未唯への手紙
未唯への手紙
退職準備
テーマとジャンルの二軸
テーマでの考え方は一応、乗り切った感じです。二つの軸ができて、本当によかった。安心して、この上に色々なモノを載せられます。郭にできます。とりあえずは、パートナーも含めて、現象を見ていきましょう。
ジャンルでいろいろ所に展開しても、テーマでくっつけることができる。だから、気にしない。色々な側面を出しておきます。
構想にミッションがない
かれに構想にはミッションがない。何のためにこの部署があるのか、何をすべきなのか、そして、誰に聞くべきか、誰にやらせるのか。だから、章もない人間しか集まってこない。後付けの説明をくり返す。自分に構想がないから、集まってきた連中にやらせようとするけど、さらに構想がない。世の中を見ていない。
その中で、パートナーの全体を考え、先を見る姿は、見る人が見たら、本来、一番目立つはずです。しょうもない人にとっては、邪魔くさいでしょうね。そう考えると、電算部の時も研究開発部の時も一流の人間が居た。それらと組めたから、一流のことができた。より多くの人を食わせるのではなく、皆が動けるようにするだけです。
本屋の新刊書
新刊書の情報「2040年の新世界」「トヨタの危機」
朝の感覚
世界にただ一つ、宇宙にただ一つ。これも<今>という瞬間でしょう。なぜ、こんな先のことが気になるのか。
ICレコーダー
ず~と付けっぱなしでした。
一つ一つの言葉を体言止にします。見本はIさんのセンテンスです。
駅前のスタバ
豊田駅前のバリスタ情報「唯」「めざめは21歳でもうじき誕生日」そんな若いんだ。専門学校を出たけど、就職なく、フリーター。シュガーポットは隅っこにおいてあるだけです。売る気なし。
ポータルの進め方
ポータルの進め方は絵に描いた餅。
SFDCは役員を動かさないといけない。あんなものでは、販売店に見せれない。ましてや、その上に販売店の思いを載せることができない。
「復讐するは我にあり」
「復讐するは我にあり」という言葉の意味は、神が復讐するから、あなたは考えなくてもいいということらしい。そこまで、一神教は依存できるのか。
退職準備
月曜日は退職準備を行います。あと、本当に少ししかない。忘れたいので、準備を避けてきたけど、諦めましょう。
紙を使わない世界もいれます。免許の関係で、目をどうするか。目が目をどうするのか。どうでもいいことはどうでもいいけど。最終出社は1月29日にすれば、20日間の年休です。
未唯空間の詳細に取り掛かります。月曜日から最新にする。
テーマでの考え方は一応、乗り切った感じです。二つの軸ができて、本当によかった。安心して、この上に色々なモノを載せられます。郭にできます。とりあえずは、パートナーも含めて、現象を見ていきましょう。
ジャンルでいろいろ所に展開しても、テーマでくっつけることができる。だから、気にしない。色々な側面を出しておきます。
構想にミッションがない
かれに構想にはミッションがない。何のためにこの部署があるのか、何をすべきなのか、そして、誰に聞くべきか、誰にやらせるのか。だから、章もない人間しか集まってこない。後付けの説明をくり返す。自分に構想がないから、集まってきた連中にやらせようとするけど、さらに構想がない。世の中を見ていない。
その中で、パートナーの全体を考え、先を見る姿は、見る人が見たら、本来、一番目立つはずです。しょうもない人にとっては、邪魔くさいでしょうね。そう考えると、電算部の時も研究開発部の時も一流の人間が居た。それらと組めたから、一流のことができた。より多くの人を食わせるのではなく、皆が動けるようにするだけです。
本屋の新刊書
新刊書の情報「2040年の新世界」「トヨタの危機」
朝の感覚
世界にただ一つ、宇宙にただ一つ。これも<今>という瞬間でしょう。なぜ、こんな先のことが気になるのか。
ICレコーダー
ず~と付けっぱなしでした。
一つ一つの言葉を体言止にします。見本はIさんのセンテンスです。
駅前のスタバ
豊田駅前のバリスタ情報「唯」「めざめは21歳でもうじき誕生日」そんな若いんだ。専門学校を出たけど、就職なく、フリーター。シュガーポットは隅っこにおいてあるだけです。売る気なし。
ポータルの進め方
ポータルの進め方は絵に描いた餅。
SFDCは役員を動かさないといけない。あんなものでは、販売店に見せれない。ましてや、その上に販売店の思いを載せることができない。
「復讐するは我にあり」
「復讐するは我にあり」という言葉の意味は、神が復讐するから、あなたは考えなくてもいいということらしい。そこまで、一神教は依存できるのか。
退職準備
月曜日は退職準備を行います。あと、本当に少ししかない。忘れたいので、準備を避けてきたけど、諦めましょう。
