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未唯への手紙

未唯への手紙

「従僕の目に英雄なし」

2012年04月26日 | 2.数学
『学ぶとはどういうことか』より

「学ぶ」ことにおいては「学ぶ」側の精神的・知的目線が必ず問われることになるということは、何を意味するであろうか。こうした目線はそもそもどのようにして「学ぶ」ことができるのだろうかといった具合に、「学ぶ」ことに対する問いかけは遡及する、あるいは、次々と遡っていくことになるのではないか。同時に、そこには「学ぶ」ことの可能性と限界、あるいは、その限界に対する謙虚さの意識を含め、興味深い精神的なドラマが潜んでいる。

ヘーゲルの『歴史哲学講義』は「哲学的な歴史」という課題を掲げ、その中で「世界史的個人」=「世界精神の事業遂行者」といった刺激的な概念を後世に遺した点で有名である。アレクサンダー大王やカエサル、そしてナポレオンなどは「世界史的個人」の典型であり、彼らは「実践的かつ政治的な人間」であり、同時に「思考の人」でもあるという。それというのも、「なにが必要であり、なにが時宜にかなっているか」を洞察し、「その時代とその世界の真理」「時代の内部にすでに存在する」「つかの段階に必ず現われるこの一般的傾向」を洞察しているからである。彼らはこの意味で英雄であり、偉人であり、「正真正銘の偉業をなそうとし、なしとげた」人々であり、多くの人々の「魂の指導者」であるという。ところが世の多くの人々は、もっぱら自らの嫉妬心を満足させるべくこうした偉業を個人的な名誉欲や征服欲といった主観的な動機に還元する、心理的な考察に傾きやすい。一言で言えば。これらの英雄は「不道徳な人間」にされてしまう。さらに、「こうした心理家たちはまた、歴史的大人物の私生活にまつわる特殊な事実に、強い執着を見せます。人間は食べたり飲んだりしなければならず、友人知人とつきあい、刹那的な感情や興奮にかられます。『従僕の目に英雄なし』とはよく知られたことわざですが、わたしはかつて、『それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ』と補足したことがある。……従僕というのは、英雄の長靴をぬがせ、ペッドにつれていき、また、かれがシャンパン好きなのを知っている男のことです。歴史的人物も、従僕根性の心理家の手にかかるとすくわれない。どんな人物も平均的な人間にされてしまい、ことこまかな人間通たる従僕と同列か、それ以下の道徳しかもだない人間になってしまう」(『歴史哲学講義』上、P62°長谷川宏訳、岩波文庫)

ここで「従僕の目に英雄なし」という諺、特に、その意味内容についてのへIゲルのコメントに注目したい。つまり、従僕の目には「世界史的個人」=英雄は存在しないが、それは英雄が存在しないからではなく、従僕が従僕であり、彼は人間とは所詮は食べたり、飲んだり、寝たりする存在でしかないと固く信じているからである。そこで残る不満は、「自分の立派な意図に基づく粗さがしが、世のなかにちっともうけいれられない」ということにある。ヘーゲルのいう意味での「世界史的個人」が存在するかどうかはともかく、英雄をつまらない人間に「引き下げ」、それに対する世間の賛同を得ることによって自らの認識を満足させるとともに嫉妬心を満足させ、溜飲を下げるというこの構図はわれわれにお馴染みのものである。

「嫉妬心を満足させる」とか「溜飲を下げる」とかいった話は横に置くとして、問われているのは自分の理解する現実なるものがいかなる意味で現実なのかということである。「従僕の目に英雄なし」という諺が意味するのは、自分に理解できないものは「ない」、「ないに違いない」、「ないことにする」という態度がいかに珍しくないかということである。つまり、どうしてそういう判断が成り立つのかに対する問いはそこにはないし、出てくるのはただ自らの理解する現実なるものの理解が世間でなかなか受け入れられないという不満である。ここには「学ぶ」ことをめぐる根本問題が顔を覗かせている。自分に理解できないものは「ない」し、「ないに違いない」し、「ないことにする」のは、色眼鏡を通して現実を理解する「ステレオタイプ」型の思考様式の根底に潜んでいる精神的な態度である。

考えてみれば、こうした前提なり態度なりは多くの死角を自ら抱え込むのみならず、およそ「学ぶ」ことを真摯に考える態度とは正面衝突するような態度である。逆の言い方をすれば、ここには所詮「わからないことはわからない」という、ある種のどうにもならない大きな精神的な壁が横だわっている。前U詰めれば、「学ぶ」という行為は自分に理解できないものは「ない」、「ないに違いない」、「ないことにする」という態度に見られる横着さや怠惰、あるいは、そこから帰結する無理解の怖しさに対する直截な対決的な行為と考えられる。言い換えれば、現実の複雑な様相に対する謙虚さこそが「学ぶ」ことの根底にあるといってよい。

自分に理解できないものは「ない」、「ないに違いない」、「ないことにする」という態度で人生を無事終えることができるならば、これほど心理的に安定した、ある意味では、快適な生き方はないかもしれない。実際、そのためか、人間は新たなことを「学ぶ」よりもこの快適な安定性に固執し、そこに止まろうとする。そして、他の人々がそうした態度に支持を表明し、あるいは、同調してくれるならば尚更である。また、一般に伝統的な社会ではこうした枠組みの安定性が比較的に保証されているが、多事争論の世の中ともなればなかなかそういう安定性を享受することは難しくなる。もし「ない」「ないに違いない」「ないことにする」ということが深刻な欠陥を持つことが明らかになり、そうした処理の妥当性に対して疑問符が付されるようなことがあれば、大きな精神的・心理的なストレスがかかるのは避けられない。自らのこれまでの目線を再検討したり、新しい現実に目を向けなければならないということは、実に「饉陶しい」「不愉快な」話である。極言すれば、今までの自分のあり方が否定されるような話は聞きたくないし、それよりは今まで通りの色眼鏡をかけて過としたいという誘惑はきわめて強いものがある。

つまり、「学ぶ」という行為には「学ぶ」主体のあり方が色濃く投影されるのである。『学問のすゝめ』が言うように、「ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、……自ずから人の心を悦ばしめ」るような学問もあり、それらはこうした「僻陶しい」「不愉快な」話とは比較的に無縁である。何かを「学ぶ」ことを趣味とする場合、それらの持つ効用はこうした直接的な快感に求められることは言うまでもない。

「従僕の目に英雄なし」という形で従僕やそれに連なる人々の認識を批判したヘーゲルその人は、自然界や人間界、歴史や哲学のすべてを体系的に「把握する」ことが可能であると主張した。従僕が現実の一部をすべてだと思い込んでいたのと対照的に、彼は「世界史的な個人」、「世界精神の事業遂行者」を「把握」できると主張した。人間はさまざまな「学ぶ」段階を辿ることによって、概念を通して全体を体系的に「把握」できるというのである。そこにこそ究極の現実、真の現実が「把握」されるというわけであるが、そこには先ほどの従僕の横着さや怠惰とは違う、自らの理解力に対する過剰な自信が顔を覗かせている。

