花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

ドンマイ総理

2019-11-07 22:37:36 | Weblog
 今日の朝日新聞朝刊の社説は、「『任命責任』は口だけか」と題して閣僚辞任に関する安倍総理の国会答弁を批判するものでした。経産大臣と法務大臣の相次ぐ辞任を受け、総理は任命責任を認めつつも、具体的な責任の取り方には言及しませんでした。社説によると、「責任の果たし方については『行政を前に進めることに全力を尽くす』の一点張りだった」とのことです。

 行政に全力を尽くすのは、そもそも内閣の使命であり、辞任があろうとなかろうと当然やるべきことです。任命責任とは切り離して考える筋合いのものを持ち出して、これで責任を取ると言われても、「それで良いのかなぁ」と思ってしまいます。

 例えば野球では、タイムリーエラーをした選手がその後ホームランを打てば、「エラーを帳消し」などと言われます。これは、エラーのマイナスをホームランのプラスでカバーしたので「帳消し」となりますが、それも最終的な勝敗だけを見ているから言えることです。それぞれのプレーが独立して評価されるのなら、帳消しとは言えません。また、ヘマをした選手に「ドンマイ、ドンマイ、バッチコー(ばっちりいこう)」と声を掛けるのは、気落ちして委縮すれば本来の力が発揮出来なくなり、さらに傷口が広がっては困るためです。「ドンマイ」でエラーが消えるわけではありません。いずれにせよ、スポーツが日常生活から時間と空間を区切って行われる、いわばフィクションであることが前提になっています。

 実社会はスポーツとは異なります。飲酒運転をした人が、翌日泥棒を捕まえたとしても、飲酒運転は飲酒運転、犯人逮捕は犯人逮捕できちんと分けて考え、飲酒運転が帳消しになったりはしません。任命責任を認めたり、辞表を書いたりするなら、やはりどういう責任があるのか、きちんと説明しなければならないと思います。

 社説にこんなことも書いてありました。「安倍政権では、疑惑をもたれて要職を辞した政治家が、その後、説明責任を果たさぬまま、復権を果たす例が相次いでいる。今回の連続辞任も、しばらくすれば国民は忘れてくれるだろうと高をくくっているのだとしたら、同じ過ちが繰り返されてもおかしくはない。」

 「行政を前に進めることに全力を尽くす」の言葉が、何となく「ドンマイ、ドンマイ、バッチコー」と聞こえてなりません。お友達というチームメイトに、「気にせず、今まで通りガンガン行こうぜ」と言っているようで、私たち国民に向けられたものとは感じられません。

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