紙を使わない世界もいれます。免許の関係で、目をどうするか。目が目をどうするのか。どうでもいいことはどうでもいいけど。最終出社は1月29日にすれば、20日間の年休です。
未唯空間の詳細に取り掛かります。月曜日から最新にする。
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私が変わることで、現象が変わる
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』より 無常を知るということ
私たちは「生の現実」に触れることができない
「現象学とは何か」ということを乱暴にまとめるなら、「物事を正しく見るにはどうすればいいか」を考えつめた学問のことです。「物事の見方」が間違っていたら、あらゆる学問が成り立ちません。現象学はその部分をしっかりと基礎づけようとした。そういう意味で、現象学はあらゆる学問の基礎だとフッサールは言ったわけですね。
ここで問題なのは、なぜ「現象」なのか、ということです。「現実」学でもなければ、「認識」学でもなく、なぜ「現象」学なのか。
これは、僕ら人間が「生の現実には絶対に触れることができない」という洞察に基づいています。僕らが視覚、聴覚、触覚などで体験していると信じているモノは「生の現実」ではないということにフッサールは気づいた。(このあたりはどことなく、仏教の「空」や「無常」の考え方に通じるものを感じる人も多いでしょう。)
「生の現実ではない」と言われても、ピンと来ない人が多いかもしれませんが、もう少し噛み砕いて言えば、僕らは自分たちが体験していることが本当かどうかを、自分では確認できない、ということに気づいたのです。
例えば僕らは、夢の中で触れたものに、ものすごいリアリティを感じたりしますが、夢は決して「現実」ではありませんよね。その一方で、僕らは目の前で起きている(はずの)ことでさえ、見落としたり、誤って認識したりすることがよくあります。
そうすると、いま目の前にある「現実らしきもの」も、夢の中で触れる「現実らしきもの」も、「現実であるという確証がない」という点では同じ、ということになってしまう。それらを区別する客観的で再現性のある方法はどうやら存在しない、というのがフッサールの気づきです。
そこで、フッサールはそれが現実かどうかということはひとまず「括弧」に入れて、僕らが体験している「現実らしきもの」を「現象」と呼ぶことにして考察を進めましょうと提案しました。これが、現象学が生み出した画期的な物事の捉え方です。
一夜にしてさびれた商店街
先にも少し触れましたが、現象学では「現象の変化」をもたらすものには、現実の変化と、(現象を映す)僕らの心の変化の二つがありうること、そして両者を僕らは自分では区別できない、ということを指摘しています。これは現象学という学問の出発点ですが、これ自体がけっこうアバンギャルドな指摘だと僕は思います。要するに現象学というのは、「本当に現実が変わった」ということと、「気のせいで変わったように感じる」ということの間には本質的な差がない、ということを言っているわけです。
このことについては、僕は思い出す風景があります。幼いころから僕が育った地元の商店街は、とても活気があって、賑やかなところでした。ところがあるとき、駅の近くにダイエーができたんです。僕は母親に連れられてダイエーに行きました。今でも思い出しますが、ダイエーはものすごく明るかったことが印象に残っています。お店がたくさん入っていて、新鮮で安い野菜や魚が、明るい照明に照らされてピカピカ光っていました。
そして、不思議だったのは次の日、いつものように商店街を歩いたときのことです。あれほど明るくて、活気があると思っていた商店街が、ずいぶん暗くて、ジメジメして、辛気臭い場所に感じた。このときの感覚はありありと思い出せるんですが、考えてみると不思議ですよね。
お客さんをダイエーに取られて、商店街がさびれてしまったのはずいぶん後の話です。しかし僕はダイエーができた次の日に、商店街がさびれたと感じた。おそらくその変化はかなりの部分、僕の認識の変化によってもたらされたものだったのでしょう。
私が変わることで、現象が変わる
ただ、ここで重要なのは、それが仮に僕の認識の変化だったとしても、僕にとっては「商店街に活気がなくなった」という現象は変えようがないぐらい、リアルなものだったということです。
つまり、確かに現象というのは「僕らの認識次第」でいかようにも変わる性質を持っています。しかし、僕らが現象を受け取るときの「受け取り方」というのは、実は自分ではほとんどコントロールできないのです。