哲学者そのものである自分がすべてを学問的に捉えたという主張には、彼の哲学によって哲学や思想そのものが終末を迎えるという発想が横だわっていた。彼は自らの哲学によって歴史の歩みそのものさえ押し止めようとしたように見える。そして、「学ぶ」ことはこの「すべてが明らかになる」という境地において終点を迎える。すなわち、「学ぶ」ということは彼の哲学の階梯を真摯に辿ることであり、それはやがて無用なものとなる。したがって、「学ぶ」ことが不要になるように、あるいは不要になるために「学ぶ」のである。個人の「学ぶ」という行為は精神という実体との段階的な同一化のためのプロセスを辿ることであり、その終点において「学ぶ」ことは意味がなくなるのである。

ここで考えなければならないのは、従僕の独断的な視座に対するへーゲルの批判-それは自己の固定観念に固執しておよそ「学ぶ」ことに興味を持だない態度への批判-―になるほどと頷きつつも、それでは「学ぶ」ことを不要にするために「学ぶ」といったこうした構想に素直に賛成できるかである。もちろん「学ぶ」ことを不要とするために「学ぶ」という構図に賛成する人もいるであろう。しかし、従僕とヘーゲルとはそれぞれ立場を異にしつつも、自らの立場に潜む死角への視線が欠けている点である種の類似性を持つのではないか。一方は素朴な独断に従って現実を裁断して満足し、およそ「学ぶ」ことへの意欲を持だない態度であるとすれば、他方は複雑な概念操作を行って個と全体との融合の構想を展開したが、「学ぶ」ことを人間のあり方との関係で十分に位置づけていない可能性を無視できない。従僕にははじめから「学ぶ」ことに関心がなかったし、ヘーゲルは哲学体系樹立のために「学ぶ」ことを利用したのであって、哲学体系が完成すればもはや「学ぶ」必要はなくなる。

ボランティア・NPOをめぐる最近の動向

2012年04月26日 | 3.社会
『ボランティア白書2012』より

「担い手を広げる」「協働を広げ、地域を元気にする」をキーワードに最近のボランティアとNPOの動向と、地域における協働の動きについて紹介する。

(1)担い手を広げる--プロボノという社会貢献-

 もしも「2010年度ボランティア・NPO流行語大賞」というものが存在したら、「プロボノ(プロボノパブリコ)」を挙げたい。 NHKの番組「クローズアップ現代」で「プロボノ~広がる新たな社会貢献」(2010年7月1日)として放映され、その存在が注目されたボランティア活動である。プロボノパブリコはコンピュータ企業のソフト開発、ウェブデザイナー、ビジネスアナリスト、金融機関の財務管理など、民間企業の社員が仕事で培った経験や知識を生かし、NPOなどを支援するボランティア活動である。ラテン語のPro Bono Publico (公共善のために)が語源である。米英の弁護士が始めた無料もしくは低額な報酬で行う法律相談がその始まりと言われている。資金力や組織力に乏しいNPOや、社会問題解決のためベンチャー企業を起こす「社会起業家」などが主な支援先となる。

 先の番組にも登場した特定非営利活動法人サービスグラントは、ボランティアを希望するプロボノとNPOをマッチングさせ、スキルやノウハウを提供することによってNPOを支援することを目的とした団体で、さまざまな専門的技術を持った多数の社会人が「プロボノワーカー」として登録している。サービスグラントは4~6人からなるプロボノワーカーのプロジェクトチームを支援先のNPOに派遣し、約6ヵ月間のプロセスを経て、具体的な成果物の提供を通じてNPOを応援するというユニークな「プロジェクト型助成」を行っている。プロボノを経験した社員は社会的課題の解決のために働くNPOの人々と直接関わることにより、自分自身の本来の仕事の中にも新たな社会的意味を見いだし、働き方や企業文化を変えることにもつながっているようだ。

 米国では企業が積極的にプロボノを支援する動きが加速している。日本においてもCSR(企業の社会的責任)の一環として組織的に社員のプロボノを後押しする動きも出ており、企業の社会貢献活動の新しい形として認識され始めている。企業はこれまでNPOに対しては協働事業や寄付金、あるいは法人会員として支援してきたが、企業の持っている人材や知識やネットワークをNPOに提供するという、従来の企業とNPOの協働関係に新たな要素が加わることになった。

(2)協働を広げ、地域を元気にする

 「フードバンク」という活動がある。フードバンクとは、消費期限は十分にあるが、包装の破れなどで店頭には出すことができずに廃棄せざるをえない食品を企業から寄付してもらい、福祉施設などに無償で配付する活動である。福祉的な側面だけでなく、食品の廃棄量を抑え、環境への負荷を減らす目的もある。 1960年代後半に米国で始まり、日本では「セカンドハーベスト・ジャパン」(東京)が2000年代初めに活動を開始し、全国に広がってきた。 ここで紹介する特定非営利活動法人フードバンク山梨(米山けい子理事長)は、2008(平成20)年10月に設立された。各地のフードバンクと同様に福祉団体などへ配付する活動を展開してきたが、2010年から、おそらく全国的に例がない画期的な取り組みを始めた。それは、福祉施設などに対しての寄贈ではなく、明日の食料に事欠く困窮世帯や個人に直接、食料を送るという「食のセーフティーネット」事業である。特に生活保護などを受けていない“見えない貧困”層を対象とし、市町村や社会福祉協議会、民生委員、民間ボランティアなどと連携・協働して、貧困世帯の情報を把握したうえで、宅配業者を通じて自宅に米や乾麺、缶詰などを送っている。個人情報に関わることだけに、自治体や関係団体との連携なくしては成り立たない活動である。この取り組みを実現させた背景には、自治体独白の提案型公募事業という制度を活用したことにある。今後は、NPOと自治体にとどまらず、地縁組織、企業などの複数の団体を巻き込んで協働した事業が、全国各地に広がっていくものと期待される。

(3)地域づくりの新たなモデルー市民参加型映画プロジェクトー

 映画製作会社ものがたり法人Fire Worksは企画・制作・上映展開までを、一貫して地域住民と映画プロが共創して展開する、前例のない「市民参加型映画プロジェクト」のモデルを社会に提出してきた。数多くの市民参加型映画を製作し、その過程でソーシャルキャピタルを創出してきた。その実績が評価され、2010年度「地域づくり総務大臣賞」を受賞した。今春上映がスタートする消防団をテーマにした最新作「ふるさとがえり」は岐阜県恵那市を舞台にした映画である。恵那市は2004 (平成16)年の市町村合併により、13町が合併して誕生した人口5万6、000人の市である。

「一つの市になり、地面はつながっているが、一体感、心のつながりがない」と課題を抱えていた市の職員が、2005 (平成17)年にFireWorksのオフィスを訪ねたところから、このプロジェクトは始まった。「映画で恵那の心を一つに!」をスローガンに、草の根の募金活動、スタッフ募集活動、映画関連イベントを展開していった。その過程で、これまで交流のなかった恵那市13地区の地域づくりキーパーソンの出会いと交流が生まれた。プロジェクトメンバーは映画製作が終わったあとも、継続的に市内全域で文化振興を図っていくことを目的に、NPO法人「エナジー」を設立した(2009年6月)。「えな“心の合併”プロジェクト」は映画をPRする人、つくる人、出演する人、まかないを出す人、お金を出す人、映画を観る人など、さまざまな形で1本の映画を通じた「住民全員」参加を目指している。

