Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

いじめ

2012年07月12日 | Weblog
何でも「いじめの定義」が数年前に変わったらしい・・・。
大津のいじめ自殺を報道する中で、そうコメントされていた。

しかし、そのこと自体に私は違和感を覚える。

人間と人間の言動を、
理性的にあれやこれやと分析して、
良い教育ができるとは思えないからだ。

定義以前に、
人間として目の前の無軌道な行為を見て感じる、
人間としての善き感情と、善なる行動は無いのか?

時に激怒することも教育には必要である。
時に抱擁することも教育には必要である。
時に負けてあげることも教育には必要である。
時に断固として戦うことも教育には必要である。

いじめをするのも人間の心の動きなら、
いじめを許せないと思うのも人間の心の動きであり、
いじめに対して怒りを爆発させるのも人間の心の動きである。
そして、いじめで自殺した子どもと、
その家族や友人の嘆き悲しみを慮るのも人間の心の動きである。

法律書はいじめをなくさない。
教育書もまたいじめをなくさない。

いじめをなくすのは、
人間の正当な感情と、
それに基づく理性的な行動であると私は思う。

太古よりいじめはあったと思う。
防ぎきれないいじめもあっただろうし、
防ぐことのできたいじめもあったと思う。

ただ、ひとつ、
いじめを防ぐことができたとすれば、

それは、指導者たちに、
深い情と正しい判断力、決断力、行動力が
備わっていたと言うことである。

つまり、人間力によるところが大きいと思う。

だから、私たちは自分の人格と哲学とを
日々全力で磨かなければならないのである。

私には評論をしている暇はない。

とにかく目の前の子どもたちに真摯に向き合うことを
何よりも大切にしていきたいと改めて思った。
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