未唯への手紙
未唯への手紙
OCR化した12冊
『教育の論点』
若者の「恋人なし」率の国際比較
パラサイト・シングルの不幸感
結婚しなくても子どもが持てる社会
『広告的知のアルケオロジー』
広告ビジネスの構造変化と広告人の資質
知識経営の課題--〈鬼十則〉と企業文化
広告コミュニケーション産業における構造変化
コミュニケーショソ産業におげる価値創造の方向性
広告ビジネスにおける三つの実践能力・実践知
広告業と知識創造
「鬼十則」と企業文化
『世界<経済>全史』
ユーラシア規模に拡張していく商業
歴史の大きな流れを見てみよう
遊牧民の時代とともに商業が大爆発
イスラーム教団による征服ビジネス
スンナ派とシーア派の抗争は格差が原因
広がるインド洋商業
ヨーロッパ世界の誕生
フランス革命とヨーロッパ
初のハイパーインフレ
課税問題がフランス革命の発端
フランス革命はハイパーインフレで終わった
商品が氾濫する都市型生活スタイルの誕生
「デパート」の出現で変化した取引スタイル
現代生活のルーツとなる第二次産業革命
工業化される社会
南北戦争はどうして凄惨な殺し合いになったのか
妥協が不可能だった北部と南部
アメリカ的資本主義の登場
無駄が多い大量生産
世界史を変えたヒット商品
大衆消費社会が流通革命により到来
チェーン・ストアの普及
スーパー・マーケットの出現
『世界からバナバがなくなるまえに』
アイルランドのジャガイモ飢饉
包囲戦
『語る大拙』
宗教について
『犯罪をどう防ぐか』
エビデンスに基づく防犯--監視、照明、パトロール
はじめに--日本の近隣コミュニティでの防犯対策
介入や活動の水準(ムリが生じやすい)
対象(必要な対象に届かない)
目標設定(安全か安心か)
防犯対策での「エビデンス」
防犯対策は有効か
メタ分析と系統的レビュー
刑事司法での系統的レビュー
転移と拡散
カメラによる監視
パトロール・拠点監視・近隣監視
照明
今後に向けて
プロセス評価とアウトカム評価を使い分ける
問題解決型犯罪対策を実施する
オープンデータを活用する
『フェイスブック 不屈の未来戦略』
フェイスブックが「勝った」なら? マインドパングアを編み上げる
仮説 2025年のフェイスブック
2005年と1493年の類似点 内的世界のコロンブス交換
想像できる未来
『ユニオンジャックの矢』
日本の幕末に与えたアヘン戦争の衝撃
「長州ファイブ」と明治維新
日英同盟の二○年--日本近代史の成功体験
『新もういちど読む山川世界史』
イスラーム世界
普遍性と多様性
イスラーム世界の成立
預言者ムハンマド
アラブ帝国
イスラーム帝国
イスラーム世界の変容と拡大
イスラーム世界の政治的分裂
国家と社会の変容
東方イスラーム世界
エジプト・シリアの諸王朝
イベリア半島とアフリカの諸王朝
オスマン帝国
イスラーム文化の発展
イスラーム文化の特色
イスラーム文化の多様性
イスラーム教と男女の平等
インド・東南アジアのイスラーム国家
イスラーム教徒のインド支配
ムガル帝国
東南アジア諸国
20世紀末から21世紀へ
転換期をむかえた世界 ・
社会主義圏の崩壊
多様化するアジア
深刻化する中東問題
地域紛争の多発
アメリカ合衆国の動向
地域経済統合の台頭
世界経済のグローバル化
現代の科学・技術
『図表でみる世界の社会問題4』
移民
家族
予測退職後年数
教育支出
自殺
『いかにして思考するべきか』
『メルト=ポンティ哲学中辞典』
ソクラテス
若者の「恋人なし」率の国際比較
パラサイト・シングルの不幸感
結婚しなくても子どもが持てる社会
『広告的知のアルケオロジー』
広告ビジネスの構造変化と広告人の資質
知識経営の課題--〈鬼十則〉と企業文化
広告コミュニケーション産業における構造変化
コミュニケーショソ産業におげる価値創造の方向性
広告ビジネスにおける三つの実践能力・実践知
広告業と知識創造
「鬼十則」と企業文化
『世界<経済>全史』
ユーラシア規模に拡張していく商業
歴史の大きな流れを見てみよう
遊牧民の時代とともに商業が大爆発
イスラーム教団による征服ビジネス
スンナ派とシーア派の抗争は格差が原因
広がるインド洋商業
ヨーロッパ世界の誕生
フランス革命とヨーロッパ
初のハイパーインフレ
課税問題がフランス革命の発端
フランス革命はハイパーインフレで終わった
商品が氾濫する都市型生活スタイルの誕生
「デパート」の出現で変化した取引スタイル
現代生活のルーツとなる第二次産業革命
工業化される社会
南北戦争はどうして凄惨な殺し合いになったのか
妥協が不可能だった北部と南部
アメリカ的資本主義の登場
無駄が多い大量生産
世界史を変えたヒット商品
大衆消費社会が流通革命により到来
チェーン・ストアの普及
スーパー・マーケットの出現
『世界からバナバがなくなるまえに』
アイルランドのジャガイモ飢饉
包囲戦
『語る大拙』
宗教について
『犯罪をどう防ぐか』
エビデンスに基づく防犯--監視、照明、パトロール
はじめに--日本の近隣コミュニティでの防犯対策
介入や活動の水準(ムリが生じやすい)
対象(必要な対象に届かない)
目標設定(安全か安心か)
防犯対策での「エビデンス」
防犯対策は有効か
メタ分析と系統的レビュー
刑事司法での系統的レビュー
転移と拡散
カメラによる監視
パトロール・拠点監視・近隣監視
照明
今後に向けて
プロセス評価とアウトカム評価を使い分ける
問題解決型犯罪対策を実施する
オープンデータを活用する
『フェイスブック 不屈の未来戦略』
フェイスブックが「勝った」なら? マインドパングアを編み上げる
仮説 2025年のフェイスブック
2005年と1493年の類似点 内的世界のコロンブス交換
想像できる未来
『ユニオンジャックの矢』
日本の幕末に与えたアヘン戦争の衝撃
「長州ファイブ」と明治維新
日英同盟の二○年--日本近代史の成功体験
『新もういちど読む山川世界史』
イスラーム世界
普遍性と多様性
イスラーム世界の成立
預言者ムハンマド
アラブ帝国
イスラーム帝国
イスラーム世界の変容と拡大
イスラーム世界の政治的分裂
国家と社会の変容
東方イスラーム世界
エジプト・シリアの諸王朝
イベリア半島とアフリカの諸王朝
オスマン帝国
イスラーム文化の発展
イスラーム文化の特色
イスラーム文化の多様性
イスラーム教と男女の平等
インド・東南アジアのイスラーム国家
イスラーム教徒のインド支配
ムガル帝国
東南アジア諸国
20世紀末から21世紀へ
転換期をむかえた世界 ・
社会主義圏の崩壊
多様化するアジア
深刻化する中東問題
地域紛争の多発
アメリカ合衆国の動向
地域経済統合の台頭
世界経済のグローバル化
現代の科学・技術
『図表でみる世界の社会問題4』
移民
家族
予測退職後年数
