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豊田市図書館の17冊

293.7『十二章のイタリア』

316.4『「イスラム国」台頭の軌跡 ブラック・フラッグス 上』

316.4『「イスラム国」台頭の軌跡 ブラック・フラッグス 下』

675『オウンドメディアのつくり方』「自分たちでつくる」ためのメディア運営

410.7『どうして高校生が数学を学ばなければんらないの?』

293.5『南フランスの休日 プロヴァンスへ』

210.76『日本の長い戦後』敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか

148.9『人生が好転する4けた数字開運術』

141.6『武器化する嘘』批判的思考で真実を見抜け

338.32『FinTechの法律2017-2018』

361.85『チャヴ 弱者を敵視する社会』

291.09『青春18きっぷ パーフェクトガイド』北海道から九州まで…JR全線で使えるスーパーチケットを使いこなす!

315.4『ボコ・ハラム』イスラームコクを超えた「市場最悪」のテロ組織

007.35『PMBOOKが教えない成功の法則』「手探りプロジェクト」を賢く乗り切る

C05.3『駐車監視員資格者必携』違法駐車取締りに携わるすべての人々のために

375『高校の勉強のトリセツ』つまずきたくない人、いまから挽回したい人のための

385.9『世界に通じるマナーとコミュニケーション』つながる心、英語は翼
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『コミュニティ事典』は目につくものは全てアップ

『コミュニティ事典』は目につくものは全てアップ

 月の半ばなのに、冊数が少ない。来週はさらに減るでしょう。本業をしっかりさせよう。そのなかに、『コミュニティ事典』があった。

 目につくものは全てアップされていたが、現時点での結論が書かれていなかった。コミュニティのあり方を考える上で重要な位置を占めるであろう、ムスリムのウンマの記述がされていなかった。

 その伝播力は驚異的であり、国民国家を超えた存在になり得る。

 いつまでも、ANNの「いくひめ」に浸っていたから、本を読む気になれない。

『コミュニティ事典』目次概要

 1 コミュニティの思想と歴史
  Ⅰ 伝統的コミュニティ論と現代
  Ⅱ 西欧とアジアのコミュニティ
  Ⅲ 日本のイエ・ムラ論
  Ⅳ 日本の村落コミュニティ
  Ⅴ コミュニティの諸相

 2 国家・地方制度のなかのコミュニティ
  Ⅰ 町内会自治会の基本性格
  Ⅱ 町内会自治会の原型の形成期--明治地方自治制度の形成期からアジア太平洋戦争まで
  Ⅲ 町内会自治会の展開期--戦後の占領期から1990年代半ばまで
  Ⅳ 町内会自治会の変容期--阪神・淡路大震災後から今日まで
  Ⅴ コミュニティ・ガバナンスの課題

 3  近代日本社会とコミュニティ
  Ⅰ 近代日本の社会集団とコミュニティ
  Ⅱ 戦後日本社会と町内会
  Ⅲ 地域統合/分化/再編とコミュニティ
  Ⅳ 日本的自治と町内会

 4 ボランティア、NPO、NGOとコミュニティ
  Ⅰ コミュニティ市民活動の歴史・概要
  Ⅱ コミュニティと大学ボランティア活動
  Ⅲ コミュニティ活動と支援組織・運営
  Ⅳ コミュニティ活動とボランティア

 5 グローバル化とネット・コミュニティ
  Ⅰ 近代のメディアとコミュニティ
  Ⅱ 初期ネット文化が夢見た理想と日本の現実
  Ⅲ インターネットと社会的連帯、集合知
  Ⅳ ソーシャルメディアと日常生活、集合性
  Ⅴ 移動、メディア、コミュニティ

 6 変容するエスニック・コミュニティ

 7 まちづくりとコミュニティ
  Ⅰ まちづくりと類似概念
  Ⅱ 多様な地域・テーマのまちづくリ・地域づくリ
  Ⅲ 文化的活動とまちづくリ
  Ⅳ まちづくりの新しい様相

 8 社会計画・社会開発とコミュニティ
  Ⅰ 社会計画とコミュニティ
  Ⅱ 社会開発とコミュニティ
  Ⅲ 保健医療・教育・スポーツとコミュニティ

 9 福祉とコミュニティ
  Ⅰ コミュニティを基盤とした福祉の展開
  Ⅱ コミュニティを基盤としたソーシャルワークとケア
  Ⅲ コミュニティを基盤とした多様な支援実践
  Ⅳ 新たな福祉課題へのコミュニティによる実践