すぐに子供の悪いところばかりに着目してしまうお母さんに、「子供のいいところに目を向けてくださいね」とアドバイスしても、そう簡単に見方を変えることはできません。そもそも、お母さんだって悪気があって子供の悪いところを見ているわけではありません。我が―-「行」は現象をコントロールする方法子が心配で心配でしょうがないから、ついつい悪いところに目がいってしまうのです。 少なくともそのお母さんにとって「子供の悪いところに着目してしまう」ということは必然だったし、その見方を変える、というのは時に、「現実を変える」よりも難しいのです。
「現象」というのは、それを見る人の物の見方を変えることで変わります。しかし、「自分の物の見方」を自由にコントロールするというのは、そう簡単ではない。理論的には、現象は認識によってコントロールできるはずですが、それを実践するのは至難の業だということです。
さて、現象学について字数を費やして来ましたが、ここにきて、ようやく話を仏教に戻すことができます。というのも、仏教の行というのは、まさにその「認識のコントロール」という領域に踏み込んだ方法論だからです。
現象学というのは巨大な学問ですので、ここで紹介したのはそのほんの一端に過ぎません。ただ、少なくとも現象学が提示する「現象は認識によって左右される」という知見は、仏教心理学にも一脈通じるものを僕は感じます。というのも、仏教もまた、人間は「生の現実そのもの」に直接触れているわけではなく、一人ひとりの「心のありよう」に縛られた物の見方でしか現実に触れることができない、と考えるからです。
では、仏教が現象学と異なるところは何か。それはやはり、「行」があることです。行というのは、現象学的な捉え方をすれば、「認識(計心)を変えることによって現象をコントロールする」ための方法論ということができます。例えば瞑想を続けている人は、自分の認識している世界が自分の心に映った「現象」に過ぎないということを、身体的実感をもって感じられるようになってきます。そう考えると、仏教というのは「現象学的な物の見方」を自分の手に受け止め、それを実践していくための方法論という捉え方ができると思うのです。
現象学に限ったことではありませんが、僕らはいくら自分の物の見方を変えようとしても、そう簡単には自分がそれまで慣れ親しんだ固定観念を捨てることはできません。現象学は学問としては巨大で、精緻なものですが、それを学んだからといって精神の自由を得ることにはつながらない。
私たちは「生の現実」に触れることができない
「現象学とは何か」ということを乱暴にまとめるなら、「物事を正しく見るにはどうすればいいか」を考えつめた学問のことです。「物事の見方」が間違っていたら、あらゆる学問が成り立ちません。現象学はその部分をしっかりと基礎づけようとした。そういう意味で、現象学はあらゆる学問の基礎だとフッサールは言ったわけですね。
ここで問題なのは、なぜ「現象」なのか、ということです。「現実」学でもなければ、「認識」学でもなく、なぜ「現象」学なのか。
これは、僕ら人間が「生の現実には絶対に触れることができない」という洞察に基づいています。僕らが視覚、聴覚、触覚などで体験していると信じているモノは「生の現実」ではないということにフッサールは気づいた。(このあたりはどことなく、仏教の「空」や「無常」の考え方に通じるものを感じる人も多いでしょう。)
「生の現実ではない」と言われても、ピンと来ない人が多いかもしれませんが、もう少し噛み砕いて言えば、僕らは自分たちが体験していることが本当かどうかを、自分では確認できない、ということに気づいたのです。
例えば僕らは、夢の中で触れたものに、ものすごいリアリティを感じたりしますが、夢は決して「現実」ではありませんよね。その一方で、僕らは目の前で起きている(はずの)ことでさえ、見落としたり、誤って認識したりすることがよくあります。
そうすると、いま目の前にある「現実らしきもの」も、夢の中で触れる「現実らしきもの」も、「現実であるという確証がない」という点では同じ、ということになってしまう。それらを区別する客観的で再現性のある方法はどうやら存在しない、というのがフッサールの気づきです。
そこで、フッサールはそれが現実かどうかということはひとまず「括弧」に入れて、僕らが体験している「現実らしきもの」を「現象」と呼ぶことにして考察を進めましょうと提案しました。これが、現象学が生み出した画期的な物事の捉え方です。
一夜にしてさびれた商店街