教育支出
自殺
『いかにして思考するべきか』
『メルト=ポンティ哲学中辞典』
ソクラテス
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ソクラテスの死は、記憶すべき唯一の出来事
『メルト=ポンティ哲学中辞典』より ソクラテス
哲学的な学というものが、しばしばプラトン以来、数学的な諸学をモデルとして考えられてきたことは確かである。『国家』では、その純粋さと厳密さとが賛美され、実際の応用の方はあまり評価されていなかった。この学は技芸と比較されるが、技芸のほうは、技術者たちに自己を委ねた人々にもたらされる成功と奉仕とによってその価値は(ソクラテスの眼には二目瞭然であった。哲学についての無知、すなわち「至高にして最も美しい≒人事万般」についての無知は、した、がって、単なる文化の欠如ではなく、はっきりとした病なのであり、医員が必要だと思わせないだけに「最も有害なもの」(「アルキビアデス」I、一一八A)なのである。
こうした医学の喩えはテクスト中に頻出するが、それは比喩以上のものである。「自己の魂の世話をする」よう勧告することは、医学的な響きを帯びており、とりわけ、不死へのいかなる教義や信仰とも結びつくものではない。プラトンの『弁明』は、この点についてはかなり控えめに見えるが、無知〔の知〕をひきあいに出し、逆の賭けに打って出る。「知ったかぶりをせずに、死を恐れるとはどういうことだろうか……ここで起こる事柄を十分に知らなければ、私にはそれを知るということすら思いつかないのではないか。逆に、私が知っているのは、悪を行なうことは良からぬことであり、恥ずべきことであるという事実なのだ……したがって私は、良し悪しがわからない事柄を恐れたり、それを避けたりするために、自分で悪いとわかっている悪に同意したことなど一度もないのである」(二九A‐B)。だが反対に、「魂の世話」が、均衡や道徳的健康と呼ばれるものとはかなり違っていることもわかっているし、それがソクラテス的反駁と精神分析的治療法との間に原理的な差異を置くところのものであることもわかっている。もっとも、両者の間は近づけようとすることもできただろう。さらには、論駁の方法と無知の告白とが、一つの実証的な知を伴うこともわかっている。
『ソクラテスの思い出』は私たちに、正義についての問答を伝えてくれるが、そこではヒッピアスがソクラテス的イロニーに対して異議を唱えている。「かなり長い間、きみはつねに質問したり論駁したりしながら、誰に対してもけっして説明することなく、何についても自分の意見を開陳することなく、他の人々をからかっているじやないか」。ソクラテスはこう答える。「何だってヒッピアス? きみは私が、私に正しいと思われることを絶えず示していたのに気づいてはいないのかい?」(第四巻第四章九-一〇および第一章)。
ソクラテスがしばしば倫理学の創設者とされるところを鑑みるならば、このテクストはいかにも見事なものである。道徳心は「誇示」しうるような学になりはしない。無知の告白によっても打撃を受けることのない諸命題(死は恐るべきものではない、法に従うのは正しい、等々)を、ソクラテスはけっして学説の一部として提示することはなかった。実際それは、行動の原動力なのであって、はっきりと内容の定まった命令などではない。そんな命令は、むしろプラトン的な考え方であり、それは厳密に定義され、私たちの上に一種の形式的因果律によって働きかけてくるものなのだ。ソクラテスの発見というか、いずれにしても彼の確信によれば、道徳とは、旧来の価値の一覧表を壊して、別の一覧表を発案すべきものではなく、立法者の最初の意図を見出し、理解すべきものだということであり、それによって、法を自由の内に持ち来たらすものだということである。最も革新的な道徳も、多くの点では、古い規範を承認するだけであった。月並みな言葉によって、また慣習を基礎にしてなされたソクラテスの探究が、少しも伝統主義的でなく、さらには世俗の意見に対して従順でなかったとしても、何ら逆説的なところはない。吟味や反駁の方法は、ソクラテスの見るところでは、意見や誤謬の状態にとどまるものから、学にすることの出来るものを識別させてくれるものである。ここでは、断念と反抗とを結ぶ道は狭くなっているし、学的倫理がソクラテスと同じようにしっかりとその道筋を示してくれるかどうかも定かではない。評決には敬意を表しながら、クリティアスや僣主たちには抵抗したあのソクラテスのように……。〔ヴィクトール・ゴルトシュミット(レンヌ大学文学部助教授)]
ソクラテスの模範的な死は、彼の「波乱のない人生」において記憶すべき唯一の出来事である。彼は石工のソフロニコスと産婆のファイナビアの間に生まれた。ソクラテス自身はこの母を「真面目で優れた」と表現しており、「産婆」については、モンテーニュによると、「精神的出産のパイプに油をひく」のがうまく、ソクラテスの「産婆術」をもたらすのに一役買ったということだ。ソクラテスはしばらく父の仕事を手伝っていたが、自らの語るところでは、彼の守護「ダイモン〔神霊〕」が弟子や陪食者だちとともに親しく話しかけてきて、すぐさま彼を哲学に志すよう促したらしい。プラトンの対話篇やクセノフォンの『ソクラテスの思い出』のおかけで、哲学的対話におけるさまざまな対話者や常連の名が残っている。ソクラテスは、ポテイダイアの攻囲戦やその後のデリオンの撤退(ここでクセノフォンの命を救う)、アンフィポリスの撤退などに参加する以外には、ほとんどアテナイを離れていない。彼が言うには忍耐心を鍛えるため、(以後、小言女の典型とされる)口うるさいクサンティッペを正妻とし、三人の息子をもうける。七十歳のとき(紀元前四二四年。これよりも四分の一世紀前、彼はすでに『雲』のなかでアリストファネスに揖楡されていた)、ソクラテスは不信心の罪で告発される。プラトンによれば、この告発は、「ソクラテスには少しも当てはまらないものだった」。クリトンは牢獄のソクラテスを訪ねてきて、逃亡を勧めようとしたが、ソクラテスは祖国の法にそむくことを拒絶した。毒ニンジンを飲む日がやってきても、悲しみにやつれたクサンティッペを追い返し、彼は友人だちと、魂の不死について穏やかに議論しつづけた。「女性たちが遺体を清める手間を省くため」風呂に入った後、彼は友人たちにこう言った。「私たちはアスクレピオスに雄鶏一羽分の恩を受けている。私の負債を返すことを忘れないでくれ」。これが彼の最後の言葉であり、クリトンが彼の目を閉じたのであった。
ソクラテスは一切著述をしなかったので、私たちは彼の教えを復元するには、クセノフォン(『ソクラテスの思ぃ出』『ソクラテスの弁明』)や、とりわけプラトン(『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』)やアリストテレスの証言によらねばならない。