 10 安全・安心とコミュニティ
  Ⅰ 歴史、制度、政策
  Ⅱ 実践、サービス
  Ⅲ 空間、場所
  Ⅳ 交通、移動、テクノロジー
  V 防災、災害支援

 11 災害・復興とコミュニティ
  Ⅰ 災害・復興への備え
  Ⅱ 被災とコミュニティ再生(生活)
  Ⅲ 被災とコミュニティ再生(財政・経済)
  Ⅳ 被災とコミュニティ再生(プランニング)

 12 アジアのコミュニティ
  Ⅰ 東アジア
  Ⅱ 東南アジア
  Ⅲ 南アジア、中央アジア

 13 欧米のコミュニティ
  Ⅰ 基本視点
  Ⅱ 北米地域
  Ⅲ ヨーロッパ地域

 14 コミュニティ・プランニングの対象と方法
  Ⅰ コミュニティ・プランニング概論
  Ⅱ コミュニティ・プランニングの関連概念
  Ⅲ 技法
  Ⅳ 制度/仕組み
  Ⅴ 担い手
  Ⅵ コミュニティ・プランニングの現代的課題

 15 コミュニティ・スタディーズの対象と方法
  Ⅰ コミュニティ・スタディーズの対象、方法と系譜
  Ⅱ コミュニティ・スタディーズの展開
  Ⅲ コミュニティ・スタディーズの論題
  Ⅳ コミュニティ・スタディーズのフロンティア
  Ⅴ コミュニティ・スケープ
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公共空間のつかいこなしとコミュニティ:図書館

『コミュニティ事典』より

公共図書館のいま

 新聞や雑誌を読みながら長時間滞在する高齢者、親が絵本を読み聞かせする横で遊びに興じる子どもたち、宿題や友だちとの会話を楽しむ学校帰りの生徒たち。いま公共図書館に足を運ぶと、従来の図書の貸借や読書、学習目的だけでなく、さまざまな目的で図書館に滞在して、時間を過ごす場所として利用されている光景が目に飛び込んでくる。こういった「滞在」行為に対応した空間計画とサービス提供を実現した「滞在型図書館」は、1990年代に開館した苅田町立図書館や伊万里市立図書館を噴矢に、その後せんだいメディアテークに続くが、現在では多くの公共図書館の計画課題になっている。さらに近年では、図書館という場所や本そのものを媒介にして人と人のつながりを創る取り組みも確認できる。蔵書ゼロから立ち上げ、関心の連鎖というF知縁」を基盤に蔵書とネットワークを構築させるFまちライブラリー」はその好例であろう。

公共空間としての公共図書館

 このように、あらゆる市民の滞在場所となり、また市民同士をつなぐ役割を公共図書館が果たせるのは、ユネスコの公共図書館宣言にもあるように、何人も拒まず、無料で利用することが保証されているためである。これは、学校は子どもたち、病院は患者というように、「公共」とは称するものの実際には特定の利用者やニーズに応えるべく、カスタマイズされた他の公共施設と性格が大きく異なる。斎藤(2000)の公共性に関する3相(Open、Common、Official)の指摘を援用すれば、非排他的(Open)で[知]という共有可能(Common)な関心や図書等があり、それを制度も保証する(Official)公共図書館は、文字通り公共空間としての特性を備えている場所であるといえよう。

まちの居場所としての公共図書館

 地域における居場所づくりは、孤立化や無縁化か進む今日の日本の地域社会における1つの課題であろう。各地に「コミュニティカフエ」と称する場所が生まれていることはその証左である。まちの居場所に関して、建築計画学では主宰者=主(あるじ)の存在や、主宰者主導の比較的小規模の空間づくりや個別の事情に合わせた運営に注目した論考が重ねられてきた。しかし、公共図書館においても、上記のような日々の様子から、[まちの居場所]となっていると感じられる図書館も少なくない。たとえば、武蔵境駅前に開設された武蔵野市立図書館の分館である「武蔵野プレイス」は、図書館機能を基盤にしながら市民活動拠点として、また青少年の居場所づくりのために必要な空間とそれに対応できるスタッフが配置されている。15万人都市の図書館分館として年間150万人を超える来館者を迎える実績の理由は、この図書館の機能的先進性だけでなく、①前庭とセットになった入りやすい空間づくりや②分節化されたヒューマン・スケールの部屋の集積、③さまざまなタイプの家具の配置、④そして駅前という立地性といった空間特性を備えているからであろう。しかし、公共図書館が高齢者や親子の居場所となっていても、その様相は地域コミュニティの居場所である「コミュニティカフエ」のそれとは異なる。公共図書館はOpenを旨とするO圧cialな運営方針が多様な市民の来館と滞在を担保する中で、図書自体や図書を介した知的な活動などのCommonな媒介物が人と図書館、もしくは人やコミュニティ同士をっなく≒より広く市民の居場所としての性格を有している。