先にも少し触れましたが、現象学では「現象の変化」をもたらすものには、現実の変化と、(現象を映す)僕らの心の変化の二つがありうること、そして両者を僕らは自分では区別できない、ということを指摘しています。これは現象学という学問の出発点ですが、これ自体がけっこうアバンギャルドな指摘だと僕は思います。要するに現象学というのは、「本当に現実が変わった」ということと、「気のせいで変わったように感じる」ということの間には本質的な差がない、ということを言っているわけです。
このことについては、僕は思い出す風景があります。幼いころから僕が育った地元の商店街は、とても活気があって、賑やかなところでした。ところがあるとき、駅の近くにダイエーができたんです。僕は母親に連れられてダイエーに行きました。今でも思い出しますが、ダイエーはものすごく明るかったことが印象に残っています。お店がたくさん入っていて、新鮮で安い野菜や魚が、明るい照明に照らされてピカピカ光っていました。
そして、不思議だったのは次の日、いつものように商店街を歩いたときのことです。あれほど明るくて、活気があると思っていた商店街が、ずいぶん暗くて、ジメジメして、辛気臭い場所に感じた。このときの感覚はありありと思い出せるんですが、考えてみると不思議ですよね。
お客さんをダイエーに取られて、商店街がさびれてしまったのはずいぶん後の話です。しかし僕はダイエーができた次の日に、商店街がさびれたと感じた。おそらくその変化はかなりの部分、僕の認識の変化によってもたらされたものだったのでしょう。
私が変わることで、現象が変わる
ただ、ここで重要なのは、それが仮に僕の認識の変化だったとしても、僕にとっては「商店街に活気がなくなった」という現象は変えようがないぐらい、リアルなものだったということです。
つまり、確かに現象というのは「僕らの認識次第」でいかようにも変わる性質を持っています。しかし、僕らが現象を受け取るときの「受け取り方」というのは、実は自分ではほとんどコントロールできないのです。
すぐに子供の悪いところばかりに着目してしまうお母さんに、「子供のいいところに目を向けてくださいね」とアドバイスしても、そう簡単に見方を変えることはできません。そもそも、お母さんだって悪気があって子供の悪いところを見ているわけではありません。我が―-「行」は現象をコントロールする方法子が心配で心配でしょうがないから、ついつい悪いところに目がいってしまうのです。 少なくともそのお母さんにとって「子供の悪いところに着目してしまう」ということは必然だったし、その見方を変える、というのは時に、「現実を変える」よりも難しいのです。
「現象」というのは、それを見る人の物の見方を変えることで変わります。しかし、「自分の物の見方」を自由にコントロールするというのは、そう簡単ではない。理論的には、現象は認識によってコントロールできるはずですが、それを実践するのは至難の業だということです。
さて、現象学について字数を費やして来ましたが、ここにきて、ようやく話を仏教に戻すことができます。というのも、仏教の行というのは、まさにその「認識のコントロール」という領域に踏み込んだ方法論だからです。
現象学というのは巨大な学問ですので、ここで紹介したのはそのほんの一端に過ぎません。ただ、少なくとも現象学が提示する「現象は認識によって左右される」という知見は、仏教心理学にも一脈通じるものを僕は感じます。というのも、仏教もまた、人間は「生の現実そのもの」に直接触れているわけではなく、一人ひとりの「心のありよう」に縛られた物の見方でしか現実に触れることができない、と考えるからです。
では、仏教が現象学と異なるところは何か。それはやはり、「行」があることです。行というのは、現象学的な捉え方をすれば、「認識(計心)を変えることによって現象をコントロールする」ための方法論ということができます。例えば瞑想を続けている人は、自分の認識している世界が自分の心に映った「現象」に過ぎないということを、身体的実感をもって感じられるようになってきます。そう考えると、仏教というのは「現象学的な物の見方」を自分の手に受け止め、それを実践していくための方法論という捉え方ができると思うのです。
現象学に限ったことではありませんが、僕らはいくら自分の物の見方を変えようとしても、そう簡単には自分がそれまで慣れ親しんだ固定観念を捨てることはできません。現象学は学問としては巨大で、精緻なものですが、それを学んだからといって精神の自由を得ることにはつながらない。
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イスラム法と現代社会
『教養としての宗教入門』より 戒律 イスラム教
六信、五行
