goo

新時代の県立図書館

『これからの図書館・増補版』より 「県立図書館のこれから」

新時代の県立図書館

 次に、これからの時代の県立図書館が県域で果たす役割を考えてみたいと思います。

 日本のなかで分権化が進んで、知恵の創出を県が競い合う時代が到来しました。この競い合いが日本国内を活性化し、世界のなかでの日本の位置を確定します。シャウプ勧告のフレーズではありませんが、まさに「わが国の将来における進歩と福祉とは、いかなる要素にもかかわらず地方政府の行政の量と質にかかっている」と言えるのです。

 地方政府である県の図書館の県立図書館が資料を蓄積し、また各種の図書館を結び付けて県民に提供できるかどうかによって、県域での知識の蓄積のあり方が決まってくると言わなければなりません。

 県立図書館は、県教育委員会の図書館政策に基づいて、県域ネットワークの中核となります(第3図)。また市町村立図書館を結び付け、サービスや資料の流通を保障して活性化をはかるとともに、学校図書館や大学図書館、専門図書館などの中核としてもはたらき続けます。さらに県立図書館は他府県、国立国会図書館とのネ″トワークの核ともなるとともに、県内では県域図書館のバックアップの機能を果たして、読書やレファレンス、情報サービスの高度化をはかります。県域に関する資料のデジタル化を進めて、県民がいつでも県の文化にふれるようにするとともに、学校現場での活用も促進します。

 県立図書館は、県域の最終リゾートとして知的基盤となり、資料のバックアップ施設となります。さらに、県域図書館などの情報・読書施設のネットワークの中核に位置しているので、施設と人のコーディネーターにもなります。事業としてはこれに加えて、県の図書館政策の実施部隊として実務・技能研修の実施、読書の推進、レファレソスーサービスの高度化のための施策(レファレソスーデータベースの作成、質問事例集のデータベースの作成、インターネット情報源の評価とリソク集の作成など)、児童サービスの研究開発などをおこないます。

 研修では、演習形式の実際的な研修が求められています。レファレンスとは何かという講義も必要ですか、実際に問題をやって講評を受け、レファレンスーブ″クの情報の検索方法やオソラインデータペースの検索方法なども体験して、活用できるようにすべきでしょ

いくつかの問題について

 [問い]県立図書館と市町村立図書館のネットワークはわかりますが、学校図書館、大学図書館、専門図書館は、従来の図書館界では館種が違うということで並立したものとして考えてきました。第1図のように、県立図書館がそれらを包み込んで最終リゾートとして位置づけられる理由はあるのでしょうか。

 ご質問のように大学図書館などは館種が違い、図書館界では並立したものとして扱っています。

 しかし、コレクションの内容からみると、蔵書数は一般に県立図書館が多く所蔵していて、また県立図書館はどの図書館よりも幅広い分野の資料をもっています。例えば、東京都の研究所図書館と都立図書館との関係をみると、専門領域といった狭い範囲では、研究所図書館のほうか多くの資料をもっていて、特に専門書や雑誌などはたくさんもっています。しかし、実際に研究所の研究者が都民に関連する専門領域の研究をしようとする場合、都立図書館に資料を探しにきて借りていきます。これは都立図書館か幅広く資料を収集していることを示しています。専門図書館の専門資料群は、都立図書館の資料の海に置かれていっそう生きるものになるのです。これは大学図書館にも学校図書館にも言えることで、大学図書館の総合目録であるNACSIC-Webcatと県立図書館のOPACとを比較すると、そのことがよくわかります。大学図書館は学科構成にもよりますが、専門書に傾斜して、なおかつ逐次刊行物の購入にお金かかるので、図書は個々の領域で孤立していて、広くつながって所蔵されていません。広くつながって所蔵しているのは都道府県立図書館のほうです。

 したがって、県立図書館か県域の最終リゾートとして位置づけられ、第1図のようなイメージになるのです。

 また、県立図書館はネットワークの中心に位置づけられますが、その場合、市町村立図書館が地域ごとにブロ″クを形成して相互に協力し一定期間の保存のための資料庫を設けて活用するのもいいでしょう。それを県立図書館かバックアップするというネットワークのあり方を検討し、それに大学図書館を組み込むことも考えていいと思います。

