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未唯への手紙

未唯への手紙

豊田市図書館の25冊

2014年12月19日 | 6.本
002『知のトップランナー149人の美しいセオリー』

104『考える日々 全編』--池田晶子と過ごす1000日

135.5『リトルネロ』

596『365日。』小さなレシピと、日々のこと

169.53『ハリウッド・スターはなぜ この宗教にはまるのか』

130.4『ピアノを弾く哲学者』サルトル、ニーチェ、バルト

210.58『外国人カメラマンの見た 幕末日本Ⅱ』レンズが撮られた

312.53『懸け橋ブリッジ 上』オバマとブラック・ポリティックス

312.53『懸け橋ブリッジ 下』オバマとブラック・ポリティックス

913.6『図書館奇譚』村上春樹

361.6『コミュニティ難民のススメ』表現と仕事のハザマにあること コミュニティ難民は、現代日本における。創造的な漂泊の民である。

311『リヴァイアサン1』

238.07『世界史劇場 ロシア革命の激震』

293.59『かわいいに出会える旅 オランダへ』旅のヒントBOOK

290.93『シアトル&ポートランド』

321『ゼロからはじめる法学入門』

323.14『トピックス憲法』

230.4『ヨーロッパは中世に誕生したのか?』

910.26『折口信夫』

297.36『世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア』

289.1『吉田松陰と久坂玄瑞』

335.13『天才イーロン・マスク 銀河一の戦略』

726.6『まるごと ちひろ美術館』

377.28『なぜ関西のローカル大学「近大」が、志願者数日本一になったのか』

199.21『これから読む聖書 創世記』

岡崎図書館の10冊

2014年12月19日 | 6.本
298.8『北緯66.6°』北欧ラップランド歩き旅

104『考える日々Ⅱ』

134.9『ウィットゲンシュタイン』「私」は消去できるか

134.9『ウィットゲンシュタイン哲学宗教日記』1930-1932/1936-1937

233『イギリス-歴史と社会-』

135.5『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』

104『考える日々Ⅲ』

134.9『ウィットゲンシュタイン』没後60年、ほんとうに哲学するために

501.6『コミュニティパワー』エネつぎーで地域を豊かにする

295.3『ニューヨーク』イラスト徹底ガイド こだわりの街歩き

パートナーの役割

2014年12月19日 | 5.その他
パートナーの役割

 やっと、パートナーからメールが来ました。あなたの役割はスムーズな展開ではない。一緒に考えることです。寄り添うことです。そこまで、一気に行くから、また、嫌がられるでしょう。

 全体を考えて、先を見る目があって、かつ危機の様相が分かっていれば、いくらでも対応できます。

岡崎図書館

 名古屋高速が不通で「今日も会社は休みます。」で岡崎図書館へ行きました。岡崎図書館の10冊は借りる本がなくて、気分休めのウィットゲンシュタインと池田晶子に逃げていた。どうにか、10冊借りました。

未唯宇宙が気になる

 雪で二日間の休みになっているけど、未唯宇宙の方が気になっています。そのための準備になってしまった。

 1280項目というのは、大きな数字です。それぞれの項目に銀河を持ちます。それをやらないといけない。

視力ダウン

 視力ダウンが本当にきついですね。取りあえず、メガネ屋で視力の確認をします。そのためのメガネも作り込みます。

土曜日の早朝に名古屋

 明日、名古屋に朝に行くとなると、帰りのバスは9:25の始発です。時間がありますね。Iさんへ行くと同時に、24階に行くというパターンを退職後には考えましょう。パートナーの相談のネタがあればの話。

池田晶子「考える日々」

 岡崎図書館で池田晶子「考える日々」を借りた途端に、豊田市図書館の新刊書で「全編」を見つけた。

 3時から、豊田市の図書館の新刊書コーナーへ。3時ジャストだったので、フリークの連中が集まってきた。ほんとうにえげつない。一緒にされたくない。だけど、かれらは偏っているから、私には関係ない。

未唯宇宙は「論考」表現

2014年12月18日 | 1.私
「今日、会社休みます」

 「今日、会社休みます」それが言いたくて、年休です。本当は、歩いて、豊田市まで行く自信がなかったから。

 Iさんに会えない。連絡手段はない。「雪の日に会いましょう」と約束したのに。代わりに、土曜日の朝一番に行きましょう。それで納得。そうなると、名古屋から帰ってきてから、そのまま、岡崎図書館です。

 11時半まで寝転がっているということは、かなり、疲れているかもしれません。まあ、私にとっては貴重な一日ですから、今から、A6をやって、部屋の整理ですね。ごみ袋一袋、片付けましょう。