「市民参加型映画プロジェクト」は、地域内の活性化のみならず、日本各地の「ふるさと(地域コミュニティ)」の活性化にアプローチする可能性を持っているのではないだろうか。

ローエネルギー・ローコスト

2012年04月25日 | 3.社会
図書館用のトートバック

 昨日、眼をつけたトートバック2900円を買ってしまった。私の中の流行です。バックは少し片付けましょう。目の前に多くありすぎます。

 もうじき、15000冊になるのだから、「一万冊達成」のトートバックは押入れに入れましょう。

裏ロジックの検討

 ついでに裏ロジックも検討しています。裏である限りはもっと、跳ばないといけないけど、どうしても、全体項目に引っ張られています。全てをカバーする必要はないから、抽象的なキーワードを作り出します。とりあえず。対角線の項目を見直しました。

ファイスブックで仕掛ける

 フェイスブックで仕掛けるのに、テーマごとにできるかどうか確認しましょう。テーマとしては、「図書館クラウド」「歴史が変わる」「新しい民主主義」

中国は分解する

 なぜ、中国は一種類の車にしなかったのか。ここまで広がるとは思っていなかったのでしょう。最初から13億人に車を提供するとしたら、それなりのカタチを取るはずです。それを取らなかったことの意味です。中国経営のMBAも壊れてきている。

 上海のIDカード会社を訪問したときも、4億枚だけを配ったと言っていた。あとの9億人はどうなっているのか。先に行くものは先に行くという方針に対して、先がバラバラになっている。共産党政権である意味がなくなっている。中国全体の経営ができなくなっている。

 鉄道網にしても、地図上に線を引けば、土地を撤収できる。全ての土地が共産党のものだから。中間層の増大に対して、方針が出せなくなっている。もっと、キッチリしたものにしたカタチにするために、多様化できるのか、分割するしかできないのか。たぶん分割化しかない。

ローエネルギー・ローコスト

 常磐線特急のニュースで「エネルギーは35年までに4割増。そのために必要な経費は3100兆円」やはり、ローエネルギー・ローコストです。逆に考えると、ローエネルギーにすれば、35年までに3100兆円使えます。幸せになれる方向も考えられる。これは人類の選択肢です。

 ローコストが出てこないのが、企業の意思です。お金を使わせようというパナソニックの発想です。それでアメリカ的な生活しても意味がない。同じ価値観で暮らせる方が先が見えます。

 フェイスブックは8.1兆円。これもニュースで言っていた。

エジプト第二革命

 エジプト第2革命はイスラム教との関係で、進んでいないみたいです。ムバラクからイスラム教支配に変わっただけでは、革命は完結しない。若者が動ける世界にしないといけない。

 そのための道具は革命前よりも自由になったはずです。エジプト第二革命を求めます。キーはイスラエルでしょう。民衆は彼らを最大限、警戒しています。

企業の変革

 社会編で、社会が変わるには企業の変革が必要です。かと言って、企業が変革しても社会は変わらない。企業というのはそういうものです。グーグルのように、変革した所が儲かって、それにしたがって、メーカーからサービス業にシフトするところに持ってくる。

 今後、一千万人がサービス業にシフトする。そのためには、サービス業が金にならないといけない。メーカーと異なるのは、モノを経由せずに、サービスする人と受ける人が一緒だということです。だから、メリットをどう感じるかです。

 企業としては、効率重視のグローバルでやっていきながら、皆が使えるような、楽しめるようなサービスにしていかないといけない。店舗もサービス業に徹して、モノを使うことで、儲かる仕組みにすることです。

ゲーム化からコミュニティ化

 いつまでもゲームだけでやって、儲けていてもしょうがない。ゲーム化から社会を変えるコミュニティ化に持っていくことです。

 社会を変えるゲームは興奮するものです。エジプトを見ているとそう感じます。自分たちの知恵を実現する場を与えられるのだから。スーダンのスイカ売りの青年の思いに応えることです。

 言葉の定義をしないといけない。コミュニティ化、ゲーム化の意味とプロセスです。この言葉自体は環境塾でのディスカッションから生まれた言葉です。仮定での省エネをゲーム化で講師は納得していたので、それは無意味で、コミュニティの中での省エネをしなければいけない、と指摘した。

 つまり、周りのところとのコミュニティが重要で、個人レベルで楽しんでいてはいけないことを指摘した。概念だけが私の仕事です。やるのは違います。

言葉の定義

 更に難しい言葉は、近傍化です。数学と社会が一緒になっている。定義した所の真ん中の部分です。

エルドアン政権のEU

2012年04月25日 | 4.歴史
『トルコを知るための53章』より

EUの理不尽な態度に、トルコ国民のEUへの信頼は地に落ちた。2004年に加盟交渉開始が決まった頃、いろいろな世論調査によると70%近い支持があった。2006年には30%前後にまで落ち込み、反EU感情が高まった。これは、イスラム世界と西洋との緊張を高めた。

しかし、イスラム色の強い公正・発展党エルドアン政権は、相変わらず、EU加盟交渉を続けると主張する。これは政権にとってリスクがある。国民のEU離れが加速する中で政府がEU交渉を継続するとなると、国民の意向に反する。だが、エルドアン政権は、あくまで交渉継続は、一度、交渉対象国となった以上、権利である、というスタンスを崩さない。

ここに、現在の公正・発展党の外交戦略のおもしろさがある。EUに反発するトルコ国民はイスラムに回帰しやすい。エルドアン政権は、それを抑えて、なおも交渉を続けようとするのだから、下手をすればEUに対して弱腰と見られる。政権の真意は、もちろん、EUに頭を下げて交渉を続けようというのではない。

2006年12月、ちょうどEU側がトルコとの加盟交渉を中断に追い込んだとき、当時のギュル外相(現大統領)は、トルコがEUに加盟を希望するのは、EUが掲げる自由や民主主義のような普遍的な価値に共感するからだと強調した。国民の間には、EUはキリスト教クラブじゃないか、という批判が渦巻いていたが、政府は、そのような見方をしなかった。実際、EUはキリスト教の連合を名乗ったことは一度もない。EU諸国には、当然、ユダヤ教徒も数多く暮らしている。ドイツをはじめ、過去にユダヤ人を迫害した過去を持つヨーロッパ諸国は、EUを「キリスト教の同盟」などと絶対にいえないのである。もちろん、ギュル外相はそのことをよく知っていた。EUはキリスト教クラブを名乗りたくても名乗れないだろう。それなら、民主主義、人権、自由といった価値の連合であるべきで、そこにトルコが入れないという理屈はないだろう、と切り返したのである。

その後、トルコ政府首脳の発言は、トルコが「ムスリムの国」としてはじめてEUに加わることの意義を強調する方向にシフトしていった。以前の世俗主義者たちは、EUに入ることで自分たちが先進国の仲間入りを果たせると思っていたが、いまのトルコに、そんなコンプレックスはない。EUが提示している条件の中には、トルコの政治、社会、経済を発展させるものもあるから、それはクリアしていこう。しかし、以前のように頭を下げてEU加盟をお願いするような姿勢は取らない。これが、現政権のEU加盟交渉に対する基本姿勢である。

