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図書館界に論争がなくなった?

『ず・ぼん』より 図書館の役割は終わったか?

手嶋 前回の編集会議で、『ず・ぼん』における我々の役割はもうないんじやないか?という問題提起が堀さんからされました。

沢辺 では『ず・ぼん』とは何だったのか? からいきましょう。初代編集長の堀さん、『ず・ぼん』はどうして始めたんですか?

手嶋 私は堀さんの『ず・ぼん』創刊に寄せたメッセージを鮮明に覚えている。「論争がなくなってる」と書いてるんだよ。一九九四年の創刊当時も論争は少なくなっていたかもしれないけれど、いまはもっと進行していて、いろんな問題があったって、それをめぐった論争に全然なってないんじやないかな。

真々田 堀さんの「論争が成立してないね」という感想は自分の職域の周りとか、もっと広い意味の図書館界とか、具体的にどこを見てのものだったの?

堀 たしかに「論争が成立してない」と書いたけど、もう少し細かくいうと、論争が成立する土壌があるはずなのに論争を回避したり、曖昧にして逃げているのではないかという感じがしていた。いまはもうそういった土壌自体があるのかないのかよくわからない。何に向かって何を言ったらいいのかわからないような気がしますね。

沢辺 「論争がなくなったIという初発の動機そのものに対しては、あまりに何にでも適用できるタイトルで、いま思うと、便利すぎたかもしれないよね。それに、俺はいま、論争はあると思う。たとえば「このことは図書館の自由にあたるか」という議論や、「悪い権力を打ち倒そう」的な論争は確かになくなっていると思うけど、一方ではU40のような動きが出てきてますよ。昔は機関紙をつくって郵送するくらいしかできなかったけれど、俺が見ているTwitterでは、U40のような話題がよく目につくTwitterは「俺」というフィルターがかかっているから、図書館や出版に興味がある人が多いと見えがちなのは十分わかったうえで、ゆうき図書館の笹沼(崇)くんなどは、やっぱり活発に活動していると思う。堀さんたちには、それが見えてないんじやないかな。

手嶋 昔流の論争がなくなっただけで、実際には論争があって、私たちには見えてないということはあるかもしれない。申し訳ないけれど、私はそういう部分をフォローできていないからわからないです。

真々田 私は、論争がないとは思わないですよ。論争を耳にしているかどうかは別にして。堀さんがイメージしていた頃は、たぶん図書館が目新しいものとして社会に登場してきたところで、そこに関わっている人間が「どういうものをつくろうか」という方向を定めないと、どうにもならない形或過程だったから、関わる人間の多くがそのための議論に参加した思う。現在は、出版と読者をつなぐ媒体の形が大きく変化している状況ですよね。これだけ状況が変わっているのなら、議論が必要なはずですよ。そうしないと変化に対応していけないだろうしね。

手嶋 確かに電子書籍など状況の変化はあるけれど、利用者が求める資料や情報を、的確に迅速に提供するという図書館の基本的な役割は変わっていないと思うんですよ。提供する媒体が変わるようなことはあったとしても、基本の部分は変わっていない。

真々田 媒体の変化は、図書館のサービスにも変化を起こしますよね。

沢辺 真々田さんの言うこともわかるけど、俺はその一歩手前に問題があると思う。いまの利用者は、もう十二分に満足しているわけですよ。こういうことを言うと「人間の知的葛藤というのはおいそれと満たされない」とか言われちゃうかもしれないけど、そんなもの図書館がなくたって十分満たすことはできますよ。図書館がなければ勉強できません」とか「図書館があったから子育てに役に立った」ということは、そんなにないと思うよ。それに前から提供できていないし、求められてもいないんじやない? もっと単純に言えば、無料で借りに行く人がお金を持っていないかというと、必ずしもそんなことはなくて、別のものにお金を使いたいから無料のところに行くんじやない? それで別にいいけれど、そういう人の図書館に対する欲望は「あったらいいよね」くらいのレベルだよね。あるいは図書館が既得権になっているので、なくなったら怒るというだけで、図書館がなくなったら本当に困るのかというと、そんなことはないでしょ。日本社会はそこまで発展しちゃったんですよ。図書館が必要だという欲望が、日本社会の中にまだ切実にあると思う?

