒れて、静かだった湖面にはささくれ立った波が押し寄せ、小さな流木などを運んで、白っぽい泡がそれを包んでいた。このキャンプ場で見る初めての光景だった。とにかくすごい風で、これではどうしようもないので、温泉に入ってあとは静養するしかない。ゆっくりするには好都合なのだけど、風の吹き荒れる状況では、何だか心落ち着かないものがある。

キャンプ場の直ぐ上にある浜頓別温泉ウイングは、11時からの入浴開始なので、温泉に入る前に時間調整の買物をしようと、10時半頃Aコープまで出向く。店の中は驚くほどの寒さだった。北国では、普段寒い分だけ、冷房も効かせないと不都合なのかと思うほどだった。東京なら、罰金ものの冷え具合である。邦子どのはその寒さに耐えられず、早々に退却してしまった。氷を買おうとしたのだけど、板氷しかない。使いにくいので買うのは止め、その後に近くのコンビニへ行ったのだが、これ又2kg入りの大きい袋しか置いてないので、氷は諦めることにした。馴れないと、買物もなかなか思うようにはならない様である。

温泉には、開始時間の11時近くに行ったのだが、意外と多くの入浴者がいて結構混んでおり、これは予想外だった。サウナなどに入って汗を流し、温泉に身を浸して至極のひと時を過した。ここの湯は、日本では別府温泉に次ぐ良質の泉質とか。温泉施設により様々な特徴が強調されているけど、自分としてはその成分がどうとか、泉質がどうなのかなどということはあまり判らない。判るのは、柔らかい湯か、きつい湯かなどというくらいで、どのような温泉であろうと、皆身体に良いものだと信じ込んでいる。

温泉の後は、これはもう一杯やって昼寝と決まっているようなもので、そのとおりの実践行動である。ちょっと違ったのは、一杯が二杯となってしまったことくらいか。とにかく強風は益々勢いを増して来ている感じで、空には雲も多くて、夕陽の期待はゼロに近いと思えた。16時過ぎまで惰眠を貪って、目覚めて見ると、風は少し収まったようである。湖面の波も少し滑らかになってきたようだ。あまりにも身体を動かしていないので、何とかしなければと、邦子どのに声を掛けて、湖畔の道を白鳥の餌場らしいのがある場所まで散歩することにした。

キャンプ場から500mほど離れたところが飛来する白鳥たちを相手に面倒を見る所らしく、白鳥の館などと書かれた建物が建っている。この湖はラムサール条約に登録されている所ということで、環境庁が直接管理をしているらしい。具体的にはどのような扱いとなっているのか判らないけど、国が主体となると、いろいろ建物などが建って、面倒見が良くなるのかも知れない。

その白鳥の餌場らしき場所に、クッチャロ湖で採れるワカサギやエビなどの佃煮などを加工し、販売している店があり、丁度新しい網の手入れをしているそこの人に声を掛けた邦子どのは、その後しばらく話込んでしまって、なかなか戻ってこない。いつもの癖なのである。何やら有益な土地の話を仕込んできたらしい。自分の方は、若しかしたら奇跡が起こって、今日夕陽が見えるかもしれないと、日の入りの時間を前にやきもきしていたのだったが、これは結果として邦子どのの勝利だった。

   

今日のクッチャロ湖畔の夕暮れ。ようやく風は収まったけど、空の大半は厚い雲に覆われて、僅かに西の彼方だけが明るいままに暮れていった。

夕刻になってようやく風は収まったが、もう時既に遅しである。あとは、再び寝るしかない。食事の後は、少しばかりTVを見て寝床へ。邦子どのは、先の厚田港のキャンプの際にHさんから巻き上げた(?)らしい、徳永英明とかいう歌手のCDを終りまで聞いていたようである。自分の方は、歌など聴く間もなく、眠りの彼方へ旅立ったのだった。

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初敬老会出席所感

2010-09-14 02:01:42 | 宵宵妄話

先日の敬老会への誘(いざな)いの後日談としての所感です。

守谷市の敬老会は日程を前倒しにして、12日に開催されました。10時からの式典に間に合うように、9時半に自転車で家を出ました。会場の体育館は鬼怒川の堤防近くにあり、我が家からは3kmほど離れています。歩いても良い距離ですが、既に朝の内に7km以上歩き済みであり、日中は暑いので自転車にした次第です。

常総ふれあいスポーツセンターというのの中に体育館はあり、近くには立派なグラウンドやテニスコートを有する常総運動公園や老人福祉センターなどの体育・福祉施設、それにゴミ処理を行なう環境センターなどがあります。時々歩きで近くを通ったりするのですが、中に入るのは初めてでした。これらは守谷市の中心街から外れた田んぼの際(きわ)に作られた施設で、普段どのような人たちが活用しているのか、旅ばかりしている者には馴染みの薄い場所でした。北海道などを旅すると、守谷市(現在約6万2千人)の人口の4分の1くらいの町でも、豪華な福祉・体育施設が整備されているのを見て、真に違和感を覚えるのですが、自分の住む町にも結構立派な施設があったのを初めて知ったような気がします。ま、どんな立派な施設でもそれを使わない、使うチャンスのない者にとっては、何の有難味も感じないというのは、世の常なのでありましょう。

さて、その敬老会ですが、行ってみて驚いたのは、会場に人が溢れていたことでした。もしかしたら招待される人よりも主催者側の関係者の多さが目立つ集まりではないかなどと思ったりしていたのですが、とんでもない見当違いのことでした。どうやら昔からの住人にとっては、年に一度の同窓会のような雰囲気で、この日の来るのを楽しみにしている人も多いようでした。住み始めてまだ6年目の新米住人にとっては、昔からの知己など居るはずもなく、その種の楽しみなど考えたこともありません。もし自分の生まれ育った町ならば、自分もまた素直に参加したのではないか、などと転居ばかりだった我が身の了見の狭さを思い知らされた感じがしました。何しろ結婚以来40年を超える時間の中で11回も転居をしたので、住み慣れた故郷に対するまともな感覚が存在するはずもありません。

持参したビニール袋に靴を入れ、スリッパ無しで、帰りに捨てるつもりの靴下をそのまま履いたまま、体育館の所定の折りたたみ椅子に着席しました。何脚の椅子が用意されていたのか判りませんが、90%以上が埋まっていましたから、守谷市の70歳以上の人数が5,992名いうことからすれば、千人近くの出席があったのではないかと思います。千人と言えば大変な数ですが、考えてみれば全体の20%未満なのですから、もし全員が出席すれば体育館一つではどうにもならないことになってしまうわけです。80%以上に当たる欠席した人たちはどういうわけなのかなと、そのことにもちょっぴり思いを走らせました。

誰も知り合いのいない独り身の参加は、気軽というよりも、少しばかり勇気の要ることで、いつもとは違う世界に突然入ってしまった感じでした。特に折りたたみ椅子にじっと腰掛けているのは、我慢しにくいものです。同世代というよりも、初めて参加する世代の一人としては、来場者の皆さんが思ったよりも元気だったので、老人というイメージは吹き飛んだという感じでした。考えて見れば元気だからこそここに出席されているわけで、それは当たり前のことです。