未唯宇宙のベースつくり

 それよりも、未唯空間のリストをどうするのか。あまりにも膨大です。どう発展させるのか、収束させるのか。あまり、考えずに機械的にやっているのは確かです。そこからどうやって出していくのか。そして、今やることは何なのか。

吉野家には行きにくい

 それにしても、松屋が混雑しています。まあ、380円に比べると290円ですから。

未唯宇宙の表現

 未唯空間に対して、未唯宇宙。そこで参考情報も横に並べます。但し、イメージできないといけない。広大に拡がる世界だけど、皆、それぞれ、意図をもってかれて、それが最大。

 例えば、絶対的な孤独をどう考えているのかという文章。死しか見えない、あの中学の恐怖はどこに入れるのか。そして、2兆年の中のこの瞬間。

 寝らがら考えることをベースにしましょう。だけどパソコンへの入力は必要です。言葉の重みとそのイメージ化。イメージ化そのものはもっと大きな単位。

 大項目とか中項目とか言っていると、何かわけが分からなくなります。だから、名前を付けます。レベル4までで、4以下は参考文献になります。

 ジャンルとして、「自分編」があり、レベル1が「存在と無」、レベル2が「孤立と孤独」、レベル3が「私の始まり」、そして、レベル4が「絶対的な孤独」。この包含関係は絶対ではない。

 一様、レベル4に参考文献は付けるけど、これはレベル1に付いたり、レベル2に付いたりすることを、どう表現するか。ハイアラキーに見えるけど、実はそうではない関係。そういう時は、頭にインデックスを付けましょう。参考文献はあくまでも参考文献としておきます。なるべく、下の方にくっつけるけど、上の方にくっつくときは番号を付けます。

 固執する部分はレベル2になるから、レベル2の参考文献としてはあります。実際はレベル4だけど、その時はどう描くかです。

「論考」表現

 いっそ、ウィットゲンシュタイン「論考」のようにしましょうか。それをやるには、時間が掛かりそうです。取りあえず、テーマについて、分けているものをどこに割り振るか。

 参考文献もコメントも、「論考」スタイルにしましょう。ツリーはツリーとして作っておいて、その所はまた、別の空間、その中に位相を入れ込む。

 プレーンにすると、当然、下は見えないけど、「論考」のように、コメントを入れるのと、参考資料を入れるにはいいかもしれない。ロジック自体はプレーンにします。シングル・プレーンにした時には、全て、並びます。コメントも参考文献も全て、隠せます。

 そうしないと、4項目の正規化のおぼれてします。これなら、局所での次元表示が自由になります。考えるのは正規化の中で考えて、表現する時はバリアブルにする。その下がないなら、下を無くすことができる。それなら、紙でなくてもできる世界です。

 たぶん、ウィットゲンシュタインもそうやって、考えたのでしょう。あの表現は分かりにくいけど、意味を持っています。あくまでも補足。言いたいことを言った上で補足。そして、補足の補足。その後ろに参考文献を持って行くのでしょう。

 ヘーゲルの歴史哲学ではないけど、十分調べ上げて、自分の考えをいかにシンプルにまとめるか。その手法、そのものです。今回の未唯空間で一番特徴的になのは、この空間かも知れない。世の中、3つなのか、2つなのか、ないなのか。

 結局、「論考」のような構成にならざるを得ないでしょう。多重を表現するのか。コメントから、自動的に文章を作れに仕組みにしておきます。文系の曖昧な表現が狙いかも知れないけど、ロジックがなければダメです。まあ、勝手に屋させておけばいいけど。つまり、等価であることを証明するわけです。

 それによって、高速処理と再構成を可能にします。そういう意味では、微分と積分の世界に持って行きます。

 インスピレーション側は二つ、持つわけにはいかない。これ以上の同期化はムリです。だから、「論考」表現に集約します。目次はプレゼン側で今まで通りです。

 そうすれば、今後、レベルが1つあれば、出来ます。あくまではレベルは必要です。文章にする時にはコメントを使えば、文章になります。横並びに全てを見ることはできるけど、邪魔は邪魔ですけど。

 これは「論考」を読んだ時に思ってことです。レベル化すればいいと。だけど、レベル化の時には非常に難しいです。多様な要素をその中に入れるわけにはいかない。

所有権をなくす世界

2014年12月17日 | 5.その他
車の所有権をなくした世界

 所有するから、話がややこしくなっている。目的に対して、どれを選択するのかというところの選択肢が示される。そのなものは、一番の最適解を選び出せばいい。所有権を無くせば、それが可能になります。