ユダヤ教やキリスト教に比べると、後発のイスラム教の信仰内容はかなりコンパクトに整理されている。ユダヤ教徒ほどたくさんの戒律は背負い込まないし、キリスト教徒ほど観念的な神学を語ることもない。イスラム教徒として守ることになっているのは、六信と五行である。
六信はイスラム教徒が信じるべき六つのもの--神、天使、預言者、啓典、来世、定命--を指す。前述のとおり、預言者にはムハンマドのみならず、聖書の預言者やイエスも含まれる。啓典とは神が啓示した書ということだが、クルアーンのみならずユダヤ教やキリスト教の聖書を含む。来世とは終末後の世界で、人間は楽園か火獄に行く。定命とは一切をご存じの神の予定のことである。
五行はイスラム教徒が行なうべき五つのこと。信仰告白、サラート(礼拝)、ザカート(喜捨)、断食、ハッジ(巡礼)である。
信仰告白とは、「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒である」の二つの項目を証言すると誓うことだ。二人の男性イスラム教徒の前でこれをアラビア語で唱えれば、イスラム教に入信したことになる。サラートは二日五回メッカの方角に向かって行なう礼拝である。ザカートは宗教的な献金・税金のようなもので、貧困者などに分配される。五行の断食はイスラム暦のラマダーソ月に行なう一か月の断食だが、断食とはいえ日没後は食べる。イスラム暦は純粋な太陰暦(一年は三五四ないし三五五日)だから毎年どんどんずれていくので、断食が夏になることも冬になることもある。ハッジはメッカヘの巡礼だが、体力と財力かある者だけでよい。
と、こう並べると、けっこう信じるものも多く、やることも多いじゃないかと思われるかもしれないか、世界の宗教の多くか信者にたくさんの儀礼や信条を要求するのと比べれば、少ないと言える。それに内容か比較的具体的であり、頭をひねらなければならないような部分かないから、その意味でもシンプルだ。
イスラム法と現代社会
イスラム教はシンプルだとはいっても、イスラム教が歴史的に政治や法律の領域を広く覆ってきたことを忘れるわけにはいかない。このあたり、仏教やキリスト教とはかなり違っている。仏教は原則として修行者の宗教であり、在家に関しては、精神的指導を与えるという以上のものではない。キリスト教はローマ帝国の支配機構の只中に生まれたので、自らの持ち分を精神の王国に限り、政治と宗教との間に緊張関係を認める。しかし、イそフム教は、社会に唯一神の正義をゆきわたらせるという建前どおり、壮大なイスラム法(シャリーア)の体系を築き上げてきた。
それはクルアーン、ハディースなどを出発点として、かっちりと論理的に出来上がったシステムであり、礼拝の仕方のような宗教的なものから、結婚や離婚や遺産相続など民法にあたるもの、商法にあたるもの、刑法にあたるもの、さらには国際法にあたるものまで、人生の万般におよんでいる。やっていいことと悪いことの判断は、義務、推奨、許容、忌避、禁止の五段階評価でなされる。たとえば契約の履行は義務であり、貧者への施しは推奨され、盗みや姦通や飲酒や利子を取ることは禁止である(酒以外に渇きを癒すものかないときは許容扱いである)。
シャリーアをもっているというのは、六法全書と宗教の戒律をセ″卜でもっているようなもので、その重みはたいへん大きい。現代のイスラム諸国では国内法は西洋式の法律か運用されているが、信者の日常生活の規定としてはシャリーアが生き続けている。
現代におけるイそフム復興とかイスラム主義とか言われる思潮の中には、このイスラム法を国内法にしたいという要求かある。そうなってくると、近代西洋の政教分離の原理に抵触してしまうし、中世の昔の法の運用や刑の執行を、官僚機構や警察や軍隊をもった近代国家の権力でやっていいものやら、わからなくなる。また、男女間における扱いの差異も問題になる(たとえば家族の扶養義務は男性か負う、女性の遺産相続の権利は男性の半分である、など)。ほとんど執行されることはないとはいえ、姦通者への石打ちのような身体刑は、現代人の感性にも正義観にも合わない。イスラム教徒たちの間にも、意見の一致か見られなくなってきている。
イスラム教は、建前としては、近代国家の法制度のまるまる全体に匹敵する一個のシステムなのである。だからシステムとシステムとの摩擦やギャベフの問題かどうしても生じてしまう。これは個人としてのイスラム教徒か保守的か開明的かということとは別問題なのだ。信仰(心の中)ではなく、システム(社会の約束)に注目することで、イスラム問題のややこしさか日本人にとっても理解可能なものになるかもしれない。
六信、五行