哲学的な学というものが、しばしばプラトン以来、数学的な諸学をモデルとして考えられてきたことは確かである。『国家』では、その純粋さと厳密さとが賛美され、実際の応用の方はあまり評価されていなかった。この学は技芸と比較されるが、技芸のほうは、技術者たちに自己を委ねた人々にもたらされる成功と奉仕とによってその価値は(ソクラテスの眼には二目瞭然であった。哲学についての無知、すなわち「至高にして最も美しい≒人事万般」についての無知は、した、がって、単なる文化の欠如ではなく、はっきりとした病なのであり、医員が必要だと思わせないだけに「最も有害なもの」(「アルキビアデス」I、一一八A)なのである。
こうした医学の喩えはテクスト中に頻出するが、それは比喩以上のものである。「自己の魂の世話をする」よう勧告することは、医学的な響きを帯びており、とりわけ、不死へのいかなる教義や信仰とも結びつくものではない。プラトンの『弁明』は、この点についてはかなり控えめに見えるが、無知〔の知〕をひきあいに出し、逆の賭けに打って出る。「知ったかぶりをせずに、死を恐れるとはどういうことだろうか……ここで起こる事柄を十分に知らなければ、私にはそれを知るということすら思いつかないのではないか。逆に、私が知っているのは、悪を行なうことは良からぬことであり、恥ずべきことであるという事実なのだ……したがって私は、良し悪しがわからない事柄を恐れたり、それを避けたりするために、自分で悪いとわかっている悪に同意したことなど一度もないのである」(二九A‐B)。だが反対に、「魂の世話」が、均衡や道徳的健康と呼ばれるものとはかなり違っていることもわかっているし、それがソクラテス的反駁と精神分析的治療法との間に原理的な差異を置くところのものであることもわかっている。もっとも、両者の間は近づけようとすることもできただろう。さらには、論駁の方法と無知の告白とが、一つの実証的な知を伴うこともわかっている。
『ソクラテスの思い出』は私たちに、正義についての問答を伝えてくれるが、そこではヒッピアスがソクラテス的イロニーに対して異議を唱えている。「かなり長い間、きみはつねに質問したり論駁したりしながら、誰に対してもけっして説明することなく、何についても自分の意見を開陳することなく、他の人々をからかっているじやないか」。ソクラテスはこう答える。「何だってヒッピアス? きみは私が、私に正しいと思われることを絶えず示していたのに気づいてはいないのかい?」(第四巻第四章九-一〇および第一章)。
ソクラテスがしばしば倫理学の創設者とされるところを鑑みるならば、このテクストはいかにも見事なものである。道徳心は「誇示」しうるような学になりはしない。無知の告白によっても打撃を受けることのない諸命題(死は恐るべきものではない、法に従うのは正しい、等々)を、ソクラテスはけっして学説の一部として提示することはなかった。実際それは、行動の原動力なのであって、はっきりと内容の定まった命令などではない。そんな命令は、むしろプラトン的な考え方であり、それは厳密に定義され、私たちの上に一種の形式的因果律によって働きかけてくるものなのだ。ソクラテスの発見というか、いずれにしても彼の確信によれば、道徳とは、旧来の価値の一覧表を壊して、別の一覧表を発案すべきものではなく、立法者の最初の意図を見出し、理解すべきものだということであり、それによって、法を自由の内に持ち来たらすものだということである。最も革新的な道徳も、多くの点では、古い規範を承認するだけであった。月並みな言葉によって、また慣習を基礎にしてなされたソクラテスの探究が、少しも伝統主義的でなく、さらには世俗の意見に対して従順でなかったとしても、何ら逆説的なところはない。吟味や反駁の方法は、ソクラテスの見るところでは、意見や誤謬の状態にとどまるものから、学にすることの出来るものを識別させてくれるものである。ここでは、断念と反抗とを結ぶ道は狭くなっているし、学的倫理がソクラテスと同じようにしっかりとその道筋を示してくれるかどうかも定かではない。評決には敬意を表しながら、クリティアスや僣主たちには抵抗したあのソクラテスのように……。〔ヴィクトール・ゴルトシュミット(レンヌ大学文学部助教授)]
ソクラテスの模範的な死は、彼の「波乱のない人生」において記憶すべき唯一の出来事である。彼は石工のソフロニコスと産婆のファイナビアの間に生まれた。ソクラテス自身はこの母を「真面目で優れた」と表現しており、「産婆」については、モンテーニュによると、「精神的出産のパイプに油をひく」のがうまく、ソクラテスの「産婆術」をもたらすのに一役買ったということだ。ソクラテスはしばらく父の仕事を手伝っていたが、自らの語るところでは、彼の守護「ダイモン〔神霊〕」が弟子や陪食者だちとともに親しく話しかけてきて、すぐさま彼を哲学に志すよう促したらしい。プラトンの対話篇やクセノフォンの『ソクラテスの思い出』のおかけで、哲学的対話におけるさまざまな対話者や常連の名が残っている。ソクラテスは、ポテイダイアの攻囲戦やその後のデリオンの撤退(ここでクセノフォンの命を救う)、アンフィポリスの撤退などに参加する以外には、ほとんどアテナイを離れていない。彼が言うには忍耐心を鍛えるため、(以後、小言女の典型とされる)口うるさいクサンティッペを正妻とし、三人の息子をもうける。七十歳のとき(紀元前四二四年。これよりも四分の一世紀前、彼はすでに『雲』のなかでアリストファネスに揖楡されていた)、ソクラテスは不信心の罪で告発される。プラトンによれば、この告発は、「ソクラテスには少しも当てはまらないものだった」。クリトンは牢獄のソクラテスを訪ねてきて、逃亡を勧めようとしたが、ソクラテスは祖国の法にそむくことを拒絶した。毒ニンジンを飲む日がやってきても、悲しみにやつれたクサンティッペを追い返し、彼は友人だちと、魂の不死について穏やかに議論しつづけた。「女性たちが遺体を清める手間を省くため」風呂に入った後、彼は友人たちにこう言った。「私たちはアスクレピオスに雄鶏一羽分の恩を受けている。私の負債を返すことを忘れないでくれ」。これが彼の最後の言葉であり、クリトンが彼の目を閉じたのであった。
ソクラテスは一切著述をしなかったので、私たちは彼の教えを復元するには、クセノフォン(『ソクラテスの思ぃ出』『ソクラテスの弁明』)や、とりわけプラトン(『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』)やアリストテレスの証言によらねばならない。
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「思考すること」について思考する