式典が始まり、開会が宣言され主催者側の挨拶や来賓の方々の挨拶がありました。主催者側として、老人クラブ連合会会長、敬老会実行委員会委員長、市長の挨拶があり、来賓は、市議会議長、衆議院議員、県会議員の各位からの祝辞を聴き、その後に祝電などの披瀝がありました。式典ですから、どのような世界も皆同じ様なものなのでしょうが、主催者側の挨拶は皆どなたもメモを棒読みの形で、ご本人の本当のことばがどこにあるのかが判りにくいものでした。「おはようございます」で始まり、「おめでとうございます」で終る挨拶の中には、ベテラン老人やこれからの老人たちを本当に元気づけるものは少なく、皆慰めのセリフに溢れていた感じがします。これは当然と言えば当然なのかも知れません。

来賓の中では、現政権の衆議院議員の方の挨拶は、さすがにストーリーは巧みで、今の国政に係わる仕事の取り組みの中で最も役に立っているのは、明治生まれのお祖母ちゃんに育てられて学んだ、ものの考え方の数々であるという話でした。古老や先人に学ぶことの大切さの事例として、源平一の谷の合戦で、義経が鵯(ひよどり)越えの際に馬を進めるに当り、あまりの急坂にたじろぐ若い馬を見て、昔先人から教わったことを思い出し、老馬を前に出して進軍させたところ、見事に先陣を切って進んで大勝利へとつながったという話をされて、敬老に花を添えた感じがありました。なるほどと思うと同時に先人の知恵は良いとしても、老馬本人にしてみれば気持ちは複雑だろうとも思わされた次第です。勿論ここでは先人の智恵に学ぶ大切さを強調され、我々折りたたみ椅子に坐る者の知恵を大切にしなければならないという、まさに敬老の精神を強調されたのだと思いますが、今の世では先人の知恵に学ぶとか、それを使うという仕組みなどはどこにも見当たらず、動きの鈍くなった駄馬には餌も食わせたくない雰囲気が溢れていますから、ついつい老馬の気持ちとなってしまった次第です。失礼。

もう一人の地元出身の若い県会議員の方の話も、良いテーマを取り上げたものでした。3つほど挙げた事例の最初は、今夏初めて付き添いなしの大阪までの旅にチャレンジした小学生の子が、東京駅で新幹線の切符を買う際に、駅員から「禁煙席にしますかそれとも普通の席にしますか?」と訊かれて驚いたという話、そして二つ目は残業で頑張る社員のために、社長さんが差し入れをしようとハンバーガーを自ら買いに行き30個をオーダーしたところ、「お席で上がりますか、それともお持ち帰りにしますか?」と訊かれたという話。そして三つ目は、ディズニーランドのレストランで、若い夫婦がオーダーの際に、AランチとBランチをそれぞれ一つと併せてお子様ランチを一つというのを聞いたウエイトレスが「お子様ランチは5歳以下です」と答えたのですが、ちょっと困って店長に相談に行ったということです。急いで出てきた店長が「何かご事情がおありのようで、…」と伺ったところ、元気になったらディズニーランドに一緒に行って食事をしようねと約束して、闘病生活に頑張っていた子供さんが亡くなられて、今日はせめてその約束を果たしたいとお子様ランチをオーダーされたとのこと。これを聞いた店長は即座に了解し、しばらくするとランチに併せてバースデーケーキも添えて、お客様の気持ちに応えたという話でした。前の二つに比べて、マニュアルだけの接客の欠点というかお粗末さを浮き彫りにする象徴的な話で、なるほどなと思ったのです。

ところが、彼の結論は、それ故に我々はこれから平成生まれの若い政治家たちと共に先人の知恵を借りながら、新しいマニュアルを作らなければならないというのです。それまでの話からは、当然のこととして、これからはマニュアルなしでも相手の気持ちに応えることができるような世の中をつくってゆかなければならない、という結論がでるかと思っていたのですが、なんと又また新しいマニュアルを作るというのですから、ガッカリしてしまいました。

そもそもマニュアルなどというものは、人間の気持ちを効率的に扱う標本のようなもので、その根本にしっかりした哲学と応用動作が組み込まれていなければ、いざという時には役立つどころか陳腐化するということを理解しておくべきではないかと思うのです。これから新しいマニュアルを作るなどという発想は、明らかに人間についての勉強不足のように思います。もし政治家が法律をマニュアルのようなものだと勘違いしているのであれば、為政者の資格はないように思えるのですが如何なものでしょうか。最後におめでとうといわれても、全くその気にはなれない折りたたみ椅子に坐る老人には、落胆の差の大きな話で残念でした。

とにかく式典というのは、為政者のためのお祭りのようなもので、議員さんたちのお顔の披瀝オンパレードという感じがします。せめてもの慰めは、体育館で高い舞台がないため、ひな壇の彼らの顔が見えないことでした。又,司会者が一々来賓の名前を紹介しているのを聞きながら、真にご苦労さんなことだと思いつつ、次第に偏屈さが角を出し始めるのを抑えるのに大変でした。

いろいろな挨拶のなかで一番印象に残り且つ有用だったのは、閉会の辞を述べられた方の追加の話で、同居の103歳のおばあちゃんの長生きの秘訣3項目でした。①食事をきちんと摂る②何でも口に出して、ストレスを溜めない③自分のことは自分でやる。この短い追加の話が今日聴いた中では、一番分り易く、役に立つものだったような気がします。

式典の後は、「いきいきヘルス体操」というのを、指導士会のメンバーが30分ほど実技指導されましたが、これが介護予防のためのシルバーリハビリ体操と書かれているのを見て、自分はまだリハビリは不要だと思い断固真似するのを拒否しました。このようなものを取り入れなくても、毎日の歩きと併せて自分なりの身体の管理・調整をしているので、今も将来も不要だと思っているからです。関係者からは真に扱いにくい存在だったと思います。

その後はアトラクションとなり、1部では斉藤京子さんという物まね芸人の舞台、昼食を挟んでの2部は地元の各種団体の演芸発表という順序でした。物まねの舞台までは我慢して坐っていましたが、それが終って弁当の赤飯折り詰め1個を頂戴すると、そそくさと抜け出して帰宅したというわけです。不謹慎なのは重々承知ですが、素人の下手な芸など見る気は更々なく、見たところで何の慰めにもならないと思うので、退散した次第です。

せっかくの敬老の対象となったチャンスを、このように偉そうにコメントするのは、思い上がりであり、ある意味で滑稽千万ということかもしれません。しかし一寸の虫にも五分の魂という諺もありますように、一老人でも多少の言い分はあるわけで、ま、馬の骨のいじけた根性の為せる業なのでありましょう。

敬老会に初めて出席しての所感は、高齢者といっても70歳以上を一くくりにするのは無理があり、もしこれが高齢者の啓発に向けた本気のイベントなのであれば、その成果は殆どなく、単なる演芸慰労会に過ぎないのではないかということです。

