Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

顔つき

2011年03月10日 | Weblog
私がまだ子どもだった頃、
大人たちの顔つきには重厚さが漂っていたと思う。

それは、答えの出ないことを、
色々と考えていたからではないだろうか。

苦しみ悩むうちに人間は磨かれていく。
そして、それが顔つきにあらわれてくる。

豊かになったから、
といえばそれまでだが、

苦しむことがないのは、
やはり人間を磨かないし、
本当の人間の優しさや思いやりや叡智といったものにも、
深みがなくなっているように感じられる。

また、苦しむことの質も
大きく影響しているのではないかと思う。

自分のこと(私事)に苦しむのであれば、
その苦しみには透明感がない。

天下国家のため(公事)に苦しむのであれば、
苦悩の皺は、顔に深く刻まれていたとしても、
笑顔には透明感がどこかしら漂う。

その心の中にあるものが、
正しく外ににじみ出てくるのだろう。

私は右でも左でもないと思うのだが、
伝統は大切にしたいと考えている。

なぜなら、
私の命は、長き間にわたって、
受け継がれてきたものであり、
ある日突然、歴史と関係なく
生まれてきたものではないからである。

歴史もその命の連続性の中にしかない。
だから、先人たちの苦労を感じ取る感性を
私は大切にしたいと思うのである。

たしかに先人の愚かな判断もあったであろう。
しかし、それも含めて、私たちに繋がる先人たちなのである。
その生き方に温かい眼差しを注いでいくことを
私は大切にしたいと思う。

現在は変えることができる。
だから、全力で事に当たらなければならない。

しかし、過去は変えることはできない。
変えることができぬもの故、それを見る者の心が投影される。
歴史を古より「鏡」と称するのは、そうした理由も含まれていよう。

何を言いたいかというと、
右翼的な心情も、左翼的な心情も、
教育に携わる者は理解しなければならないだろうし、
そして、その上で、中庸に止まろうと努力し続ける事を
忘れてはならないということである

歴史に対して冷ややかであってもいけない。
歴史に対して独善的であってもいけない。

歴史にどう向き合うかという姿勢は、
そう簡単に確立されるものではない。

考え抜く学びを私たちは創っていきたい。














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