手嶋 欲望というより、知的な欲求というかさ。

沢辺 知的な欲求は本屋に行けばいいんじゃない乃了・手嶋 フローのものはお金を出せば手に入るかもしれないけど、雑誌でもなんでも、それをストックするところが必要ですよ。

沢辺 でも実際は市町村立にはそれほどストックされていないよ。

手嶋 それはストックされてない図書館があるという問題だよ。

沢辺  いやいや、実際にストックを借りる人が少ないから、そういった図書館になるんじやないの?

手嶋 そんなことはないよ。ストックのものを利用したいという要求はかなりありますよ。それを阻んでいるのが、いまの都立図書館だったりするわけで。
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コミュニティとは

『市民参加の行政学』より コミュニティ論による補強

市民参加が、外に向けてさらに効果的な運動体になるためには、組織化というプロセスを経ることになるが、その運動が内に向かうこともある。仲間とか同志などという言葉が運動の中でしばしば使われるが、運動体がコミュニティにも近似することはよくある。というよりも、社会運動はしばしば自閉的で、外部からの影響を受けることを少なくして、理念を純化したいという性向を有している。

社会運動は、むしろコミュニティに支えられるというべきである。その意図関心が外に向かえば、社会運動に転じる。硬貨の表と裏、表裏一体というべきであるが、その間の壁の厚さ、表と裏の隔たりの違いがある。また外に向ける厚さか、内に向ける厚さという違いもある。しかし、社会運動を持続させるためには、コミュニティによる裏打ちは欠かせない。

運動がしばしば前衛という言葉を伴うこともあるように、前章で述べたが、少数の、あるいは一人の熱心なカリスマ的なりーダーに率いられて、関心の薄い人たちも動員されることがあるのに対して、コミュニティは、そのなかにいるすべての人たちが、関心の濃淡はあるが、とりあえず当事者になる。それを何かの便宜のために使うことはある。しかし、そのなかの仕組みが運動のためにいわば一本調子になってしまえば、その意図を厭う人たちをむしろ多くすることで、その内部に分裂を招来することになる。

運動体として捉えるとすれば、少しでも関心のある人をそのなかに囲い込む包括的なところがなければならない。動員力を増せば、前衛的な運動よりもさらに強力になる。本義の議論とは重ならないところもあるが、利害関係者による政策コミュニティや、近年の携帯電話に集う人たちの電子コミュニティも無視できなくなった。市民参加はコミュニティ論による補強が欠かせない。

では、コミュニティとは何か。それ自体の存続を中核的な目的とした集まりである。そこにいること自体が重要で、固有の非道具的価値の実現を目指しているといってよい。また人為的というよりも、すでにある集まりという含意がある。地域社会にその用語を当てるのは、その含みがあるからである。

それ以外にもいくっもの含みがあり、多義的な概念である。それを真正面から定義しようとすれば、それだけで一冊の書籍ができるほどである。定義に関する立ち入った詳細な議論はここではしない。最低限以下の3点を満たすものとする。

 ① 何か価値のあるものを共有している。なお、共有されている価値の重大さをも含めるべきである。

 ② 共有している人たちを、それ以外の人たちから区分できる境界がある。中にいる人たちにはメンバーシップ(成員性)が付与される。

 ③ 境界の中では、比較的濃密な相互作用がある。信頼を介したコミュニケーションが成り立っているということである。

以上の要件を満たすとしても、価値共有の程度、境界の明瞭さ、さらに相互作用の濃密さなどでさまざまのコミュニティが出来上がる。規模もさまざまである。激しいナショナリズムに突き動かされた国家から極小のセルフヘルプ集団まで、その広がりを一つのコミュニティーモデルで論じることはできない。とりあえずは従来の社会学が、地域のなかで成り立ってきた集団、地域社会をその議論の基軸に据えたことから、それを手掛かりに市民運動のための議論につなげることにする。

なお追加的であるが、金子(2011)は、ヒラリー(1955)の文献を援用しながら、コミュニティとは、一定の地理的範域、社会的相互作用、共通の絆の3つによって定義されるとして、大衆社会に対して、同一化と疎外、道徳的統合と道徳的崩壊、包摂と開放、全体性と分節性に対比させることができるとしている。
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生産の民主的コントロールによる持続可能な社会の実現

『現代地球環境論』より 地球環境危機を克服しうる持続可能な社会

地球環境を保全するには、省エネやエネルギー効率改善を推進すると同時に、C02を排出しないエネルギー源利用の拡大が不可欠である。これらを実行して行くうえで市民は重要な役割を演じる。