私の考えでは、高齢者に真に必要なことは、慰めではなく、これからの夫々の残りの人生をいきいきと生きてゆくためには、何が必要で、それをどう実現して行くかというガイドの提供ではないかと思うのです。今日の敬老会の中にはそのような意図が皆無のように思いました。せめてその道の専門家の講演であるとか、或いは地元の実践者・経験者などの発表であるとか、聴く者にとって本当の刺激となる事柄についての企画があって欲しかったと思います。

慰められることに甘える老人は、素直な分だけ扱いやすいのだと思いますが、受身の人生を選ぶ安易さに狎れると、人はやがては認知症などの恐ろしい道へすんなりと誘(いざな)われてしまう危険性があるように思うのです。式典の閉会の辞に追加された103歳のおばあさんの長生きの3つの秘訣に披瀝されたような内容の、より深い話をこれからの企画の中に是非とも加えて欲しいものだと思いました。来年も同じ様な企画のときには、赤飯を貰うのを諦めることにしたいと思っています。

その他言いたいことはいろいろありますが、それをブログに披瀝するのは幾らなんでもと思いますので、控えます。明日から又旅の話に戻ります。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第16日

2010-09-13 03:47:25 | くるま旅くらしの話

第16日 <7月25日(日)>

【行 程】 

びふかアイランドキャンプ場 → (R40) → 音威子府駅 → (R275)→ 道の駅:ピンネシリ → クッチャロ湖畔キャンプ場(泊) <162km>

今日は美深を後にする日である。昨日に引き続いての快晴の空だった。もう蝦夷梅雨も終わったのかと思うほどだが、まだまだ油断は出来ない。日射しはきつくても、湿度は低くて、そよ風が実に心地良い。Wさんがここに長期滞在されるのも良く解るように思う、我々も何時の時期かからは、動き回るのを止めて、じっくりと北海道の夏の良い部分を味わいながら、一所に留まって過したいと考えている。古希を終え、来年辺りがそのスタートとするに適しているのかも知れない。

出発の準備を整えた後、お別れする前のひと時をWさんのテントの中で、Mさんご夫妻とご一緒に歓談しながら過す。昨年ここでご一緒した時にWさんが撮られた写真を頂戴し、恐縮する。写真を見る限りでは、お二人とも今の方がお元気に感ずるのだが、Wさんは、来年は会えないかもしれないなどとおっしゃるので、チョッピリ心配にもなる。でも、昨年も同じ様なことをおっしゃっておられたし、その様なセリフを言われる時には、密かに来年も必ず来るぞ、というような覚悟の一端が笑顔の中に潜んでいるように思えて、大丈夫だと確信するのだ。それにしてもご夫妻の旅を楽しむ人生に賭ける姿勢には、心を打たれるのである。この地に留まっておられても、Wさんご夫妻のお顔を見たいと訪ねてこられる方は絶えることがない。もう25年以上も続けて、旅の中に北海道の夏を過ごされている、その過し方の豊かさが大勢の人の心につながっているのだと思う。ただ単に、自分勝手に旅を楽しんで来ただけでは、これほどの人とのつながりは実現できないように思う。改めてこのご夫妻の生き方の素晴らしさを思った。

11時半となり、Wさんご夫妻、Mさんご夫妻に手を振られながら、名残りを惜しみつつ美深キャンプ場を後にする。今日これからは、一路浜頓別町のクッチャロ湖畔にあるキャンプ場を目指す予定である。浜頓別町といえば、最近は砂金採りで有名となっているけど、我々が気に入っているのは、冬季に白鳥の飛来で有名な日本最北端の湖のクッチャロ湖である。白鳥と同じように(?)湖畔に羽を休めてここでゆっくりするのが、最近の北海道行の楽しみの一つになっている。いつも訪ねるのは夏だけなので、白鳥を見たことは無い。今日は晴れているので、もう一つの名物である夕陽が見られるかもしれない。空だけではなく、湖全体を真っ赤に染め上げる夕陽は感動的である。何年か前に幸せにも2日連続してそれを見ることができ、その感動をもう一度、いや、何度でも味わいたいと思っている。

美深を出て、30分ほど走ってJR音威子府駅前に車を止め、蕎麦屋さんを探す。昨日Mさんから頂戴した蕎麦が実に野趣溢れた味の美味さだったので、音威子府村産のその蕎麦を手に入れ、もう一度食したいと思った次第。なんだかんだ言いながらも、食うもののこととなると、卑しさは変わらない。真っ黒いまるでイカ墨を練りこんだような色をしたその蕎麦は、北海道の土地の香りが封じ込められているようで、それをもう一度確認したいと思ったのである。駅前に販売店があったので訊ねたら、駅舎の中のお店の方で売っていると、駅まで案内してくれた。行って見ると、何人もの人たちが丼に入れた黒い蕎麦を啜っていたので驚いた。バイクやくるま旅の人たちには、ここは名の知れた場所なのかも知れない。いつも近くにある道の駅に寄るばかりで、JR駅の方には来たことがなく、初めて知ったのだった。その店頭に並べられた生蕎麦は、間違いなく昨日食したそれだった。さっそく買い入れる。明日の昼にでも、もう一度あの食感と風味を味わうことにしよう。その後、道の駅の方にも寄ったが、ここには野菜などは全く置かれておらず、直ぐにパス。

音威子府からR40と分かれて、R275に入り、浜頓別町方面へ。頓別というのは、頓別川の沿ったエリアの地名のようで、今回はアイヌ語地名辞典を置いてきてしまったので、頓という意味が解らない。別というのは、確か川のことだったと思う。頓別川ではその昔砂金が採れたらしい。最近の砂金堀りブームは自然のものではなく、予め撒いておくというやり方でつくられたようだ。若しかしたら、自然のものも採取できるのかもしれないけど、真偽はわからない。頓別と名の付く地名は幾つもあるらしくて、車を走らせていると、中頓別、小頓別、下頓別などというのが出てくる。そして最後がオホーツク海に面した浜頓別である。

途中、中頓別町の道の駅:ピンネシリというのに立ち寄る。ここは北海道の北部の山として登山者に人気のある敏音知(ぴんねしり)岳の登山口にある道の駅である。近くに温泉もあり、泊まったこともある。敏音知岳には未だ登ったことはないけど、700mほどの高さだから、この歳では手ごろな山なのかも知れない。今のところ、山にチャレンジする気分は持ち合わせていないので、ただそう思うだけである。

道の駅で野菜などを買おうと思っていたけど、大根や白菜、レタスなどが少し置いてあるだけだった。店の人に、この辺りでは野菜が穫れないの?と訊いたら、いや、たくさん穫れるという返事だった。ただ、種を播いて育てるのは難しく、苗を持ってきて植えつけるとのことだった。寒さが影響しているのだと思った。それにしても「たくさん」という意味合いが、自分と地元の人とでは大きく違っているようだ。自分としては種類や量のことを訊ねたのだったが、回答する側は、野菜もちゃんと育つということを強調したかったらしい。土地によって、ものの考え方はいろいろだなと思った。レタスと大根、それに大葉を買う。そのレタスをパンに挟んで食べて、今日の昼食は終り。

