Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

志の教育

2010年11月03日 | Weblog
ここ数年、
様々な組織のしがらみから離れ、
自分の視点と教育への思いのみで、
のびやかに、教育実践を行い、
また、教育を語ることができるようになりました。

それは、本当に得難いことであり、
大変、嬉しく思っています。

そのような私の教育活動を支えてくださっている皆様に、
心からの感謝を申し上げます。

私のテーマは、
「志の教育」です。

そして、それは、
「言葉の力」を育むことと不可分のものです。

私は、生涯、私の理想とする「志の教育」を追い続けます。



「俛焉として日に孳孳たるあり、斃れて後已む」(礼記)


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本物の存在感

2010年11月03日 | Weblog
研修をさせていただいている佐賀の幼稚園で、
さつま芋をいただきました。

切ってフライパンに油を敷いて焼き、
塩を軽く振って食べたのですが、
その美味しいこと!美味しいこと!

ちょうどあった市販のお弁当と一緒に食べたのですが、・・・。

お弁当だけで食べたら美味しいのですが、
このお芋を一緒に食べたら、
お弁当の全ては美味しくなくなります。

なぜなら、本物が一品あるが故に、
全てが偽物だとわかってしまうからです。

化学調味料や添加物だらけの
偽物だけで作った世界で完結していれば、
それはそれで全てが美味しかったのですが、
一品本物が入ることで誤魔化しが効かなくなったのです。

その逆もあります。
手作りのきちんとしたご飯とおかずを食べている時に、
カップラーメンを一緒に食べると、
その味の不自然さはやはり際だちます。

カップラーメンを単体で食べている時には、
とても美味しいのですが、
添加物のない、自然のままの本物と一緒に食べてみると、
やはり不自然な味であることがはっきりとわかってしまいます。

すべてに本物を食べたいところではありますが、
それがかなわない時には、組織論としては、
さて、どうすべきなのか?

色々と考えさせてくれたサツマイモでした。

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話すと言うこと

2010年11月03日 | Weblog
話すと言うことは、
相手の心に、直接、
自分の心を届けることだと思います。

今、伝えようとしていることは、
本当に自分の心なのか?
自分が心から伝えたいと思うことなのか?

自分の言葉が、
自分の心そのものであるという確信は、
たとえ自分の心であっても、
考え抜くという作業を通したものでなければ、
得られないものだと思います。

一回の講演も、
一時間の授業も、
結局は、その人間の思いが問われているのだと思います。

もっと深く学び、
もっと深く考え抜き、
響く言葉を持ちたいと痛切に願っています。
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小学校での講演

2010年11月02日 | Weblog
今日は行橋市のある小学校で講演をしてきました。

五年生の皆さんにとっては、
少し難しい話だったかもしれませんが、
最後までよく聴いてくれましたね。
ありがとうございました。

未来は皆さんの双肩にかかっています。
共に頑張りましょう!

今日は、当然、私の話すエネルギーのほとんどは
子どもたちに対して向けられていましたので、
聞いてくださっている保護者の皆様には、
少々申し訳ないと思っていました。

でも、保護者の皆様の熱意は、恐ろしいことに?
あまりアイコンタクトしていないにもかかわらず、
ひしひしと私の所まで伝わってきていました(笑)。

皆様の一人一人が、
たとえささやかであっても
アクションを起こされ、
そのことによって世の中が
少しずつ動き始めることが
本当に尊いことなのだと思いました。

また、いつか、どこかでお目にかかれますことを
心から楽しみにしています。

今日は、本当にありがとうございました。









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胆力

2010年11月01日 | Weblog
10月30日・日経新聞の夕刊で、気になった記事があった。

「菅首相は、・・・記者団が「おはようございます」と話しかけたが、硬い表情を崩さず、「おはよう」と応じただけ。・・・重い足どりで不機嫌そうな様子がありありだった。随行した前原誠司外相も目は赤く、疲れを隠せなかった。一方、温首相は、・・・記者団の前に立ち止まり、にっこりと笑って手を振った。」


細部に神は宿る。

というか、日々、胆力を養うことがない
日本の教育の弱さが出ているように思えてならない。

もちろん、政治家の皆さんは、
私などよりはるかに素晴らしい資質と能力を
お持ちであることはわかっている。

しかし、やはり、
リーダーの表情、
一挙手一投足には、
一分の隙もあってはならないと思う。
それが、多くの人々の運命を背負うリーダーの務めだからである。

かつては、髪の毛一筋にも隙のない、
凄いオーラをまとった政治家が日本にもいた。

その精神性の強さは、
自らの信念を深く鍛えていくところからしか生まれない。

気迫と信念を持った人材を育てていくことが、
教育に携わる者の使命であることを深く思ったし、
まずは自らの襟を正さなければと痛感させられた。



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経済と教育

2010年11月01日 | Weblog
我が社では、経済紙&経済誌をよく読みます。
教育がフィールドであるにもかかわらずです。

なぜなら、教育も医療も政治も
結局は経済抜きには成り立たないからです。
経済=お金ではありませんが、
お金がなければ何もできないというのが厳しい現実です。

かといってビジネスライクに教育を進めても
なかなか成果は出ないと思っています。

私は教育(人間教育)という仕事には、
混沌とした状態が大切だと思います。
スムーズに秩序正しく効率よく事を運ぶのは、
確かに仕事としては美しいけれども、
その中でなかなか人間は育たないからです。

また、失敗から学ぶ事や、
手間暇をかけることが教育には非常に大切だと思っています。
これは効率とは逆の、非効率の追求でもあります。

勿論、最終的には人間は効率に向かわなければなりません。
最初に言ったとおり、経済抜きに教育は成り立たないからです。

だからこそ、人間教育の時期には、
確信を持って非効率な場を作らなければならない。
そうも考えています。

これが学習塾など受験を意識した学びであれば、
ビジネス同様、効率を大切にすることが善だと思います。

しかし、どうやらこれから先は、
太い幹をもった人間を育てていかなければ、
日本はもう立ちゆかなくなる。

そんな危機感を強烈に感じています。

効率の大切さを知り、効率に生きるのではなく、
効率の大切さを知らず、非効率に生きるのでもなく、
効率の大切さを知り、敢えて非効率に生きる姿勢を貫くことが
教育にとっては大切なのかもしれません。
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