山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第14日

2010-09-11 02:07:34 | くるま旅くらしの話

第14日 <7月23日(金)>

【行 程】 

道の駅:おうむ → (道道・R40)→ 道の駅:びふか → びふかアイランドキャンプ場(泊) <77km>

雄武の朝は涼しかった。寒いといっても良いほどである。外気は17℃を示していた。TVの猛暑のニュースには違和感を覚えるという感じである。古い時代の言葉を使えば、贅沢ということであろうか。自分たちだって、今頃守谷の家におれば、北海道のこの涼しさをそう思うに違いない。都会の涼しさはつくられたものであり、涼しくなった分だけどこかが暑くなっているのであろうが、ここの涼しさは天然のものであり、その性質が全く違うのである。人は天然の所作を当たり前と受け止めることが多いけど、今の時代では当たり前の価値と怖さを時々思い知らされる感じがする。

今日の移動距離は少なく、山を越えて美深のキャンプ場に落ち着く予定である。いつものようにTVの朝ドラを見て、出発の準備をした後、道の駅にある町の公共ネットワークをお借りして、再度ブログをお読み頂いている皆様にお詫びの挨拶を付加した。3人の方から、音信沙汰なしで心配したとのコメントを頂戴して恐縮した。この1週間のアクセス数を見てみたら、何とランクインするほどの数値であり、何だか空振りばかり続けていることに罪悪感のようなものを感じた。明日から再び音信沙汰なしの状態が続くことになってしまう。この後は、公共ネットワークのパソコンが設置されている道に駅に寄った時には、何がしかの状況報告をしようと思った。

9時半、美深に向かって出発する。昨日来た国道を少し戻って道道に入る。今まで通ったことのない道である。ナビを備えておれば、雄武から美深に向かう時は、恐らく誰でもこの道を通るに違いないと思うのだが、ナビ無し主義なので、今までは安全などを考えて、少し遠回りしてでも、できる限り国道を走ることにしていたのだったが、よく考えてみれば、北海道の道路は、少なくとも道道と名の付くものは、内地の山道を走る400番台の国道などよりは遙かに上等に整備されているのである。先日月形町から厚田港に行くとき道道を走ってみて、つくづくそれを感じた。ならば今回も最短と思えるコースにしようと考えた次第である。

その道道49号線に入り、山の方に向う。今までオホーツク海側の道しか走ったことがなかったので知らなかったのだが、雄武町というのは漁業の町だと思い込んでいたのはとんでもない間違いだったのに気づいた。田んぼや畑もあり、勿論牧場も点在している。山の中には林業で暮らしをたてている人もいるに違いない。一つの町もその一面しか見ていないのだという旅の者の視野の狭さを改めて思い知らされた感じがした。名所・旧跡の観光めぐりばかりを旅であると考えても何の支障もないとは思うけど、自分としては、やっぱり可能な限り表だけではなく裏の方も覗いてみたい気持ちがある。その意味で、国道ばかりを走るのではなく、道道を走る必要もあるのだと気づいた次第である。昨年、上富良野の千望峠で出会った、今日これから訪ねる予定のWさんご夫妻の親しき知人のKさんご夫妻の奥さんがおっしゃっていた、「私は道道などの地方の道を走るのが好き」という言葉の意味が解ったような気がした。そういえば、Kさんご夫妻はどうされているだろうか。今年もお元気で旅をなされているのだろうかと、しばし邦子どのと一しきり千望峠での出会いのときのことに話が弾んだ。

しばらく走ると、山間部となり、そこを切り拓いてつくられた牧草地の端の方に親子と思しきエゾ鹿が草を食んでいた。車を止め写真を撮る。新しくカメラのレンズを換えて望遠の性能をアップした邦子どのには、好都合の被写体だったようだ。自分のデジカメでは撮影しても豆粒くらいにしか写らないので、撮るのは止めにした。山は次第に深くなり、何時熊が飛び出してきても不思議では無いような雰囲気となってきたが、この辺りに「熊出没注意」の看板がないのは、あまり棲んでいないということなのであろうか。出現を密かに期待してカメラを構えている邦子どのにとっては些か残念だったのかも知れない。