ユダヤ教やキリスト教に比べると、後発のイスラム教の信仰内容はかなりコンパクトに整理されている。ユダヤ教徒ほどたくさんの戒律は背負い込まないし、キリスト教徒ほど観念的な神学を語ることもない。イスラム教徒として守ることになっているのは、六信と五行である。
六信はイスラム教徒が信じるべき六つのもの--神、天使、預言者、啓典、来世、定命--を指す。前述のとおり、預言者にはムハンマドのみならず、聖書の預言者やイエスも含まれる。啓典とは神が啓示した書ということだが、クルアーンのみならずユダヤ教やキリスト教の聖書を含む。来世とは終末後の世界で、人間は楽園か火獄に行く。定命とは一切をご存じの神の予定のことである。
五行はイスラム教徒が行なうべき五つのこと。信仰告白、サラート(礼拝)、ザカート(喜捨)、断食、ハッジ(巡礼)である。
信仰告白とは、「アッラー以外に神はなし」「ムハンマドはアッラーの使徒である」の二つの項目を証言すると誓うことだ。二人の男性イスラム教徒の前でこれをアラビア語で唱えれば、イスラム教に入信したことになる。サラートは二日五回メッカの方角に向かって行なう礼拝である。ザカートは宗教的な献金・税金のようなもので、貧困者などに分配される。五行の断食はイスラム暦のラマダーソ月に行なう一か月の断食だが、断食とはいえ日没後は食べる。イスラム暦は純粋な太陰暦(一年は三五四ないし三五五日)だから毎年どんどんずれていくので、断食が夏になることも冬になることもある。ハッジはメッカヘの巡礼だが、体力と財力かある者だけでよい。
と、こう並べると、けっこう信じるものも多く、やることも多いじゃないかと思われるかもしれないか、世界の宗教の多くか信者にたくさんの儀礼や信条を要求するのと比べれば、少ないと言える。それに内容か比較的具体的であり、頭をひねらなければならないような部分かないから、その意味でもシンプルだ。
イスラム法と現代社会
イスラム教はシンプルだとはいっても、イスラム教が歴史的に政治や法律の領域を広く覆ってきたことを忘れるわけにはいかない。このあたり、仏教やキリスト教とはかなり違っている。仏教は原則として修行者の宗教であり、在家に関しては、精神的指導を与えるという以上のものではない。キリスト教はローマ帝国の支配機構の只中に生まれたので、自らの持ち分を精神の王国に限り、政治と宗教との間に緊張関係を認める。しかし、イそフム教は、社会に唯一神の正義をゆきわたらせるという建前どおり、壮大なイスラム法(シャリーア)の体系を築き上げてきた。
それはクルアーン、ハディースなどを出発点として、かっちりと論理的に出来上がったシステムであり、礼拝の仕方のような宗教的なものから、結婚や離婚や遺産相続など民法にあたるもの、商法にあたるもの、刑法にあたるもの、さらには国際法にあたるものまで、人生の万般におよんでいる。やっていいことと悪いことの判断は、義務、推奨、許容、忌避、禁止の五段階評価でなされる。たとえば契約の履行は義務であり、貧者への施しは推奨され、盗みや姦通や飲酒や利子を取ることは禁止である(酒以外に渇きを癒すものかないときは許容扱いである)。
シャリーアをもっているというのは、六法全書と宗教の戒律をセ″卜でもっているようなもので、その重みはたいへん大きい。現代のイスラム諸国では国内法は西洋式の法律か運用されているが、信者の日常生活の規定としてはシャリーアが生き続けている。
現代におけるイそフム復興とかイスラム主義とか言われる思潮の中には、このイスラム法を国内法にしたいという要求かある。そうなってくると、近代西洋の政教分離の原理に抵触してしまうし、中世の昔の法の運用や刑の執行を、官僚機構や警察や軍隊をもった近代国家の権力でやっていいものやら、わからなくなる。また、男女間における扱いの差異も問題になる(たとえば家族の扶養義務は男性か負う、女性の遺産相続の権利は男性の半分である、など)。ほとんど執行されることはないとはいえ、姦通者への石打ちのような身体刑は、現代人の感性にも正義観にも合わない。イスラム教徒たちの間にも、意見の一致か見られなくなってきている。
イスラム教は、建前としては、近代国家の法制度のまるまる全体に匹敵する一個のシステムなのである。だからシステムとシステムとの摩擦やギャベフの問題かどうしても生じてしまう。これは個人としてのイスラム教徒か保守的か開明的かということとは別問題なのだ。信仰(心の中)ではなく、システム(社会の約束)に注目することで、イスラム問題のややこしさか日本人にとっても理解可能なものになるかもしれない。
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物価が下がるとなぜまずい?
『ディープな政治・哲学』より 物価が下がるとなぜまずい?