『いかにして思考するべきか』より
本書のタイトルは、「いかに思考すべきか」ではなく、「いかにして思考するべきか?」である。思考することがどんなことかは分かっていると思っているひとが、どんな姿勢や態度やきっかけでそれができるかということについて、あるいは今日どんな主題でどのような方向でそれをすればいいかということについて書こうとしたものではない。まして、思考することは義務であるとか、正しい思考法はこれこれだというようなことを主張しているのではない。
そうではなくて、「思考するということはどのようなことをすることなのか」という問いについて書いたのである。「思考する」とは意外に内容不明なことであって、記憶を呼び出すことやパズルを解くことなど、それに近い他のことときわめて紛らわしいものなのであるが、近代の哲学者たちが、それらを厳しく批判しつつ、それがどのようなことであると論じてきたかについて書いた--それをふまえておくならば、今日において思考するときに、より深く徹底的に思考することができるのではないか。
なお、前著『差異とは何か--〈分かること〉の哲学』(世界思想社)との連関についてであるが、そこにおいて、わたしは思考と言葉のあいだにある切っても切れない関係について論じておいた。言葉は思考そのものではないが、思考は言葉抜きには成りたたない。とはいえ、思考とは、必ずしも論理的に述べられた言葉のことではない。筋道の通って見えるその言葉が、ひとびとを熱狂的に「分かった」と思い込ませるだけの、音楽と変わりないものであったり、論理の伴わない曖昧ないいまわしのひとことが、ある文脈、ある場面において、ひとの人生に深遠な動揺や決定的な確信を与える思考であったりする。
一番やってはならないことは、理路整然と述べられた書き言葉(エクリチュール)をもって思考とみなしてしまうことである。それは、近代社会の倫理、近代的思考の規範ではあったのだが、思考は言葉の形式に宿るのではなく、言葉を語ることを含むそのひとの行為と、それを聞くひとびとにとって起こる「出来事」においてある--それがその書物で述べたわたしの主張であった。
そこまでは論じたのだが、書いたあとになって、ある言葉がどのようにして思考と呼べるものとなり得るのか、ある言葉はなぜ思考と呼ぶべきではないのか、それを考察する仕事が残っているように思われた。
考える技のようなもの。学問的思考はもちろん、生活の知恵においても、「真の思考」ないし「深い思考」と呼び得ることをなすために自覚しておくべきことは何か。これまで思考を価値あるものとみなしてきた哲学者たちは、思考をどのような営みと解し、どのような理由から価値あるものとみなしてきたか--そのことについて考えてみたい。
本書で扱った哲学者たちは、高校「倫理」を学んだひとならば知っている著名な哲学者たちばかりである。ただしその要約をしたようなものと少し違うのは、かれらと対話し、近代をふり返りながら、現代における問題を論じようとしている点においてである。
とはいえ、それで何か分かるのか、と尋ねられるかもしれない。哲学は、ときどき、「答えのない学問だ」といわれる。それは誤解を招きやすいいい方である。何かを問う以上、答えがないなどと前提するわけがない。だからその言葉の意味は、クイズのようには正解がないということである。正解があるのは、試験だけである。われわれが遭遇する生活上のさまざまな問いにもみな正解はない。
哲学的問題を探究することは、クイズに答えるようなこととはまったく違う。思考することは、単に全体像を描くことでないように、目的に対する最も有効な手段を思いつくことでもなく、--それらはコンピュータによって代替可能なことであってー、どんな応用問題でもない、だれもまだ答えを出せないでいる問いに向かうことである。自分の個人的問題を解決してくれるのではない、それをも一般性のなかに包み込む哲学独自の問いがある。哲学がめざしているのは、答えではなくて発見である。問いを巡り、何らかの発見をすること、それが哲学のしようとしていることなのだから、ただ答えがないというわけではない。
新しい思考法、簡単な思考法を説こうとしているわけではない。思考は、パズルの解法や、将棋の戦略や、ゲームの攻略法のようなものではない。それらは、-熱中するひとはするであろうが--、思考ではない。それらは心理学実験室で迷路をたどるネズミの学習と同様のものであり、あるいはAIのプログラムがすでに人間を打ち負かせるようになったものであり、「知性」の働きではあるが、思考ではない。くり返すことで慣れてしまうようなものは、思考ではない。
とはいえ、哲学だからといってむずかしく考える必要はない。哲学とは、単に思考するだけではなく自分がどのように思考しているかということについて同時に思考することであり、そして自分がその思考によって分かったとすることが、どのような意味で真理なのかと自問することである。
過去の哲学者たちの書いたものにはみな、こうした要素が必ず備わっている。この条件を満たしている思考は哲学と呼んでいいが、逆に哲学を自称して、どんなに深遠そうな言語表現を使用していようと、この条件を満たしていない思考を哲学と呼ぶべきではない。
ときに哲学者を神のごときものとして「完全な」解釈を探求し続けるひともいるし、ときに自分の思考したことをただ粉飾するためだけに名言を探しだそうとするひともいるが、それは哲学を寓話にすることにほかならない。哲学は寓話ではなく、対話である。問いかけて、自分の知らなかった答えを得る。新たな問いを得る。自分より優れた知性をもっていたひとびとと書物を通じて対話して、その時代その文化という枠組においてかれらが思考したそのやり方を、現代のこの文化の枠組のなかで理解しなおし、あるいは現代のこの文化の形成へと投げかけられてきたかれらの発想を整理して、あわよくば現代のこの文化とその行く末を、みずから理解しようとする試みである。
したがって、読者が本書で見出だすことのできるものは、知識ではなく思考である。それが思考であるかぎり、思考はそのつどかぎりである。だれかが思考した結果の言説を、ただ記憶するということとは異なる。知識は記憶されればすぐにでも使えるが、思考は、本人自身が思考しなければ理解され得ない。すぐには使えないかもしれないが、思考するということが喜びであるという風であったらいい。
思考すること--それでは普通の哲学書ではないかと思われるかもしれないが、本書では「思考すること」について思考する。さきに述べたように、それこそが哲学のことなのであるからには、本書は、僣越ながら、哲学それ自身であるといってもいいのである。