再び走り出して、浜頓別の町に到着したのは、13時半頃だった。キャンプ場に行く前に、食材を仕入れようと、新しく出来たらしいスーパーに寄る。以前、この町には小さなスーパーしかなく、驚くほど高い値段で食材や酒などが売られており、要注意感を抱いたものだった。それが、この頃はコンビニや大型のスーパーも出来て、他のエリアとさほど変わらない状況になったのはありがたい。その分困っておられる所も出現したのには申し訳ないけど、消費者としては仕方がない。少々買物をして、目的地のクッチャロ湖畔へ。

とにかく朝からいい天気である。今日は、北部北海道の全域がこのような晴れ渡った空のようである。日射しは強いけど、湖を渡って届く風は爽やかで気持ちが良い。かなりの数のキャンパーのテントが点在していた。その多くはバイクで廻っている人たちのようである。キャンピングカーは少なくて、時折やってきてもこの地の良さが判らないらしく、直ぐにどこかへ去ってしまっていた。結局残るのは自分たちだけなのかも知れない。売店の事務所で受付を済ませ、湖畔のフリースペースに車を止める。窓の直ぐ傍はさざ波の波打つ湖面である。静かにゆったりと広がる湖は、澄んだ空の雲を湖面に浮かべて、旅の疲れを静かに労わって拭い去ってくれるようだった。

今日から3泊して、半月を過ぎた旅の疲れを癒すつもりでいる。懐かしい人たちにお会いできて、それなりの嬉しさと喜びを感じ味わった日々ではあったけど、時には自分たちが独り占めに出来る時間に浸りたい、というのも旅の贅沢な望みの一つである。この三日間は、その新たな贅沢を存分に味わいたいと思っている。

今日のこれからの楽しみは、何といってもあの夕陽の感動をもう一度味わいたいことである。未だ14時を過ぎたばかりで、日が沈むまでにはかなりの時間があるので、先ずは一眠りすることにして、寝床の中へ。外はかなりの暑さだが、車の中は窓を開けると風が通って、快適である。近くで、先ほどから鶯が一羽、盛んに歓迎の挨拶のさえずりを届けてくれているが聞こえてきた。ここの鶯の鳴き声は、「ホー、ホケキヨ」が正調らしい。一般には鶯の鳴き声は「ホー、ホケキョ」と最後が詰まってキョと発声するのだが、この鶯は、最後の一声を詰まらせずにキヨと明確に発声している。これはRVランド農園の近くで鳴いている一族と同じだなと思った。守谷市近郊では、コジュケイの鳴き声をまねているのか、「ホー、コッチャコイ」などと鳴くのもいて、おかげさまでこの頃は鶯君たちの鳴き声に知らず興味を持つようになってしまっている。鶯という鳥は、意外と我々の身近で暮らしていて、結構人間どもの暮らしぶりに関心を持っているようである。その様なことを思いながら、たちまち眠りの世界に入ってしまった。

一眠りして目覚めても未だ日はかなり高かった。日が沈むのは19時近くになるのであろうか。丁度お日様が沈む辺りに雲があって、それがべったりと続いているようである。あの雲が割れていると、日が沈んでもそこから差し込んだ光が、湖面を赤く染めてくれるのだけど、どうやらその可能性は低いようである。その後、待ちに待ってようやくその時が来たのだったが、やっぱり偶然を期待したのは無理だったようで、ほんの少しばかり湖面を赤い色にしただけで、今日の夕陽は何だか寒々とオホーツクの海の彼方の雲の陰に沈んでいってしまったようである。ま、あと2回チャンスがあるので、それを待つことにしよう。

   

今日の夕陽。空は晴れていたのだが、夕陽が沈む方向に厚い雲があり、これがこの日最大のそれらしき光景だった。

夕食は久しぶりに食欲が湧いたという邦子どのは、これまた久し振りの焼き肉。自分の方はこのところ少し歩き不足で、やや太り気味なので、ビールのアテにオニオンスライスと鯖の水煮の缶詰だけで済ます。これでも少しカロリーの摂り過ぎなのかもしれない。NHKの大河ドラマを見て、終わると直ぐに寝床の中へ。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第15日

2010-09-12 01:41:53 | くるま旅くらしの話

第15日 <7月24日(土)>

【行 程】 終日びふかアイランドキャンプ場に滞在(泊) <0km>

ここは内陸部の所為なのか、朝夕の気温はぐっと下がり、涼しいを通り越して、寒いほどである。相棒は、毛布を追加して寒さに対処していたようである。15℃以下になったようだ。昨夜は雨も降らず、今朝も空は高いようだ。今頃の北海道は緑が美しい。内地ほどは樹木の葉は日焼けしてはおらず、穏やかである。キャンプ場の中に植えられているのは、殆どが白樺で、例年来訪者を悩ますドロの木の花の綿は、今年は6月の暑さに少し早や目の花を咲かせたのか、既に収まっていて安堵した。いつもはマスクを掛けないと、邦子どのの喉や鼻を脅かすほどなのである。ナナカマドは青い実をつけて、秋の到来を待ち焦がれているようだった。

今日は、キャンプ場にて一日をゆっくり過ごす予定なのだが、北海道の旅の情報誌のHOの発売日なので、それを買うついでに名寄まで少しばかりの買物に出向くつもりでいる。HOには、温泉博士と同じように、無料で入れる北海道内の温泉の紹介があり、旅の多くの人たちはこれを利用させて頂いているようである。我々も北海道に来た時は、活用させて頂いている。単に温泉案内だけではなく、北海道各地の様々な情報が、丁寧に紹介されており、北海道を知る上では、大切な情報源の一つになっている。販売日には、これを買い求める人が多いため、近くのコンビニなどでは直ぐに売切れてしまうので、最初から名寄まで行こうという考えなのだ。

食事の後一休みして、昨日の雨の中の道を来た車があまりにも汚れているので、水洗いすることにした。特に後部の汚れがひどく、一度拭いたくらいではすっきりしない。2度拭きして跳ね上がった泥の名残りを消す。この車には、88-55というナンバーをつけており、88歳まで旅にゴーという意味なのだ。この車にもあわよくばあと18年頑張って貰おうと考えているので、汚れをほったらかしにするわけにはゆかない。車がくたばる前に自分の方が先にあの世に旅立つかも知れないけど、そうなれば車なしでも自在に宇宙の旅までもが可能になるのではないか。あの世に行った後のこの世のことはわからないが、車の方は誰かが何とかするだけのことになるのだろう。ま、記念物として展示されるようなことにはならないとは思うけど。(これは考え過ぎではある。)

9時半過ぎ車を動かす。先ずは間もなく出発されるというKさんご夫妻の車を訪れ、昨夜のお礼とお別れの挨拶をする。お互い、二度重なった偶然の邂逅に驚き、感謝の思いが強くて、本当に嬉しい出会いだった。Kさんご夫妻は、今年は8月までにはお住いの松山にお帰りになられるという。来年も是非お会いしたいものだと思った。