市民は、環境保全的な消費者「グリーン・コンシューマー」として省エネやエネルギー効率改善などの環境保全に配慮する行動をとることで、社会におけるエネルギー生産のあり方に大きな影響を与えることができる。節電・節ガス・節水などによる省エネを実行するとともに、エネルギー効率の高い家電製品や自動車、国内産の農産物などを選択購入することもエネルギーとC02の削減につながる。交通手段として、自転車や公共交通機関を優先的に利用することもそうである。

さらに、持続可能なエネルギー生産への転換が不可欠であり、再生可能エネルギー普及を促進させねばならないが、その際、市民は生産者として主役を演じることになる。すでに述べたように、再生可能エネルギー資源は地域資源であり、それを活用するエネルギー生産は小規模分散型であるため、市民などの地域主体が参加し取り組むのに適している。しかも環境保全に有効なエネルギ-であるため、市民のなかには積極的に取り組みたいと考える人も多い。また、市民が再生可能エネルギー発電の普及主体となることで普及が促進され、社会に好影響をもたらす。市民は単なる消費者ではなく、再生可能エネルギー中心の社会では、環境保全的な生産者「グリーン・プロデューサー」になれるのである。

このことは、エネルギー生産における生産関係の根本的転換を意味する。企業中心のエネルギー生産から市民主導のエネルギー生産への転換である。こうして、市民の意向が反映される生産、言うなればエネルギー生産の民主的コントロールが強まることになる。市民は、コストや最大利潤獲得を優先するという基準ではなく、環境保全性や安全性などを重視して生産手段を選択するので、再生可能エネルギー中心の社会を目指すことになる。

これまでも、世界各国で市民による再生可能エネルギー普及が進められてきた。日本でも、多くの市民が経済的利益を期待できない条件下でも数十万戸もの住宅に太陽光発電を設置し、全国に200以上の市民共同発電所が3万人以上の人々の参加によってつくられてきた。これまでに5回の「市民共同発電所全国フォーラム」が開催され、全国からの創意工夫を凝らした取り組みの実践を学びあい、日本のエネルギー政策の転換を求めてきた。市民や自治体が廃食油を回収してバイオディーゼル燃料を製造・利用する菜の花プロジェクトなども全国に広がり、毎年「菜の花サミット」が開催されてきた。さらに、「自然エネルギー市民の会」など、多数の再生可能エネルギー普及を目指すNPOが活動を展開している。一方で、全国の多くの原発立地予定地域では、住民たちの反対運動で原発建設を撤回させてきた。これらの事実は、市民が環境保全性や安全性を可能にする持続可能なエネルギー社会をめざしていることを証明している。

適切な再生可能エネルギー普及制度を実現すれば、日本を含め世界各国で、市民参加による飛躍的な普及が可能となり、環境保全的で安全なエネルギー社会を生み出せるはずである。

物的生産が一方通行型から資源循環型へと移行していくわけであるが、その際、拡大生産者責任制の導入の重要性について述べた。しかし、生産者としての企業だけでなく、環境保全に配慮する消費者「グリーン・コンシューマー」としての市民も、物的生産分野での生産活動、産業活動を環境保全的な方向に転換させて行く重要な役割を演じることになる。

従来の生産で実施されてきた資源採取・生産・消費・廃棄の一方通行型生産から廃棄という過程はなくなり、自然から社会に取り込んだ資源はくり返し利用される循環型生産へ移行すると、市民が関与してきた消費過程は使用過程に変化し、その後の再資源化、そして再び生産過程へと戻る資源循環型生産に変化するのである。一方通行型生産は、企業の利潤獲得には好都合な方式で、生産過程と消費過程は意識的に分断され、市民が購入した家電製品などは、部品が壊れても製品ごと廃棄され、買い換えるのが当たり前であった。ところが、循環型生産では市民が関わる使用過程は生産と再資源化を結びつける結節点となる。その結果、生産への市民の関与度が高まり、物的生産においても市民的コントロールが働きやすくなる。市民による使用済み製品の回収や分別の協力なしには、循環型生産は機能しない。また、市民の環境保全に基づく購買行動が、企業の製品生産のあり方に大きな影響を与える。
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2030年が見えた

未唯へ

 やはり、眩暈です。昨日、何となくふらつくので、早めに寝ました。1時にトイレに行ったら、回っています。前の時に、薬を飲んでいないのが原因なのでしょうか。めまいは収まったと思います。朝の3時の段階で回っていた。昨夜は8時半過ぎから寝ていました。