本書のタイトルは、「いかに思考すべきか」ではなく、「いかにして思考するべきか?」である。思考することがどんなことかは分かっていると思っているひとが、どんな姿勢や態度やきっかけでそれができるかということについて、あるいは今日どんな主題でどのような方向でそれをすればいいかということについて書こうとしたものではない。まして、思考することは義務であるとか、正しい思考法はこれこれだというようなことを主張しているのではない。
そうではなくて、「思考するということはどのようなことをすることなのか」という問いについて書いたのである。「思考する」とは意外に内容不明なことであって、記憶を呼び出すことやパズルを解くことなど、それに近い他のことときわめて紛らわしいものなのであるが、近代の哲学者たちが、それらを厳しく批判しつつ、それがどのようなことであると論じてきたかについて書いた--それをふまえておくならば、今日において思考するときに、より深く徹底的に思考することができるのではないか。
なお、前著『差異とは何か--〈分かること〉の哲学』(世界思想社)との連関についてであるが、そこにおいて、わたしは思考と言葉のあいだにある切っても切れない関係について論じておいた。言葉は思考そのものではないが、思考は言葉抜きには成りたたない。とはいえ、思考とは、必ずしも論理的に述べられた言葉のことではない。筋道の通って見えるその言葉が、ひとびとを熱狂的に「分かった」と思い込ませるだけの、音楽と変わりないものであったり、論理の伴わない曖昧ないいまわしのひとことが、ある文脈、ある場面において、ひとの人生に深遠な動揺や決定的な確信を与える思考であったりする。
一番やってはならないことは、理路整然と述べられた書き言葉(エクリチュール)をもって思考とみなしてしまうことである。それは、近代社会の倫理、近代的思考の規範ではあったのだが、思考は言葉の形式に宿るのではなく、言葉を語ることを含むそのひとの行為と、それを聞くひとびとにとって起こる「出来事」においてある--それがその書物で述べたわたしの主張であった。
そこまでは論じたのだが、書いたあとになって、ある言葉がどのようにして思考と呼べるものとなり得るのか、ある言葉はなぜ思考と呼ぶべきではないのか、それを考察する仕事が残っているように思われた。
考える技のようなもの。学問的思考はもちろん、生活の知恵においても、「真の思考」ないし「深い思考」と呼び得ることをなすために自覚しておくべきことは何か。これまで思考を価値あるものとみなしてきた哲学者たちは、思考をどのような営みと解し、どのような理由から価値あるものとみなしてきたか--そのことについて考えてみたい。
本書で扱った哲学者たちは、高校「倫理」を学んだひとならば知っている著名な哲学者たちばかりである。ただしその要約をしたようなものと少し違うのは、かれらと対話し、近代をふり返りながら、現代における問題を論じようとしている点においてである。
とはいえ、それで何か分かるのか、と尋ねられるかもしれない。哲学は、ときどき、「答えのない学問だ」といわれる。それは誤解を招きやすいいい方である。何かを問う以上、答えがないなどと前提するわけがない。だからその言葉の意味は、クイズのようには正解がないということである。正解があるのは、試験だけである。われわれが遭遇する生活上のさまざまな問いにもみな正解はない。
哲学的問題を探究することは、クイズに答えるようなこととはまったく違う。思考することは、単に全体像を描くことでないように、目的に対する最も有効な手段を思いつくことでもなく、--それらはコンピュータによって代替可能なことであってー、どんな応用問題でもない、だれもまだ答えを出せないでいる問いに向かうことである。自分の個人的問題を解決してくれるのではない、それをも一般性のなかに包み込む哲学独自の問いがある。哲学がめざしているのは、答えではなくて発見である。問いを巡り、何らかの発見をすること、それが哲学のしようとしていることなのだから、ただ答えがないというわけではない。
新しい思考法、簡単な思考法を説こうとしているわけではない。思考は、パズルの解法や、将棋の戦略や、ゲームの攻略法のようなものではない。それらは、-熱中するひとはするであろうが--、思考ではない。それらは心理学実験室で迷路をたどるネズミの学習と同様のものであり、あるいはAIのプログラムがすでに人間を打ち負かせるようになったものであり、「知性」の働きではあるが、思考ではない。くり返すことで慣れてしまうようなものは、思考ではない。
とはいえ、哲学だからといってむずかしく考える必要はない。哲学とは、単に思考するだけではなく自分がどのように思考しているかということについて同時に思考することであり、そして自分がその思考によって分かったとすることが、どのような意味で真理なのかと自問することである。
過去の哲学者たちの書いたものにはみな、こうした要素が必ず備わっている。この条件を満たしている思考は哲学と呼んでいいが、逆に哲学を自称して、どんなに深遠そうな言語表現を使用していようと、この条件を満たしていない思考を哲学と呼ぶべきではない。
ときに哲学者を神のごときものとして「完全な」解釈を探求し続けるひともいるし、ときに自分の思考したことをただ粉飾するためだけに名言を探しだそうとするひともいるが、それは哲学を寓話にすることにほかならない。哲学は寓話ではなく、対話である。問いかけて、自分の知らなかった答えを得る。新たな問いを得る。自分より優れた知性をもっていたひとびとと書物を通じて対話して、その時代その文化という枠組においてかれらが思考したそのやり方を、現代のこの文化の枠組のなかで理解しなおし、あるいは現代のこの文化の形成へと投げかけられてきたかれらの発想を整理して、あわよくば現代のこの文化とその行く末を、みずから理解しようとする試みである。
したがって、読者が本書で見出だすことのできるものは、知識ではなく思考である。それが思考であるかぎり、思考はそのつどかぎりである。だれかが思考した結果の言説を、ただ記憶するということとは異なる。知識は記憶されればすぐにでも使えるが、思考は、本人自身が思考しなければ理解され得ない。すぐには使えないかもしれないが、思考するということが喜びであるという風であったらいい。
思考すること--それでは普通の哲学書ではないかと思われるかもしれないが、本書では「思考すること」について思考する。さきに述べたように、それこそが哲学のことなのであるからには、本書は、僣越ながら、哲学それ自身であるといってもいいのである。
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世界の社会問題 予測退職後年数
『図表でみる世界の社会問題4』より
移民