どうしてデフレは起こるのか
2012年末に誕生した安倍政権は、約15年間続いたデフレ不況を克服するための経済政策「アベノミクス」を掲げ、実際に2013年からは雇用統計や鉱工業生産指数などさまざまな経済指標で改善が見られるようになりました。
ここで考えてみたいのは、デフレ(デフレーション)についてです。言うまでもなくデフレとはインフレの反対で、持続的に物価が下落する現象のことです。物価が下がるということは安くモノを買えるようになるということであり、高くなるより安くなったほうがいいじゃないか、と思う人もいるかもしれません。
消費者の立場としては、「デフレ対策」の結果、物価が上がるのは困る、というのが正直なところかもしれません。給料が上がらないのに物価だけ上がっても……という声はきわめて切実です(特に地方では)。
なぜデフレはまずいのか。そもそもなぜデフレが起こるのか。このテーマについて考えてみましょう。
問題
デフレとは、物価が持続的に下落することをいう。かりに、金融市場と財市場があり、外国との取引がなく、商品は一種類だけが貨幣を使って取り引きされると考えよう。このとき、何かデフレの原因となっているのか、またデフレはどのような弊害をもたらすのであろうか。
そもそもデフレとは何か
先ほど確認した通り、デフレとは物価が持続的に下落する現象のことで、物価が持続的に上昇するインフレと対をなす概念です。物価指標にはさまざまなものがありますが、いずれの指標をとってみても、少なくとも1998年頃から2012年までの約15年間はデフレ基調であったと言えます。
デフレは、戦前には珍しくありませんでした。1929年にアメリカに始まった世界恐慌も、その影響で起こった日本の昭和恐慌(1930~31年)も典型的なデフレ現象です。
ところが第二次世界大戦後になると、先進各国ではほとんどデフレが見られなくなります。さまざまな原因が考えられますが、とりあえずここでは、第二次大戦後の世界では、15年もの閲続いた日本のデフレはとても珍しい現象だということを押さえておいてください。
インフレの弊害は、よく知られています。下の写真は第一次世界大戦後のドイツの様子で、1年間で物価が2億倍もはね上がるハイパーインフレの結果、紙幣は紙くず同然になってしまい、100兆マルク紙幣までが登場しました。
これはさすがに極端な事例ですが、インフレが起こると同じお金で買えるモノが少なくなってしまい、物価と同じだけ給料が上がらない限り実質的に貧しくなってしまいます。また年金生活者なども大変で、物価が倍になれば預金は半分が消え去ってしまうことになります。
では、デフレの弊害はどういった点にあるのでしょうか。
物価が下がるということは、モノを安く買えるということですから、一見するとよいことのようにも思えます。しかし、売る側から見ればモノを安く売らざるを得ないのですから大変です。売上げが減り、利潤が減りますから、コストを切り詰めないと立ち行かなくなります。人件費もカットされるでしょう。一時金を削減したり、正社員を非正規社員に切り替えたりするわけです。
そうすると雇用者の可処分所得が減りますから、社会全体の購買力が低下し、いっそうデフレが進行することになるでしょう。これがデフレ・スパイラルであり、これは経済にとって最悪の現象です。
そもそも物価の下落は不況と連動して起こります。もちろん、デフレと不況は概念としては区別されます。「デフレ」が物価に着目した概念であるのに対し、「不況」とは経済全体のパフォーマンスに着目した概念で、経済成長率、消費支出、鉱工業生産指数、完全失業率などの諸指標が悪いときに不況と言われます。
とはいえ、社会全体の経済状況(マクロ経済と言います)が悪いとき(不況時)に物価が上昇するということは基本的に起こりません。というのも、物価とは社会全体の財・サービスの価格水準を表しますから、もし市場に流通している貨幣の量(マネーストックと言います)が一定であるとすれば、社会全体でモノが売れていないときには市場メカニズムによって必ず物価の下落を帰結するからです。
ここで一つ注意しておくと、デフレというのは特定のモノの値段が下がることでなく、社会全体のモノとサービスの価格が持続的に下落する現象です。したがって、たとえば中国から安い衣料品などの輸入が増えたところで、それはデフレの要因にはなりません。
技術革新によるコスト低減についても同様です。安い輸入品の増加や生産コストの低減は個々の財の価格を下げますが、物価までは押し下げません。ある財への支出が減った分はほかの財(たとえば贅沢品)の購入へと代替されるはずだからです。
もしそれがなく、物価そのものまでが下がっているとすれば、それは支出全体が落ち込んでいるということにほかならず、要するに経済のパフォーマンスそのものが低下していることを意味します。したがって、しばしば言われる「よいデフレ」などというものはあリ得ません。
度が過ぎたハイパーインフレは論外ですが、マイルドなインフレ(2~3%程度)であれば好況の付随現象とみなされます(モノが売れるから物価が上がる)から、決して悪いものではありません。これに対して、デフレはほぽいかなる場合にも悪い現象です。日本のようにデフレが15年間も続くなどということは、決してあってはならないのです。ぜひとも早く克服しなくてはなりません。
どうしてデフレは起こるのか