 布団乾燥機だけが頼りです。部屋の暖房器具はありません。電気ヒーターが去年はあったが、火事を起こしたので、今年は使いません。

 8日間はフリーでゆったりと、考えましょう。

2030年が見えた

 今年の最大の成果は、2030年が見えてきたことです。その中には、日本と日本人の弱さ、組織の弱さも見えてきました。それに対するヒントも見えてきた。それに対して、どう持っていくか。プレゼンするにしても、そういうものを考慮して行うのか、まぜ、市民を直接変えていくか、というところからです。

 組織の弱さを強さにするにはbどうしたらいいのか、その意味では販売店の店舗の活性化がポイントになります。それがないと組織は逆作用になります。それがメーカーの役割です。それで市民とつながって、一緒に政治形態まで変えていきます。

 それにしても、今、日本の強さと思われているモノが完全に弱さになっている。方向が掴めない。政治も経済も変えられない。そうしている間に、政治そのものが変わり、国というモノが変わってきた。それをいち早く変えるところが主導権を持ちます。といっても、ハイヒエラルキーではない。

話せる相手がいない

 本当に話せる相手がいないことが分かりました。県にも大学にもいません。2030年の愛知と言いながら、チューターと講師には、そのイメージを持っていない。答を持たずして、争うのではなく、非難するだけです。そんなことは考えたという言い方をします。

 だから、市民に訴えていくしかない。そのための理論化とプレゼンを行います。それが本来の未唯への手紙の意味です。

パートナーの進化のために

 パートナーに言いたいのは、自分の中の組織への幻想と制約を破ることです。目的が何かをハッキリさせて、それに直に当たっていくということです。全部をやらなくてもいいです。

 物事をシンプルにして、責任者を決めていきます。その人間がやらなければ、それまでのことです。組織の限界です。組織を変える方に向かうしかない。

 パートナーは3番目の絶対的存在です。本人は気づいていないけど、私が得たものは多いです。

市民コミュニティのツール

 市民コミュニティのツールとして、iPad2を位置付けましょう。とりあえずは、奥さんとその仲間たちに広げます。その時に、iCloudが社会ライブラリになるかもしれません。

 OnetoOneというメーカーから一方的なものを考えずに、店舗で奥さん向けのiPad2講座を考えた方がいいです。市民側からの動きを作り出すことです

 iPad2を店舗で使える環境はあります。使い方を教えながら、メーカーのコンテンツに誘導させればいい。OnetoOneの展開をiPad2を売ることも含めてやらないとダメです。これはコミュニティに繋がります。スマホでは個人レベルだから、ダメです。

早く、帰りたかったけど

 結局、ディスクコピーで30分以上掛って、時間切れです。めまいがなかなか治らないです。前を向いていないと気分が悪い。

 都市間高速バス停で待っていると、次から次へとキャリアが来ます。やかましいです。不快な音です。バスの運転手のやかましいこと。寝ることができない。それに同じことをくどくいっています。運転していればいい、言っていることが、運転手としての言い訳です。ことが起きた時に、私は言いましたということが言いたいのでしょう。

 奥さんから家族4人で外食しているというメールが入りました。私が豊田市に着くころには、家に還っているということ。要するに、私抜きだと言うことです。

 フィンランドではないけど、フィンランド人の食べたいものはトナカイのステーキではなく、ラーメンです。ということで、行列のできる?つけメン屋のラーメンにしました。

 ラーメン屋のカウンターの紙の文字が小さくて、読めない。食べ物は感動をなくなります。あのラーメンもそうたいしたモノでなくなりました。
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自由な論議とルール遵守の両立は、大変難しい

『クラウド「超」仕事法』より クラウドは民主主義と両立するか

ところで、私は、インターネットに簡単に公共圏が構築できるとは考えていない。なぜなら、「自由な市場」とか「競争社会」とは、「何をやっても自由な社会」ではないからだ。市場経済は、強いルールの下でしか機能しない。同じことが、言論についても。‥える。

私は、「ウェブ上の自由な意見の交換」に幻想的な期待を抱いているわけではない。むしろ逆に、インターネットにルールを確立するのはきわめて困難だと考えている。とりわけ問題なのは、匿名での発言が可能であるため、無責任な批判や誹誇や罵倒が横行しやすいことだ。だから、インターネットにそもそも公共圏を形成しうるかさえ、定かではない。