 所有するから、色々なものが必要になってくる。本来、そんなものは必要ない。歩くしかない時は歩いた。籠ができた時は、一文の人は籠にした。車ができて、それに所有権を付けたから、話がややこしくなった。そこに在っても、扱えない。

 色々なモノを持っていて、そこから選び出すには、状況はハッキリさせて、そこから機械的に選び出せばいい。固定させずにバリアブルにしていく。

 多様性はなぜ、在るのか。そして、多様性の目的は何なのか。所有権が多様性の元なのか。そんなことはない。資本主義の元ではそうであるのか。民主主義から行ったら、それは在りえない。

未唯宇宙の銀河

 1280の銀河。それを旅します。

 その中には、一等星とか二等星とか、オリオン座のように集まって、名前がついているものもある。北極星もあるでしょう。存在の力のように、全てがその周りを回るようなモノ。

パートナーの武器

 研究開発という、まるで異なる環境で、3か月、苦労しました。その後は、自分で作り出した。視点を技術者に持って行く。巨大なデータベースをこなして、見えるようにしていく。メインフレームもワークステーションもオフコンも使いたい放題だった。

 その時には数学的思考がありました。皆の思いを自分の思いにすれば、それだけで、見えてきた。パートナーも早く、自分の武器を明確にした方がいい。

 願いは、地域の担当として、年内に自分の武器を明確にし、それをアピールできるようにすること。従来のやり方を習うよりも、新しい時代に向けて、コミュニケーションを変えて、ファシリテーションすると同時に、インタープリターションをする。

 そのために、全体を考えて、先を見る力をやり方を周到してきた。というよりも、それ自体を持っていた。制御を載せない限り、人は前に進めない。

隷属への道

 アーレントの「隷属への道」。従うことで満足してしまう。職場を見ていると、それに満ちている。食べていくために、従うことを条件。それで周りを見えなくする。全体は考えない、考えられない。生まれてきた以上は全体を考えないといけないというのが、存在の力です。

世界を変えること

 こんな世界を用意してもらって、申し訳ない。期待に応えられなくて。元々、この世界を変えることが目的で来たのに。これが自分の意識です。意識のレベルをどこまで上げられるか。

 多分、そういうことなんでしょう。内側の世界をキッチリ作って、意識を変えます。その上で、この世界の人間に少し与えることになる。その辺はブッダと一緒です。キリストは自ら説いて回った。ムハンマドは、知り得た人を感化して、教団を作った。ブッダは単に悟りを得ただけ。その意味では、ブッダに一番近い感覚です。

参考資料の扱い

 未唯宇宙を何しろ、イメージします。言葉からイメージへ向かう。参考資料もあげられるようにしていく。実態を少しだけ、見えるようにします。コメント的なモノは考え方として、扱いします。他との関係です。参考資料は主要なものは抜き出し、皆の思いを吸収していきます。参考資料というよりも、同じようなことを考えていた人の意見です。あくまでも考え方だけを抽出します。

赤い服で待ってくれていた

2014年12月16日 | 7.生活
ミカロスⅡ

 ここに至って、ミカロスⅡです。まあ、中野の前例があるからいいでしょう。あくまでも、絶対的存在の意思は絶対です。今の感覚をどこに入れ込むのか。生活編か、自分編か。たぶん、自分編でしょうね。

 絶対的存在との関係は、相手側のアクセスだけにします。それが常につながるものです。こちら側からは行わない。ただ、待つだけで、失う世界に留めます。

大いなる意思

 その時になると、概念が生まれてきます。やはり、どこかで、大いなる意思が働いているのでしょう。誰からも見られていない、見ていない世界を正月に先行します。

テーマの使い方

 テーマの使い方が見えてきました。ジャンル側は自由に入れて、テーマで横につなげていく。

 例えば、多層化空間、未唯空間、未唯宇宙、そして大いなる意思はジャンルは離れているけど、テーマ側でつながります。具体例などは、ジャンル側に置いて、それをテーマでつなげていく。それを増やすかどうかです。16テーマぐらいが丁度いいけど。

 テーマを増やすために、番号を二桁にしましょう。それとも、頭の英字を追加しましょうか。例えば、Sでサブテーマを扱うなど。取りあえずは、これが一つの塊だとしたら、テーマにしておきます。

 但し、詳細項目は付けません。あくまでも名前だけです。つながりだけを持ちます。表現の方法もかなり変わってきます。それで何が言いたいのかは、テーマ側で作ります。テーマ側の再編沿いは自由に行います。テーマの分割と統合は自由に行います。

