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著作権を超えて、伝播する力

著作権を超えて、伝播する力

 電子化して、ブログなどに載せないと、本はCDとなってしまう。これでは伝播しない。著者も言いたいことがあるのであれば、もっと伝播しないといけない。

 そこに著作権のようなもので自分で制限を掛けている。受ける方から考えないと伝わらない。
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OCR化した7冊

『極秘指令 皇統護持作戦』

 肉親友人にも絶対に秘密を洩らすな

『ブックデザイナ--鈴木一誌の生活と意見』

 自由の行方

 脆さの強さ

 書店に行こう

 〈電子書籍問題〉

 それがないことが想像できない品物

 コンビニという風景

『核の恐怖全史』

 世界の破壊者

  核分裂の発見とマンハッタン計画

  原爆投下の経緯

  史上初の核実験

『あなたの脳にはクセがある』

 「少子化」は問題なのか

  〝貧乏人の子沢山〟の論理

  日本の少子化は女性問題である

  〝子育ち〟の機会

『メカ屋のための脳科学入門』

 宗教の創造--複雑化する社会への脳の適応

  世界中でさまざまな神が崇められ、さまざまな宗教が信仰されている。これらの神々や宗教は、どのように作られ、普及したのだろうか? 本講は、神や宗教が創造されるメカニズムとして、脳の動作原理を考察したい。

  意志の錯覚

  心の発達-ギリシア編-

  神々が人間を支配?

  ギリシア文学における人間の行動の変遷

  心の発達-メソポタミア編-ハムラビ法典

  神が消えた!

  王の威厳

  ギルガメッシュ叙事詩

  聖書

  旧約聖書の語り口

  旧約聖書VS.新約聖書

 宗教が社会に果たす役割

  社会の複雑化と心の発達

  宗教の発達

  意識はミーム?

  科学技術VS.宗教

『ホットドッグの歴史』

 はじめに

 ・ホットドッグ誕生

 ・ホットドッグはアメリカそのものである

 ・起業家たち

『「写真週報」とその時代』

 若く強きドイツ 友邦ナチス・ドイツ礼賛

 一 ドイツ関連写真記事の分類と全体的傾向

 二 友好国イメージの強調と批判の封印

 三 「若きドイツ」のイメージ

 四 軍事的な「強さ」の強調
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ホットドッグはアメリカそのものである

『ホットドッグの歴史』より ⇒ NYPLでホットドッグを食べに行こう

NYPLへ行きたい

 あるときニューヨーク公共図書館近くの西42丁目を歩いていたら、小さなファストフード店の前にかなり太った男女が立っていた。ふたりとも両手にホットドッグを持っている。合わせて4つ。その横を通りすぎるとき、ひとりがしみじみとした声で、「なんといってもホットドッグだね!」と言うのが聞こえた。思わず振り返って見ると、ふたりは幸せそうに目をきらきら輝かせ、マスタードだらけのくちびるに笑みを浮かべていた。たった二言と身ぶりだけで、ホットドッグヘの愛情とそれを食べる経験がどんなものかを完璧に表現していた。

 世界中のホットドッグースタンドで同じような表情を見ることができる。これは単にソーセージとトッピングの絶妙な味わいが引き起こす現象ではなく、ホットドッグにまつわる文化的な背景によるものでもある。

 19世紀の終わり頃から、ホットドッグはさまざまな伝承と商業の発達によってアメリカ文化の一部になった。もともと「ホットドッグ」という語は、アメリカ社会の大変革の時代に人気になった、ごく普通の大量生産されるソーセージに対して使われるようになったものだ。ヨーロッパからの大量の移民、大都市圈の本格的な発達、新しい人衆娯楽、情報テクノロジーの進歩のすべてが結びついて、期待に満ちあふれたアメリカの新たな川家アイデンティティ、伝説の「人種のるつぼ」が生まれた。ホットドッグはこの国家アイデンティティの宋置となり、当時の川民的スポーツだった野球ともしばしば結びつけられた。ある自動車メーカーが1975年に、「ホットドッグ、野球、アップルパイ、そしてシボレー」という記憶に残るキャッ子フレーズでブランド化を目指したのも偶然ではない。

 アメリカ人は公共の場所でホットドッグを食べるとき、自分たちが共有するアイデンティティのすばらしさをかみしめることで、この小さなソーセージに大きなおいしさを見出しているのである。