例をあげよう。東日本大震災の直後、私は、「ダイヤモンド・オンライン」の連載で≒電力不足に対処するために電気料金に課税するべきだ」との主張を行なった。そして、それに対する意見を、私のホームページに寄せてほしいと書いた。多数の意見をいただき、その中には、非常に有益なものがあった。

しかし、心ない反応もあった。例えば、「経済学者は、カネ勘定のことしか頭にないのか」との非難もあった。「業界の事情を知らないので、笑ってしまった」というのもあった。これは、意見や批判というより、「口汚い罵り」としか言いようのないものだ。こうした反応に接すると、本当に「こたえる」。そして、仕事に対する意欲を失う。強い反論は、特定の業界の既得権を批判した場合に来る。どの業界を批判した場合にどのような反論が来るかは、はっきりした傾向がある。口汚い罵りを受けて、数日間仕事が手につかなくなることさえある。「難難汝を玉にす」「人間は鍛えられて強くなる」というが、実際には難しいものだ。

私は、「批判を受けたくない」と言っているのではない。しかし、論争には一定のルールが必要だ。ルール違反は出版物にもあるが、完全でないとはいえ、編集者のチェックがかかる。それに対して、ウェブでは、最低限のチェックすらないのだ。

「市場経済は、相互信頼がないと成立しない」と述べた。では、信頼の基礎は何であろうか? もちろん、人間の本性が善を求めるものであることだが、それだけではない。他からの信頼や社会的評価を落とせば、大きな損失を被るという状況が必要である。

逆に言えば、「失うべき何物も持だない」人々は、信頼を裏切る可能性がある。なぜなら、それによって利益を得る半面で、失うものは何もないからである。相互信頼とは、「失うべき多くのものを持つ人々の集まり」でこそ形成されるのだ。問題は、インターネット空間が、そうした条件を満たすコミュニティなのかどうかである。
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発電の方式を市民が選ぶ

『エネルギーを選ぶ時代は来るのか』より 「エネルギー自立」への試み スウェーデンの選択 半世紀にわたる試行錯誤

「これからのエネルギーをどうするのか」を、日本各地の新たな取り組み、そしてスペインの政策に見てきた私たちが最後に見つめたのが、北欧スウェーデンだ。この国では、エネルギーのあり方を国が決めるのではなく、市民の判断に委ねているという。

「私はA社が売る風力発電による電気を使いたい」

「私はB社が扱っている水力の電気を買いたい」

電力会社が決めた発電方式(電源)による電気を使い、決められた料金を支払うことに慣らされている私だちからすると実現できるとは思えない話だが、市民一人ひとりが様々なメニューのなかから発電方式を直接選ぶという仕組みを、スウェーデンでは、どのように可能にしているのだろうか。

取材を始める前に私たちが感じていた疑問は、次のようなものだ。

 ・電気には色や形があるわけでもないのに個別の電力を選ぶとはどういうことなのか。

 ・電気は安定供給が大切というが一人ひとりが勝手に選んで大丈夫なのか。

疑問を胸に取材を進める過程で私たちは、日本のエネルギーのあり方を考えるうえでのヒントや新たな可能性に出会うことになった。

疑問の答えを求めて私たちがまず訪ねたのは、スウェーデンの首都ストックホルム郊外に暮らすヨ(ン・ヴィークストロームさんとエバさん夫妻のお宅だ。コンピューター会社のエンジニアの職を退き、いまは夫婦二人の年金暮らしだが、週末には近所に暮らす六人の子どもと十三人の孫が訪ねてきて、テレビを見たり、パソコンを楽しんだりと、思い思いの時間を過ごしていく。

その様子を見つめながらヨ(ンさんは、電気の発電方式を原子力発電ペースの電力から風力一○○パーセントのメニューに変えた理由をこう語った。

「孫たちに残せるものは何だろうかと考えました。未来の社会が、どのようになるかはわかりませんが、環境に優しい方法で電気を得られる、そんな社会を残したいと考えたのです」

冬の寒さが厳しいスウェーデンだが、ヅィークストロームさんの家の暖房は電気ヒーターとエアコンで、調理にもガスではなく電気を使っている。風力に変えたことでトータルコストは二割程度上がって月額およそ一五〇〇クローネ(日本円でおよそ二万円)になったが、それでもその選択に満足しているという。

「満足できるのは、自分が使っている電力が風力で発電されていると実感できるからです。私たちのこの選択が、社会の変化につながればと願って風力を選びました。これが私にできる社会への貢献だと思っています」