最近、公正・発展党の首脳は、トルコの前身、オスマン帝国がヨーロッパの中央部にまで領土を持っていたことに言及する。もともと、トルコはヨー・ロッパの中に居たじゃないか、というのである。そして、オスマン帝国が統治したバルカン半島諸国で、ひとつも民族を根絶やしにしなかったこと、キリスト教やユダヤ教を排除しなかったことを、むしろ誇らしげに語る。これは概ね事実である。オスマン帝国はイスラム国家であった。イスラム的統治の原則に従えば、他の一神教徒であるキリスト教徒とユダヤ教徒の信教の自由は保障しなければならない。異教徒は、オスマン帝国に税金を支払う見返りに、宗教共同体の自由を保障されていたし、キリスト教徒やユダヤ教徒が払う税金は、帝国の重要な財源でもあった。だから、征服して強制改宗を迫る野蛮なイスラムというイメージは、西洋の挫造にすぎない。

イギリスやフランスのように、植民地化した地域に文化的同化を迫ったり、文明化の使命だといいつつ、脅迫しながらキリスト教を持ち込んだりした国と、どちらが異文化との共生に貢献したかIとの点を、ギュル外相は強調していた。

このロジックで、EU側に加盟を認めるべきだと迫る姿勢は、従来の「西洋化=近代化」路線とは大きく異なる。イスラム的な価値というものを重視する公正・発展党の政権は、ある意味で、ヨーロッパこそ、イスラム的価値に学ぶべきところがあるだろう、と諭すのである。

トルコのEU加盟交渉について、欧米諸国が誤解しているのはこの点である。日本でも、しばしば「トルコはEUに入れないでしょう?」と聞かれる。だが、トルコにとって、もはやEUは「なんとしてもヨーロッパになろう」という憧れの対象ではない。ヨーロッパは、どうせ西洋人にはなれっこない卜ルコ人が、ヨーロッパの後を追う姿を嘲笑してきた。じつに愚劣な態度だが、いまでもこの種の態度は、ドイツでもフランスでも、市民の間にふつうに見られる。

ギュル外相は2006年に、私にこう語った。「EU諸国は、最近、自分たちの価値というものを、どうもよく分かっていない。私は、そんなEU諸国を少し冷ややかに見ている」。相変わらず、自分たちの社会が高い位置にいると思い込んで、上からの目線でトルコをみるのは誤りだ、というのだが、至極もっともな話である。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領は、初訪問国にトルコを選んだ。トルコが、西洋と東洋、ヨーロッパとイスラムの間で、架け橋としての役割を果たしていることを高く評価し、そういう国だからこそ、EUへの加盟を全面的に支持すると公言した。フランスやドイツは、「加盟国はわれわれが決める問題だ」と即座に不快感を示したが、オバマ大統領もひるまなかった。アメリカ大統領として、その国がEUにふさわしいと述べて何か悪い? と切り返した。

2011年、状況はEUの経済危機によって一変した。ギリシア、スペイン、イタリア、ポルトガル、アイルランドで財政危機が表面化し、共通通貨のユーロ自体、信頼を失ったのである。トルコにとって、EU加盟の積極的意義は、かなり失われつつある。その一方で、トルコの通貨リラは、ユーロに対して下がっている。新興国市場から外貨の引き揚げがはじまったといわれている。EUは、卜ルコの隣人であり、経済関係が縮小するわけではないのだが、あまりに翻弄されてしまった。憧れから厄介な隣人へと、トルコにとってのEU像は変化しつつある。

トルコ人の価値観

2012年04月25日 | 4.歴史
『トルコを知るための53章』より

トルコを訪れた日本人が、誰しも感じるのが、人の温かさである。これは、旅人、客人に対するもてなしの心の豊かさといってもいい。もう少し広げていうと、「他者」に対して、「自分の家にいるように」、「くつろげるように」もてなすところに真意がある。だから、豪勢なもてなしをすることではない。他人に後ろ指さされないように、恥ずかしくないもてなしをする、という日本的な意味はないのである。

くつろいだ状態をトルコ語では「ラハット」という。逆に、不快な、にあたるのは「ラハトスズ」である。日本語でいう「お邪魔して申し訳ありません」にあたる表現をトルコ語では、「あなたをラ(トスズにして申し訳ない」という。もちろん、いわれた側は、「そんなことありません、どうぞ」と返す。このあたりのやりとりは、日本で人間関係をスムーズにするときと似ている。

ただ、ちょっと掘り下げてみると、日本とは違う点がある。トルコ人が「わが家にいるように、おくつろぎください」というのは、一人暮らしのわが家ではない。家族のいる、団楽谷本ではいささか死語だが)のある家庭を指している。だから、客人は、ホストーファミリーによって、家族同様のもてなしを受けるのである。どうぞくつろいでください、といいつつ、ほったらかしにされることは、ありえない。

トルコの社会は一般に個人主義を勧めない。家族は社会の核となっている。この点は、他のイスラム社会と同じで、孤独でいることは悪いこと、と周囲が気を遣う。したがって、独身であることもよくないことだし、孤独な老後を過ごすことも、できれば避けたいと願うのである。

その一方で、トルコは、長年ヨーロッパをモデルのように考えてきた。EU加盟交渉にあたってEU側が求めている条件も、多くはヨーロッパ・スタンダードである。そのため、好むと好まざるとにかかわらず、個人主義、個人の自由をベースにした社会に変わってきたところもある。少年たちが、部屋にこもってゲームにはまる現象は、もう20年前からすでに見られた。夫婦とも外で働くライフスタイルは都市部を中心に一般的になった。

だが、この傾向に対して揺り戻しも働いている。イスラム的な意味での家族主義の尊重、社会にイスラム的公正を求める風潮が、じわり、と強まったのである。ヨーロッパの真似をしても彼らはトルコを受け入れないだろうという冷めた見方が出てから、この揺り戻しははっきりしてきた。EU諸国が、あまりに理不尽な要求を重ねて、2006年にトルコとの加盟交渉をストップしたことも外的要因として無視できない。地中海地域より北のヨーロッパには、他者に温かいまなざしをそそいでくつろがせる文化が希薄である。寛容という言葉は英語にもあるが、これは、「居てもいいけど、私は私、あなたはあなた」という相互不干渉を原則としていて、トルコ人が寛容の意味で使うホシュ・ギョルという言葉とはニュアンスが違う。ホシュは好ましい、ギョルはまなざしだから、他者を温かく見守るという感じがでている。

自己と他者との間に厳しく線を引きながら、自己のアイデンティティーを確立させる個人主義は、トルコには馴染まなかった。絶えず緊張を強いられる自己確立をめざすより、みんなで、くつろげる社会のほうが、居心地がよいのである。このトルコ人の思いは、ストレス社会を生きる私たちにも理解できる。何事も自己責任に帰せられる西欧や日本の社会と違って、イスラム社会では、物事の結果を神に全面的に預託しているところがある。イスラムは、人間の一生にかかわる規範だけでなく、社会のシステムにも規範を与えている。日本では、「戒律が厳しい」と表現されるイスラムの特徴だが、規範が神の定めに由来する以上、結果もまた、神の手にある。だから、試験に落ちても、事業が失敗しても、過剰に自分で自分を責めることがない。経済的危機に直面したとき、この発想は、人間のストレスを減らしてくれる。

