第7日 <7月16日(金)>
【行 程】
道の駅:スペースアップルよいち → ニッカウヰスキー会館 → 小樽市:Kさん宅 → 月形町皆楽公園キャンプ場(泊) <102km>
昨夜は1台の大型トラックの騒音が、一晩中駐車場の平和を断続的に乱し続け、公害を撒き散らし続けた。それにしても昨日の夕方からずっとエンジンを掛けっ放しで、こんなに長居をし続ける運転手の属する会社というのは、どんな経営をしているのかなと思った。別にトラックの運転手を悪者扱いになどするつもりは全くないけど、自分のことばかりしか考えない奴には、やっぱり腹が立つ。一晩中悩まされ、イライラし続けた人は、じぶん一人だけではない筈で、隣接するニッカウヰスキーの蔵に眠るモルト達だって、眠りを覚まされて熟成のペースを乱されているに違いなどと思ったりした。朝になってようやく立ち去った時には、世界一の厄介者が消えたようにホッとした。
旅の車は10台以上居たようだったが、キャブコンは2台ほどで、あとはワンボックスや軽自動車の人が殆どだった。皆さん、それぞれに工夫をされていて、愛車を巧みに旅車として作り上げられていた。小さい車ほど、収納や食事にご苦労が多いのはやむを得ず、又就寝の時と走行の時とのギャップを埋めたり、切り替えするのに朝夕は苦労されているようだった。でも、旅を楽しむ気持ちは皆同じで、少しでも多く楽しみを味わおうとするかのように、朝の7時台には殆どの車が次の目的地を目指して出発していった。
我々は今日は午後に小樽の知人を訪ねた後、月形町のキャンプ場に泊る予定だけなので、急ぐ必要はなく、9時まではゆっくりと時間を過ごす。昨夜の倅のメールから、ブログの携帯での投稿が無効となっていることを知り、何だか少し気が抜けた感じがしている。でも旅を終えた後の記録の作成があるので、携帯の使用は止めても、持参したパソコンには今までと同様にその日の出来事や感想等を記録して行くことにした。これは携帯と違って書くスピードが遙かに速いので楽である。しかし、何を書くかを決める時間は同じであり、やっぱり時間はかかってしまうことになるが、元々書きたくて書いているわけなので、何の不満もない。
9時になって、買物の都合などもあるので、隣接するニッカウヰスキー工場の反対側にあるウイスキー会館の駐車場の方へ車を移動させる。今日は全くの快晴で、空には雲も見えない。暑くなるのかも知れないけど、そよ風も吹いていて、実に爽やかな空気である。工場敷地内の木立ちに囲まれた静かな倉庫群の中の散策は格別に気持ちよくて、ウイスキーで一杯やった時よりも遙かに心が落ち着く。敷地の中にある博物館や、幾つかの記念館などはもう何回も見ているのだが、それでもここに来ると今までの復習をするような気持ちになって、足が向いてしまう。竹鶴政孝という広島県出身の創業者と勉強先の英国で出会ったリタ夫人とのロマンスなどは、もうすっかりおなじみとなって記憶されている。それにしても原野に近かったであろうこの地で、日本での新事業の展開には、光が当る前までには様々な困難・障害が前途に立ちふさがっていたに違いない。改めてその創業者魂のエネルギーの大きさを思ったのだった。一回り工場内の散策を終えた後は、お土産などを買い入れる。帰りにもう一度ここを訪れるかどうか判らないので、必要なものは、その時々に手に入れておくことにしている。車の中が益々狭く窮屈になってしまうけど、止むを得ない。
10時半を過ぎて、昨日夕方に買物に出かけた柿崎商店に、今度は昼食に出かける。ここの2階には食堂があり、安くて美味しい北海道メニューが用意されている。北海道メニューといえば、勿論食材の中心は魚や貝類など海産物である。くるま旅の者なら、初心者で無い限りは、ここを訪れない人は居ないのではないか。今回は、ホッキ飯とホッケの焼物、カスベの煮物などをオーダーした。12時が近づくにつれ、広い食堂も次第に混み始め、お客さんのオーダーに応えて忙しく動き回る配膳担当の女性たちの声が大きくなり出した。食事を終えた後、階下の店内を一回りする。昨日は夕方だったので、あまり元気の良い魚や野菜類が少なかったようで、店がきれいになっても以前のこの店の持っている大事な雰囲気が無くなってしまったのではとチョッピリ心配したのだったが、どうやらそれは杞憂だったようである。昨日はなかったらいでん西瓜なども並べられており、活きの良い魚も数多く並んでいた。ま、市場の雰囲気が少し薄れたのは、店がきれいになった分だけ止むを得ないことなのかなと思った。