社会包摂を支援する公共図書館

 海外に目を転じると、疲弊した都市や地域コミュニティの再生や社会包摂の一翼を公共図書館が担う例は少なくない。筆者が分析を進めているロンドン・タワーハムレッツ区プ茫図書館「アイデア・ストア」とイタリア・ボローニャ市立図書館「サラボルサ図書館」は、移民の言語習得や就業支援、ホームレスの社会復帰を支援する窓口と指南役の役割を担っている。とくにサラボルサ図書館は、先見性を持って自ら地域社会や市民の課題に対応してきたというよりも、社会に開かれた公共図書館として開館後に寄せられた二ーズに応えて取り組んできた。もちろん、図書離れや汀技術の発達により図書館という固有の場所の存在意義が薄れてきた影響は無視できないが、逆にそのことが公共空川としての公共図書館の今日的な存在意義を浮かび上がらせているのではないか。

 実際に現地に赴くと、日本の公共図書館でみられるような滞在行為もあれば、より切実な要望を持って来訪していると思われる人々もいる。そしてそのような市民のために、さまざまな空間やサービスを用意している。また、交通の要所や市民が日常的に来訪しやすい商業施設に隣接するように再配置し、内部のアクティビティが外部からも視認できるような空間構成や建築デザインを施している。つまり、その場所の利用方法や滞在の可能性を街の側から視認、共有できることを計画者や運営者は意識的に実行している。さらに注目すべきことは、個々の図書館の建築計画的特徴だけでなく、都市・地域計画に関わる戦略的な空間およびコミュニティ計画のなかで公共図書館が整備されていることである。

 また、ボローニャでは文化部がサラボルサ図書館を所管しており、「文化=市民の交流」の場所として必要な空間や運営方法を構築している。日本の公共図書館は一般に教育委員会が所管しているが、どの行政部署が担当するかは、できあがる空間や機能そしてサービスの質に大きく関わる。この点はこれから再編が進む日本の公共施設計川・運営の課題である。

まちづくりとは何か

 「まちづくり」の多相化は本事典の存在がまさにそれを表している。すなわち、主体やその組織運営に関する議論、価値基準(たとえば歴史保存、景観保全、住環境良化など)をどこにおくかという議論、あるいは法規制からみたハード面からの議論など、実にさまざまな視点から語られる。つまり、一言で「まちづくりとは何か」について共通理解とすることはかなり難しい問いである。しかし、「まちづくり」が地域ごとに現れる課題を解決するための方策として議論される背景には、「変化への対応」に必然があるという点は共通であるといってよいだろう。

 ではなぜ、変化に対応を考えねばならないのか。その先には地域社会の存続という目的があり、その実現にむけて、変化し始めたあるいはすでに変化してしまった、地域における社会資本の整備状況や機能の充足程度、住民の年齢等の構造や関係性、経済活動の主体やあり方、規模などを再構築することが必要になっているからといえる。

社会構造の変化とマーケティング視点の欠如

 先にも触れたように、「まちづくり」は「変化への対応」のためのアイデアであり行動であるが、社会構造のなかで、端的な変化は人口構造の変化や産業構造の変化と、それにともなう働き方や暮らし方の変化であろう。

 すでに多くの指摘があるように、この先数十年に顕在化してくる人口構造の変化の特徴は、少子化による人口減少と高齢化の同時発生による従属人口指数の上昇にある。また、産業構造の特徴の一面である3次産業化は、人が集積する場所に、新たな産業と雇用が集積するという循環を生じさせる。この2つの変化は関連しながら、職自体やより高い収入を得やすい場所を求めたり、職場と住まいの関係から利便性の高さを求めた居住地の選考をしたり、といったように人々の暮らし方にも変化を及ぼす。