ホットドッグ誕生

 「ホットドッグ」という名前はきわめてアメリカ的だ。社会の厳しい現実を皮肉たっぷりにとらえるアメリカ人ならではのユーモア感覚と、伝説好きの彼らの性分から生まれた名前である。また、アメリカは商魂たくましい人々の国であるから、この名前はマーケティングのツールでもある。こうして名づけられた「ホットドッグ」は、まぎれもないアメリカの食べ物といえるだろう。

 これまでわかっているかぎり、「ホットドッグ」という言葉が最初に使われたのは1893年9月28日付の『ノックスヴィル・ジャーナル』紙のある記事においてであり、「ヴィーナーヴルストの職人たちでさえ、上曜の夜に売る『ホットドッグ』の準備を始めた」と書いてある。ホットドッグの名前の由来については1920年代以来、いくつかの〝公式の〟話が流布している。なかでもよく知られている次のストーリーは、この名前の由来とされる出来事とともに、アメリカ人の考え方と文化についても多くを教えてくれる。

 1901年4月、この時期にしては寒い日のことだ。ニューヨークの野球場、ポロ・グラウンズにやってきた数少ない観客は、厚いコートに身を包むか、スタジアムで貸し出される毛布にくるまって震えていた。しかし、荒れた天気もニューヨーク・ジャイアンツ(ジャイアンツは1958年に本拠地をサンフランシスコに移動し、サンフランシスコ・ジャイアンツとなる)の熱狂的なファンたちの士気をくじくことはなかった。ここに来ているのは、数こそ少ないものの骨の髄からのファンたちだった。この負け続きのチームの観客動員数は数年前から目に見えて減少していた(ジャイアンツが伝説の選手兼監督ジョン・J・マッグローのもと優勝と多数の観客を取り戻すのは翌年の1902年以降のことだ)。

 当時の野球場はどこもそうだったが、ポロ・グラウンズも木造の建物で、座席数は少なかった。同じ場所に鉄筋コンクリート造の〝近代的〟な野球場が建てられるのは、火災で古い木造観客席が焼け落ちたあとの1911年のことである。この頃から、全米メジャーリーグチームのスタジアムが危険な古い木造から鉄骨造に建て替えられるようになった、が、それもまたやがて旧式の建築となり、現在はほとんどすべてが再改築されている。

 その4月の寒い口、ジャイアンツのファンたちは暖をとるもうひとつの手段を見つけた。食べ物である。20世紀を迎えるずっと以前から、アメリカの野球場では、ほかの公共イベントの会場と同じように、食べ物の屋台や売り子は風景の一部となっていた。ピーナッツ、チューイングガム、タバコ、ソフトドリンク、アイスクリームが、当時の人気商目川だ。球場で商品を売るのは、通常は球団が許可した販売業者だった。

 こうした販売業者のなかでも人きな成功を収めたひとりがハリー・M・スティーヴンズ(スコアブックを発明したイギリス人で、熱狂的なジャイアンツのファンでもあり、名監督のマッグローとも個人的に親しかった)で、1895年にポロ・グラウンズでの独占‥販売権を獲得していた。伝えられるところによれば、この目からニューヨークで野球と結びつけられるようになった食べ物を売るように指示されたのは、スティーヴンズのもとで働く売り子たちだった。そう、話の続きはおわかりだろう。いまでは日常語になっているその食べ物は、この日名前が与えられたのである。

ホットドッグはアメリカそのものである

 個人主義はより一般的なテーマヘとつながる。いわゆる「アメリカ例外卜義士だ。19世紀後半から20世紀のアメリカ人は、メディアや学校教育を辿して、ヨーロッパのような幟争や暴力を経験することなく物質的成功と最終的なぶぃ福を実現しつつあるのは、世界のすべての国のなかでもアメリカだけだと教えられた。ここは他の大陸、とくにヨーロッパで抑圧された人たちが、自分の力で成功をつかめる土地だった。天然資源に恵まれ、「個人の主張と達成それ自体が価値あるものとして認められる」場所だった。ジャイアンツのファンの多くとおそらくは選手たちも、同じように考えていただろう。彼ら自身も多くが貧しい移民の息子たちだった。

 ホットドッグの物語はこのすべてを映し出している。かつてはドイツのソーセージの一種にすぎなかったものが完全にアメリカ的なものとして認識され、アメリカで「発明」され、アメリカ人にとって自己アイデンティティの象徴とされるものになった。ホットドッグに込められた特別な性質のすべて--野心的な人々のためのファストフード--は、自分たちは特別なのだと考えるアメリカ人の心をつかんだ。スティーヴンズのストーリーは、この「アメリカ例外主義」を表す寓話なのである。

