未唯への手紙
未唯への手紙
民主主義
『トピックス憲法』より
①なぜ民主主義か?
平たくいってしまうと、「自分たちのことは自分たちで決める」というのが民主主義である。ところで、民主主義が現代における政治の在り方の基本とされるのは、なぜだろうか。
それは、絶対的な価値や権威が存在しない現代において、人々がルールや公権力に従わなくてはならないのかを説明しようとすると、「自分(たち)で決めたことだから」というしかないからである。
②民主主義と国民主権
日本国憲法も、民主主義を採用していると考えられているが、実は日本国憲法のどこを探しても民主主義という言葉は出てこない。天皇の地位を規定する過程での登場という、ある種倒錯した形で見出される、「国民主権」が民主主義の日本国憲法における表れ方だとされる。国民主権とは、国民が国の在り方の最終的な決定にあずかることができ、統治の根本的なよりどころは国民にあるということなので、それが民主主義の表れだということは容易に理解できるだろう。ただ、「自分たち」と「国民」が必ずしも一致しないことには注意が必要である。民主主義を語る際の「自分たち」とは、公権力に支配を受ける者を意味するのであるが、ある国に所在し、その国の支配を受ける者が、その国の国籍を有する「国民」であるとは限らない。国民主権という理論は、日本で日本国民と同様に生活を営み日本政府の支配を受ける人々であっても、日本国籍を有していなければ、一定の権利の行使から排除されるという帰結を生みうるのである。もっとも、民主主義についても、「自分たち」を想定するということは、当然に自分たちではない「他者」の存在を前提にしており、ここには「排除の論理」が働きうることについては注意が必要である。もう1つ、国民主権と民主主義の関係に関連して、「主権」という言葉には、歴史的に複雑な意味合いがこめられていることに触れておかなければならない。このように特殊な意味をもった「主権」という言葉にとらわれることにどこまで実益があるかは疑問で、「国民主権」を論じるよりも、自分たちのことを自分たちで決めているといえるのかという「民主主義」の問題を論じるべきように思われる。
③民主主義と立憲主義
ここまでは、「自分たちのことは自分たちで決められる」というある意味ナイーブな想定を前提にしてきたが、実際に大勢の人間の意見が1つにまとまることは想定できない。他方で、国家・社会の運営においては一定の時点での決定も必要であり、結局多数決を行うことになる。すなわち、「自分たち」とは実のところ多数派でしかないというのが現実なのである。誰が多数派になるかというのが流動的で、「今日の多数派は明日の少数派」というのであれば、問題は大きくないのかもしれないが、それが確保できるように多数派・少数派が固定化されるのを防ぐ装置を用意する必要がある。また、多数派であっても侵害できない一定の権利・利益を、単純な多数決では変更できない憲法に盛り込むことによって保護するといった工夫もしておく必要がある。以上のような発想が立憲主義(の一側面)であり、立憲主義と民主主義は、実は対立する要素を抱えている。なお、立憲主義の考え方に基づいて、多数派・少数派の固定化が生じないように監視を行い、また憲法上の権利が絵に描いた餅とならないように、番人の役割を与えられたのが裁判所であり、この仕組みを違憲審査制と呼ぶ。
④先端的展開
先端的な議論では、基本的な民主主義観を踏まえた憲法解釈論が展開されている。そこで引用される代表的な民主主義観としては、民主主義を利益追及の競争だと割り切って考える見解、人間の理性に対する信頼を放棄せず、「熟議」によるコンセンサスあるいは正しい答えの発見が可能であるとする見解、さらには、人間相互の理解は究極的には無理なのであって、互いの差異をぶつけあって、それを楽しむことに醍醐味を見出す見解もある。
①なぜ民主主義か?