 商店街といわれるエリアの商業活動の停滞・縮退や中心市街地にある不動産ストックの低利用・未利用、あるいは空き家問題の主要因である(とくに地方で郊外に開発された)住宅地の過剰ストックと資産価値の低下などは、先述のような変化の連鎖により、人々の暮らし方が変わったことにともなうものといってよいであろう。

 では、暮らし方の変化への対応ができない要因はどこにあるのか。人口増を背景にした経済の高度成長期において「開発」そのものが地域に人と活動を呼び込み、地域の付加価値拡大を実現してきた。しかし、人口構造や産業構造などの変化は不動産市場の需給バランスも変化させ、地域によっては地価も下落傾向にあり、新たな開発行為は回収不能の過剰投資となり、付加価値を生まないだけではなく周辺に未利用空間(空き家、空き地、空きビルなど)を生み出す元凶にもなりかねない。このように、従来型の社会システムがもつ、供給計画ありきで需要の把握に対する努力の欠如いわばマーケティング視点の弱さというのが、変化への対応力の低さの背景にある。

リノベーションとは何か。

 国土交通省によるリノベーションの定義には、「建物を新築時の目論見とは違う次元に改修する」ことある。この新築時の目論見とは違う次元、というのは少し抽象的でわかりにくいが、当初の建設時に期待された機能や価値とはまったく別の新たな機能や価値を実現すること、と言い換えることもできそうである。つまり、リノベーションとは「新たな機能や価値の実現」するための創造的な行為であるということである。そして、このように新たな機能と価値の実現において重要な視点は、まさしくマーケティング視点を持って現在の市場で起こる変化の兆しをとらえ、未来の需要を把握することに他ならない。

まちづくりにおける「リノベーション」の本質的な意味

 最後に。本項のタイトルである「リノベーションとまちづくり」における[まちづくり]の目的、つまり地域社会の持続可能性を高めるために、リノベーションという行為の意味と、それがもたらす効果という視点からリノベーションとは何か、を考えてみる。

 先に示した国交省によるリノベーションの定義は、単体の建物の改修を前提とした定義である。しかし、単体の建物の改修、あるいはその使い方の変更という行為を通じて期待される効果は、建物の効用や価値の引き上げだけではなく、新たな価値をエリアに装着、創造することにまで及ぶはずである。つまり、1つの建物に対する改修を通じて、現在、建物が立地する商店街や中心市街地、あるいは郊外住宅地には存在しない機能や場を挿入することで、新たな集客や取引、人間関係を引き起こすという価値を創造することである。

 このように考えるとき、まちづくりへの影響をもたらす「リノベーション」は、その定義自体を変えことになる。「まちづくり」の対象範囲の運営を[まちの経営]と見立て、そこにある不動産ストックを「経営資源」ととらえれば、経営資源から創出される付加価値の最大化により、まちの長期安定的な存続の実現が経営目標となる。そして、目標達成にむけた経済合理的な手段の1っとして、過大な初期投資をともなう従来的な開発的な手法によらず、すでに目前にある不動産ストックを利活用という手法が選択肢として注目されている。

 「リノベーションとまちづくり」でとらえるリノベーションとは、まちに新たな付加価仙をもたらし自立的な持続可能性を向上させるという目的達成のため、たとえば不動片ストックに関わる貸主と借主の関係性や資金の分担など、「社会システムや関係性の変|川までをも手段として目論むような、総体的な行動であると定義できる。
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ソーシャルメディアと弱い絆/強い絆 フラッシュモブ

『コミュニティ事典』より 欧米のコミュニティ

「弱い絆/強い絆」とは何か

 アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターは、著書『転職』の中で、「弱い絆の強さ」という逆説的な主張を展開した。その元となったのは、人々の転職行動の研究において、ごく親しい家族や親友といった「強い絆」は、同質性が高いために新規な情報をもたらし靭く、むしろ顔見知り程度の知人のような「弱い絆」の方が、異質で新規な情轍が得られ、より有用であるという知見であった。グラノヴェッターの主張は、それ以降も、個人が取り結ぶネットワークの研究に対して、大きな影響を与えることとなった、その竹子を抽象化して述べるならば、凝集性の高い「強い絆」ばかりが存在していては、社会は小規模な集団へと分散してしまい、むしろそれを互いにつなぎとめるような「弱い絆」こそが、社会を結びつけているというものであった。