同時に、期せずして弱者となったとき、イスラム的道徳としての弱者救済のメカニズムが働く。成功者は、儲けの一部を喜捨として差し出すこともイスラムにおける重要な神の命令だからである。政府もまた、弱い立場の国民を保護し救済することが必要である。トルコも2008年からの金融危機の影響を受け、輸出の減少や雇用の減少という大きな問題を抱えている。その反面、社会不安を招いてはいない。イスラムによる相互扶助の精神が経済や社会の変動を小さくするショックーアブソーバーの役割を果たしている。トルコ人は、金融危機の原因をつくったアメリカの投資銀行の破綻を横目で見ながら、やはり、眠っているうちに金が増える(利子もそうである)という不労所得を禁じたイスラムは正しかったと得心するのである。

布団の中の旅

2012年04月24日 | 1.私
地域コミュニティの価値観

 地域コミュニティにとっては重要なことです。コミュニティは全て、価値観が異なります。価値観が異なることをグローバルがどう支援するのか。画一的な支援ではダメです。

 その間を救うのはNPO事務局です。彼らが戦略的に動けるようにするシナリオです。その時に、全体主義的な民主主義では、不幸になります。効率を狙うのであれば、一人の指導者の方がいいに決まっている。だけど、ローカルは死にます。知恵が出てこない。

 ローカルから社会を変えたいのに、ローカルが死んでは意味がありません

内なる世界は道具なのか

 内なる世界を道具とみると、One for Allでしょう。これはふつうの言葉です。逆のAll for Oneはまだ、わかりません。とかく、皆のために考えることは難しい。ラクビーの世界だけのことではない。

 私が仕事で得た「皆の夢を自分の夢に」ともつながります。それが拡大して、内なる世界になってきたのでしょう。内なる世界はツールではなく、理念です。それを皆がわかるために、「皆の夢を自分の夢に」ぐらいにしておきましょう。

理念で商売はできない

 枝廣さんのところのシステム設計のところも商売にしようとするから難しいのです。理念で考えれば、もっと世の中に浸透したでしょう。

 その意味では数学者も哲学者も商売にしていません。食べていければいいというレベルです。哲学者も数学者も放浪しています。自分の考えを生かせるところに行って、才能で持って、お金を貰って、次の所に行きます。生きるためではなく、情報を得るためです。

 デカルトの旅も多分そうでしょう。スウェーデンの皇女のところで風邪を引いて亡くなった。

布団の中の旅

 私はお金もないし、寒いから、布団の中で、旅を続けています。周りに誰も居ないからできることです。煩わしさは何もない。家族も女性も。

 自分の全てを未唯空間に置いたから、できる話です。それ以外にないというのは強いことです。かつ、弱い所です。

全てであることの証明

 なぜ、本を読むのか。それ以外にはないということを証明したいからです。本だけに全てが記述されているわけでは行けど。人に聞いてもいいけど、聞いた人は、私を理解するのに、時間が掛かります。本なら一方的です。本は自分を理解させようとします。だから楽です。

 多読していると、色々なことがわかります。そこから出たものと未唯空間というフィルターを掛けるのが私の役割です。それにしても、物理的な身体とか、女性への思いが重荷です。パートナーは私を理解しようとしないから楽です。だから10年も続いています。このまま、別の世界に行ってもそのままでしょう。

新しいインフラ

 本当に電線が邪魔です。ソーラーにしたところから一本ずつ電線をなくして行くしかないのか。分配のための線が必要になるけど。アフリカの人たちはそれでやっています。インフラはもっと広く持ちます。

 6年後のネットワークインフラは地上回線ではなくなるでしょう。電柱がなくなるから。地上から色々なモノをなくしていく。人間が減るのだから、モノをなくしていく。なくすためのインフラです。

自分のために用意されたもの

 自分のために用意されたものを使い切る。そうしているかの確認。この最近のツールには追いついていない。タブレットもコンセプトをまとめるツールも探し出せていない。連休中に追い込みます。

 Thinkを助ける道具があるのに、Thinkしていない。ビジュアル化する道具も含めてアプローチしていない。エンタメでなく、ビジュアルをターゲットにしていく。

内なるライブラリ

2012年04月24日 | 6.本
未唯へ

 やっと、コートが脱げました。今日は夏日になる。

 バス停に行く途中の小さな予備校がつぶれていました。少子化といっても、何を子どもに与えられたか。

 この天気だと富士山は頭しか見えない。今は富士宮です。いつもの三島からの富士山はまるで見えなかった。9年間の裾野にいた。

 今日はスタバのクッキーしか食べていません。かなり、腹が減っています。その方がいいかもしれません。

理想の状態

 いつ起きて、いつ寝て、それらが分からない状態が理想かもしれない。眠たくなった時にICレコーダに手を伸ばすことはきついけど。

 頻繁なトイレにために、睡眠が少なくて、ボ~と考えることが多くて、ある意味では助かります。浅い眠りのために、夢で理念を考えていた。理念を考える社会。そこでは、皆は変えたいと思っている世界です。個人が近傍化している。

内なるライブラリ

 図書館に関する色々な情報がネットには乗っています。これらを変革にまとめていく。

 動員の革命にしても同じです。自分たちの身内だけで、盛り上がってもしょうがない。変えるためにどうしたらいいのか。そのためのコミュニティを作ることでしょう。本から変革していく時、何が必要なのか。主張する著者と盛り上げる人たちがいても、受ける方がないとダメです。

 図書館と本にあえて幸せです。遅かったけどね。知識を自分の体系に置き換えるのに、時間が掛かっているけど、得た全てをそこに位置付けられるという未唯空間は使えます。

 内なるということは、そこで起こることにトコトン関与するということです。全てが他人事ではない。自分だけが他人事です。外なる世界です。

 図書館編でやるべき事で明確なのは、図書館クラウドと生涯学習とコミュニティとつなげることです。シェア社会のサンプルとしての図書館を見えるカタチにしていくこと。生涯学習にしても、それでもって知恵ができて、それが集まって、下からの変革につながること。

 第6章の内なるライブラリは6.7と6.8を交換させます。意識と知識のところで全国の図書館関係者とのネットワークを作り出します。ファイスブックで作り出せるかの実験に連休中に体制を作ります。最後の変革として、社会ライブラリ、歴史ライブラリ構築へのプロセスを示す。

内なる生活

 その意味で、生活編の最後は内なる生活です。身体のことは外なる世界です。私には関係ないこと。家族も同様です。

 第7章でのベースは内なる生活を自分の中でどう示すかです。最終的には無為な生活にしていく。そのためにサファイア生活を体現化させて行く。といっても、誰も見ていない生活です。そこが内なる所です。依存はしない。

