Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

子育ての難しさ

2015年05月18日 | Weblog
社会的に地位のある方は、
確かに人として立派で有り、
社会全体に大きな貢献をされています。

しかし、社会人として立派だということと、
一人の親として立派だということは、
必ずしも両立し得ないものなのです。

なぜなら、
子どもの将来よりも、
自分の体面の方がついつい気になってしまうからです。

そこに悪意があるわけでもありませんし、
愚かなわけでもありません。

しかし、どうしても、無意識のうちに、
色々な物が邪魔をして、
子どものそのままを受け入れてあげられなくなっているのです。

そうした人たちには、下村湖人の次の言葉を
お贈りしたいと思います。

この言葉の意味が本当に腑に落ちたときに、
親は再び子どもと心を通わせられるようになるでしょう。


「よき親でありたいと願う人々のために、
私の用意している助言がただ一つある。

それは、子供をその善悪に拘わらず
常にいたわってやるということである。

むろんそれは単なる技術であってはならない。

それは、人間共通の弱点について十分な知識を持ち、
自分自身そうした弱点の持ち主であることを
深く自覚するところから、
自然に発散される感情の香気でなければならない。

愛撫や、賞賛や、叱責や、教訓や、
その他親としての一切の努めは、
そうした感情の香気に包まれてのみ真に生かされるであろう。

この助言は、だから、つぎのようにいいかえることもできる。

人間性に無知な親は親ではない。
人間として傲慢な親は親ではない。
自己をいつわる親は親ではない。
親もまた子供と共に
一生不断の修行者でなければならないのだと。」

                 『心窓去来』(下村湖人)
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