ICレコーダーの入力

 目をつぶって、話しかけていると、入力とポーズの順序が入れ替わります。録音したつもりが入っていない。

教授みたいな言い方

 教授みたいな言い方をするけど、私は教授ではない。これだけ閉じこもった教授は居ないでしょう。

 その意味では、四方さんとよく似ているかもしれない。教える気はなかった。教えるというよりも、考えていることを述べるだけだった。そうでなかったら、「リーマン面の概念」を一年掛かって、6ページくらいしかやらなかったのは、教育としては劣っているのでしょう。

 だけど、根本が分かれが、自分で考えろ。自分もそうしていたというのが、四方さんの教育なんでしょう。会社へ入ってからも、同様にやってきた。何しろ、私に教える人はいなかった。

朝のIさん

 (火曜日なのに赤い服)「うっかりではなく、敢えてです」「楽しみにしてくれるかなと思って」「うっかりではなく、しっかりです」「喜んでもらえるかと思って、赤にした」「また、今日も12時までなんです」

 (勇気が湧いた)「勇気が必要なことがあるんですか」

 (ホテルでの忘年会)「そういう会社もまだあるんですね」「ドラマの世界だけだと思っていた」

 (急にやらされて)「それは愚痴になりますよ」「私からもお疲れ様と伝えておいてください」

 「決まりました。モールです」「10日からのシフトでモールで1ヶ月くらい」「ちょっとは会えますかね」「遠くないですか。百貨店の方が通り道ですよね」「シフト決まり次第、全部、教えますので」「間違ったら、大変ですから」

 「ロードでお別れができると思ったんですが、モールになりますね」「モールは、朝、お客様が少ないので、話せますね」「淡い期待しています」

愚痴のメール

 パートナーから愚痴のメールが来ました。ミカロスⅡを覚悟した途端に。内容は忘年会の幹事での不手際。私にとっても有難かった。それをそのまま、Iさんとの会話にしました。

赤い服で待っていた

 私のために、赤い服を着てきた。それを見た途端に、舞い上がってしまった。「うっかりではなく、しっかり」これは韻を踏んでいます。単なる、対語なのかな。

Iさんとの昼の会話

 「お帰りなさい」「11月のホリデーに書いてもらったものを12月に紹介しようとする企画なんです」

 (また、違う愚痴が来た)「周りが気にしてなくても、本人が意識することがあるかもしれないですね」

 (私も愚痴を言わないと)「私はなんでも、いつでもお受けしますから」「ストレスが溜まったら、ここで吐いて行ってください」

 「明日はレッスンに行ってきます」「ここはめっちゃ寒いらしい」「東京は今日寒くて、明日、暖かいからラッキー」「木曜日、雪の日にお待ちしています」「高速が止まらないことを願っています」

<今>という時間

2014年12月15日 | 1.私
未唯へ

 今日もスタバ以外はひと言も口をきいていない。

私の世界

 また、ここに戻りましょう。私の世界。情報を一度、すべて、カットしようか。本だけ残して。

 とても、ふつうの手段ではダメなんです。追い込むことしかないかもしれない。意識を変えさせるとしても。

 結局、誰もいないのだから、格好つけようがないのに、なぜ、スタバへ行くのか。人とのつながり?

 この感覚は何なのか。時空を超えている。実体とかなり離れている。それが<今>という瞬間だけについている。目の前にあるものが意味をなしていない。そんな感じです。

日本の選挙

 変な選挙が唐突に起こって、唐突に終わりました。つくづくダメですね。日本というところに強みがない。意思の力がない上に、その上に依存している。

 政治の変革の中に、今回の茶番劇を入れましょう。色々なものが変革している時に、ここだけが変わっていない。ということは、遅れてきている。早く、明確な答を出さないと、どう見ても、日本自体がやばいですね。

退職準備

 退職準備は、一切のものを片付けることから始める。私の世界以外のすべて。

未唯宇宙

 未唯宇宙は宇宙であることを示すために、詳細項目すべてを相手にします。だけど、あまりにもエリアが膨大です。そして、どこでも真理があることを確認します。それにしても、一つ一つの項目が重たいのは確かですね。「知のカプセル」一つとっても、どれだけかかるのか。

 これだけ、詳細項目にシフトすれば、上の部分はかなり、自由にできます。底辺を確保したから。

 すべて、イメージの中に折り込むためにどうするか。全ては難しいから、テーマの16コから始める。

 詳細項目に参照資料が全部ついて、宇宙をなしている。このきらめく星の元。未唯宇宙では、詳細項目一つが銀河星団であることもあるし、単なる星のこともある。それらから成り立る。私の世界のすべての現象はその中に入っている。