 この話にはもうひとつ関連したモチーフがある。宣伝と広告という、現代社会を解き明かすカギとなるものだ。

 クエンティン・レイノルズの記事は、ポローグラウンズの常連客、スティーヴンズのビジネスを引き継いだ息子たち、そしてT・A・ドーガンにとって、背中を押してくれるちょっとした応援材料になった。スティーヴンズ白身も、謙遜とはほど遠い人物であることは明らかだった。彼のジョン・マッグローとの友情と、ニューヨーク・ジャイアンツヘの愛着はたしかに本物だったが、それはすばらしい宣伝材料でもあった。彼のケータリング会社は1930年代までに多くのスポーツ施設を顧客に持ったため、その名前は競技場で売っている食べ物の代名詞にさえなった。

 スポーツイベントでのケータリングビジネスは競争が激しい。参入する企業は、優位に立つためにはどんな手段でも使う。影響力がある企業や佃人に収り入る機会をつねに探しているジャーナリストたちが、そうした話を熱心に報じるのも当然ではないだろうか。そのうえ、そこにはアメリカのサクセスストーリーのすべての要素、が詰め込まれている。つまり、私たちが実話として信じていることの多くは、広告宣伝企業のライターたちの創造物なのである。現代の神話は、彼らが生み出したものなのだ。
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宗教が社会に果たす役割

『メカ屋のための脳科学入門』より

社会の複雑化と心の発達

 これまで紹介してきたように人々は、とかく神々を創造し、それらに従おうとするようだ。神の創造は、意識システムの必然的な働きだったと筆者は考える。前講で解説したように、意識システムの発明により、脳はものごとの因果性を見出せるようになった。しかし一方で、意識システムは、認知的負荷を増大させてしまった。そこで冒頭に述べたように、脳は、すべてを神々に押し付けることで、認知的負荷の低減を図った。

 この脳の戦略は、単純な社会では、とてもうまくいった。単純な社会では、深く考えなくても、それなりに適切な行動を取れる。その行動の根拠を意識システムが探ったとしても、深く考えずにとった行動では、その根拠は何でもよい。たとえば、神の声に従ったことにしておけば、意識システムは納得する。

 しかし、社会が複雑化すると、適切な行動には熟慮が必要となる。その結果、意識システムが見出す行動の根拠は、神の声ではなくなった。このような行動は、絶対的な神に従ったわけではないので、さまざまな悩みや葛藤が芽生える。その結果、意識システムはフル回転し、心を劇的に発達させた。

宗教の発達

 複雑化した社会でも適切に行動するためには、神の声に代わる拠り所が必要となった。それが宗教である。つまり、複雑化する社会に脳が適応するために、生き方のマニュアルとして宗教は創り出された。その効用は、神の声と同様に脳の認知的負荷の低減である。これを裏付けるかのように、宗教的な思考では、論理的な思考と同様に前頭葉や頭頂葉が賦活する(情動系が活性化するわけではない戸。逆に論理的な思考により、宗教的な信仰心が薄れることも示されている。

 ただし当然のことながら、社会が変化すれば、適切な行動規範も変化する。たとえば、比較的単純な社会では、旧約聖書のように禁止形の行動規範で十分だった。しかし、次第に社会が複雑化すると、もっと積極的な教えが必要になった。そのような社会的な要請のもとに新約聖書が完成したと考えられる。

 最近の報告では、懲罰的な神の信仰により、知らない人との協力が助長されることが示されている。同様に地獄があると信じる人は向社会的だ。このような宗教は、複雑化した人間社会の発展を支えている。

意識はミーム?

 複雑化する社会に適応するため、脳は、心の理論や社会的知性を発達させ、他者を予測できるようになった。その結果、内観能力が発達し、意識が出現したと、二コラス・ハンフリーは論じている。社会の複雑化はさらに加速し、意識と心を劇的に発達させた。そしてジェインズが論じたように たったの1000年で、現在のような意識が確立した。しかし、このような短期間で、どのように脳は意識を発達させたのだろうか? 脳の構造(ハードウェア)を生物学的に進化させるには、1000年(≒40~50世代)は短すぎる。