2012年末に誕生した安倍政権は、約15年間続いたデフレ不況を克服するための経済政策「アベノミクス」を掲げ、実際に2013年からは雇用統計や鉱工業生産指数などさまざまな経済指標で改善が見られるようになりました。
ここで考えてみたいのは、デフレ(デフレーション)についてです。言うまでもなくデフレとはインフレの反対で、持続的に物価が下落する現象のことです。物価が下がるということは安くモノを買えるようになるということであり、高くなるより安くなったほうがいいじゃないか、と思う人もいるかもしれません。
消費者の立場としては、「デフレ対策」の結果、物価が上がるのは困る、というのが正直なところかもしれません。給料が上がらないのに物価だけ上がっても……という声はきわめて切実です(特に地方では)。
なぜデフレはまずいのか。そもそもなぜデフレが起こるのか。このテーマについて考えてみましょう。
問題
デフレとは、物価が持続的に下落することをいう。かりに、金融市場と財市場があり、外国との取引がなく、商品は一種類だけが貨幣を使って取り引きされると考えよう。このとき、何かデフレの原因となっているのか、またデフレはどのような弊害をもたらすのであろうか。
そもそもデフレとは何か
先ほど確認した通り、デフレとは物価が持続的に下落する現象のことで、物価が持続的に上昇するインフレと対をなす概念です。物価指標にはさまざまなものがありますが、いずれの指標をとってみても、少なくとも1998年頃から2012年までの約15年間はデフレ基調であったと言えます。
デフレは、戦前には珍しくありませんでした。1929年にアメリカに始まった世界恐慌も、その影響で起こった日本の昭和恐慌(1930~31年)も典型的なデフレ現象です。
ところが第二次世界大戦後になると、先進各国ではほとんどデフレが見られなくなります。さまざまな原因が考えられますが、とりあえずここでは、第二次大戦後の世界では、15年もの閲続いた日本のデフレはとても珍しい現象だということを押さえておいてください。
インフレの弊害は、よく知られています。下の写真は第一次世界大戦後のドイツの様子で、1年間で物価が2億倍もはね上がるハイパーインフレの結果、紙幣は紙くず同然になってしまい、100兆マルク紙幣までが登場しました。
これはさすがに極端な事例ですが、インフレが起こると同じお金で買えるモノが少なくなってしまい、物価と同じだけ給料が上がらない限り実質的に貧しくなってしまいます。また年金生活者なども大変で、物価が倍になれば預金は半分が消え去ってしまうことになります。
では、デフレの弊害はどういった点にあるのでしょうか。
物価が下がるということは、モノを安く買えるということですから、一見するとよいことのようにも思えます。しかし、売る側から見ればモノを安く売らざるを得ないのですから大変です。売上げが減り、利潤が減りますから、コストを切り詰めないと立ち行かなくなります。人件費もカットされるでしょう。一時金を削減したり、正社員を非正規社員に切り替えたりするわけです。
そうすると雇用者の可処分所得が減りますから、社会全体の購買力が低下し、いっそうデフレが進行することになるでしょう。これがデフレ・スパイラルであり、これは経済にとって最悪の現象です。
そもそも物価の下落は不況と連動して起こります。もちろん、デフレと不況は概念としては区別されます。「デフレ」が物価に着目した概念であるのに対し、「不況」とは経済全体のパフォーマンスに着目した概念で、経済成長率、消費支出、鉱工業生産指数、完全失業率などの諸指標が悪いときに不況と言われます。
とはいえ、社会全体の経済状況(マクロ経済と言います)が悪いとき(不況時)に物価が上昇するということは基本的に起こりません。というのも、物価とは社会全体の財・サービスの価格水準を表しますから、もし市場に流通している貨幣の量(マネーストックと言います)が一定であるとすれば、社会全体でモノが売れていないときには市場メカニズムによって必ず物価の下落を帰結するからです。
ここで一つ注意しておくと、デフレというのは特定のモノの値段が下がることでなく、社会全体のモノとサービスの価格が持続的に下落する現象です。したがって、たとえば中国から安い衣料品などの輸入が増えたところで、それはデフレの要因にはなりません。
技術革新によるコスト低減についても同様です。安い輸入品の増加や生産コストの低減は個々の財の価格を下げますが、物価までは押し下げません。ある財への支出が減った分はほかの財(たとえば贅沢品)の購入へと代替されるはずだからです。
もしそれがなく、物価そのものまでが下がっているとすれば、それは支出全体が落ち込んでいるということにほかならず、要するに経済のパフォーマンスそのものが低下していることを意味します。したがって、しばしば言われる「よいデフレ」などというものはあリ得ません。
度が過ぎたハイパーインフレは論外ですが、マイルドなインフレ(2~3%程度)であれば好況の付随現象とみなされます(モノが売れるから物価が上がる)から、決して悪いものではありません。これに対して、デフレはほぽいかなる場合にも悪い現象です。日本のようにデフレが15年間も続くなどということは、決してあってはならないのです。ぜひとも早く克服しなくてはなりません。
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