 ディスクリートであり、かつ、次元が異なる空間が宇宙である。ほとんどが暗闇です。ダークマターの世界。その中に、存在という、光の方向を変えるモノがある。それを<今>という時に表すのが私の願いです。

 未唯宇宙の実体は第一章です。そこからどこまで伸ばせるか。だけど、一つがあまりにもでかい。

 よく考えると、新刊書といえども、詳細項目の一つぐらいしか示していない。トルストイとかヘーゲルならば、もう少しでかいけど。

 そして、未唯宇宙を楽しみましょう。18000冊を活かすためにも。未唯宇宙空間を旅する人へ。

 ちなみに、空間は10×32×4=1280項目です。これで私の世界のすべてを表現している。

<今>という時間

 不可解!

 この時間。<今>。それが不可解!

 よく、こんな不可解なモノに、皆、耐えていると思いますよ。どう見ても、おかしい。

 楽しそうにしているのも、不可解にしているのも、構えているのも、皆、おかしい。

 同じような感覚を持っている人間を会ったことがない。本では、時々、すれ違うけど。なぜ、本音で生きないのか。

 何ものも<今>しかできない。そのために準備されている。パソコンも会社も。だからやらないわけにはいかないでしょう。やるのは、<今>しかない。あんなちょろい概念ではなく。

方法論

 内容よりもやり方の方が恣意なのかもしれない。存在理由としては。やり方というのは、人類の財産なのか。「方法序説」を読むとそれは感じるけど、NDC147を見ていると、ろくなものではない。

 明日は反映を行います。その時に詳細との関係とチューニングを行います。

パートナーのシステム設計

 自分を育てるためにシステムがある。世の中がある。それが正しい。では、何を育てるのか。それは意識です。

 それ以外に見えるものはない。見えない以上は存在しない。

甦るデトロイト--都市再生の胎動へ 「適切な規模」に

2014年12月14日 | 5.その他
『縮小都市の挑戦』より 甦るデトロイト--財政破綻から、都市再生の胎動へ

持続可能な縮小都市の「かたち」をめぐっては、物理的、建築的に「適切な規模(right size)」に縮退することが大切である、という議論が行われる。バリバリ働き、満腹になるまで食った時代に着たスーツは、熟年期を迎えてダイエットすれば、減った体重に合わせて仕立て直しが必要になる。一街区二〇戸で開発された住区で空き家が増え、実際に暮らしているのが三戸になれば、同じように縮退が必要になる。①上下水道、道路など社会インフラの維持管理が不効率になる、②治安も悪くなる。そのため、③犯罪の現場になる空き家を解体して緑地に戻す、④残っている住宅は他の住区に集約する、というのが「適切な規模」に縮退する方法である。

二〇一三年、ホワイトハウスの呼びかけで地元有識者を中心に、「デトロイト荒廃物件撤去調査班」が組織された。「縮小の実態を診断しなければ、正しい対策を打ち出すことはできない」という認識のもと、調査班の活動は荒廃の把握に重点が置かれた。二〇一四年五月、「あらゆる住区には将来がある」と書きはじめる調査報告書が発表された。それによると、市内には三七万七六〇二区画ある。二二・四%の八万四六四一区画(七万三〇三五住宅十五四七一非住宅(店舗や教会など)十六一三五空き地)が荒廃している。これらの荒廃を除去するためには、八億五〇〇〇万ドルの費用が掛かる。大規模工場やミシガン中央駅などの大規模廃墟は含まれていない。これらの撤去費用を加算すると、二〇億ドル前後になる(大方の大規模廃墟は民間所有である。撤去費用を公共が負担することはない)。

報告書は、撤去費用八億五〇〇〇万ドルは、連邦政府の甚大損害救済基金からの支援とデトロイト市の財政再建過程で生まれる節約金で充当できる、と試算している。地元企業や民間財団からの寄付も期待している。しかし、簡単に手打ちできる状況ではない。実際のところ、撤去費用を皮算用通りに捻出できるか、確かな目途はない。解体で出る大量の建築廃材の処理方法も、今後の検討課題である。まずは、どこの街区から解体に着手するのか、その順番を決めなければならない。住区を集約するためには、住民の立ち退きが必要になる。その際、同意の取り付けが大変である。こうした作業を迅速に進めるために、報告書は、「市は不動産鑑定士の採用を急がなければならない」と提言している。