 DNA以外に世代を超えて伝わる情報を考えてみよう。たとえば、言語、文化、宗教などは、人々の間で心から心ヘコピーされ、発達していく。そのような情報は「ミーム」と呼ばれる6)。意識も、ミームかもしれない。つまり、人間の意識は、DNAに設計図として書き込まれているわけではなく、ソフトウェア的に脳に実装され、発達してきた。

 われわれの意識がソフトウェアならば、人エシステムに対しても、「意識プログラム」をアップロードする日も近いかもしれない。

科学技術VS.宗教

 科学技術を極めんとする工学部の講義で、宗教を話題とすることに違和感を覚える読者もいるかもしれない。その理由は、宗教が科学技術の対極にあると考えるからだろう。しかし、脳のリバースエンジニアリングという視点に立てば、科学技術も宗教も、「幸せに生きる」という共通の要求機能を実現するために、脳が生み出した別解であると筆者は考えている。

 エンジニアの使命は、言うまでもなく、科学技術を駆使して社会を豊かにしていくことである。しかし、科学技術で豊かになった社会は、人類に幸せをもたらしているのだろうか? そのような素朴な疑問を筆者が抱く理由は、脳のメカニズムにある。われわれが幸せを感じるとき、ドーパミンをはじめ、特定の化学物質が分泌される(第29講)。そうすると、先の疑問は、次のように言い換えられる。豊かな社会により、ドーパミンをはじめ、特定の化学物質の分泌量は増えたのだろうか?

 100年前に比べれば、生活は桁違いに豊かになった。しかし、ヒトの脳の構造は大して変わっていないのだから、ドーパミンの分泌量は桁違いに増えるはずはない。したがって、ドーパミンの分泌量は、生活の豊かさに比例するわけではない。そうだとしたら、何により幸せはもたらされるのだろうか?

 ドーパミンが顕著に分泌されるのは、初めての成功を体験したときである。それまでできなかったことができるようになると、脳内では報酬信号としてドーパミンが分泌され、その結果、われわれはとても嬉しくなり、幸せになれる。これが原動力となり、科学技術の発展を支えてきた。ここで少し見方を変えれば、「できない」ことが多いほど、われわれは幸せになれる可能性が高い。子供が大人より幸せそうに見える理由もここにある。

 しかし現在では、科学技術が非常に発展したがゆえに、「できない」ことが少なくなってきた。これは、逆説的ではあるが、幸せを感じる可能性が低くなってきたということである。ここに現代社会の閉塞感の要因があると筆者は考える。ひと昔前、「できない」ことが多い社会で幸せになるためには、エンジニアは技術を磨き、いいモノを作れば良かった。しかし、大抵のことを実現できる現代社会では、技術を磨くだけでは、幸せを実感できなくなった。このジレンマに日本の産業界は苦しんでいる。米国でも、科学技術の社会的な価値は次第に低下しており, 2017年に発足したトランプ政権は、ついにアンチ科学政策を推進するに至った。

 一方で宗教は、科学技術とは全く異なる方法で(科学技術による成功体験によらずに)、幸せに生きることを追求してきた。幸せに生きるという要求機能が同じなのだから、宗教を作り出す脳のメカニズムには、エンジニアが学ぶべきヒントが隠されているはずである。世の中が求める「価値」を創出するために これからのエンジニアは、技術を磨くばかりでなく、科学技術以外の価値にも目を向けなければならない。
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日本の少子化は女性問題である

『あなたの脳にはクセがある』より 「少子化」は問題なのか 〝貧乏人の子沢山〟の論理

そういう視点から現代日本を見れば、とくに人口が増える理由はない。なにしろ女性が元気で、社会的権利を謳歌している。仕事は男性と建前上は平等だし、かって忙しかった家事は、さまざまな家電の出現ですっかり楽になってしまった。私が子どものころの洗濯といえば盟に洗濯板だったが、そんなものはもはや民芸品であろう。蛇口からお湯が出るなどという破天荒な事態を、子どものころの私は想像すらしたことがない。むしろ大人を手伝って、井戸の水を汲んだものである。

東南アジアを旅行すると、男が昼間からぶらぶらしている風景をよく見かける。たとえばバリ島が典型である。真っ昼間から男どもが屋外や小屋のなかに座って、タバコなどを吹かしながら、おしゃべりをしている。男はお祭りや戦争、特定の時期だけに収穫のある作物や果実の採り入れなどの機会に働くらしい。