移民人口は全人口に占める比率として増大している。2001年から2011年までのあいだにエストニア、イスラエル、ポーランドを除くすべてのOECD諸国で、人口中の外国生まれの比率加増大した。
2011年ではOECD平均で外国生まれ人口の比率は12.6%である。人口に占める外国生まれの比率がもっとも高いのは、オーストラリア、カナダ、イスラエル、ルクセンブルク、ニュージーランド、スイスである。これらの国では少なくとも5人に1人は外国生まれである。この時点でOECD諸国のなかの3分の2近くの国々で、移民人口が人口の10分の1を超えていた。しかし、移民比率についてOECD諸国のなかには大きな違いもある。日本、韓国、メキシコ、それにポーランドでは外国生まれ人口の比率は2%未満であった。
2008年の経済危機以降の失業の増加は直近10年間の最後の段階で純流出入の傾向に影響を与えた。目立つことに、2005~07年の時期に高率の純流入を示していたアイスランドとアイルランドは2008~10年の時期にかなりの純流出に転じた。おなじ期間にスペインも純流入のはげしい減少を体験した。純流入率が最高だったのは、オーストラリア、ルクセンブルク、ノルウェー、それにスイスであった。これらの国では、2005~07年の時期と2008~10年の時期のあいだで純流入の増加が観測された。OECD全体のなかでは、おなじ期間に純流入がわずかながら減少した。
経済危機によってもっとも打撃を受けたOECD諸国(とくにギリシャとスペイン)は、国籍所有者の他のOECD諸国への純流出が最大となる事態を経験した。
経済危機はまた外国人の流入の構成に影響を与えた。もっとも家族移民と自由移動(すなわち自由移動地帯内での移民)はいぜんとして永住ベースでの移民の大きな部分を占めている。 2007~11年の期間にわたって、自由移動の類型はもっともはげしい低下を示した。自由移動の比率の大部分は労働関連であると想定できる。労働関連の移民は2010年から2011年にかけて増加しているとはいえ、危機以前の時期と比較するといぜんとして非常に低い水準にある。
家族
1つの世帯のなかの成人数は世帯の構成と人びとがどのようにともに暮らしているかについての追加的な情報を示す。一方、結婚と離婚にかんする指標は「成人のパートナー関係」の状況を示している。
OECD全体では、結婚はもっともふつうの成人のパートナー関係である。しかしそれは国によって大きな違いがある。結婚した成人の比率がもっとも高いのは日本とトルコで、この両国では2012年現在、成人の65%超が結婚していた。この比率がもっとも低いのはチリとエストニアで、この両国ではわずか約40%だけが結婚していた。同居は通常結婚率が低い国々で比率が高い。エストニア、アイスランド、それにスウェーデンでは、約5人に1人の成人がおなじ家のなかでパートナーと同居していた。
単身ないし未婚の比率もまた国ごとに大きく異なっている。チリと韓国では成人10人のなかの4人近くが単身もしくは未婚であった。エストニア、ハンガリー、イギリスではこの比率は5人に1人に近かった。
しかし、家族形態の測定可能な変化と家族の解体は直接的には観察できないようである。長期的な観察結果では結婚率はいちじるしく低下してきた。離婚率の水準と変化はともに諸国間で異なっている。しかし、1970年にさかのぼる長期的な観察では、離婚率はいちじるしく増加した。全体としては、経済危機の家族の解体に与える影響を正確に測定することは困難である。経済面でのストレスは家族の崩壊とより多くの離婚をもたらす可能性はあるが、離婚の経済コスト加増大したため、およびカップルのほうがより多くの所得が得られる可能性があるため、これらの要素が一方では離婚数の減少を説明する可能性もある。
変化するパートナー関係の形態と低下する出生率の結果として、子どもがまったくいないか、わずか1人か2人の子どもしかいない世帯の比率が増大してきた。今E]ではひとり親と暮らしている子どもも多くなっていると思われる。このことはセーフティネットとしての家族の役割を変化させる可能性がある。多世代の世帯の比率は国によって異なるが、平均的には、2007年から2012年の時期に、GDPの変化と同一世帯のなかでの15歳超の人びとの数の変化のあいだには観察される相関は存在しない。
新興経済国全体についても家族構造は多様である。中国、インド、インドネシアでは成人人口の70%超が結婚しているが、南アフリカではその比率は25%に近い。アルゼンチンとブラジルだけが、同居率でOECD平均を超えている。ロシアの離婚率は9%であるが、この数値はチェロとフィンランドを除くすべてのOECD加盟国よりも高い。
予測退職後年数
予測退職後年数は平均退職年齢から予測される残りの余命の長さを示している。指標は、高齢化という状況のもとでの年金制度への財政圧力とともに年金制度がどのように退職と連動して機能するかを示している。一般的には、女性と比較して男性は退職後にはより短い年月をすごすものと予測することができる。退職後に予測される人生の長さについての最近の算定では、オーストリア、ペルギー、フランス、イタリア、それにルクセンブルクでは、女性については25年を超えた。男性について20年を超える国はオーストリア、ペルギー、フィンランド、フランス、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルク、それにスペインであった。女性の退職後年数がいちじるしく短い(20年未満)のはチリ、アイスランド、韓国、メキシコ、ポルトガル、それにトルコであった。男性について短い国(15年未満)は、エストニア、韓国、メキシコ、ポルトガルであった。
平均的には、女性は男性よりほぼ4.5年長い期間を退職後にすごすと予測される。東ヨーロッパの大半の国ではこの差は少なくとも6年あった。また日本ではこの男女差は6年を超えていた。退職後の期間が長いことは女性を高齢期の貧困にさらすことになる。これは、多くの年金制度が賃金収入に連動しており、すべてのOECD加盟国で男女間の賃金格差が存在する結果である。つけくわえれば、多くの国に存在する年金支給額の物価スライドでは、最高齢期にある受給者、その多くは女性であるが、退職後に相対的に貧困に陥ることを意味している。
新興経済国における女性の予測退職後年数はブラジルとロシアの20年から南アフリカの15年まで多様である。男性についての違いはより小さく、予測退職後年数は12~13年である。ブラジルにおける実効退職年齢は男性より女性が6年低いが、ロシアにおけるこの差は3年に近かった。