報告書が発表された後、市長のマイク・ダゲンは、「住環境が良好に維持されている住区の空き家撤去から着手する。荒廃が連鎖するのを防止するためである」と話していた。トリアージ(救命できる者を優先治療)方式である。「郡政府が税金不払いで差し押さえた物件を、競売に掛けるのを止めてもらう」とも語っていた。競売に掛かる一宅地の最低入札価格は五〇〇ドル。格安である。投機家が最低価格で落札した土地が、市内全域に虫食い状態で散在している。投機家の狙いは、開発話が持ち上がった時に、高値で売り逃げることである。そのためしばしば、再生プロジェクトの妨げになっている。投機家は、当然、荒廃家屋の撤去にも不協力である。州外の投機資金、最近はアジア了不Iも動いている。

荒廃が深刻な地区に暮らす人々の三〇%以上が、「引っ越したくない」と考えている。無理に立ち退きを迫ることは難しい。デトロイト・ワークス・プロジェクトで「長期再生プラン」の作成責任者になった都市計画/建築家のダン・キンケッドは、時間を掛けながらソーニング玉地利用規制)で対応することを提案している。「引っ越しを無理強いはできない。次善の策として衰退地区では、新規の住宅建設を認めない。そうした開発規制は、投機筋が競売に参加するのを抑制する効果もある」

アメリカ建築家協会が「よりスリムな、もっと緑のデトロイト」(二〇〇八年)を発表した。ブルッキングス研究所のグループが「デトロイトプロジェクト 二〇〇九年」をまとめた。デトロイトは、実務家、研究者の間で格好の研究題材になっている。ブルッキングス研究所のグループは、酷い衰退から甦ったヨーロッパの都市に、もっと多くを学ぶことができる、と述べている。特に、同じモーターシティのトリノに注目し、次のように指摘している。

有能な市長のリーダーシップの下、都市政府は、①資金調達のためにEU、中央/州政府、民間基金の間を奔走し、②起業センター/実験研究所の開設、情報技術開発/環境ビジネスの促進で積極的、戦略的に介入するなど、産官学が協働する舞台で重要な役割を果たしている--それに対してアメリカでは、都市政府の影が薄い。

デトロイトの再生では、政府が介在しない「都市社会システム」--民間財団、企業、機関の協働、あるいは「協働の起業スペース」--が稼働しているが、それだけで終わらずに、連邦/州/都市政府が連携し、それらが民間主導の「都市社会システム」と協働するようになれば、再生の取り組みはもっとパワフルなものになるに違いない。ヤング、アーチャー市政時代の反コミュニティ行政の流れを引きずり、都市政府とCDCの関係がしっくり行っていないこと、したがって健全なCDCが育たなかったことにも問題がある。民間頼りの都市再生は、ウッドワードアヴェニューとその周縁部で活性化がストップしかねない。再生の波及効果が市場メカニズムの働かない地区まで及び、いずれ全市域的な広がりに発展するためには、都市政府が果たさなければならない役割は大きい。

「適切な規模」に縮退することについては、前市長のビング時代に発表された「長期再生プラン」がその必要性を指摘している。「経済成長」「土地利用」「都市システム」「近隣」「土地と建物」に関する長期戦略を提言する一方、空き家の状況、住宅価格を参考に、市内を安定/過渡期/衰退地区の三タイプに区分している。安定地区では住宅の不動産価値のアップを目指すが、衰退地区では空き地を公園や農地、池や水路に戻す、という提言である。短期的には、三タイプを代表するモデル住区を選定し、衰退地区ではゴミの収集回数を間引くなど、モデル住区ごとに行政サービスに格差を付け、住民の反応を知る社会実験を行うことになっていた。

財政破綻し、市政も政権交代し、「長期再生プラン」、そして短期的な社会実験もお蔵入りである。都市政府が再生ビジョンを提示し、リーダーシップを発揮し、民間をまとめて▽凡となって走る、という「都市社会システム」が機能していない。デトロイト荒廃物件撤去調査班の調査報告とそこに付記された提言も、絵に描いた餅に終わる心配がある。そうならないためには、デトロイト市は財政再建を急ぐと同時に、「統治」する力を養わなければならない。それは官僚的、専横的な統治ではなく、ステークホルダー間の利害を調整し、デトロイトを持続可能な都市に先導する政府パワーを育てる、という意味である。


社会サービスの担い手はNPOや協同組合がふさわしい

2014年12月14日 | 3.社会
『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』より 「新スウェーデンモデル」に見る、あるべき福祉の姿

宮本太郎さんは、スウエーデン社民党政権で見られたアクティべーション型の社会的包摂を、これからの福祉システムのあり方として提唱しています。すなわち、これからは、従来の「福祉国家」に替わって、NPOや協同組合も含むいろいろな担い手が「多元的」に活躍する「福祉ガバナンス」の時代になるといい、そのなかでも、「政府がより大きな財政責任を引き受け、供給主体としては非営利組織が役割を拡大し、統制については政府、非営利組織などの協議が重視される場合」のものを「アクティペーション志向の多元化」と呼んで提唱しているわけです。

