著作に関する権利を主張するのは大切なことだと思います。
しかし、私の教育について言えば、既に先人たちが語り尽くしたもばかりで、私が私の著作権を主張するようなものは何もありません。
私ごときであれば、教育における大発見、大発明をしたと思っても、それは既に先人たちが語り尽くしたところのものであって、何も新しくはないのです。紀元前の孔子の時代から言われているようなことばかりです。
そもそも、先人たちの教えを抜きに、教育など語れるはずがありません。
文化は先人たちの歩みと、その叡智が集積されたものであり、教育は先人から受け継がれてきた経験則と人類の叡智の積み重ねそのものだからです。
それを活かさないということは、0から100年の人生を生きることを、未来永劫、ただ繰り返すことであって、賽の河原の石積みのようなものです。
「賽の河原の石積み」とは、 親よりも先に亡くなった子供は、三途の河原で父と母を供養するために、石を拾って積み上げて石塔を作るのですが、完成する直前に必ず鬼が来て、苦労して積んだ石塔を崩してしまうのです。つまり、報われない努力を一から続けていくと言うことです。
私たちは2000年以上の歴史を持つ国に生まれました。また、世界の人類の叡智も学ぶことが出来るのです。0からの100年を繰り返すことを、次の世代の子どもたちも未来永劫続けていくことが賢明なこととは思えません。
2000年の叡智に、自分たちの100年を加えてこそ、自分にとっても、未来の子どもたちにとっても、大きな財産になるのだと思います。