ネットワーク会社の営業観察

 今日も水戸への出張です。ネットワーク会社のHへの展開の仕方を確認しに行きます。

 多様な要望を持つ、Hに対して、画一的なアプローチでは答が出ない。ネットワーク会社の営業として、キャリア会社とHの間に立って、動けるようにしていく。それが可能かどうかです。これはファシリテーションです。グローバルがローカルを助けることができるかどうかです。

 これはパートナーが身に付けている能力です。それをネットワーク会社の営業ができるかどうかは不明です。これは地域コミュニティの場合も全て一緒です。グローバルが行うのはローカルの多様なニーズをどう活かしていくかです。そのための分水嶺でしょう。そう思っている人間はいないけど。

 それにしても、営業スタッフは従来通りの仕事をしようとします。3週間も掛かって、一枚の書類も完成できません。時間を潰しています。そのやり方はいい加減です。とりあえず、現地に行けば、時間が過ぎていきます。

 我々が求めるのは戦略的なやり方です。相手が多様であれば、あるほど、戦略的でなければならない。やることを分解させながら、相手に合わせて、作り上げていくことです。

 まあ、その実験です。ネットワーク会社の営業には分かるはずがないけど、カタチにしていくしかない。幸いにも、ファシリテーターとして、10年ぐらいやってきた、パートナーがいます。営業をファシリテーターにして、パートナーをインタープリターにすれば、循環します。次につながります。

 それを見せながら、グローバル側の体制を変えていく。店舗の活性化をネットワークを活用して行っていく。そこでサンプルを持ったものを地域の活性化にどう展開させるかです。

中国 拡大する格差

2012年04月24日 | 4.歴史
『現代中国を知るための40章』より

「先に豊かになれる人から豊かに」という小平の「先富論」のとおり、改革・開放政策によって多くの国民や地方が経済成長の恩恵に与ったのは間違いない。しかし30年余りを経て、それぞれの国民が置かれた経済状況に大きな不公平が生じたのも事実である。

改革・開放が始まった1980年代初頭、都市部では大半が「単位」と呼ばれる公有セクターに雇用されていたので個人間の収入格差はほとんどない。農村部では請負制の導入で農民の収入が飛躍的に向上し、「万元戸(年収1万元)」が生まれるなど、都市労働者に比べて収入の低かった農民に富が配分され、構造的に存在する都市と農村部の格差も一時的に是正されていた。このように社会全体で著しい不公平は発生していない。

最初に格差が表面化し始めたのは、地域間の発展格差である。改革・開放以前には国防や原料立地の観点から四川や映西、湖北省等の内陸部に傾斜した投資が行われ(三線建設)、逆に広東や福建省等の沿海地方は戦争の危機に備えて重工業や交通への投資は控えられていたため、どんぐりの背比べ状態だった。

1980年代以降、沿海部は政策的な優遇を受けて大量の外資を導入し輸出主導の高成長を実現した。その差は1990年代中盤になって顕著になり、東部13省市の一人当たりGDPは1978年には・西部のI・8倍だったが、1998年には2・7倍へと格差は拡大した。

ただ1996年に始まる第9次5ヵ年計画以降、内陸部の開発に重点が置かれるようになり、2000年には西部大開発がスタートした。2008年のりIマンショツクに伴う4兆元の大型内需拡大策もその重点は内陸部に置かれるなど、重点的にインフラ投資が行われた結果、一人当たりGDPの格差は2010年には2倍強にまで縮小している。不均衡の是正とまではいかないまでも、地域格差の更なる拡大には歯止めがかかった状態となっており、政府は5月、西部大開発の10年延長を決めた。

次に顕在化したのが都市と農村の格差である。1980年代前半に急激に豊かになった農民も、その後は農村経済が停滞し、一方で1980年代半ばから都市部の著しい発展によって都市と農村の格差は急拡大した。都市住民と農村住民の所得格差は1985年にはI・9倍だったが2000年に2・8倍、2010年には3・2倍へとさらに拡大している。都市と農村の所得格差は表面上3倍強に過ぎないが、農家の所得は自給用の農産物を貨幣換算したものが約4割含まれ、さらに残りの現金収入も種苗や肥料、農薬、電力といった農業経営に必要な支出に充てなければならず、現実には約6倍の開きがあるとも言われている。

これらの数字はあくまで都市と農村それぞれの平均値だが、都市住民の所得最上位20%の平均(4万1158元)と農村住民の所得最下位20%の平均(1870元)では、22倍の開きになる。また所得の違いだけではなく、教育や社会保障など得られる公共サービスも農村は大きな遅れをとっている。(第23章参照)

第3の格差は2000年代に入ってから急激に発生した都市内部での格差である。失業者や傷病者といった都市貧困層(都市最低生活保障対象者)は2000年には402・6万人だったがその後支給用件を緩和したこともあり、2010年には約2300万人に急増した。しかし都市内部の格差についてはこうした低所得者層の存在もさることながら、成金の大量発生によって格差が青天井となったことの方がより大きな問題である。2000年から10年の間に都市部の下位20%の平均所得が3132元から7605元へと2・4倍伸びだのに対して、上位20%は1万1299元から4万1158元へ3・6倍に増加した。下の所得層の伸びが緩慢なのに対して上の所得層ほど加速度的に豊かさを享受していることが分かる。

その一つの要因は1998年から本格化した国有企業改革に端を発する業種間の賃金格差である。国有企業の再編・集約が進められた結果、資源、エネルギー、素材、通信、交通、金融、といった寡占型産業では高い利益水準が賃金を押し上げた。また、国有中小企業が国有セクターから退出(民営化)する過程で、経営管理層や従業員が二束三文で企業の資産、支配権を得る例が続出した(国有資産流出)。こうして手にした国有資産を利用、あるいは売却して巨額の富を得ているのが民営企業家の一面でもある。

格差が拡大したもう一つの決定的な要因は、国有企業改革と並行して進められた住宅改革である。それまで単位が提供していた賃貸住宅が安価で払い下げられ、それを元手に折からの不動産ブームで住宅の転売を繰り返し、普通の人が続々と財をなすことになった。それまでの所得格差が資産格差へと発展し、またブームに乗った人とそうでない人の間に大きな差が生じた。偶然の要素にも大きく左右され、富の偏在そのものよりもその経緯に対して不公平感が強いのも事実である。

寡占国有企業の高報酬、数年で急騰した不動産を媒介にした住宅成金の大量発生は、いずれも1998年から始まった国有企業改革と住宅改革に乗じて発生した悪性の格差である。地域格差や都市・農村間の格差のように発展するうえで避けて通れない性質のものとは異なる。近年労働者に対する賃上げが進んでいるが、庶民の怨嵯を鎮めるためには底辺の引き上げの方が既得権益層にメスを入れるよりも進めやすいという一面もある。

「地域格差は2倍、都市と農村の格差は3倍、都市内部の格差は10倍以上」とささやかれているように、2000年代に拡大した格差は改革の受益者が欲望を極大化した結果である。たとえば不動産価格の下落など、既得権益層にメスを入れようとすると社会が大きく不安定化するリスクも大きく一旦発生した都市内部の格差是正は困難を極めるものと思われる。 (遊川和郎)