それに対して、宮本さんが批判する新自由主義や第三の道の方向を指すのでしょう、「財源としては利用者の自己負担の比率が高まり、また供給主体として営利企業が前面に出て、統制については市場の決定に委ねる部分が増せば」「ワークフェア型の多元化」だとしています。

このように、サービス供給はNPOや協同組合などが地域の中で担い、利用者はそれを自由に選び、政府が十分な予算をかけて資金的に支えるという福祉システム像は、今日多くの論者の共通イメージになっているように思います。実は、私の学部学生時代の指導教員である藤田暁男さんは、まだNPOという言葉もない頃から、このような、非営利組織や協同組合などの比重がいまよりずっと高くなった社会システムを構想し、とくに、地域コミュニティにおける、福祉、医療、保育、教育などにそれらの事業体の活動領域を見出す先駆的議論をしていました。

藤田さんの理論的探究はすでに私のゼミ生時代の八○年代半ばには始まっていましたが、その後一九九七年には、スウェーデンのヤムトランド地方の地方都市を調査し、新スウェーデンモデルを目の当たりにしています。当時、スウェーデンの高度福祉国家は破綻したと伝えられることが多かったのですが、どっこい実際には、地域コミュニティのなかで様々な夕イプの協同組合が活躍して、ネットワークを形成して地域の福祉サービスを支えている充実した福祉社会が発展していたわけです。これを見て藤田さんは、自分の展望に確信を持ったわけです。

なぜ社会サービスの供給は、政府が直接担うのでなく、しかも営利会社よりもNPOや協同組合が担い手として期待されるのでしょうか。

営利会社と比べたふさわしさとしてよくいわれるのが、福祉や医療などはおカネ目当てにそぐわないということです。でも、ときどきそんな言葉は、経営者が従業員を低賃金でこき使ったり、役所が委託費をケチったりするときの言い訳になります。NPOや協同組合で、「おカネもうけが目当てではありません」と掲げるところほど、実はあこぎな商売をして一部の人が私腹を肥やしているということはよくあることです。

宮本太郎さんはNPOや協同組合が担い手に期待される理由について、あらまし次のように言っています。

今日の福祉や雇用政策が対処するのは、人々の「新しい社会的リスク」である。それは、長寿高齢化だけでなく、IT化とかロボット導入とかで人が要らなくなったり、工場が海外に出ていったりして、若者に安定した職がなくなり、中高年もいつ職がなくなるか、介護に追われるかわからなくなり、女性もちゃんと暮らしていくには働かないといけないのに、出産や育児がなかなかサポートされない等々で、自立して暮らしていけなくなるリスクである。これらへの対処は、人々が自立して暮らしていけるように手助けすることだが、そのためのニーズは、一つひとつのケースごとに違い、画一的に対処できない。だから、行政が一律のサービスを押しつけるのではなくて、民間がいろいろなサービスを提供するのを、利用者が選べないといけないし、選んでもいやならやめることができないといけない。しかも、こうしたニーズを満たすには、当事者自身がそれを発信しないと把握できないが、NPOや協同組合の場合、いわゆる自助グループに典型的なように、その発信に対応しやすい。-―このようなことです。

この理屈は、本書で述べてきた、「リスク・決定・責任の一致原則」で言い換えることができます。つまり、現代は、一人ひとりがそれぞれ大きく違った背景を背負って生きているので、福祉などのニーズも一人ひとり違います。その情報は政府当局が把握できるものではないので、もしこれを政府当局の判断で満たそうとしたら、人々のニーズに合わなかったり、厚生がかえって損なわれる人が出てしまったりする危険があります。しかし、その判断者はそのことの責任を自腹で負うことはありません。そうすると、人々のニーズに合わなかったり、人々の厚生を損なったりする判断が過剰にされてしまいます。

だから、そのニーズにかかわる情報を一番持ち、それを満たそうとする活動(あるいは活動の不在)にともなうリスクが一番かかってくる人たちが判断し、その判断にともなう責任を自ら負う事業のあり方が適切になります。福祉事業の場合、ニーズにかかわる情報は、現場の利用者本人やそれと直接かかわる人々が一番把握しているわけですし、不適切なサービスがなされたときのいろいろなリスクもまた、現場の利用者本人やそれと直接かかわる人々に一番ふりかかってくるわけです。そうだとすると、現場の利用者や従業者自身が、ふりかかるリスクに応じて決定にかかわり、その責任も負うやり方が一番ふさわしいことになります。