OECD諸国全体における平均予測退職後年数は時間の経過とともに増加してきた。1970年には、OECD諸国の男性は平均で11年の退職後の人生をすごしていたが、2012年の平均では18年に延びた。予測退職後年数の延びは女性のほうが大きく、平均で1970年の15年から2012年の22.5年へと伸びた。
1970年から2012年への平均予測退職後年数の増加の原因は実効退職年齢の低下と寿命の延びの双方である。実効退職年齢は1970年代から1990年代後半にかけて男性も女性もしだいに低下した。若干の相対的に安定した期問ののち、実効退職年齢は2004年からゆるやかに上昇しはしめた。実効退職年齢での余命は、とくに女性について、この期間にいちじるしく上昇した。男性についても過去20年間同様であった。過去数年にわたって、余命の増加は実効退職年齢の増加とおなじであるため、退職後年数は安定的に推移した。
移民
移民人口は全人口に占める比率として増大している。2001年から2011年までのあいだにエストニア、イスラエル、ポーランドを除くすべてのOECD諸国で、人口中の外国生まれの比率加増大した。
2011年ではOECD平均で外国生まれ人口の比率は12.6%である。人口に占める外国生まれの比率がもっとも高いのは、オーストラリア、カナダ、イスラエル、ルクセンブルク、ニュージーランド、スイスである。これらの国では少なくとも5人に1人は外国生まれである。この時点でOECD諸国のなかの3分の2近くの国々で、移民人口が人口の10分の1を超えていた。しかし、移民比率についてOECD諸国のなかには大きな違いもある。日本、韓国、メキシコ、それにポーランドでは外国生まれ人口の比率は2%未満であった。
2008年の経済危機以降の失業の増加は直近10年間の最後の段階で純流出入の傾向に影響を与えた。目立つことに、2005~07年の時期に高率の純流入を示していたアイスランドとアイルランドは2008~10年の時期にかなりの純流出に転じた。おなじ期間にスペインも純流入のはげしい減少を体験した。純流入率が最高だったのは、オーストラリア、ルクセンブルク、ノルウェー、それにスイスであった。これらの国では、2005~07年の時期と2008~10年の時期のあいだで純流入の増加が観測された。OECD全体のなかでは、おなじ期間に純流入がわずかながら減少した。
経済危機によってもっとも打撃を受けたOECD諸国(とくにギリシャとスペイン)は、国籍所有者の他のOECD諸国への純流出が最大となる事態を経験した。
経済危機はまた外国人の流入の構成に影響を与えた。もっとも家族移民と自由移動(すなわち自由移動地帯内での移民)はいぜんとして永住ベースでの移民の大きな部分を占めている。 2007~11年の期間にわたって、自由移動の類型はもっともはげしい低下を示した。自由移動の比率の大部分は労働関連であると想定できる。労働関連の移民は2010年から2011年にかけて増加しているとはいえ、危機以前の時期と比較するといぜんとして非常に低い水準にある。
家族
1つの世帯のなかの成人数は世帯の構成と人びとがどのようにともに暮らしているかについての追加的な情報を示す。一方、結婚と離婚にかんする指標は「成人のパートナー関係」の状況を示している。
OECD全体では、結婚はもっともふつうの成人のパートナー関係である。しかしそれは国によって大きな違いがある。結婚した成人の比率がもっとも高いのは日本とトルコで、この両国では2012年現在、成人の65%超が結婚していた。この比率がもっとも低いのはチリとエストニアで、この両国ではわずか約40%だけが結婚していた。同居は通常結婚率が低い国々で比率が高い。エストニア、アイスランド、それにスウェーデンでは、約5人に1人の成人がおなじ家のなかでパートナーと同居していた。
単身ないし未婚の比率もまた国ごとに大きく異なっている。チリと韓国では成人10人のなかの4人近くが単身もしくは未婚であった。エストニア、ハンガリー、イギリスではこの比率は5人に1人に近かった。
しかし、家族形態の測定可能な変化と家族の解体は直接的には観察できないようである。長期的な観察結果では結婚率はいちじるしく低下してきた。離婚率の水準と変化はともに諸国間で異なっている。しかし、1970年にさかのぼる長期的な観察では、離婚率はいちじるしく増加した。全体としては、経済危機の家族の解体に与える影響を正確に測定することは困難である。経済面でのストレスは家族の崩壊とより多くの離婚をもたらす可能性はあるが、離婚の経済コスト加増大したため、およびカップルのほうがより多くの所得が得られる可能性があるため、これらの要素が一方では離婚数の減少を説明する可能性もある。
変化するパートナー関係の形態と低下する出生率の結果として、子どもがまったくいないか、わずか1人か2人の子どもしかいない世帯の比率が増大してきた。今E]ではひとり親と暮らしている子どもも多くなっていると思われる。このことはセーフティネットとしての家族の役割を変化させる可能性がある。多世代の世帯の比率は国によって異なるが、平均的には、2007年から2012年の時期に、GDPの変化と同一世帯のなかでの15歳超の人びとの数の変化のあいだには観察される相関は存在しない。
新興経済国全体についても家族構造は多様である。中国、インド、インドネシアでは成人人口の70%超が結婚しているが、南アフリカではその比率は25%に近い。アルゼンチンとブラジルだけが、同居率でOECD平均を超えている。ロシアの離婚率は9%であるが、この数値はチェロとフィンランドを除くすべてのOECD加盟国よりも高い。
予測退職後年数
予測退職後年数は平均退職年齢から予測される残りの余命の長さを示している。指標は、高齢化という状況のもとでの年金制度への財政圧力とともに年金制度がどのように退職と連動して機能するかを示している。一般的には、女性と比較して男性は退職後にはより短い年月をすごすものと予測することができる。退職後に予測される人生の長さについての最近の算定では、オーストリア、ペルギー、フランス、イタリア、それにルクセンブルクでは、女性については25年を超えた。男性について20年を超える国はオーストリア、ペルギー、フィンランド、フランス、ギリシャ、イタリア、ルクセンブルク、それにスペインであった。女性の退職後年数がいちじるしく短い(20年未満)のはチリ、アイスランド、韓国、メキシコ、ポルトガル、それにトルコであった。男性について短い国(15年未満)は、エストニア、韓国、メキシコ、ポルトガルであった。