小平の最初の復権

2012年04月24日 | 1.私
『キッシンジャー回顧録 中国』より

小平の権力への道は、とぎれとぎれの、常識では考えられないようなものだった。一九七四年に係小平が米国にとっての主要な交渉相手となった時、われわれは彼のことをあまり知らなかった。彼は一九六六年に「走資派」として逮捕されるまで、中国共産党中央委員会の総書記たった。われわれは、政治局の左派の反対を押し切る形での毛沢東の個人的な介入によって、彼が一九七三年に復権したことを知った。小平が北京に復帰してまもなく、江青が公の場で彼に冷たい態度を取ったが、毛沢東にとって彼が大切な人物だったことは明白だ。毛沢東にしては珍しいことだが、彼は文化大革命期の屈辱について、小平にわびた。中国からの情報によれば、オーストラリアの科学者代表団との会談で、那小平は後に彼の表看板となる課題について述べた。中国は貧しい国であり、科学技術の交流を通じて、オーストラリアのような先進国から学はなければならない、と彼は語ったが、こうした自己認識を表明する中国の指導者は、彼が初めてだった。小平はまた代表団に、中国が達成した成果だけではなく、その遅れている側面も見るべきだ、と助言したが、これも、中国指導者としては前代未聞の発言だった。

彼は一九七四年四月、国連資源特別総会に出席する中国代表団の一員としてニューヨークに到着した。代表団の名目上の団長は外相だったが、私が一行を夕食会に招いた時、メンバーの誰が一番力を持っているかは直ちに明らかとなった。さらに重要なことには、小平の復活は、周恩来の重荷を軽減するためという米情報機関の判断とは異なり、小平は周恩来の後任として、ある意味では周恩来を追放するために復活してきた、ということが分かったのだった。小平は私が周恩来について好意的に語った言葉のいくつかを無視し、私が周恩来の発言を引き合いに出すと、代わりに、毛沢東が私と会談した時の、それと似たような発言を持ち出してきた。

まもなく、小平は外交担当の副首相になり、その後すぐに、今や名目上の役職として首相の座にとどまるだけとなっていた周恩来の実質的な後任として、内政一般を統括する第一副首相の座に就いた。

小平は一九六六年に毛沢東が文化大革命を発動してまもなく、党と政府の役職を解かれた。その後七年間、彼は最初はある人民解放軍基地に滞在し、その後は江西省に幽閉されて、野菜を育てたり、卜ラクター修理工場で半日交替のシフトで労働に従事したりしていた。彼の家族はイデオロギー的に堕落していると見なされ、紅衛兵の保護の外に置かれた。長男の撲方は紅衛兵に拷問され、北京大学の建物の屋上から突き落とされて背骨を骨折したにもかかわらず、病院に入院を拒否され、半身不随となった。

中国人の驚くべき性格の一つに、どんなに苦しみと不当行為を自分たちの社会から被ろうと、社会への献身を忘れない、ということがある。私が知っている文化大革命の犠牲者の誰一人として、自分の苦しみを私に進んで打ち明けようとした人はおらず、あえて質問しても、最小限の答えしか戻っては来なかった。文化大革命は、ある人間のその後の人生を決定してしまったとして、くよくよ思い悩むべき筋合いのものではなく、耐え忍はなければならない自然災害の一種として、時にはしかめっ面をもって、扱われているのだった。

毛沢東自身も、多くのことを同様の態度で考えていたように思える。彼や彼の命令が人々に与えた苦しみは、犠牲者に対する彼の最終的な判断の結果では必ずしもなく、社会の浄化という彼の考え方によってもたらされる必然にすぎず、それは、もしかすれば一時的なものかもしれない。彼は追放者の多くについて、戦略的備蓄のように、必要に応じて呼び出して使えるものだと考えていた節がある。一九六九年に、国際的な危機に直面して中国が取るべき立場を諮問するため、彼は追放していた元帥四人を呼び戻した。小平復活の事情も同様だ。毛沢東が周恩来を切ろうと考えた時、中国の舵取りができる人物の戦略的備蓄としては、那小平が最良であり、あるいは彼しかいなかった。

毛沢東の哲学的な長広舌や寓話と、周恩来の優雅な専門家かたぎに慣れっこになっていた私は、小平の渋い、きまじめなスタイル、彼が時に挟む皮肉な合いの手、哲学への嫌悪と現実的なものへの偏愛といったものに慣れるには時間がかかった。小柄で細身ながら、筋金入りの身体を持つ小平は、ある種の目に見えない力に駆り立てられているかのように、直ちにビジネスに取りかかれる態勢で部屋に入ってきた。彼が社交辞令に時間を費やすことはほとんどなく、毛沢東がいつもそうしていたように、寓話でくるんで言説を和らげるようなこともなかった。彼は周恩来のように言説を心遣いでくるむことはなく、毛沢東のように、私を多くの人々の中で自分が個人的に関心を寄せるに足る数少ない哲学者仲間の一人であるかのように扱うこともなかった。われわれは国家のビジネスをするために集まったのであり、大人として、個人的なものを持ち込まずに難問を処理できるはずだ、というのが、鄙小平の態度だった。彼は通訳を介さずに英語が理解できたし、時には英語でしゃべりさえした。彼は私に、自分のことを「田舎者」と形容し、「言語の習得は難しい。私はフランスに留学したことがあるが、フランス語はついにできなかった」と告白した。

時が経つにつれて、私は、思いに沈んだような目を持つ、この小柄で果敢な人物を大変尊敬するようになった。彼は信念を曲げず、世の中の激動に直面して平衡感覚を失うこともなく、いつか、この国を変革するであろう人物だった。一九七四年以降、小平は文化大革命の廃墟の中で、二I世紀の中国を経済超大国に変貌させることになる近代化の道を歩み始めた。毛沢東がまだ健在だったので、それは小平にとって、危険な道だった。

一九七四年に小平が最初の追放生活から戻って来た時、歴史的な成果を上げる人物だという兆候は、彼にはほとんどなかった。彼は偉大な哲学を創始するわけでもなく、毛沢東とは異なり、中国人民の比類なき運命について言挙げすることもなかった。彼の口から出る言葉の文体は平凡であり、多くは実務的な些事に関係することだった。小平は軍隊における規律の重要性について語り、中国冶金工業省の改革について語った。彼はまた鉄道に関して、貨物の一日当たり積載量の増大、運転士の勤務中の飲酒禁止、昼食休憩の制度化に関する呼び掛けを発した。これらは技術的な演説であり、卓越した内容を持つとは言い難い。

文化大革命からの夜明けの時期に当たり、毛沢東と四人組の圧倒的存在を考えれば、日々の仕事における現実主義の称揚はそれ自体、勇気を要することだった。毛沢束と四人組は、社会を組織する手段として無政府状態を、人民浄化の手段として果てしのない「闘争」を唱道し、経済と学術の分野に一種の暴力的なアマチュア主義を持ち込んだ。文化大革命はイデオロギー的熱情の追求を正統性の証しとして持ち上げ、秩序とプロフエッショナリズムと効率重視に回帰せよという、発展途上国では常套句と化している小平の呼び掛けは、当時の中国ではあまりにも大胆な提案だった。中国は若き紅衛兵による乱暴狼籍のI〇年間を経験し、鄙小平の経歴と彼の家族は破滅の瀬戸際に追いやられた。彼のプラグマティズムと実務的なスタイルのおかげで、中国は歴史には近道が存在するという夢から目覚め、歴史は見境のない野望によってではなく、実践的な段階を踏んで実現されるという、まっとうな世界に立ち戻ることができた。