その意味では、現場を遠く離れた出資者がもっぱら決定権を持っていたのでは、政府当局が判断するのと同様、現場の人々のニーズを損なう判断をしてしまう恐れがあります。それゆえ、おおざっぱに言って、現代の福祉事業などでは、出資者が決定権を持つ営利会社よりも、現場の利用者や従業者に主権がある協同組合やNPOなどがふさわしいということになるのです。

しかし、以上の考察からわかるように、大事なことは形式的な事業形態ではなく、実際に決定と責任がどこにあるかということです。

形式的に有限会社や株式会社だったとしても、従業者が出資者でもあり、借金の責任も負い、事業決定を実質的に担っている労働者管理企業はあります。そうした場合には、リスク・決定・責任の一致原則は満たされているわけです。

ベーシックインカム制度が「転換X」に合致

2014年12月14日 | 3.社会
『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』より なぜベーシックインカムは左右を問わず賛否両論なのか 「転換X」にのっとる政策

一つ目の論点です。仮にベーシックインカムを金額で固定するなり、あらかじめ決まった一定の率で引き上げることにするなりしましょう。そして、税収から一般の政府経費を引いた残りでベーシックインカムがまかなえなければ、足りない分はおカネを発行してあてることにします。逆に、政府が一般経費の他にベーシックインカムを払っても、なお税金に余りが出たときには、そのおカネは中央銀行が吸収してしまうことにします。

そうすると、自動的に景気が安定化する仕組みができるかもしれません。

なぜならこの場合、不況のときには、どれだけ失業者が増えてもベーシックインカムの分は需要の下支えが働きます。デフレで賃金も利子収入も下がるかもしれませんが、ベーシックインカムの金額だけは下がりませんので、物価が下がる分それで商品が前よりたくさん買えるようになって、その分いくらかは需要が増えます。しかも不況なら税収が減るので、足りない財源をまかなうためにおカネの発行が増えて、景気が刺激されます。

逆に、好況が加熱してインフレがひどくなったときには、税収が増えて、べーシックインカムを超過して吸収されるおカネが多くなります。それは需要を冷やします。また、物価が上がってベーシックインカムで買える財の量は減って、その分需要が抑えられるとともに、それで前より暮らしが厳しくなって労働供給を増やす人々が出てきます。景気過熱期で人手不足ですので、労働供給を増やせばそれは簡単に雇われて、生産が増えて、いろいろな商品の供給量が増えます。その結果、需要超過状態を緩め、インフレを抑える役割を果たします。

こうした効果がどこまで大きくできるかはわかりませんけど、景気対策について、そのときそのときの政府の判断に頼る度合いを少しでも減らす方向にある点で、「転換X」の課題にのっとっているといえると思います。

二番目の論点は、いいことだと言い切れるか自分でもわからないところがあるのですがかなり根源的な問題です。

例えば、ひどい労働条件の「ブラック企業」に勤めていても、ベーシックインカムがあれば、みんな飢える心配なく簡単に辞めることができます。そうしたら、ひどい労働条件では人が集まらなくなりますから、ある程度は労働条件を改めないわけにはいかなくなります。

あるいは、ベーシックインカムがあれば、たとえ住民税を払わない無職の人、低所得の人でも、ただ住んでいるだけで需要が発生して地域経済にプラスになります。だから地方政府としては、無職でも低所得でも、ともかくたくさんの人に住んでもらうことがメリットになります。すると、住民サービスが行き届かない地域からは住民が出ていって、役所がきちんと住民サービスをするところに集まってくるので、地方政府どうし、住民サービスを競ってよくしていく力学が働きます。

たしかに、これはとてもいいことだと思います。しかし、この意味するところを反省してみると、労働者は仲間と団結して労働組合運動を闘わなくても、各自が自分だけのために「辞める」という行動をとるだけで、それが合成されて事態の改善をもたらすということです。あるいは、デモや請願や選挙などの民主主義的な政治手段で合意形成を図らなくても、各自が自分だけのために「引っ越す」という行動をとるだけで、それが合成されて事態の改善をもたらすということです。

このことはまさに「転換X」の基本精神に通じているのですが、もしこうしたメリットが人々の公共的な積極性を衰退させる恐れがあるならば、それをどう評価するかはよく議論すべきでしょう。もっとも現実には、失業率が低くて職を辞めやすい環境ほど労働組合運動は活発だし、末期東ドイツではハンガリー経由で西側に脱出する人の波が起こったあとになって、たくさんの人々が民主化デモに立ち上がったのですが。