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未唯宇宙は「論考」表現

「今日、会社休みます」

 「今日、会社休みます」それが言いたくて、年休です。本当は、歩いて、豊田市まで行く自信がなかったから。

 Iさんに会えない。連絡手段はない。「雪の日に会いましょう」と約束したのに。代わりに、土曜日の朝一番に行きましょう。それで納得。そうなると、名古屋から帰ってきてから、そのまま、岡崎図書館です。

 11時半まで寝転がっているということは、かなり、疲れているかもしれません。まあ、私にとっては貴重な一日ですから、今から、A6をやって、部屋の整理ですね。ごみ袋一袋、片付けましょう。

未唯宇宙のベースつくり

 それよりも、未唯空間のリストをどうするのか。あまりにも膨大です。どう発展させるのか、収束させるのか。あまり、考えずに機械的にやっているのは確かです。そこからどうやって出していくのか。そして、今やることは何なのか。

吉野家には行きにくい

 それにしても、松屋が混雑しています。まあ、380円に比べると290円ですから。

未唯宇宙の表現

 未唯空間に対して、未唯宇宙。そこで参考情報も横に並べます。但し、イメージできないといけない。広大に拡がる世界だけど、皆、それぞれ、意図をもってかれて、それが最大。

 例えば、絶対的な孤独をどう考えているのかという文章。死しか見えない、あの中学の恐怖はどこに入れるのか。そして、2兆年の中のこの瞬間。

 寝らがら考えることをベースにしましょう。だけどパソコンへの入力は必要です。言葉の重みとそのイメージ化。イメージ化そのものはもっと大きな単位。

 大項目とか中項目とか言っていると、何かわけが分からなくなります。だから、名前を付けます。レベル4までで、4以下は参考文献になります。

 ジャンルとして、「自分編」があり、レベル1が「存在と無」、レベル2が「孤立と孤独」、レベル3が「私の始まり」、そして、レベル4が「絶対的な孤独」。この包含関係は絶対ではない。

 一様、レベル4に参考文献は付けるけど、これはレベル1に付いたり、レベル2に付いたりすることを、どう表現するか。ハイアラキーに見えるけど、実はそうではない関係。そういう時は、頭にインデックスを付けましょう。参考文献はあくまでも参考文献としておきます。なるべく、下の方にくっつけるけど、上の方にくっつくときは番号を付けます。

 固執する部分はレベル2になるから、レベル2の参考文献としてはあります。実際はレベル4だけど、その時はどう描くかです。

「論考」表現

 いっそ、ウィットゲンシュタイン「論考」のようにしましょうか。それをやるには、時間が掛かりそうです。取りあえず、テーマについて、分けているものをどこに割り振るか。

 参考文献もコメントも、「論考」スタイルにしましょう。ツリーはツリーとして作っておいて、その所はまた、別の空間、その中に位相を入れ込む。

 プレーンにすると、当然、下は見えないけど、「論考」のように、コメントを入れるのと、参考資料を入れるにはいいかもしれない。ロジック自体はプレーンにします。シングル・プレーンにした時には、全て、並びます。コメントも参考文献も全て、隠せます。

 そうしないと、4項目の正規化のおぼれてします。これなら、局所での次元表示が自由になります。考えるのは正規化の中で考えて、表現する時はバリアブルにする。その下がないなら、下を無くすことができる。それなら、紙でなくてもできる世界です。

 たぶん、ウィットゲンシュタインもそうやって、考えたのでしょう。あの表現は分かりにくいけど、意味を持っています。あくまでも補足。言いたいことを言った上で補足。そして、補足の補足。その後ろに参考文献を持って行くのでしょう。

 ヘーゲルの歴史哲学ではないけど、十分調べ上げて、自分の考えをいかにシンプルにまとめるか。その手法、そのものです。今回の未唯空間で一番特徴的になのは、この空間かも知れない。世の中、3つなのか、2つなのか、ないなのか。

 結局、「論考」のような構成にならざるを得ないでしょう。多重を表現するのか。コメントから、自動的に文章を作れに仕組みにしておきます。文系の曖昧な表現が狙いかも知れないけど、ロジックがなければダメです。まあ、勝手に屋させておけばいいけど。つまり、等価であることを証明するわけです。

 それによって、高速処理と再構成を可能にします。そういう意味では、微分と積分の世界に持って行きます。

 インスピレーション側は二つ、持つわけにはいかない。これ以上の同期化はムリです。だから、「論考」表現に集約します。目次はプレゼン側で今まで通りです。

 そうすれば、今後、レベルが1つあれば、出来ます。あくまではレベルは必要です。文章にする時にはコメントを使えば、文章になります。横並びに全てを見ることはできるけど、邪魔は邪魔ですけど。

 これは「論考」を読んだ時に思ってことです。レベル化すればいいと。だけど、レベル化の時には非常に難しいです。多様な要素をその中に入れるわけにはいかない。
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