 近年注目されている社会関係資本論においても、関連する主張が見受けられる。たとえば代衣的な論者であるアメリカの政治学者ロバート・パットナムは、同質的でつながりの強い「結束型社会関係資本」だけでなく、異質的で開放的な「橋渡し型社会関係資本」のj爪要性も指摘した。この後者こそが「弱い絆」にあたるものである。

 なおグラノヴェッターと同種の研究は、日本でもいくっかなされてきたが、『転職』の翻訳お・でもある渡辺深によれば、日本社会では「強い絆」のほうが有用なケースが多く見られてきたという。

「ソー活」という可能性/問題点

 その後、2000年代以降のインターネットの本格的な普及を経て、こうした動きにも変化が見られつつある。いわゆる「ソー活」はその典型といえるだろう。「ソー活」とは「ソーシャルメディアを通した就職活動」の略であり、2010年代に入って目立ってきた動向である(2012年には新語・流行語大賞にノミネートされ、2013年版(現代用語の基礎知識)にも収録された)。

 具体的には、各種のソーシャルメディア上において、求職者側は自己アピール情報を掲載する一方、企業側も就職情報に関するページを開設し、双方向的なコミュニケーションを図りながら就職活動を進めていくことを指す。

 旧来までの、部活動や血縁関係を通した、いわゆる「コネ採用」が「強い絆」だとするならば、ソーシャルメディア上の情報にアクセスしたり、自己アピールを行うことは、理論上は誰にでも可能であり、まさに「ソー活」こそ、現代版の「弱い絆(の強さ)」ということも可能だろう。関連した興味深い事例としては、図に示されているように、2014年に、当時東洋大学4年生であった菊池良が、「世界一即戦力な男・菊池良から新卒採用担当のキミヘ」と題して、過剰なまでに自己肯定的なアピールを強調したホームページを作成し、各種ソーシャルメディア上で大きな反響を呼びながら、企業から内定を得たというエピソードが挙げられよう(後にフジテレビ系列でドラマ化された)。

 しかしながら、これはやはり特殊な事例であり、実態としては「ソー活」はさほど広がりを見せていないといわれている。また、ソーシャルメディア上の情報は、逆に企裳側が内定を出す前の「身分照会」代わりに使われることも多いといわれ、かえって求職者たちが、就職活動に際して、個人情報の公開を控えたり、削除することもあるという。

ソーシャルメディアがつなぐのは弱い絆か、強い絆か

 こうした「ソー活」の状況にかんがみても、今問われているのは、日本社会においてソーシャルメディアが紡いでいくのが、果たして「弱い絆」なのか、それとも「強い絆」なのか、という点にある。可能性としては、どちらもありうるといえよう。

 だが、これまでの関連研究の蓄積を振り返るならば、日本社会におけるインターネットは、新規な関係形成をもたらすというよりも、結局のところ既存の人間関係を強化したり、あるいは人数の面で増加していても、同質的な関係に留まっていると指摘される傾向にある。つまり、グラノヴェッターがいうような「弱い絆」の形成に、役立っているとはいまだにいえないような状況である。

 しかしながら、ソーシャルメディアは、それぞれのサービスの流行り廃りが激しく、今後さらに新たなサービスが展開される可能性もあるため、引き続き検討を重ねていくことが肝要といえるだろう。

フラッシュモブの成立とその起源

 2003年6月17日、ニューヨークのとあるデパートの絨毯売り場に突如200人近くもの一団が姿を現した。一枚の高級絨毯を取り囲み、何やら激しく論争しているらしいその様子に驚いた店員に彼らが言うには、自分たちは郊外の大きな倉庫で一緒に暮らしている、今日は「みんなで乗って遊ぶ」ための「ラヴラグ」を探しにきた、とのこと。あっけにとられている店員が見守る中、その絨毯を買うかどうかの議論が熱心に交わされたのち、投票が行われ、少数の賛成意見と多数の反対意見が出されるやいなや、一同は唐突にその場から姿を消した。

 雑誌編集者のビル・ワジクが仕掛けたチェーンメールから生まれたこのプロジェクト、「二ューヨークにほんの10分程度、わけのわからない群衆を生み出そうとするプロジェクト」はその夏8回にわたって開催され、その様子をブログにまとめたショーン・サヅェージによって「フラッシュモブ」と名づけられた。するとそれを見た人々が今度は自分たちのプロジェクトを各地で主催し、実行するようになる。その結果「フラッシュモブ現象」はアメリカ中を、そして世界中を席巻し、その夏のうちに「南極大陸を除くすべての地域を征服してしまった」(サヴェージ)。翌年に刊行された「コンサイスオックスフォード英語辞典」にはこの語が新語として収録される運びとになり、次のよう解説が付された。

