このところ旅の話ばかりで、少し息抜きの話も必要かと、我が身の訪れた抜き差しならぬ(?)出来事についてちょっと書きました。
玄関先で、誰かと何か、ごそごそと話をしていた家内が、クッククックと可笑しそうに笑いながら、一枚の封書を持って来て、何を言うのかと思ったら、「はい、あなたに老人会からの案内です」という。なんだい、老人会というのは? 突然の話だったので、一瞬何のことかと驚いたのでした。
持ってきた封書を開けると、それは守谷市からのもので、中に入っていたのは敬老会のご案内とその会場に行くための送迎バスの運行表の二つの書類でした。家内の言う老人会ではなく、敬老会だったのです。何やら話し声がしたのは、これを持って来てくれのが民生委員の方で、郵送ではなく本人の所在を確認するという主旨だったとか。どうやら今話題というか問題となっている高高齢者の生死不明問題に絡めての市当局の意向だったようです。直接本人を呼びましょうかと話したら、いや、それには及びませんということだったとか。家内が笑うのも不思議ではないような気がしました。まあ、とんだ世の中になったものだということと、早や敬老会の対象となるとはという、気持ちの上では現実離れした扱いのそのあり様には苦笑をせざるを得ないということでありましょう。
しかし当人にとっては、苦笑だけではなく、一瞬不思議な感じがしました。敬老会なんて、まだまだ先のことと言うよりも、そのようなものの存在にすら全く気づかなかったものですから、このような召集令状のようなものが届くとは夢にも思っておらず、驚き、呆れるというよりも不思議な感じがしたのです。一体何時から敬老会などというものの対象になるのか、全く知りませんでした。80歳過ぎくらいになって、何となくそのようなものもあるのかと思い始めるような気がしていたのですが、まさかこんなに早く老人として敬われる存在となるとは多いもよらぬことでした。
案内状を見ると、来る12日の10時から式典があり、それにあわせて「いきいきヘルス体操」というのが行なわれ、その後は11時10分からアトラクションの第1部が行なわれ、これは物まね芸人の歌などを聞くステージがあるようです。そして昼食を挟んでなのか、午後からは守谷市の老人クラブによる幾つかの演技のお披露目などがあって、13時30分ごろには終了予定とありました。会場が体育館のため座布団、上履きなどを持参しろとの注文付でした。対象者が書かれていませんでしたが、察するに70歳以上の市民全員ということなのでありましょう。問い合わせ先が市の介護福祉課高齢福祉グループとありました。
70歳になって(私の場合は12月が来て満70歳となるのですが)このような招待状を頂いて嬉しがるというのは、なかなか難しいように思います。また、このような老人を老人扱いして一方的に慰めようとするような行事に参加するというのもかなり勇気の要るような気がします。何故なら、当事者の多くは自分が老人となったなどとは思ってはいないからです。もし、喜んでいそいそと出かけてゆく人がいたとすれば、その方は普段相当に人生に喜びを失っているお気の毒な人のような気がします。
さて、私はどうすればいいのか。幸いなことに今の私にとって、市のこのようなもてなしの儀式は不要です。一体式典で、市長や関係者は、おめでとうと挨拶されるのか、それともその反対のご愁傷さまですという主旨なのか、今の世の中のありようを見ていると、その真意を伝えるのは大変難しいように思うのです。私的には、決しておめでたいなどとは思ってはいません。
今、いろいろと迷っています。とにかく一度は出席してみて、どんなものなのか体験してみるのもいいなと思ったり、座布団や上履きなどを持参して、90歳超のジサマやバサマと一緒にいきいきヘルス体操とやらをやらかされるなんて、冗談じゃないやと思ったりしています。市当局は70歳代も80歳代も90歳代も、老人は十把一絡げにして皆同じ、と考えておられるようですが、成人式などとは違って、老人という者の世代は年代の中身が天と地ほどに違うような気がするのです。少なくともこれから70歳代となる世代の老人感覚は異質であるように思うのです。
「俺は絶対にそのようなものには行かない。バカにするな!」というのが私の生来の本心に近いのですが、この頃はまさに老人になり出した所為なのか、だんだん狡猾さが増してきて、バカにされることを通して、この珍奇なイベントをバカにしてやろうなどと思うようになっているのです。敬老されるという意味がどんなものなのか、そしてその為のイベントが、これからの老を生きて行かなければならない人たちにとって、本当に意義のあるものなのか検証してみるのも悪くないなと思ったりしています。
ということで、ともかく敬老会というものがどのようなものかを一度体験してみようと思っています。バカにすると書きましたが、決して市当局をおちょくるつもりはありません。様々な問題を含んだ老いの世代の現実を敬い祝うということはきわめて難しいことなのだと思っていますので、敬われる老人たちにとってそのイベントがどれほど役立つのかということを、老人の立場からどう受け止めたのか、又どうあって欲しいのかということなどをじっくり考えさせて頂きたいと思っています。
今日はちょっと横道にそれた話となりました。明日から元に戻ります