車を走らせ、R40を美深町市街へ。町の中にある2軒のコンビニを訪れ、HOを探したら、1冊だけ在庫があった。一方の店では、全部売り切れていたという話だった。その後は、旭川から稚内に通ずる高速道は、去年如より1区間工事が進んで、美深の郊外までICが造られていたので、これを利用することにした。R40を走っても大して変わらないのだけど、信号やカーブがないだけ時間はかからない。10分ほどで名寄市街へ。HOの方は直ぐに手に入った。

邦子どのが名寄の道の駅まで行きたいというので、その後はそちらを目指す。名寄の道の駅は、元の風連町というエリアにあり、名寄市という感じはしないのだが、合併というものが生み出した現象の一つなのであろう。買物は邦子どのに任せて、ここにも公共のネットワークサービスがあるので、パソコンの前に坐ってブログを覗いてみたのだが、昨日の記載記事は見られるものの、編集画面に入ろうとするとうまくゆかず、投稿するのは止めることにした。旅先でこのようなツールを使うことなど考えてもいなかったため、何かが不足しているのであろう。パソコンは家での使用のワンパターンしかやっていないので、大してややこしくなくても、ややこしく面倒に見えるのかもしれない。

道の駅からは引き返すことにして、途中にある郊外のショッピングモールに寄り、少しばかりの買物をする。かなり大きなモールで、殆どの商品が揃っており、その上に新しく近くにイオンも開店しており、都市部と少しも変わらぬ商品を手に入れることができるようだ。これでは、旧市内のスーパーなどは大きな衝撃を受けているのではないかと思った。自由競争の社会では、弱肉強食の原始時代の論理が変わることなく幅を利かせているようである。人間の本性というのは、やはり全ての生き物と変わらないものなのであろうか。よく解らない。

買物を済ませ、再び高速道を利用してキャンプ場に戻った時には12時を過ぎてしまっていた。あっという間に半日が過ぎてしまったことになる。ゆっくりなどと言いながら、いつもこのようになることが多い。お昼は昨日Mさんから頂戴した隣の音威子府産の特製蕎麦を茹でて食す。真っ黒といっては語弊があるけど、丁度山形の慈恩寺の板そばを更に黒くしたような色の地粉で打った蕎麦は、独特の香りと味があって、美味かった。北海道は、今や長野県などを抜いて、名実ともに日本一の蕎麦の産地になっているのではないか。Mさんに多謝。

その後は昼寝。思いの外の好天で、日射しがきつい。それほど暑いとは感じないけど、この時間帯に外を歩き回るのは、身体のためには良いとは思えない。今日から夏休みとあって、キャンプ場には子供連れの人たちが次第に数を増してきていた。子供たちは芝の上を駆け回り、池の中に入って水を掛け合ったりしているけど、老人は午睡を貪るのが何よりの楽しみである。というわけで、16時過ぎまで眠りの時間となった。

未だ寝ている邦子どのを置いて、一人で付近の散策に出かける。野草の花を撮るつもりである。できる限り北海道ならではの花を撮り、野草談義の材料にしたいと思っている。でもこの時間は夕方近くになっており、野草たちも久しぶりの日中の日射しに疲れたのか、花にもあまり精彩がないようである。クガイソウやクサフジなどの花を収録する。北海道にはクガイソウが多い。内地にもあるのだとは思うが、関東の近郊では野にあるのを見たことがない。恐らくこれほどの大型の野草の花があったら、引き抜いて持ち去る人が多くて、たちまち絶滅危惧種になってしまうのに違いない。自然を自然のままに受け入れて味わい楽しむなどという風流は、コンクリートで固めた家に住む人などには、無縁の話となってしまっているのであろう。斯く言う自分も時々その誘惑に手を出しそうになっているのだから、世話は無い。

1時間ほど散策を楽しみ車に戻る。今日はWさんご夫妻とお話しする時間もなく、グータラに過ぎてしまい申し訳なし。明日は午前中でお別れとなるので、その間もう一度歓談の時間をつくりたい。久しぶりに電気の残り容量を心配することなく照明を点け、TVを見て夕べの時間を過ごす。8時半を過ぎると、昼寝をしたのとは無関係に、眠りのお誘いの手が何処かからやって来て、間もなくその手に引かれて寝床の中へ。気温はかなり下がり出し、今夜も快適な眠りに満足できそうである。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第14日

2010-09-11 02:07:34 | くるま旅くらしの話

第14日 <7月23日(金)>

【行 程】 

道の駅:おうむ → (道道・R40)→ 道の駅:びふか → びふかアイランドキャンプ場(泊) <77km>

雄武の朝は涼しかった。寒いといっても良いほどである。外気は17℃を示していた。TVの猛暑のニュースには違和感を覚えるという感じである。古い時代の言葉を使えば、贅沢ということであろうか。自分たちだって、今頃守谷の家におれば、北海道のこの涼しさをそう思うに違いない。都会の涼しさはつくられたものであり、涼しくなった分だけどこかが暑くなっているのであろうが、ここの涼しさは天然のものであり、その性質が全く違うのである。人は天然の所作を当たり前と受け止めることが多いけど、今の時代では当たり前の価値と怖さを時々思い知らされる感じがする。

今日の移動距離は少なく、山を越えて美深のキャンプ場に落ち着く予定である。いつものようにTVの朝ドラを見て、出発の準備をした後、道の駅にある町の公共ネットワークをお借りして、再度ブログをお読み頂いている皆様にお詫びの挨拶を付加した。3人の方から、音信沙汰なしで心配したとのコメントを頂戴して恐縮した。この1週間のアクセス数を見てみたら、何とランクインするほどの数値であり、何だか空振りばかり続けていることに罪悪感のようなものを感じた。明日から再び音信沙汰なしの状態が続くことになってしまう。この後は、公共ネットワークのパソコンが設置されている道に駅に寄った時には、何がしかの状況報告をしようと思った。

9時半、美深に向かって出発する。昨日来た国道を少し戻って道道に入る。今まで通ったことのない道である。ナビを備えておれば、雄武から美深に向かう時は、恐らく誰でもこの道を通るに違いないと思うのだが、ナビ無し主義なので、今までは安全などを考えて、少し遠回りしてでも、できる限り国道を走ることにしていたのだったが、よく考えてみれば、北海道の道路は、少なくとも道道と名の付くものは、内地の山道を走る400番台の国道などよりは遙かに上等に整備されているのである。先日月形町から厚田港に行くとき道道を走ってみて、つくづくそれを感じた。ならば今回も最短と思えるコースにしようと考えた次第である。

その道道49号線に入り、山の方に向う。今までオホーツク海側の道しか走ったことがなかったので知らなかったのだが、雄武町というのは漁業の町だと思い込んでいたのはとんでもない間違いだったのに気づいた。田んぼや畑もあり、勿論牧場も点在している。山の中には林業で暮らしをたてている人もいるに違いない。一つの町もその一面しか見ていないのだという旅の者の視野の狭さを改めて思い知らされた感じがした。名所・旧跡の観光めぐりばかりを旅であると考えても何の支障もないとは思うけど、自分としては、やっぱり可能な限り表だけではなく裏の方も覗いてみたい気持ちがある。その意味で、国道ばかりを走るのではなく、道道を走る必要もあるのだと気づいた次第である。昨年、上富良野の千望峠で出会った、今日これから訪ねる予定のWさんご夫妻の親しき知人のKさんご夫妻の奥さんがおっしゃっていた、「私は道道などの地方の道を走るのが好き」という言葉の意味が解ったような気がした。そういえば、Kさんご夫妻はどうされているだろうか。今年もお元気で旅をなされているのだろうかと、しばし邦子どのと一しきり千望峠での出会いのときのことに話が弾んだ。