車に戻り、一息入れた後、小樽に向かって出発。向かい先は市内在住のKさんご夫妻である。Kさんご夫妻は、数年前大間から函館に向うフェリーの中で出会って以来のお付き合いである。小樽を通るときには、ご挨拶に寄らなければならない大切な知人である。年に一度の訪問となってしまっているのがチョッピリ残念なのだが、何しろ普段はお互いに遠く離れているので、仕方がない。七夕の牽牛と織女とまでは言えないけど、一年に一度の出会いというのは、とても嬉しいものであり、それは歳を数えるほどじわりと大きさを増すような気がする。人は頻繁に逢っているほど、その関係を薄めて捉えてしまうものらしい。その最たるものが、夫婦の関係かも知れない。いや、これは違うかな。
40分ほどでKさん宅に到着。さっそく玄関をくぐる。お二人ともお元気な様子で、先ずは安心する。実はお二人とも障害を身に持つ方なのである。ご主人の方は17才の時に機械に巻き込まれて大怪我をし、一方の足をつけ根近くから失い、左手の指も失ってしまっている。奥さんは幼少の頃、血液の中に正体不明の毒物が傷口から入ってしまって、正常に動かない身体となってしまったとお聞きしている。その様なお二人なのだが、ハンディを乗り越え、二人力を合せて、縫製業を営み自立してこられたのである。今は引退しておられるけど、その秘めたパワーには教わることが多く、1年に一度の出会いで様々な話を聴くのを楽しみにしている自分である。今年は、邦子どのが3月に事故ともいえる大病を患い、その静養もかねて旅に出ているのだけど、邦子どのはご夫妻にパワーを頂きたいとの思いが強かったようである。
そのようなことで、それから16時近くまで、様々な話題が弾んだのだった。病のこと、学校教育のこと、山菜のこと、熊や鹿の獣害のこと等々話は尽きることがなく、一つ一つの話の中に幾つもの深く考えさせられることがらが潜んでいる感じがした。いい時間だった。名残りを惜しみつつ辞去することにしたのだが、その際にお土産にといつものKさん味噌(自家製味噌に山ワサビを刻み練りこんだもの)や山菜、それに冷凍鹿肉などを頂戴し恐縮した。鹿肉は、明日のキャンプの際にメンバーの皆さんと一緒に賞味させて頂こうとありがたく頂戴した。
16時過ぎ小樽を出発して、月形町に向う。しばらくは出会いの興奮冷めやらず、邦子どのとその嬉しさを再確認する。銭函からR337に入り、まっすぐな道をしばらく走って、途中で給油に立ち寄る。北海道の軽油の値段は守谷などと比べてリッター当り10数円は高い。このコストの差は何なのか、単なる輸送関係だけなのか、いつも疑問に思う。我々は旅先だけの話だが、北海道に住んでいる人たちには気の毒で不公平のような気がしてならない。再び車を走らせ、石狩川に架かる橋を渡り、途中から右折して当別町に向かい、街中を通過した先で左折して月形町方面へ。目的地の皆楽公園キャンプ場に着いたのは、丁度18時頃だった。今日は日中ずっと快晴で、夕方近くなって少し雲が増えたが、未だ夕日が雲間から差していた。キャンプ場にテントが少なかったのは、まだ本格シーズンにはなっていないためなのかもしれない。
このところ些か食べ過ぎの嫌いがあるので、夕食は野菜中心の軽いものとする。明日から2晩厚田港でのキャンプに参加予定なのだが、天気予報ではどうやら雨模様の空となるらしい。去年も同じ頃に参加したのだが、3日間ひどい雨降りだった。今年は大丈夫かなと思っていたのだが、さてどうなることやら。晴れた空を仰ぎながら、明日の天気予報が100%外れてくれることを願った。