電気の発電方式を自由に選べるスウェーデン。その仕組みはどのようなものなのか。

発電会社と送電会社が分離されているのはスペインと同じだが、独特なのは各家庭に電気を売る「小売り業者」が、消費者向けに様々な独自の料金プランやサービスメニューを展開していることだ。

小売り業者が提示する料金プランの内容を見て、消費者は自分の家で使う発電方式を選ぶ。小売り業者には、それぞれのサービスメニューに使われる発電方式を明らかにする義務がある。

例えばプランAは、水力九〇パーセントに風力一○パーセントを組み合わせたもの。プランBは風力一○○パーセント。あるいはプランCだと原子力一○○パーセントといった具合だ。これが、消費者に発電方式の選択を促すことにつながっている。

電気の小売り業者を選ぶことができる国は世界に数多くあるが、こうした発電方式の明示義務によって消費者が「発電方式」そのものを選択する仕組みを整えているのが、スウェーデンの特徴である。これによって、消費者が選んだ発電方式に消費者が支払う対価が流れ、さらにその発電方式が増えていく。消費者の選択が国のエネルギーのあり方を決めていく、これがスウェーデンの仕組みである。
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『周縁=地域』から新しい変化が始まる

『エネルギー進化論』より 地域から始まった革命

アメリカにおける自然エネルギーの歴史をたどっていくと、カリフォルニアに行き着きます。第2章で述べた世界的な風力発電市場のきっかけもカリフォルニアでしたし、1993年に、サクラメント電力公社(SMUD)がソーフーパイオニアという住民参加型の太陽光発電に取り組んだことが、太陽光発電が普及するきっかけとなったからです。また、カリフォルニアと並んで世界の風力発電市場の「源流」となったデンマークで、もう少し丹念に歴史をたどっていくと、ニーソルベリという小さな町に行き着きます。この町で始まった風力発電協同組合の取り組みが、デンマークで風力発電や自然エネルギーが拡大する源流となったからです。

両国に共通しているのは、自然エネルギーの始点が、中央から離れた「ローカル」にあるということです。はじめは一筋の流れにすぎなかった自然エネルギーという小さな川が、やがて川幅をひろげ水量を増やし、大きな奔流となっていくー。その大河の源流部は、〈中心〉ではなく必ず〈周縁〉にあるのです。

これはたんなる偶然でぱありません。国家レベルの大きな組織においては、新しい制度や枠組みが適切に設定されると、巨大な市場をつくり出すことが可能です。制度の在り方が社会や経済のかたちを決めます。ところが、国家レベルで新しい制度や枠組みを導入することは、容易ではありません。どのような分野であっても既存の体制(いわば「既得権益」)があり、新しい制度や枠組みによって影響を受けざるをえない場合には、こうした既得権益が必ず大きな政治的な影響力を行使します。それだけでなく、権力の中枢である国家レベルには、多様なステークホルダーがさまざまな意見や利害関係を持ちながら、議論に参加してきます。その結果、うまくいった場合でも当初の狙いとは大きく外れた新しい制度や枠組みに変わってゆき、多くの場合は途中で頓挫します。しかも、その手続きは、壮大なる国家システム・官僚主義によって、過剰なまでに緻密な作業を必要とし、合意・決定に膨大な時間と手続きが必要とされます。

それに比べると、地域レペルだと、参加するステークホルダーの利害関係や合意形成のプロセスが、相対的にシンプルです。地域住民が政策決定のプロセスに参加しやすいこと、問題の現場が身近にあること、あるいは、首長のトップダウンで物事が一気に決められることなどが要因となって、地域という単位では、さまざまな新しい試みにチャレンジしやすい条件がそろっているのです。

そのシンプルさと「ゆるさ」こそが、変化が周縁、すなわち地域から始まる大きな理由です。

1992年にブラジルのリオーデ・ジャネイロで開かれた「地球サミット」で、「21世紀に向けた人類の行動計画」と題されたテキストが採択されています。環境問題に対して、さまざまな主体が協力して社会的な障害を克服していくという、新たな社会的アプローチを要請しているこの計画は「アジェンダ21」と呼ばれています。そのなかでもっとも重視されているのが、地方政府の役割です。