平たくいってしまうと、「自分たちのことは自分たちで決める」というのが民主主義である。ところで、民主主義が現代における政治の在り方の基本とされるのは、なぜだろうか。
それは、絶対的な価値や権威が存在しない現代において、人々がルールや公権力に従わなくてはならないのかを説明しようとすると、「自分(たち)で決めたことだから」というしかないからである。
②民主主義と国民主権
日本国憲法も、民主主義を採用していると考えられているが、実は日本国憲法のどこを探しても民主主義という言葉は出てこない。天皇の地位を規定する過程での登場という、ある種倒錯した形で見出される、「国民主権」が民主主義の日本国憲法における表れ方だとされる。国民主権とは、国民が国の在り方の最終的な決定にあずかることができ、統治の根本的なよりどころは国民にあるということなので、それが民主主義の表れだということは容易に理解できるだろう。ただ、「自分たち」と「国民」が必ずしも一致しないことには注意が必要である。民主主義を語る際の「自分たち」とは、公権力に支配を受ける者を意味するのであるが、ある国に所在し、その国の支配を受ける者が、その国の国籍を有する「国民」であるとは限らない。国民主権という理論は、日本で日本国民と同様に生活を営み日本政府の支配を受ける人々であっても、日本国籍を有していなければ、一定の権利の行使から排除されるという帰結を生みうるのである。もっとも、民主主義についても、「自分たち」を想定するということは、当然に自分たちではない「他者」の存在を前提にしており、ここには「排除の論理」が働きうることについては注意が必要である。もう1つ、国民主権と民主主義の関係に関連して、「主権」という言葉には、歴史的に複雑な意味合いがこめられていることに触れておかなければならない。このように特殊な意味をもった「主権」という言葉にとらわれることにどこまで実益があるかは疑問で、「国民主権」を論じるよりも、自分たちのことを自分たちで決めているといえるのかという「民主主義」の問題を論じるべきように思われる。
③民主主義と立憲主義
ここまでは、「自分たちのことは自分たちで決められる」というある意味ナイーブな想定を前提にしてきたが、実際に大勢の人間の意見が1つにまとまることは想定できない。他方で、国家・社会の運営においては一定の時点での決定も必要であり、結局多数決を行うことになる。すなわち、「自分たち」とは実のところ多数派でしかないというのが現実なのである。誰が多数派になるかというのが流動的で、「今日の多数派は明日の少数派」というのであれば、問題は大きくないのかもしれないが、それが確保できるように多数派・少数派が固定化されるのを防ぐ装置を用意する必要がある。また、多数派であっても侵害できない一定の権利・利益を、単純な多数決では変更できない憲法に盛り込むことによって保護するといった工夫もしておく必要がある。以上のような発想が立憲主義(の一側面)であり、立憲主義と民主主義は、実は対立する要素を抱えている。なお、立憲主義の考え方に基づいて、多数派・少数派の固定化が生じないように監視を行い、また憲法上の権利が絵に描いた餅とならないように、番人の役割を与えられたのが裁判所であり、この仕組みを違憲審査制と呼ぶ。
④先端的展開
先端的な議論では、基本的な民主主義観を踏まえた憲法解釈論が展開されている。そこで引用される代表的な民主主義観としては、民主主義を利益追及の競争だと割り切って考える見解、人間の理性に対する信頼を放棄せず、「熟議」によるコンセンサスあるいは正しい答えの発見が可能であるとする見解、さらには、人間相互の理解は究極的には無理なのであって、互いの差異をぶつけあって、それを楽しむことに醍醐味を見出す見解もある。
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「考える日々」風の雑記帳
「考える日々」風の雑記帳
池田晶子「考える日々」のように、雑記帳を書けるようにしましょう。時のテーマを存在の力で考えていく。
小保方と玲ちゃんの関係を見ていく。話し相手に期待したい。リケジョの人たちがどういう思いでやっているのか。何のために、それらがあるのか。自分を覚醒するため。
アベノミックスに対しても、真っ向からぶつけましょう。存在の力で社会を切る。
「ペプシをコンビニで買ってきて」この時のコンビニにはセブン-イレブンは入っていない。セブン-イレブンはコンビニエンスがない。
マクドナルド、ホッとケーキ単品で267円。今のマクドナルドに必要なのは、スタッフの覚醒。
元町スタバの風景
朝、元町スタバに行きました。いつもの席は屯して雑談しています。居てくれたらの思いが一杯です。この入力はいつやろうか。未唯宇宙のベースができるまで、心理的に対応できない。
「私には私の世界」
「君は一体、誰なの」「私は私、それだけよ」
「私には私の世界がある」「あなたには七他の世界がある」「私がまるで存在しないということではないのだから」
「あなたの世界で私が存在しないからといって、私がまるで存在しないということにはならない」
「そんな色々な世界がここで一緒こたになっている。重なりあっている部分もあるし、重なり合っていない部分もある」
シアトルのガイドブック
シアトルセントラル図書館。パブリックじゃないのか。パイクプレースとちょっと離れています。
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「君は一体、誰なの」「私は私、それだけよ」
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