一つ峠を越して坂を下り、小さな集落を通過したが、無人となった家が数軒点在していて、人が住んでいる家よりも廃屋の方が多い感じがした。今の時代、この地で暮らし続けることの難しさを物語り、示しているように思った。廃屋を見るのは淋しい。まして幾つものそれを見るのは哀しい。人の営みの厳しさを思った。更にもう一つの峠を越えると、そこからはずっと下り坂が続いて、やがて美深の平地へ辿り着くことができた。

いつも見ている美深の町は、天塩川やその支流の作り出した肥沃の平地のように思えた。町の大部分の人たちはそこに住み、暮らしを営んでいるようだが、今通ってきた山の中にも美深の町の暮らしが潜んでいることを忘れないようにしたいと思った。

R40に出て、美深の小さな市街地を抜けて、8kmほど行った所に道の駅があり、その奥の方に美深アイランドキャンプ場がある。アイランドというのは、近くを流れる天塩川が蛇行して、その昔に置き忘れたらしい後地の沼や池を利用して、丁度島のようになっているエリアにレジャー施設を造っているので、そう呼んでいるらしい。エリアの中には、温泉を初め、キャンプ場、パークゴルフ場、人工芝のすべり場、カヌーの練習場、その他にもキャビアで名のあるチョウザメの飼育施設などもあって、なかなか変化に富んでいる。又、何年かに一度行なわれるカヌーによる天塩川の100km超の川下りイベントの際には、この地は重要な中継基地となっている。我々が利用させて頂いているのは、勿論キャンプ場の方で、今年もそこに長期滞在をされている四国は松山市からお出でのWさんご夫妻を訪ねるつもりでいる。

先ずは受付に行ってオートキャンプ場の申込みをする。ここの受付はかっきり13時にならないとダメなのである。以前、2分前くらいだからやって貰えるだろうと行ったら、全く愛想もない顔でむべなく拒否され、あと2分待ってくれといわれたことがあり、ここの管理運営に係わる人たちに対する印象は極めて悪い。本当はルールをまげての運用をごり押しする方が間違っているというのが正論なのであろうが、たった2分前というのも許さないという態度は、果たして賞賛に値するものなのかどうか?今は11時を少し過ぎたばかりである。相棒がせめて予約だけでもしておきたいというので、とにかく受付に行った次第。というのも、明日は土曜日であり、夏休みを迎えた子供連れの家族が週末をキャンプで過ごそうと押しかけてくるに違いなく、予約が取れない可能性もあるので、少しでも早い方が良いというわけなのである。

邦子どのに少し遅れて行って見ると、どうやら話は終ったらしく、今日と明日の2日間OKとのことだった。やはり休日はなり混んでいて日曜日はダメで、調整して頂いた結果明日の土曜日だけは辛うじてセーフということだった。以前の愛想のない顔は消えていて、3人ほどいるスタッフの人たちには笑顔もあり、ホッとした。受付が規定により13時からなのは承知しているので、この間、道の駅の方に行き、昼食休憩とする。Wさんご夫妻とはあとで存分にお話できるのだから。

食事の後、少し横になって惰眠を貪り始めたら、たちまち13時となった。慌てて受付に行き、所定の手続きを済ませ、キャンプ場へ。キャンプ場にはフリーサイトもあるのだが、今回はWさんのおられるオートキャンプ場の方へ。料金は1泊2000円也。勿論個別サイトで、水道、電源付きである。内地のキャンプ場に較べれば信じられないほど格安である。しかもここのキャンプ場は、長期滞在の日数によって、更に割引がなされるので、例えばひと夏3ヶ月を避暑に活用しようと考えると、家を借りるよりは遙かにコストがかからないのである。その様なことから、3ヶ月以上滞在する人も何人かおられるとのことだった。