しばらく走ると、山間部となり、そこを切り拓いてつくられた牧草地の端の方に親子と思しきエゾ鹿が草を食んでいた。車を止め写真を撮る。新しくカメラのレンズを換えて望遠の性能をアップした邦子どのには、好都合の被写体だったようだ。自分のデジカメでは撮影しても豆粒くらいにしか写らないので、撮るのは止めにした。山は次第に深くなり、何時熊が飛び出してきても不思議では無いような雰囲気となってきたが、この辺りに「熊出没注意」の看板がないのは、あまり棲んでいないということなのであろうか。出現を密かに期待してカメラを構えている邦子どのにとっては些か残念だったのかも知れない。

一つ峠を越して坂を下り、小さな集落を通過したが、無人となった家が数軒点在していて、人が住んでいる家よりも廃屋の方が多い感じがした。今の時代、この地で暮らし続けることの難しさを物語り、示しているように思った。廃屋を見るのは淋しい。まして幾つものそれを見るのは哀しい。人の営みの厳しさを思った。更にもう一つの峠を越えると、そこからはずっと下り坂が続いて、やがて美深の平地へ辿り着くことができた。

いつも見ている美深の町は、天塩川やその支流の作り出した肥沃の平地のように思えた。町の大部分の人たちはそこに住み、暮らしを営んでいるようだが、今通ってきた山の中にも美深の町の暮らしが潜んでいることを忘れないようにしたいと思った。

R40に出て、美深の小さな市街地を抜けて、8kmほど行った所に道の駅があり、その奥の方に美深アイランドキャンプ場がある。アイランドというのは、近くを流れる天塩川が蛇行して、その昔に置き忘れたらしい後地の沼や池を利用して、丁度島のようになっているエリアにレジャー施設を造っているので、そう呼んでいるらしい。エリアの中には、温泉を初め、キャンプ場、パークゴルフ場、人工芝のすべり場、カヌーの練習場、その他にもキャビアで名のあるチョウザメの飼育施設などもあって、なかなか変化に富んでいる。又、何年かに一度行なわれるカヌーによる天塩川の100km超の川下りイベントの際には、この地は重要な中継基地となっている。我々が利用させて頂いているのは、勿論キャンプ場の方で、今年もそこに長期滞在をされている四国は松山市からお出でのWさんご夫妻を訪ねるつもりでいる。

先ずは受付に行ってオートキャンプ場の申込みをする。ここの受付はかっきり13時にならないとダメなのである。以前、2分前くらいだからやって貰えるだろうと行ったら、全く愛想もない顔でむべなく拒否され、あと2分待ってくれといわれたことがあり、ここの管理運営に係わる人たちに対する印象は極めて悪い。本当はルールをまげての運用をごり押しする方が間違っているというのが正論なのであろうが、たった2分前というのも許さないという態度は、果たして賞賛に値するものなのかどうか?今は11時を少し過ぎたばかりである。相棒がせめて予約だけでもしておきたいというので、とにかく受付に行った次第。というのも、明日は土曜日であり、夏休みを迎えた子供連れの家族が週末をキャンプで過ごそうと押しかけてくるに違いなく、予約が取れない可能性もあるので、少しでも早い方が良いというわけなのである。

邦子どのに少し遅れて行って見ると、どうやら話は終ったらしく、今日と明日の2日間OKとのことだった。やはり休日はなり混んでいて日曜日はダメで、調整して頂いた結果明日の土曜日だけは辛うじてセーフということだった。以前の愛想のない顔は消えていて、3人ほどいるスタッフの人たちには笑顔もあり、ホッとした。受付が規定により13時からなのは承知しているので、この間、道の駅の方に行き、昼食休憩とする。Wさんご夫妻とはあとで存分にお話できるのだから。

食事の後、少し横になって惰眠を貪り始めたら、たちまち13時となった。慌てて受付に行き、所定の手続きを済ませ、キャンプ場へ。キャンプ場にはフリーサイトもあるのだが、今回はWさんのおられるオートキャンプ場の方へ。料金は1泊2000円也。勿論個別サイトで、水道、電源付きである。内地のキャンプ場に較べれば信じられないほど格安である。しかもここのキャンプ場は、長期滞在の日数によって、更に割引がなされるので、例えばひと夏3ヶ月を避暑に活用しようと考えると、家を借りるよりは遙かにコストがかからないのである。その様なことから、3ヶ月以上滞在する人も何人かおられるとのことだった。

少し脱線するけど。美深のこのキャンプ場には、名物とも呼ばれるご夫妻が毎年やってきてひと夏(というよりも半年というべき?)を過ごされている。そのSさんご夫妻は、わが同郷の茨城県土浦市在住の方なのだが、1年の殆どをくるま旅くらしで過ごしておられるため、住所不定ともいえるほど。現在は、冬は沖縄を初めとする南国温暖の地で、夏は北海道のこの地に定着されて過ごされている。美深では、地元の土を使い、地元で購入した野菜類の種や苗を播き、植え育てて、無農薬農法での小さな農場(プランターやポット或いは肥料の空き袋などを活用)をテントの周辺に作って楽しんでおられる。それだけではなく、ビールやドブロクなども手づくりで楽しんでおられるのである。120歳と3日であの世に行くというのがSさんの信念的な目標であり、その実現の為に毎日の肉体の鍛錬を欠かさず、又衣食同源という考えの下に自らが育て作った野菜類を食の中心に置かれるという徹底ぶりなのだ。会う度にその話を聞かされるので、何だかインチキ臭いなと思ったりするのだが、人は他人に吹聴することによって、却って己の信念を固めるということもあるわけであるから、これは本物となる可能性があるかもしれないなと、この頃思うようになってきた。特に今年の野菜の生育ぶりを見ると、なかなかどうして見事なものなのである。プランターや肥料袋に土を入れての栽培は、土地でのそれよりもずっと難しいのである。それをみごとにクリアーして立派な野菜を育てているのを見ると、自分は評論家面している場合ではないなと思った。120歳というリミットの実現もあながち嘘では無いかもしれない。3日というのは、我が身の処理の段取りに必要な時間なのだと、ユーモア的な話ぶりなのだが、これが実現すればギネスに不滅の記録として残るかも知れない。まあ、とにかく楽しい話である。リタイア後は、このような生き方は一つの鑑(かがみ)でもあるように思う。

