花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

奴隷は主人の言葉で語る

2020-09-08 21:32:10 | Weblog
 「[奴隷は]主人の言語で語らねばならぬ」、イギリスの文化人類学者・デビッド・グレーバーさんは「負債論 貨幣と暴力の5000年」(以文社刊)の中でこう書いています。これはどういうことかと言えば、同氏の言葉を借りるなら、「名誉とは、定義上、他者からどうみられているかに存在するということである。とすると、それを回復するために奴隷は、必然的にじぶんを取り巻く社会の規則と基準を身につけなくてはならないことになる。そしてそのことは、少なくともふるまいにおいては、名誉を自分から剥奪した当の制度について完全に拒絶することはできない、ということを意味している」、となります。

 かつて、マックス・ヴェーバーは、カースト制においてはより上位のカーストに生まれ変わることが人生の主目的となるため、カースト制の存在が自らの日々の努力の前提となり、カースト制による身分差別を変革する契機はカースト制の内部からは生まれない、といった趣旨のことを「古代ユダヤ教」の冒頭で述べています。グレーバーさんが言わんとすることも構造的にはヴェーバーと同じではないかと思われます。つまり、ある思考の枠組みの中にあるとそれに取り込まれてしまい、その枠組みの継続を志向しやすいということです。

 さて、グレーバーさんの言う「じぶんを取り巻く社会の規則と基準を身につけなくてはならない」や「ふるまいにおいては、当の制度について拒絶することはできない」の精神的態度が習い性になってしまうと、人は「長い物には巻かれろ」的な心性に縛られるようになるのかもしれません。ついこの間まで安倍総理の後継者としていろんな名前が挙がっていたのに、ほんのちょっとの間に雪崩を打ったように菅さんへと自民党の議員がなびくさまを見ていて、文脈的には少し違うものの何となくグレーバーさんの言葉が思い出されました。権力に引き寄せられて権力の近くにあろうとする人たちは、どうしても流れを読み勝ち馬に乗ろうとしてしまうのでしょう。

(追悼)
 9月5日付の朝日新聞朝刊はグレーバーさんが2日に死去されたと報じていました。また、本日の朝日新聞に掲載されている岩波書店の広告には、グレーバーさんの新刊である「ブルシット・ジョブ」の書名があり、「発売たちまち4刷」と出ていました。近所の図書館のホームページで同書を検索すると、出て間がないのにも関わらず予約数は46。人気の書と言えます。まだまだいろいろな本を書いて欲しかったのに残念です。享年は59とのことです。

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