Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

Connected, but alone

2013年10月11日 | Weblog
ネットに繋がっていても孤独という話が出ていた。
尾崎放哉のことを思い出した。


「咳をしても一人」   尾崎放哉


自由律俳諧の世界で、種田山頭火と並び称される俳人、
尾崎放哉は、東大法学部を出てエリート街道を歩んでいた。

しかし、その道を外れ、
最後は一人で俳人としての生涯を全うする。

Wikipediaには、尾崎放哉のことが次のように書かれていた。

「放哉の伝記的小説を書いた吉村昭によると、
性格に甘えたところがあり、酒がやめられず、
勤務態度も気ままなため、会社を退職に追い込まれたという。

妻に「一緒に死んでくれ」と頼んだこともあり、
呆れた妻は放哉のもとを去り、
保険会社の寮母として生涯を送った。

放哉は寺男などを転々とし、
小さな庵と海のある場所に住みたいという理由から、
晩年の八ヶ月を小豆島の西光寺奥の院で寺男として暮らしたが、
島での評判は極めて悪かった。

吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、
地元の人たちから、
「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、
「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、
といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、
自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。

それでも、島の素封家で俳人の井上一二(いのうえいちじ)と
寺の住職らが支援し、近所の主婦が下の世話までして臨終まで看取った。」




孤独と言えば、壮絶な孤独である。
しかし、透徹した孤独のようにも思える。

人は孤独なのだ。

自分はどこまでいっても、一人しか居ない。

人間としての成長を考えたとき、
孤独と誠実に向き合うことも私は大切だと思う。

逆を言えば、

人が人と繋がると言うことは、
温度がある事、誠実に向き合うことを言うのだと思う。

ネットで繋がっているというのは、
幻を見ているようなものなのかもしれない。

もう一つ。

尾崎放哉は、
社会人としては最低であったのだろう。

しかし、芸術家としては素晴らしかった。

人生の収支決算は、
死んでみなければわからないものである。

軽々しく、人を批判することなどできないのだと思う。
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