女性はつねに働いているように見える。簡単な農作業、食事の世話、子どもの世話、洗濯その他の家事、暇があれば機織りと、仕事に際限がなさそうである。あれを見ていると、日本ではいつから男が働くようになったのか、そのほうが疑問になる。ブータンに至っては長女相続で、男は完全に付録みたいなものである。

なにをいいたいか。日本の少子化は、おそらく女性問題だということである。日本の経済成長は、なかでも女性の生活上の便宜を向上させた。それはケララ州の比ではない。さらに戦後の民法その他によって、女性の社会的地位も向上した。だから貧乏人の子沢山の反対が起こったのであろう。もちろん男も高度成長のおこぼれにあずかったはずである。ただし組織のなかで働く人が増えたので、権力欲を満たすには、まだ女性より不足があるのかもしれない。

組織人つまりサラリーマンの比率は、昭和の年代とほぼ並行するという。三十年代には三〇パーセント台、四十年代には四〇パーセント台、いまでは七〇パーセントを超えるということになる。組織のなかで働けば、地位は安定する。しかしその反面、自由が減る。

私は東京大学という組織を辞めた。はっきり記憶しているのは、正式に辞めた当日から、突然世の中が明るく見えたことである。組織に勤めていると、長いあいだのことだから本人は気がつかないのだが、さまざまなストレスが常時存在している。辞めたとたんにそれが消えるから、外界が明るくなるのであろう。世の中が明るく見えてから、気がついた。女房にとっては、世界ははじめから明るかったのだ、と。女性の平均寿命が長いわけである。

そういうわけで、少子化自体については、私はべつに心配をする理由がないと思っている。子どもの分まで、元気になった女性が引き受けてくれるであろうからである。それよりも将来にかかわる問題は、子どもの教育であろう。そっちのほうが、人数の問題より、はるかに深刻であろう。

いまでは数少ない子どもを、体力にすぐれた栄養のいい女性が、徹底的に面倒をみている。これでは子どもも大変にちがいない。私が子どもだったころは、大人は食物の入手に忙しく、子どもにかまうどころではなかった。私の家では父親がなく、母親が医者だったから、子どもの私はもっばら外で遊んでいた。子どもたち同士で遊ぶ。いまでは少なくなったといわれる、年齢の異なった子どもたちの集団である。

年齢違いの子どもたちが集まって、日がな一日、遊んで暮らす。そのどこがいいか。一歳児を三歳児が、三歳児を五歳児が、五歳児を七歳児がというふうに、順送りに面倒をみる。そうして育つ子どもたちのなかで、年上の連中は、自分がついこのあいだまでそうであった状態を、年下の子どもの面倒をみることによって再確認する。つまり学習でいうなら、復習をするのである。さらに面倒をみてもらう年下の子たちは、少し発育の進んだ子どもと接することになる。これはすなわち予習である。異世代の子どもたちが団子になって遊ぶことの利点は、まさに発育の予習と復習を繰り返すこと、現代風にいうならフィードバックを繰り返しながら育つことである。

子どもたちだけで遊んでいるのは、親がっきっきりで面倒をみるのに比べたら、乱暴な育て方だ。いまではそう思っている母親が多いのではないかと思う。私はそれは逆ではないかと思う。子どもの集団のなかで育つほうが、じつは右に述べたように、ていねいに育っているのかもしれないのである。

こうした子育て、というより子育ちの機会が、現代では失われている。兄弟姉妹の数も減った。親の面倒見がよすぎる。それだけではない。私がまさに餓鬼のころには、いたずらをしては、近所の爺さん、婆さんによく叱られていた。いまの子どもを、他人が叱るのは容易ではない。そんなことをしようものなら、むしろ余計なお世話だと母親から睨まれるのがオチである。つまり、がっては子育ては共同体構成員全員の関心事だったが、いまではほぼ親だけの権利に変わったらしい。

もともとこの国では、子どもは母親の一部という暗黙の了解がある。だから人工妊娠中絶は倫理問題にならない。その了解が生後にまで延長すると、親子心中になる。相変わらず子どもが独立の人格にならないのである。

自分の一部だと思うから、この世に残していかないのであろう。この感覚をさらに延長したのが、最近生じた保険金目当ての子殺しであろう。ちなみにアメリカ社会では、子殺しは重罪である。

ともあれ、こういう社会で子どもが仮に増えても、いったい子育てはどうなるのか、そのほうが心配である。子どもの数のような問題は、自然のなす業である。人間の浅知恵で余計なことをしないほうがいい。それが私の本音である。
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