閑話休題。所定のサイトに車を止め、さっそくWさんご夫妻に挨拶に行く。お二人ともお元気で我々を迎えて下さった。特に奥さんの方は、ご自分が障害が厳しくなって来ておられるにも拘らず、邦子どのの体調を気遣って頂き、もう両手で顔を抱え込むようにして邦子どのを労わってくださり、真にありがたく嬉しかった。又、ご主人も脊椎の病で曲がった腰の痛みにもめげず、ユーモアと活力ある話しぶりでお声を掛けてくださって本当に嬉しい。本当は我々の方が元気を差上げなければならないのに、お会いするといつもその反対となってしまうのが現実なのである。今年もそぐ傍にMさんご夫妻がご一緒されてお過ごしで、Mさんご夫妻とも挨拶を交わす。

車の滞在準備を終えた後は、Wさんのテントをお邪魔し、Mさんご夫妻ともご一緒しながらの歓談が弾んだ。1年ぶりの再会は、人の心を躍らせ、弾ませるものである。それは言葉の数の多さだけではなく、心の奥底からの嬉しさなのである。旅をするようになって、たくさんの知己を得て、再会を果たす度に、そのことがよく解るようになった。もし家にこもって、限られた範囲の中での暮らしぶりならば、このような喜びや嬉しさに気づかぬままに人生を終わってしまうに違いないと思う。

それから16時過ぎまで歓談は続いて、一先ずお開きとなった。この歓談の中で、Wさんから、何と先ほどここへ来る途中に話していた、松山の親しきお友達のKさんご夫妻が、今日ここへお出になるとお聞きし、驚いた。いやあ、奇遇というかラッキーである。16時頃というお話だったけど、少し遅れるようである。この間、無精ひげを何とかしようと、温泉に出向く。邦子どのの方は、少し先にご無礼して車に戻り、少し興奮疲れしたのか、横になっている。小一時間ほど温泉を楽しみ、車に戻る。

既にKさんご夫妻は到着されており、Wさんご夫妻とお話をされている様だった。起き出した邦子どのと一緒にテントを訪問する。いやあ、懐かしく嬉しい。挨拶を交わした後、再び心地良い興奮に包まれながら、歓談が続いた。6人の年齢を合わせれば軽く450歳を超えるという集いの談話は、老人などというコンセプトとは全く無関係で、生き生きと、活き活きと弾んだのだった。Kさんご夫妻にも、この旅の途中で健康に若干のトラブルがあり、ご心配だったというお話もあったが、こうしてお話を交わせるのは、最高の妙薬であり、それぞれが元気を取り戻せた時間だったと、心から思った。旅に秘められている力なのだと思う。

その後は、時の経つのも忘れて歓談が弾んだ。その内容は勿体ないので秘密である。

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2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第13日

2010-09-10 03:30:30 | くるま旅くらしの話

第13日 <7月22日(木)>

【行 程】

当麻町スポーツランド駐車場 → (R39・旭川紋別道) → 道の駅:しらたき → 道の駅:まるせっぷ → マウレ山荘ミュージアム → マウレ山荘 → 道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯 → 雄武町:加藤ガス店 → 道の駅:おうむ(泊) 

<228km>

昨夜は雨になるかと半ば諦めていたのだが、明け方に外を見ると意外と空は高く、僅かに青空らしきものも見られて、もしかしたら今日の日中も雨なしで行けるのかもと思ったりした。最終的にここに泊ったのは、バスコンと我々の他は、ワンボックスが1台と乗用車での旅の方が2台だけだった。例年だとこの倍くらいの人が泊ることが多いのだが、今年は早く来られた人たちは道北や道東の方に行ってしまわれたのかと、なかなか知り合いに会うこともない毎日に、チョッピリ出遅れの悲哀(?)を感ずる気分である。

食事を終え、出発の準備をした後、近くにあるフィールドゴルフのグラウンドを見物に行く。ここはフィールドゴルフという競技の発祥の地だとか。その記念碑が建っている。どのような競技なのかよく分らないので、プレーを楽しんでいる人たちの様子を見に行った次第。上がってきた人に訊いたら、ボールは公式テニスのそれを使い、クラブはゴルフのピッチングを使うとのこと。ルールは略パークゴルフと同じだが、コースの方はパークよりも長いようである。ロングホールは130mもあって、どんなに思い切って振っても1打でグリーンに届くのは難しいとのこと。我々と同じ世代の男女がプレーを楽しんでいた。コースの存在についてもあまり聞いたことがないので伺うと、北海道でもここと隣の愛別町に一つあり、全国にも二つしかないとの話だった。20年も前からあるということなので、パークほどには広がりを見なかったということなのであろうか。

9時少し前出発。今日の予定は、丸瀬布(遠軽町)の武利という所にあるマウレ山荘のミュージアムを訪ね、持参した安達巌の画集を寄贈すること。その後は一路オオホーツク海側の雄武町に行き、LPガスを補填した後、そこの道の駅に泊るつもりでいる。そして明日はWさんご夫妻の滞在しておられる美深のキャンプ場に向うことにしている。

R39に出て層雲峡方面に向う。途中愛別町のICから旭川紋別道に入り、高速道を行くことにした。原則として旅には高速道は使わないことにしているのだが、オホーツク海側に抜けるには標高1000m近い峠を越さなければならず、途中立ち寄るのを楽しめるような場所もあまり無いので、今回は高速道を行くことにした。今回改めて地図を見て、高速道が丸瀬布まで開通しているのを初めて知った次第である。無料というのもありがたい。

高速道は山間部を走り抜けているのだが、相当に高い所を走っており、トンネルも多いため、峠などというものの存在を実感することはなく、確かに便利だけどやっぱり普通の道の方が味があるんじゃないか、などと走りながら矛盾したもことを考えたりした。走ってみて初めて知ったのだが、一般の車は少なくて殆ど見かけない。追い抜いてゆく車の殆どは自衛隊の茶色の車ばかりである。若しかしたらこの道は自衛隊が車の移動訓練の為などにつくられたのかと錯覚するほどだった。偶々、そういう時間帯に乗り合わせただけだったのかも知れないのだが。

途中高速道に隣接してつくられた道の駅:白滝というのがあり、寄ってみたが、道の駅というよりもPAのような感じがした。トイレ休憩用施設のようなレベルで、ちょっと変わっているなと思った。どうして道の駅なのかよく分らない。

間もなく終点の丸瀬布ICを出る。この頃から少し空模様が怪しくなり出す。北海道は、今頃はやっぱり梅雨なのである。内地に遅れて雨雲が居座るようになったのは、何時頃からなのであろうか。R333に出て、直ぐ近くにある丸瀬布の道の駅に立ち寄る。この道の駅には木工の工芸品を展示する館があり、何時も立ち寄って覗くことにしている。ざっと館内を一回りしていると、邦子どのが呼んでいるので何だろうといてみると、見知らぬ人と話しており、そのご夫妻が関西HMCCの方だったので、声を掛けたとのこと。一昨年の滋賀県マキノ町ピックランドでの講演以来、関西HMCCの方とは何かにつけてご縁がある。邦子どのがその様な話をしたらしく、名前だけは知っていて頂いたようで、恐縮した。改めて名刺を頂戴し、Hさんご夫妻であると知った。嬉しい出会いである。今回の旅では未だ新しい出会いがなかったので、格別に嬉しい。館内の喫茶コーナーで、興奮冷めやらぬままにしばらく歓談する。