平均的には、女性は男性よりほぼ4.5年長い期間を退職後にすごすと予測される。東ヨーロッパの大半の国ではこの差は少なくとも6年あった。また日本ではこの男女差は6年を超えていた。退職後の期間が長いことは女性を高齢期の貧困にさらすことになる。これは、多くの年金制度が賃金収入に連動しており、すべてのOECD加盟国で男女間の賃金格差が存在する結果である。つけくわえれば、多くの国に存在する年金支給額の物価スライドでは、最高齢期にある受給者、その多くは女性であるが、退職後に相対的に貧困に陥ることを意味している。
新興経済国における女性の予測退職後年数はブラジルとロシアの20年から南アフリカの15年まで多様である。男性についての違いはより小さく、予測退職後年数は12~13年である。ブラジルにおける実効退職年齢は男性より女性が6年低いが、ロシアにおけるこの差は3年に近かった。
OECD諸国全体における平均予測退職後年数は時間の経過とともに増加してきた。1970年には、OECD諸国の男性は平均で11年の退職後の人生をすごしていたが、2012年の平均では18年に延びた。予測退職後年数の延びは女性のほうが大きく、平均で1970年の15年から2012年の22.5年へと伸びた。
1970年から2012年への平均予測退職後年数の増加の原因は実効退職年齢の低下と寿命の延びの双方である。実効退職年齢は1970年代から1990年代後半にかけて男性も女性もしだいに低下した。若干の相対的に安定した期問ののち、実効退職年齢は2004年からゆるやかに上昇しはしめた。実効退職年齢での余命は、とくに女性について、この期間にいちじるしく上昇した。男性についても過去20年間同様であった。過去数年にわたって、余命の増加は実効退職年齢の増加とおなじであるため、退職後年数は安定的に推移した。
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9/1から新体制
9/1から新体制
やはり、起きて、行動しないとダメですね。9/1から新体制できちっとしたカタチにします。
一日の反映として、ICレコーダー書き起こしを入れましょう。そのために、何をするかのスケジュールですね。先が短いとか考えずに、一日単位で動きます。あとは長時間居られるところ、図書館の使い方です。新体制の肝ですね。その時には、「生ちゃん」の出番になります。
時刻が気になるとしたら、インスピレーションよりもエクセルの方が適しているかもしれない。「生活費」のところにプロットすれば、生活そのものが見えてくる。それを雑記帳に入れ込めばいい。ノートを論理的に書くのに飽きたので、勝手に表現します。それが新体制らしさです。自分のための体制。
読むための本
考えないといけないことが一杯ある。読むための本も一杯ある。読むと言っても考えるために抽出したものです。読んで、中身を理解するというのはムダです。あくまでも考えるためです。読まないと考えられないのは、その分野について。そして、それらを文字にすることが重要です。
予定表への反映
予定表にその都度、反映させるのは面倒なので、その時刻に起きたことをICレコーダーに入れて、夜間の書き起こしで予定表などにポイントアウトする。
そのために、簡易ノートが必要になる。合わせて、時間を知るためのケータイと書くためのペンも。ペンは買うのではなく、探せば、いくらでも出てくる。ICレコーダーなら、それらがいらない。書き起こしが必要なだけです。そのための動機付けをしていきましょう。習慣化するために時刻と内容を決めましょう。
ドンクのフランスパン1.2mmの輪切り 13:29。エクセルメモに反映させたいときは、後ろに時刻を書きます。実際に反映されるかどうかはその時点で判断します。
一点一品ルールのDNA的見解
一点一品ルールはDNAの考え方に沿っています。一点で全てを代表させる。集合で言うところの代表元です。
集合は点になる。そうならないと集合とは言えない。「集合」を習った時に驚いたところです。集合は点になり、点は集合になる。集合は単なる集まりではなく、その根幹にルールがある。それをプロットします。
まとめ買いはしない。一点だけ買うのが基本。色々ある内の一品に絞る。そうなると、事前に想定できる。それがDNAの見方とみれば、最高です。
夕食は腹一杯
夕食はサラダみたいなものと惣菜みたいなもので腹が一杯になる。その後のメインディッシュみたいなものは余分です。
やはり、起きて、行動しないとダメですね。9/1から新体制できちっとしたカタチにします。
一日の反映として、ICレコーダー書き起こしを入れましょう。そのために、何をするかのスケジュールですね。先が短いとか考えずに、一日単位で動きます。あとは長時間居られるところ、図書館の使い方です。新体制の肝ですね。その時には、「生ちゃん」の出番になります。
時刻が気になるとしたら、インスピレーションよりもエクセルの方が適しているかもしれない。「生活費」のところにプロットすれば、生活そのものが見えてくる。それを雑記帳に入れ込めばいい。ノートを論理的に書くのに飽きたので、勝手に表現します。それが新体制らしさです。自分のための体制。
読むための本
考えないといけないことが一杯ある。読むための本も一杯ある。読むと言っても考えるために抽出したものです。読んで、中身を理解するというのはムダです。あくまでも考えるためです。読まないと考えられないのは、その分野について。そして、それらを文字にすることが重要です。
予定表への反映
予定表にその都度、反映させるのは面倒なので、その時刻に起きたことをICレコーダーに入れて、夜間の書き起こしで予定表などにポイントアウトする。
そのために、簡易ノートが必要になる。合わせて、時間を知るためのケータイと書くためのペンも。ペンは買うのではなく、探せば、いくらでも出てくる。ICレコーダーなら、それらがいらない。書き起こしが必要なだけです。そのための動機付けをしていきましょう。習慣化するために時刻と内容を決めましょう。
ドンクのフランスパン1.2mmの輪切り 13:29。エクセルメモに反映させたいときは、後ろに時刻を書きます。実際に反映されるかどうかはその時点で判断します。
一点一品ルールのDNA的見解
一点一品ルールはDNAの考え方に沿っています。一点で全てを代表させる。集合で言うところの代表元です。
集合は点になる。そうならないと集合とは言えない。「集合」を習った時に驚いたところです。集合は点になり、点は集合になる。集合は単なる集まりではなく、その根幹にルールがある。それをプロットします。
まとめ買いはしない。一点だけ買うのが基本。色々ある内の一品に絞る。そうなると、事前に想定できる。それがDNAの見方とみれば、最高です。
夕食は腹一杯
夕食はサラダみたいなものと惣菜みたいなもので腹が一杯になる。その後のメインディッシュみたいなものは余分です。
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