少し脱線するけど。美深のこのキャンプ場には、名物とも呼ばれるご夫妻が毎年やってきてひと夏(というよりも半年というべき?)を過ごされている。そのSさんご夫妻は、わが同郷の茨城県土浦市在住の方なのだが、1年の殆どをくるま旅くらしで過ごしておられるため、住所不定ともいえるほど。現在は、冬は沖縄を初めとする南国温暖の地で、夏は北海道のこの地に定着されて過ごされている。美深では、地元の土を使い、地元で購入した野菜類の種や苗を播き、植え育てて、無農薬農法での小さな農場(プランターやポット或いは肥料の空き袋などを活用)をテントの周辺に作って楽しんでおられる。それだけではなく、ビールやドブロクなども手づくりで楽しんでおられるのである。120歳と3日であの世に行くというのがSさんの信念的な目標であり、その実現の為に毎日の肉体の鍛錬を欠かさず、又衣食同源という考えの下に自らが育て作った野菜類を食の中心に置かれるという徹底ぶりなのだ。会う度にその話を聞かされるので、何だかインチキ臭いなと思ったりするのだが、人は他人に吹聴することによって、却って己の信念を固めるということもあるわけであるから、これは本物となる可能性があるかもしれないなと、この頃思うようになってきた。特に今年の野菜の生育ぶりを見ると、なかなかどうして見事なものなのである。プランターや肥料袋に土を入れての栽培は、土地でのそれよりもずっと難しいのである。それをみごとにクリアーして立派な野菜を育てているのを見ると、自分は評論家面している場合ではないなと思った。120歳というリミットの実現もあながち嘘では無いかもしれない。3日というのは、我が身の処理の段取りに必要な時間なのだと、ユーモア的な話ぶりなのだが、これが実現すればギネスに不滅の記録として残るかも知れない。まあ、とにかく楽しい話である。リタイア後は、このような生き方は一つの鑑(かがみ)でもあるように思う。

閑話休題。所定のサイトに車を止め、さっそくWさんご夫妻に挨拶に行く。お二人ともお元気で我々を迎えて下さった。特に奥さんの方は、ご自分が障害が厳しくなって来ておられるにも拘らず、邦子どのの体調を気遣って頂き、もう両手で顔を抱え込むようにして邦子どのを労わってくださり、真にありがたく嬉しかった。又、ご主人も脊椎の病で曲がった腰の痛みにもめげず、ユーモアと活力ある話しぶりでお声を掛けてくださって本当に嬉しい。本当は我々の方が元気を差上げなければならないのに、お会いするといつもその反対となってしまうのが現実なのである。今年もそぐ傍にMさんご夫妻がご一緒されてお過ごしで、Mさんご夫妻とも挨拶を交わす。

車の滞在準備を終えた後は、Wさんのテントをお邪魔し、Mさんご夫妻ともご一緒しながらの歓談が弾んだ。1年ぶりの再会は、人の心を躍らせ、弾ませるものである。それは言葉の数の多さだけではなく、心の奥底からの嬉しさなのである。旅をするようになって、たくさんの知己を得て、再会を果たす度に、そのことがよく解るようになった。もし家にこもって、限られた範囲の中での暮らしぶりならば、このような喜びや嬉しさに気づかぬままに人生を終わってしまうに違いないと思う。

それから16時過ぎまで歓談は続いて、一先ずお開きとなった。この歓談の中で、Wさんから、何と先ほどここへ来る途中に話していた、松山の親しきお友達のKさんご夫妻が、今日ここへお出になるとお聞きし、驚いた。いやあ、奇遇というかラッキーである。16時頃というお話だったけど、少し遅れるようである。この間、無精ひげを何とかしようと、温泉に出向く。邦子どのの方は、少し先にご無礼して車に戻り、少し興奮疲れしたのか、横になっている。小一時間ほど温泉を楽しみ、車に戻る。

既にKさんご夫妻は到着されており、Wさんご夫妻とお話をされている様だった。起き出した邦子どのと一緒にテントを訪問する。いやあ、懐かしく嬉しい。挨拶を交わした後、再び心地良い興奮に包まれながら、歓談が続いた。6人の年齢を合わせれば軽く450歳を超えるという集いの談話は、老人などというコンセプトとは全く無関係で、生き生きと、活き活きと弾んだのだった。Kさんご夫妻にも、この旅の途中で健康に若干のトラブルがあり、ご心配だったというお話もあったが、こうしてお話を交わせるのは、最高の妙薬であり、それぞれが元気を取り戻せた時間だったと、心から思った。旅に秘められている力なのだと思う。

その後は、時の経つのも忘れて歓談が弾んだ。その内容は勿体ないので秘密である。

コメント
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