Hさんご夫妻は未だお若くて、昨年定年を迎えたとのこと。北海道の夫婦二人でのくるま旅は初めてとか。これから先の本格的な旅のための下見という感じらしく、地理の状況なども経験の積み上げを開始されたばかりのようだった。Hさんは、サッカーのシニアクラブの現役選手というスポーツマンで、お話も立ち居振る舞いも爽やかな人物である。奥さんも活力があり、関西のご夫人の代表の方のような印象だった。関西の女性は明るく逞しい方が多いと思っている。このような方と知り合いになれて、真に嬉しくありがたいことである。ご主人は、サッカーの練習の合間を縫って特別の思いを持って今回の旅に出られたとのことだったが、大阪代表メンバーの一人として、秋の全国大会に向っての練習の為に8月の半ば過ぎには帰宅予定だとか。杉山とか釜本だとか、メキシコオリンピックで日本のサッカーが銅メダルを獲得したときの名プレイヤーの方たちと一緒に練習をされているというから、サッカー界では名をなされておられるのだと思った。

Hさんご夫妻もこれからマウレ山荘の温泉に入りに行かれるというので、一緒に向うことにした。マウレ山荘は道の駅からは10kmほど山奥に入ったところにある。少し先に出た自分たちは、入浴の前にマウレ山荘が経営しているミュージアムに直行した。受付で事情を話し安達巌の画集2冊をお渡しした。山荘側のお話では、1冊はミュージアムの方に、もう一冊はホテルの方に置かれるとのこと。少しでも多くの方に安達巌の絵が目に触れることを願っている。

   

マウレ・メモリー・ミュージアムの外観。ここは元武利小学校があって、その校舎がそのまま美術館として使われている。大きく手を加えないで、昔の姿を保存する形で活用されているのが素晴らしい。

   

ミュージアムの内部。各教室や廊下などに世界中から取り寄せた障害者の絵画が、説明付きで紹介・展示されている。入場は無料。このミュージアムはマウレ山荘からは川を挟んだ反対側に位置している。

マウレ山荘では、障害者の絵画を全国・世界中から集めて、ミュージアムとホテル内に常設展示されており、昨年初めてここを訪れた時には、びっくりしたのだった。ミュージアムは、今は閉校となったこの地の武利小学校の校舎が使われており、元教室だった展示場を歩くと、板張りの床が奏でる懐かしい音がして、耳に心地良い。似たような環境の小学校で過ごした60年も前になるときのことを思い出したりした。このような閉校となった校舎の使われ方は、素晴らしいなと思った。もっともっと多くの方たちがここを訪れて絵を見る感動を味わって欲しいと思った。この事業は、マウレ山荘の立派な社会貢献事業だと思った。

30分ほどしてマウレ山荘の方に出向く。温泉は邦子どのだけが入ることにして、自分はロビーで久しぶりの新聞などを読んだりして過ごす。間もなく先に入浴を済まされたHさんが戻ってこられた。しばらくロビーで歓談をして、又の再会を約してお別れする。本当に嬉しい出会いだった。

邦子どのはなかなか戻ってこない。ロビーの外に出てみると、かなりの雨降りとなっていた。丸瀬布の道の駅を出るとき本降りだった雨は、こちらに来てからしばらくは止んでいたのだが、又、我慢しきれなくなって降り始めたようである。ようやく邦子どのが戻ってきて、出発の準備をする。これから先は雄武のLPガス屋さんを目指すことになる。

雨の中を来た道を戻り、R333に出て遠軽町にてR242に入り、市街を抜け上湧別町の方へ向う。上湧別の道の駅に寄って、公共のネットはないかと見てみたのだが、LANはあるというけど、使うのが面倒のようなので、やめることにした。ネットが気になるのは、なんと言ってもブログの更新が、旅の予告をしたまま途絶えており、一体どうなったのだろうと心配されている方もおられると思うので、一言お詫びを申し上げたいと思っているからである。確か、泊りを予定している雄武の道の駅には、公共ネットワークがあったと思うので、それに期待することにして出発する。

上湧別の先からオホーツクの海岸沿いを走るR238を北上する。しばらく走って紋別市郊外にて給油する。未だ燃料は半分以上残っているのだが、このエリアでは軽油の価格が内地の守谷並みに安いのである。リッター当り103円は、旭川では安い方だと入れた117円よりも14円もの開きがあるのである。どういう事情でこのようなことになっているのか、さっぱり分らないが、若しかしたら各エリアごとに販売店のカルテルのようなものがあり、石油の販売価格を操っているのかも知れない。旭川市近郊などは、消費量の規模からいっても紋別よりも安いか、せめて同じくらいであっても不思議では無いように思うのだが、どこも判で押したように120円を前後した価格である。このからくりはどうなっているのか、北海道によらず全国を旅しているといつも感ずる疑問である。TVの名解説者の池上さんなら知っておられるのかも知れない。とにかく安いエリアでは、少量であろうと、補給することにしている。

紋別から興部(おこっぺ)を通過し、日の出岬を過ぎると雄武の町が見えてきた。時刻は16時半近くになっている。この町の道の駅近くにあるガス屋さんでLPガスを補給することにしている。昨年は17時ごろに着いて、直ぐに店に行ったのだけど、今日は終わってしまったので明日にして欲しいと延ばされてしまい、翌日少し時間を無駄にした悔いがある。今回も危ない時間帯なので心配だったが、ぎりぎりでセーフだった。工場の方に出向いて、補充をして頂く。既に5kgボンベ1本が空になっており、冷蔵庫用に使うために、早めの充填が不可欠なのである。とにかく間に合ってホッとする。それからここのガスの価格は、真に良心的でありがたい。知る限りでは、北海道一の良心的は店ではないか。今日お会いしたHさんの話では、網走で充填したときは2500円超の価格だったと聞いたけど、ここはその半額程度である。先ほどの石油の価格のエリアによるギャップ以上に、LPガスの場合はその差がひどい。ひど過ぎる。昨年は略同じ敷地内にある販売所で間違って購入しかけた時に、充填所に行ったら同じ5kgで1000円以上も差があったのに驚き憤慨したのを思い出す。濡れ手で粟のような商売にうつつを抜かすようなやり方には疑問を通り越して腹が立つ。LPガスに関しては、安全上の問題を楯にとって、供給を渋ったり、外来者から高額料金をふんだくったりする業者が多く、まことに不愉快である。その点、このお店は素晴らしい。

ガスを充填して安心した後は、道の駅へ。先ずはネットが覗けるかと駅のそのコーナーを探した。去年はあったのだからと思いながら入って行くと、直ぐに見つかった。さっそく自分のブログ画面を引き出し、編集画面を開いて、携帯投稿の要領を見てみたのだが、文字が小さくてよく見えない。めがね持参ではなかったので、読むのは諦めて、とりあえずお詫びの挨拶だけはしておこうと書き込む。もう旅に出て以来10日以上の時間が過ぎてしまっている。心配された方には真に申し訳ない。とにかく、現状の報告ができてホッとしたのだった。

それから後は、いつもの通りの夕食、そして早めの就寝となる。

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