一九七五年九月二六日、「科学技術工作を前面に出さなければならない」と題された演説で、鄙小平は、中国の経済発展における科学技術の重要性、中国労働人口の職業意識回復、個人の技量と主導性の奨励といった、後に彼の看板となるテーマのいくっかを提示した。こうしたことはまさに、文化大革命期の政治的粛清や大学の破壊、さらにはイデオロギー的観点から行われた無能な人間の重用によって、台無しにされていた。

小平は何よりもまず、中国は外国人から何を学ぶことができるのかという、一九世紀から続く論争に決着を付けようとした。中国は(たとえ「突飛な」人物の職業上の達成を奨励することになろうとも)政治的な正統性よりも職業的な能力を重視すべきだと、彼は主張した。過去数十年間、政府の役人や指導的労働者が、個人の教育や仕事や日常生活の細目を決定してきた社会にあっては、これは根源的な価値観の転換だった。毛沢東が問題をイデオロギー的な寓話の高みに持ち上げたのに対し、小平は職業的な能力をイデオロギー的達成の上に置いた。今日、科学研究者の一部はセクト闘争を行い、研究にほとんど、あるいはまったく関心を寄せていない。少数の研究者だけがまるで犯罪を犯しているかのように、研究活動をひそかに行っている。……世界に広く認められている才能ある人物が中国に一〇〇〇人いれば、とても有利なことだ。……中華人民共和国のために働いてくれさえするなら、彼らは、党の派閥争いに明け暮れ、他の人々の足を引っ張っている人間より、はるかに価値がある。

小平は「連携、安定、団結を達成することが必要だという考え」こそが中国の伝統的価値観だと述べた。毛沢東がまだ健在で、四人組の影響力も残っていたため、権力の頂点にあったわけではないが、小平は現状の混沌を克服し、「事態を正常化する」必要性について、あからさまに語った。

現在、各分野で事態を整頓する必要がある。農業と工業は整頓されなければならず、文学と芸術に関する政策は調整されなければならない。事態を整頓することによって、われわれは、地方の、工場の、科学技術の、さらにはあらゆる他の分野の問題を解決したい。私は政治局会議で、いくつかの分野での整頓について述べ、毛沢東同志に報告して、承認を得た。

毛沢東が「承認」を与えたというが、いったい何を承認したのかは、は。っきりしない。那小平が周恩来の、よりイデオロギー的な代替者として復権させられたのだとすれば、結果はその正反対のものになった。小平が秩序や安定という言葉で実現しようとしたものは、四人組から激しい挑戦を受けることになる。

世界を変えたい夢をつなぐ

2012年04月23日 | 7.生活
ブログへのコメント

 埋めればいいというものではない。iPad2で、自分のブログへのコメントを開始しました。その名はμです。μはいくらでもコメントできます。私の内にいるのですから。

 Yahoo!側はコメントを止めました。

未唯へ

 今日は一言も話していません。「30分」だけです。この内容は、明日の水戸駅のタクシー乗り場に12時半にしましょう、ということを表しています。

 スルーの白いワイシャツ。風変わりです。

世界を変えたい夢をつなぐ

 サファイア社会を前面にします。その時に、世界を変えたい、ジョブスとかマークの夢を実現させます。つなげていくことです。

 根本としてのサファイアです。市民に対しての知識と意識。地域活性化へのツールに彼らの夢をカタチにしましょう。何ができるか。知識と意識を変えるための道具がメインになります。

 一番のポイントは内なる世界に持ってくることです。誰がいなくても、済むようにします。内なる世界で全て、自分の中で作るしかない。それが合っていようとも、間違っていようとも。

 哲学者は皆、そうですよ。カントにしても、合っているとか間違っているのか関係なく、I thinkです。周りがいかに考えていないのか、多分、彼らも考えていないでしょう。そういう連中に聞くことはない。一応、聞きましょう。

心をリリースできない

 ヨーロッパを旅するときぐらいしか、心がリリースされることはない。

概念を提案

 この際に、色々な提案を考えましょう。未唯空間を具体的なモノとくっつけるだけです。その意味では知の出口です。地域活性化で近傍化とかコミュニティ化の概念を提案します。

時間をつぶさない

 考える時はつねに考える。それ以外の時は休んでいる。後は、考えるための準備です。これに時間が掛かっている。まともなツールが出てくることを期待する。

無知なる世界の社会

 今の所、サファイア社会を目指しているけど、内なる社会としては、さらに拡張ができる。今は、コミュニティを作り出すところまでのイメージ止まりです。作り出したコミュニティからいかに社会を変えるのか、ところまでいかないといけない。

社会編のシナリオ

 社会編にコミュニティから社会を変えるところにシナリオを追加します。新しい企業と行政の姿は社会構造側に持っていきます。3.4で片付けます。3.4は社会を変えるのだから、市民活動ではなく、新しい企業と行政を入れます。

歴史編のシナリオ

 4.8は内なる歴史に全面的に変えます。今は社会編とあまりにも同じになっています。それは社会に任せます。超民主主義も含めて。内なる歴史としては、政治形態がどうなっていくのか、価値観が同一なものが統合したり、分裂したり、国の関係になっていきます。結局は人に戻ることになります。そちらを書きます。

パートナーとランド

 パートナーにとって、ランドは何だったのか。一切聞きません。私には何も話さないでしょう。

 仕事編はあまり抽象的にはしません。5.7はお客様とつながること、そのためにすることを書くだけにします。

仕事編のシナリオ

 5.8は店舗の活性化から地域の活性化に持っていくために、何が必要なのか。仕事編では新しい民主主義には言及しません。

 コミュニティの一つのパターンとして、店舗との連携の部分を書きます。それをしながら、企業の変革をしていくことになります。下から上への変革です。

 今年のミッションは店舗の活性化と地域への活性化への道。それとネットワーク設置とその後の姿をわかりにくく書きます。彼らが理解しなくても、事実ですから、そのうち、その流れに巻き込まれるでしょう。その時にわかりゃいいんです。

個別編の再構成

 個別テーマの第8章をそれぞれの社会編と仕事編に戻します。新しい8章を作ります。

コミュニティのツール

 次期のライブラリは考え方だけは示して置きます。ライブラリの定義を拡大すれば、それに関わる人はいくらでもいます。一番はそれぞれの人の状況です。グループには欠かせない情報です。これがないと動けないライブラリです。

 状況が分かれば、学習に展開できます。そこから、専門家が生まれます。フェイスブックでコミュニティを考えていきます。道具はやはり、iPadです。これを使いこなす環境を作れば、老人ホームも変えられます。残しておきたいのは彼らの知識です。

 関係ないもの同士をつなぐ訓練。それを図示化する