「アジェンダ21」で地方政府に期待される役回りとは何なのか、その内実はつぎのように語られています。アジェンダ21で提起されている諸問題および解決策の多くは、地域的な活動に根ざしているものであることから、地方公共団体の参加と協力は、目的達成(持続可能な社会)のための決定的な要素となる。地方公共団体は、経済的、社会的、環境保全的な基盤を建設し、運営し、維持管理するとともに、企画立案過程を監督し、地域の環境政策、規制を制定し、中央政府およびそれに準じるものの環境政策の実施を支援する。地方政府は、その管理のレベルが市民にもっとも直結したものであるため、持続可能な発展を推進するよう市民を教育し、動員し、その期待と要求に応えていくうえで重要な役割を演じている(国連「アジェンダ21第28章第1節」)。

「アジェンダ21」は、日本でこそあまり知られていませんが、スウェーデンでは広く浸透しています。スウェーデンでは日本の自治体にあたる行政単位をコミューンと呼び、スウェーデン全土で帰一のコミューンが存在します。そのすべてのコミューンが、「アジェンダ21」に盛り込まれた、地域における取り組みに関する「ローカルーアジェンダ21」の担当スタッフと予算をもち、持続可能な社会への取り組みをすすめています。

こうした熱心な取り組みの背景には、高い自治性をもつコミューンの歴史があります。徴税権をもち、環境保全と健康維持への責任を有し、エネルギー、廃棄物、上下水道、公共交通を所管し、いくつかの法の執行機関でもあるコミューンは、スウェーデンにおける数々の先進的試みの核となっています。
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地域主権と近傍系

未唯へ

 手が寒い。会社の環境は寒すぎる。手袋を付けるとパソコンができない。

 今の奴を焦ってやっても、持って行き先がまだ、出来ていない。自分のためにやっています。自分で考えたことは何なのか。それらのロジックの構築です。

 人間のロジックは本当にいい加減です。だからいいんでしょうね。跳んでいるモノをいかに戻すかです。

地域主権と近傍系

 地域主権を述べる時に、なぜ、近傍系の考え方が出てこないのか。そうでないと、地域主権の正当性も、先の姿が見えてこない。

 独我論も一緒です。なぜ、そんなことまで言えるのか、なぜ、そんなことを言うのか。そこには独我論がないと説明できない。

 言いたいのは、地域主体、市民主体に変わっていくことは実証されているということです。数学的に、歴史的に、そして社会的に。それが説明されていないだけです。

 紆余曲折があったとしても、2030年のレベルでは、そこまで見えるようになってないと成り立たない。外国との関係もあります。

無線LANの脆弱性

 偶然はまた、色々なものを見せてくれました。日曜日に無線LANを設置することで、脆弱性が分かりました。簡単に侵入できます。

 重要なのは、ローカルで個別に考えて行うことだけではなく、全体としてどう管理するのか。その方向です。

 そこからすると、今回の新幹線事故で、私がアミバに行くのを阻止したのかの意味が分かっていません。偶然には全て意味があるはずです。東京出張を取りやめたので、5日間の雑記帳を整理することができました。

国と企業と市民の関係

 昨日のフィンランドの70分の放送です。あまりにもタイミングがいい内容でした。ノキア市との関係も出ていました。国と企業と市民との関係です。その中で、どう考えるのかは民族性です。

 市民主体という言葉が、色々な本で目につきます。その部分をプロットしていきます。偶然を生かす道です。

8日間の過ごし方

 パートナーの居ない、八日間の過ごし方を決めましょう。

 今日は会話せずに過ごしましょう。新年会も忘年会もなしで。まあ、絶対的存在とした以上はしょうがない。
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無線LANの脆弱性

