山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

能登の旅の思い出に寄せて

2024-03-24 04:52:20 | 宵宵妄話

 能登半島大地震が勃発してからあっという間に3ケ月が過ぎようとしています。傍観者の私などから見ればそのような感じなのかもしれませんが、被災された方々から見れば、復興が遅々として進まず、最も大切な生活インフラの回復さえもまだまだはっきり見通しが立たず、今でも水が出ないという厳しい現状の暮らしは、長い長い悪夢が続いているとしか思えないのではないかと思われます。私と同じ様な80歳を超えた被災者の方の心情は如何ばかりかと、それを思うと、胸が痛みます。人生の晩期に於いての突然の日常の喪失は、最後の力を振り絞って現実に立ち向かうには、余りにも苛酷な課題なのではないかと思えてなりません。とにかくも、早く冬が終って温かさが戻ってくることを願うばかりです。 

 能登を訪ねることが能登の人たちの復興を後押しすることにもなるとは考えていますが、それがいつ出来るのか、今は見当もつきません。能登を旅したことが何回かありますが、その時の思い出などを書いてみたいと思います。能登を旅するときは、金沢を出て、羽咋市の方から半島を右回りで訪ねるというコースと、反対に富山県氷見市の方から左回りで訪ねるコースがあり、そのどちらも何回か経験しています。左回りで思い出の地を廻ってみます。氷見市を出た後は、国道18号線を海岸に沿ってボラ網などを見ながら七尾市までゆっくりと北上し、七尾市の道の駅に寄って中を覗いて 獲物を探し、その後は和倉温泉に寄って、(時間帯にもよりますが)総湯に入って温泉を楽しんだ後、今度は国道249を辿って、珠洲市の方に向かいます。海沿いですが山道も多くて、起伏に富んでいるので、珠洲までは遠く感じる道なのです。珠洲近くの恋路海岸に届いたら、まっ先に造り酒屋の宗玄酒造を訪ねます。ここで必ず酒を何本か買い入れます。ここの酒は、飲み過ごしても決して悪酔いしない酒なのです。なので、年末近くに訪ねた時には1升瓶を6本も買った時もありました。ここの酒を飲むと嬉しくなるので、帰ってから知り合いの呑み助たちにも配るのです。でも、勿論旅の間は飲みません。酒を仕入れたら、次は海岸の方へ行って、見附島を見ながら休憩します。この島は本当に軍艦風に出来ていて、自然の造形ながら感心してしまいます。その後は珠洲市市内をかすめて国道249を曽々木海岸の方に向かいます。岬の先端の緑剛崎へ向かう道もありますが、まだ行ったことがなく、これから訪ねる予定でした。曽々木海岸には塩田があり、そこに寄って能登の塩を買い入れます。これは家内の関心事です。塩を手に入れたら、少し横道に入って、国指定文化財でもある古民家の時国家を訪ねます。これは川崎や東京で古民家のボランティアをやっていた家内の願望でもあります。そのあと海岸の道をしばらく進むと、千枚田ポケットパークの道の駅があり、ここで一息入れて、眼下の崖に海岸まで続いている米白千枚田と呼ばれている棚田を眺めて、人間の米づくりへの執念の逞しさを実感します。

そして、その後は輪島に届いて、名物の朝市などを探訪するのですが、朝に行ったことはなく、大抵は昼市の時間帯となっています。市場などを覗いた後は、門前町の方を目指します。門前町では勿論総持寺祖院を訪ねます。ここは曹洞宗の大本山の一つであったのですが、火災事件があり、総本山は現在神奈川県横浜市の鶴見に移されています。又この門前町の海の方には黒島というエリアがあり、そこは重伝建に指定されている船主集落があります。江戸から明治時代にかけて北前船を初め、廻船業を営む人たちの基地があった所で、狭いエリアだけど豪勢な家々が幾つも並んでいます。そこを探訪したあとは、羽咋の方に向かい、志賀町の道の駅の温泉に入った後、そこに泊るか時間に余裕がある時は金沢方面に向かうのです。これが左回りコースの概要ですが、右回りの場合でも大差ありません。勿論この他に新たな寄り道を見つけて行く場合もあります。その他にもまだ行っていなくて、これから行こうと考えている場所も幾つかあります。

これらの場所は、今どうなっているのでしょうか。TVを見ていると、とんでもない状態となっているのが映っています。あの軍艦島はかなりの部分が崩れて砲撃を受けて破壊された船のようになってしまったし、宗玄酒造さんもかなりの打撃を受けてしまったようで、あの美酒がこれからも飲めるのかどうか心配です。塩田のことは放映されているのを見ていないので判りませんが、近くのあの巨大な古民家はどうなったのでしょう。とても無傷とは思えません。輪島市の惨状はもうこれ以上はない地獄の感じがします。総持寺祖院もかなり大きく被災していたし、黒島エリアの情報はありませんでしたが、ここも無傷ではあり得ないでしょう。志賀町の原発が大きな問題がなかったのは不幸中の数少ない幸いでしたが、恐らく課題を抱えているのではないかと心配です。

これだけの思い出の地を一気に破壊し尽くすという大自然の行為の凄まじさは、この先自分たちが住む関東エリアにも70%以上の発生確率と伝えられている大地震が起こった時の現実を想像すると、身の毛が弥立ちます。人生の晩期に入って残り少ない我が人生に於いて、未だ幾つもの訪問先を残している能登エリアへの旅が実現できるのかどうか、不安が膨らむ毎日です。一日でも早く実現できる日が来るのを願うと同時に、この地震の国の何処にでも大地震や火山の大爆発などが起こらないことを強く強く願っています。

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