  インターネットや携帯電話を通じて呼びかけられた見ず知らずの人々が公共の場に集まり、わけのわからないことをしてすぐにまた散り散りになること。

 こうしてネットカルチャーの中に定着するに至ったフラッシュモブだが、しかしその原点にあるのは実はワジクのプロジェクトばかりではない。ロンドンのアーティスト、ペン・カミンズはやはり2003年頃から「モバイルクラビング」と称する突発的なダンスイベントを繰り返し主催していたし、ニューヨークの劇団、インプロヴ・エヴリホェアはすでに2002年頃から「ミッション」と称するドッキリ系のパフォーマンスイベントを立て続けに主催していた。さらに日本では早くも2001年頃から2ちゃんねるを拠点に、「ネタオフ」などと呼ばれる大規模なパフォーマンスイベントが盛んに開催されていた。

 このようにワジクのプロジェクト以外にも、21世紀を迎えるにあたってどういうわけか世界各地の都市からほぽ同時発生的に同様の活動が立ち現れてきたわけである。そこで繰り広げられるのはいずれの場合もひたすらバカバカしく、くだらなく、わけのわからない行動、無意味かつ無目的な行動だ。これら一連の活動、ネット環境の普及とともに立ち現れてきたいわば21世紀的なジャンルの集合行為としてのこうした活動に、「フラッシュモブ」という語は1つの名前を、そして1つの概念を与えることになったといえるだろう。

フラッシュモブの展開とその意義

 その後、ネット環境は進化し、2000年代も後半になるとメールとブログの時代からSNSとYouTubeの時代へと移り変わっていく。それにともなってフラッシュモブの内実もさまざまに変化していった。一方でそれはYouTube上のコンテンツを志向するものとしてエンターテインメント化し、とくにアメリカをはじめとする英語圏では、そして日本でも、カミンズのクラブの流れを汲むダンスイベントや、インプロヅ・エヴリホェアのミッションの流れを汲むパフォーマンスイベントが主流となる。他方でそれはSNS上のコミュニティを志向するものとしてアクティヴィズム化し、とくにロシアをはじめとする|日ソ連圏では、2000年代を通じて推し進められてきたいわゆる「カラー革命」の進展にともなって、どこかしら政治的なニュアンスをともなった半デモ型、半プロテスト型のイベントが主流となる。

 さらにいずれの場合もその動きはグローバル化していく。世界中の人々が同じ日の同じ時刻に一斉に動きを止めるという「ワールドフリーズデイ」、一斉に枕叩きに興じるという「インターナショナルピロウファイトデイ」などのイベントがアメリカを起点に世界数十ヵ国で同時開催された一方で、「新しいリアリティのゾーンを生み出す」こと、「全世界のリアリティを一瞬にしてつくり変えてしまう」ことをめざすという「グローバルフラッシュモブ」がロシアを起点にやはり世界数十ヵ国で同時開催された。

 こうして2000年代を通じて世界中で醸成されてきたフラッシュモブカルチャーは、2010年代を迎えるにあたってより大きな展開を迎えることになる。 2011年、カラー革命の終着点となった地、中東から突然大きな衝撃がもたらされた。「アラブの春」である。チュニジアやエジプトに劇的な政変をもたらすに至った一連の革命行動は、もちろんフラッシュモブとして実行されたものではない。しかしSNS上のコミュニティから呼びかけられて馳せ集まった群衆が祝祭的な、ときにカーニヴァルまがいのお祭り騒ぎを繰り広げ、その様子をYouTube上のコンテンツとして確かめ合いながら世界中に発信していくというそのスタイルは、まぎれもなく2000年代を通じてフラッシュモブカルチャーの中で確立されたものだった。実際、チュニジアやエジプトでのいわゆる「フェイスブック革命」の起点となったとされるモルドヴァでの「ツイッター革命」、さらにベラルーシでの「ライヴジャーナル革命」なるものはいずれの場合も、もとはといえば一連のフラッシュモブとして企画され、実施されたものだった。