雪で出張延期

 今日は雪です。名古屋高速が封鎖されているだろうから、高速バスは動かないでしょう。歩いて、豊田市まで行って、豊田線で名古屋に向かいます。

 雪道を歩いてきた。1週間前に、ロバニエミの街と図書館の間を三往復した。その時には、何回も滑ったけど、転びはしなかった。こちらはジュルジュルです。

 午後1時からの東京での打ち合わせのために、10時過ぎに名古屋駅新幹線口に到着。改札前に、多くの人がいました。

 雪で倒木して、停電になり、新幹線の上りは9時過ぎから動いていません。ネットワーク管理部署のGMの判断で、検討会は延期になりました。

部品表の構成

 部品表の構成を真似にすると、1.1は組立番号で、1.1.1を引当コードにします。だから、真ん中は1.1.1です。何となく、部品表ぽくなってきました。

 あれが真ん中であることどう証明するか。これが正月休みのメインテーマです。

 部品表は20代・30代の10年間を過ごした。自由自在にデータベースを使いこなした。モノに対する思考の中心です。だから、適用するのは当たり前でしょう。

溜まっている資料整理

 会社に戻って、溜まっている資料の整理に当てています。ICレコーダーも5日間溜まっています。この最近は溜まりやすいですね。

 明日はHD整理で、明後日は紙の整理です。

無線LANの脆弱性

 iPad2の無線LANを購入し、設定方法を知れば知るほど、販売店店舗の無線LANの管理を販売店任せにしておくのはまずいと感じています。

 新しい機種だと、簡単にWi-Fiに接続できます。パスワードさえ判定できれば、簡単にサーバに入ることができます。

 次期ネット設置の際に、第一ルーターを無線LAN対応を標準化させることのシナリオにしていきましょう。ローカルで煩わせるのではなく、グローバルからの支援で快適な環境を渡すことでは、サファイア循環の考えにも適用できます。

 来年のパートナーのメインテーマになる可能性がある。Sの「何も変えたくない」症候群から脱却しましょう。

 今日の出張先は、そのためのパートナーになる可能性を持っていただけに、倒木に邪魔された。この偶然をどう解釈したらいいのか。
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新刊書の貸し出し制度

図書館の世界

 岡崎図書館の休館日は28日から4日までで、豊田市図書館と同じです。新刊書を取りに行く日を決めました。

 iPad2の本の検索しました。豊田市は4冊あり、全て貸し出し中です。月3冊の依頼を切りました。岡崎は「iPad2」では検索できなかった。

 ついでに、本もフルで借りています。25冊+10冊です。これは年末までに片付けます。

 重要なのはロバニエミ前と同じ状態にしないことです。何を変えるかです。

台形の組織

 国道一号線で、台形の車が走っていた。そこで、思い出したのは日本の統帥権です。大きなピラミッドができていた。途中まで、多くの人間が絡んでいたが、途中から人が居なくなり、天皇しかいないカタチでした。

 天皇の統帥権という名で、勝手に動きました。だれも責任は取りません。この構造自体が見えていなかった。

未唯空間の枠

 三連休で未唯空間の大きな枠を作って中身を検討するつもりだったけど、年賀状つくりなどで時間を取られてしまった。枠だけをどうにか間に合わせた。

iPad2の設定

 iPADと無線LANの設定は月曜日以降です。

岡崎図書館から10冊

 岡崎図書館では、割と新しくて、ボリュームのある本を10冊借りました。3週間ぶりだから、12月発行が主です。
 675.4『流通政策入門』流通システムの再編と政策展開
 590.4『そなえることは、へらすこと』
 116.3『分析哲学入門』
 010.5『ず・ぼん 17』図書館とメディアの本
 141.6『新版 人を傷つける心』攻撃性の社会心理学
 188.8『道元禅師全集 正法眼蔵8』
 597『魅惑の東欧・ポーランドインテリア&雑貨めぐり』
 672.5『欲望を生み出す社会』アメリカ大量消費社会の成立史
 894.6『iPhone4Sスーパーマニュアル』全機能 全操作絶対攻略 驚愕の最新機能を満載した
 317.9『「防災大国」キューバに世界が注目するわけ』風速300キロのハリケーンでも死者が出ない国

新刊書の貸し出し制度

 豊田市図書館に寄って、新刊書コーナーへ行ったら、ほとんど本がなかった。やはり、金曜日の争いに参画しないとダメなのかもしれない。だけど、皆は本当に読んでいるのか。

 貸し出し制度は個人対図書館になっている。地域コミュニティの組織化の対象かもしれない。

 「ブレア回顧録」は本屋で立ち読みすることにした。図書館に依頼したいけど、かなり先になりそうです。これも貸し出し制度の不具合です。電子図書館ならどうなるのでしょう。

地域コミュニティ

 キューバはアメリカという敵がいたから、地域コミュニティを作り、総力で長年やってきた。それでエネルギーの分散化もできた。

 市民参画の的確な本がありました。318『市民参加の行動学』かなり、私の社会コミュニティと近いです。違うのは、最終目標が新しい民主主義、政治形態を変えるところまでいっていないということです。

 それを目標としない限り、社会コミュニティは完成しないでしょう。つまり、いつまでも、行政に使われるということです。結局は、全てのものをなくすことになる。

 それと、企業などとの関係では、エネルギーの受け口を作って、ペアとして、取引をすることです。
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