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「思ふどち春の山辺に打ち群れて そことも言はぬ旅寝してしが」、これは三十六歌仙のひとり、素性(そせい)法師が詠んだ歌です。思うどち、つまり気心の知れた仲間同士が、春の山に出掛けて、どこでとは言わないけれど、旅先で寝てみたい、といった歌意でしょうか。
11月の三連休のある日、山登りに出掛けました。春の山辺から季節は半周回って晩秋の趣きさえ漂っていましたが、山を楽しんだ点では素性法師と同じだったのではと思っています。と言うのも、今年はやけに雨が多く、山の計画を立ててもずっと雨に泣かされてきました。久しぶりの今回の登山は快晴に恵まれ、遠くは加賀の白山まで見通せて、広々感、伸び伸び感で文句なし開放的な気分を味わえたからです。旅寝とまではいきませんが、こころ長閑にくつろいだ気分を味わえました。
素性法師は次の歌も詠んでいます。「もみぢ葉に道はむもれてあともなし いづくよりかは秋のゆくらむ」
日ごとに山は冬の装いになってくることでしょう。素性法師ならずとも、知らぬ間に秋がどこへやら去っていくのを、後になって気づかされます。この先、天気が安定して、もう1、2回は秋の名残の山を歩けると良いのですが。
11月の三連休のある日、山登りに出掛けました。春の山辺から季節は半周回って晩秋の趣きさえ漂っていましたが、山を楽しんだ点では素性法師と同じだったのではと思っています。と言うのも、今年はやけに雨が多く、山の計画を立ててもずっと雨に泣かされてきました。久しぶりの今回の登山は快晴に恵まれ、遠くは加賀の白山まで見通せて、広々感、伸び伸び感で文句なし開放的な気分を味わえたからです。旅寝とまではいきませんが、こころ長閑にくつろいだ気分を味わえました。
素性法師は次の歌も詠んでいます。「もみぢ葉に道はむもれてあともなし いづくよりかは秋のゆくらむ」
日ごとに山は冬の装いになってくることでしょう。素性法師ならずとも、知らぬ間に秋がどこへやら去っていくのを、後になって気づかされます。この先、天気が安定して、もう1、2回は秋の名残の山を歩けると良いのですが。
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