Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

親心の学舎

2011年03月04日 | Weblog
佐賀の認定子ども園で開催している、
今期の「親心の学舎」(全5講座)が終了しました。

5年間、共に学んでいただいたお母様もいらっしゃって、
何だか感激した最終講座でした。

本当に、共に歩んできた感があって、
不思議な気がしました。

皆さん、本当に、
人間として成長されていることを感じます。

「始めの頃は、
この子を何とかしようと思って子育てをしていました。
けれど、そうではなくて、
自分自身が親として人間として成長することが、
子育てには何より大切なのだと気づきました。」
という言葉がとても心に響きました。

子育てに、悩み、苦しみ、
そして、攻撃的にさえなっていた方が、
とても柔らかく素敵な表情になられたのには、
感動すら覚え、頭が下がる思いでいっぱいです。

また、新しい一年が始まります。
私も更に新しい教育の境地を切り開いていこうと思っています。

また、お目にかかれる日を楽しみにしています。

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カンニング

2011年03月04日 | Weblog
大学入試でのカンニングの事件があり、
大変なことになってしまった。

この件について、
色々な事を色々な人たちが論評している。

入試会場には金属探知機をとか、
カンニングで逮捕は行き過ぎだとか、
ネットの優位性とか、
入試の在り方が問題だとか、
心療内科に行けだとか様々である。

それぞれに妥当性があり、
より良い方向に本人が更正し、
より良い方向に入試の在り方が改善されればよいと思う。

しかし、私が一番気になったのは、
誰もが母親や祖父母の胸の痛みを
一顧だにしないことの方である。

犯罪は許せないし、
多くの人に迷惑をかけたのであれば、
償わねばならない。

ただ、どんな罪人であれ、
父と母がおり、祖父母がいる。

そうした人々への配慮を失った社会が、
将来、温もりのある豊かなものになるとは、
私にはあまり思えないのである。

この事件に関する報道で、
最も私の目にとまったのは、次の記述だった。

「山形県に在住する祖父(77)によると、予備校生と連絡が取れなくなり、
同日朝に母親が祖父に「おとうさん、ごめん。おとうさん、ごめん」と言い
残し捜しに出かけたという。「なんでこんなことになるのか……」。
予備校の関係者が沈痛な表情で語った。」


「おとうさん、ごめん。おとうさん、ごめん。」


この母の心に共感する感性を誰もが失っているとしたら、
それは淋しい限りである。

受験生が罪を償うのは当然としても、
母親の心の痛みを思えば、涙が出る思いである。

更に、年老いた祖父母の心を思えば辛い思いになる。
お二人にとっては、可愛い孫でしかなかっただろうに・・・と。

どうしてこうなってしまったのか…。

現代社会での子育ては、
様々な問題を抱えていて、
誰も明確な処方箋など書けやしない。

教師にせよ、医者にせよ、政治家にせよ、
誰もこれらの問題を
たちどころに解決できる人間などいやしない。

そのくせ問題が起きれば、
非難の大合唱である。

受験勉強よりもっと大切な、
人としての心を鍛える機会を、
子どもたちから散々奪っておいて、

問題が起きたときだけ論評して、
したり顔をする気には、私は到底なれない。

「おとうさん、ごめん。おとうさん、ごめん。」

情けなかったろう…。
悲しかったろう…。
辛かったろう…。
苦しかったろう…。
悔しかったろう…。

「おとうさん、ごめん。おとうさん、ごめん。」

何も力になってあげられないけど、
私は、この言葉に寄り添える人間でありたいと思う。









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