 ニューヨークのデパートの絨毯売り場から生まれたフラッシュモブは、今やこうして世界を揺るがしかねないほどの巨大なポテンシャルを持つものにまでなっている。21世紀的なジャンルの集合行為としてのフラッシュモブは、そのバカバカしさ、くだらなさ、わけのわからなさをむしろその原動力としつつ、その無意味さと無目的さの中に立ち返ることからあらためて新たな意味と目的を形づくっていくための1つの力、それによってこの世紀を形づくっていくための巨大な集合力となりうるのかもしれない。
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「存在の意味への問い」の必要性 「存在の問い」の学問論的な意義

「存在論的」と「存在的」

 「存在の問い」は単にそれが問われていないだけならまだしも、それを問うことが不要であることを正当化するような先入見が西洋哲学においてはずっと支配的だった。そこで『存在と時間』の序論では、まず「存在の問い」がなぜ問われるべきかの説明に全力が注がれる。ハイデガーは「存在の問い」の必要性を「存在の問いの存在論的優先性」と「存在の問いの存在的優先性」という二つの観点から論じているので、これからその議論を見ていくことにしよう。

 ここで「存在論的」と「存在的」という『存在と時間』で頻出する術語について簡単に説明しておこう。すでに本書の序論で、存在者と存在の区別について述べた。われわれは存在者と関わっているとき、その存在を何らかの仕方で了解している。例えば鳥に関しては、それが「飛んでいること」、「えさを採っていること」などを了解している。しかし、通常われわれはそうした存在了解の内容を表だって意識することはない。

 序論の例をふたたび活用すると、「鳥が飛んでいる」、「ボールが飛んでいる」というとき、同じように「飛んでいる」といっても、それぞれの「飛ぶとと」の意味は異なっている。しかしそれらに対する日常的な関わりにおいて、われわれはそうした「飛び方」の違いをあえて反省することはないだろう。そうしたことを反省したりすれば、その時点で存在者との円滑な関わりが中断されてしまうからだ。このように存在了解をもちながらも、それをとくに主題化せず、存在者との関わりに没頭している状態をハイデガーは「存在的」と呼んでいる。

 それに対して、われわれは自分が関わっている存在者の存在様式をあえて反省し、それを表立たせることもできる。これが「存在」を主題化することであり、存在論を遂行することにほかならない。こうした態度が「存在論的」と呼ばれる。またハイデガーは「実存論的」と「実存的」という術語も用いるが、これも「存在論的」と「存在的」に準じて、現存在の存在である「実存」を表立って主題化する態度とそうでない態度を指している。

なぜ「存在の問い」はすべての問いに優先するのか?

 そこで「存在の問いの存在論的優先性」だが、これは「存在の問い」が自然科学を含んだあらゆる実証的学問を究極的に根拠づける問いであるため、実証的学問の遂行に先だって問われねばならないことを意味している。要するに「存在の問い」こそが学問論的観点からもっとも優先されるべき問いだということだ。これに対して、「存在の問いの存在的優先性」は、「存在の問い」がわれわれの生の根拠をもっとも根本から照らし出す問いであること、したがってその問いを問うことは単に学問論的に重要だというだけではなく、われわれの生のあり方を規定する問いとして、もっとも優先されるべき課題であるということだ。

 それではまず、「存在の問いの存在論的優先性」をハイデガーがどのように説明しているかを見ることにしよう。この議論でハイデガーは「存在の問い」の必要性を学問論的な見地から示そうと試みている。

 あらゆる実証的学問は、それぞれ何らかの存在領域に関わっている。物理学なら物理的自然、生物学なら生物、歴史学なら歴史、言語学なら言語といったように。このようにそれぞれ自分固有の領域をもつ実証的学問は、ハイデガーによると、おのれの扱う事象が「何であるか」をあらかじめ規定しておかなければならない。このように、ある特定の領域に属する事象の「何であるか」を考察し、規定する営みが「領域的存在論」と呼ばれる。

 例えば近代自然科学は、ガリレオ・ガリレイ(一五六四-一六四二)やデカルトによって自然の数量化を可能にするような仕方で自然の本質規定がなされたことに基づいている。近代自然科学は、時間、空間、運動、質量などといった根本概念についての独自の規定をもち、そうした根本概念によって、近代自然科学にとって自然がそもそも何を意味するかが画定されている。

 ハイデガーは近代自然科学におけるこのような自然の本質規定について、あるところ(一九三八年の講演「世界像の時代」)では次のように述べている。「運動は場所の変化を意味する。いかなる運動や運動方向も他のそれに対して際立つといったことはない。あらゆる場所はあらゆる他の場所に等しい。いかなる時間点も他の時間点に対して優位を持だない。いかなる力もそれが運動、すなわち時間単位における場所の変化においてもたらした結果によって規定され、ということは、ただもっぱらその結果そのものである」。自然の本質をこのように均質な時間-空間内における質点の運動としてあらかじめ規定し、こうした本質規定に即して自然を捉えることによって、近代自然科学ははじめて可能になったのだ。

 このことは、自然科学以外の学問にも当てはまる。あらゆる学問分野は自分自身の基礎として、自分が対象とする事象に関する根本概念を備えており、またその根本概念によって形作られた領域的存在論をもっている。逆にそのような領域的存在論がなければ、学問は自分が何を探求するのかも決定できず、そもそも学問として成り立つことはない。

 このようにあらゆる実証的学問が領域的存在論を前提にしていることを確認した上で、ハイデガーは個別的学問の基礎にあるこうした領域的存在論も、存在一般の意味が明らかにされない限り、素朴で不透明なものにとどまらざるを得ないと指摘する。実証的学問が取り扱う事象の本質を規定する領域的存在論は、さらに「存在一般の意味」への問いを前提するというのである。「存在の問い」は、このように各学問が依拠する領域的存在論そのものが、さらにその解明を前提にするという意味において「存在論的な」優先性をもつわけだ。簡単に言うと、「存在の問い」があらゆる学問探究に先だって問われなければならない。というのも、すべての実証的学問は、その問いに対する答えを前提としているからだ。

学問のあり方さえも変更する問い

 以上の説明で、実証的学問が領域的存在論に基づいていることはとりあえず理解できたとしても、その領域的存在論のためにはさらに存在一般の意味の解明を必要とするというのは、いささか形式的で、抽象的な議論のように思われるかもしれない。ハイデガーはここではあまり具体的なことを述べていないが、彼が考えているのは、存在一般の意味をどのように理解するかが、科学的・学問的探求一般のあり方、その方向性を規定するということである。

 本書の序論でも簡単に述べたように、西洋存在論は存在一般の意味を「現前性」と捉えている。言い換えれば、西洋存在論において「存在」とは何かが「眼の前に見出されること」、つまり「対象的に存在すること」と理解されている。そしてこのような存在の意味を前提とすることにより、各学問領域において扱われる存在者の存在も、対象的存在であることがすでに自明とされている。

 しかし、存在者の存在は必ずしもつねに対象的存在であるわけではない。そのわかりやすい例として、ハイデガーがかつて「事実的生」と呼んでいた人間の存在、「実存」を挙げることができる。「実存」についてはすぐあとで詳しく論じるが、それはわれわれ自身の存在であり、眼前に存在する事物の存在とは違って、対象的存在ではありえない。このことからもわかるように、対象的存在という存在理解はけっして普遍的なものではない。それを前提とすることによって、むしろ固有のあり方が取り逃がされてしまうような、そうした存在者があるからだ。このような存在者の存在を捉えるためには、「存在の意味」そのものが別の仕方で理解される必要があるということだ。

 このように、「存在の問い」の存在論的優先性という論点によってハイデガーが主張しているのは、「存在一般の意味」をどのように理解するかによって、学問のあり方がまったく変わってくるということだ。このように「存在の意味への問い」は学問の変革までをも視野に入れたものだが、この側面がハイデガーの後年の学問の刷新をめぐる言説、さらにはそれに基づいた大学改革論につながっていく。

 ハイデガーの思索におけるこの側面がもっともはっきりした形で現れたのが、一九三三年の彼の学長就任演説「ドイツ大学の自己主張」で語られた大学改革論である。ハイデガーはナチスが政権を獲得した直後、フライブルク大学の学長に選出された。就任演説は一般には彼の時流迎合の産物としてその内容はとれまで過小評価されてきたが、そこでは基本的には右で見た『存在と時間』の学問論に基づいた大学改革の構想が示されている(この大学改革構想については、秋富克哉、安部浩、古荘真敬、森一郎編『ハイデガー読本』法政大学出版局、二〇一四年所収の拙論「学長ハイデガーの大学改革構想--『ドイツ大学の自己主張』」を参照)。
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