 今後、県域の活性化は県立図書館を中心とした図書館が担うことになり、そのことについて二十年、三十年というスタンスで考える必要があります。地域のなかで人材を育てるうえで、読書は本当に基本中の基本と言えるものです。地域から人を育て、そうした人々が二十年後、三十年後の県域を活性化させ、豊かにしていきます。そうした意味で、県立図書館の役割は非常に大きいと言わなければなりません。図書館だけでなく、知恵の創出ネットワークを県庁を中心に作る必要があります。地方分権下で、これからの日本では県域の競争がいっそう激しくなるでしょう。県の関係者全員がそうしたことを理解して、県域の図書館振興にますますご努力いただくようにお願いします。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「知恵の時代」への基盤を築く

『これからの図書館・増補版』より 「県立図書館のこれから」

「知恵の時代」への基盤を築く

 二十一世紀は、知識の蓄積を通して量から質への転化を実現し、知恵を生み出す時代です。

 国民の情報リテラシーや情報の収集、活用能力の形成について議論がおこなわれていますが、情報がいくらたくさんあっても、またそれらのなかから求めるものを的確に収集できるシステムが整備されていても、肝心なのは、情報が人間の頭脳のなかに取り込まれて「知識」となり、「知識」が思考に組み込まれて醗酵し、「知恵」となって生み出されるところです。

 「知識」の蓄積に必要なのは読書です。ゼロ歳児からの読書が求められていて、そのための読書環境を整えることが必要です。読書環境を整えるためには、地域のなかにできるだけたくさんの読書拠点を設け、図書を供給し続けなければなりません。

 また公立図書館と合わせて、学校図書館や大学図書館の資料も、現在の十倍近い規模で整備しなくてはなりません。この点はすでに前章で詳しく述べましたので、そちらを参照してください。ここでは、そうしたなかで県立図書館はどうあるべきか、どの位置を占めるかに絞って述べてみます。

 県立図書館を含む学校図書館、大学図書館、専門図書館、市町村立図書館は、知識の基盤施設です。県民が、誰でもいつでも本を読みたいとき、情報を入手したいときに、こうした基盤施設から本や情報か提供されます。そのなかでも県立図書館は全体のネットワークの要に位置し、また、県全体の最終保存施設や国立国会図書館の近年の報告でいう「最終リゾート」となるわけです。

 しかし、これだけでは知恵は生まれません。知識の基盤のうえに「知的創造ネ″トワーク」を作り、知識か集団的思考のなかに組み込まれて知恵を生み出すシステムを作り上げなくてはなりません。

 このイメージを示したものか第1図「県域における知識の蓄積と知恵の創出見取り図」です。

人間の成長と読書、知識の蓄積過程

 人間の成長過程での教育と読書・情報と図書館の関係をみたものか、第2図です。

 人間はゼロ歳児から読書の習慣づけをおこなう必要かあります。まず地域でその面倒をみるのが公立図書館です。公立図書館は保育園や地域文庫などと協力したり、あるいはそれらをバックアップしてサービスをおこないます。少し年長になれば幼稚園とも協力します。

 六歳からは学校図書館が責任をもちます。もちろん公立図書館も責任の一端を負います。両者が協力し、さらに地域の学童クラブ、児童館などもネ″トワークに組み込みます。十八歳を過ぎると、大学図書館が責任を負います。

 現在のところ、学校図書館も大学図書館も大変貧弱です。大学を例にとると、私か非常勤で勤務している総合大学でも、百六十人の受講生か特定分野のレポートを書いて読み、教室で討論するという環境は整えられていません。図書館の蔵書数が圧倒的に少ないのです。

 学生は本を読みません。例えば、コロンビア大学に進学した宇多田ヒカルが歌謡番組で話していましたが、 コロンビア大学では毎日、本を読み、レポートを書かされるそうです。読むべき本は大変な量にのぼります。それに比べて日本では、一科目について教科書と数冊の参考文献で終わってしまいます。先生のほうでも、図書館で無理に本を読ませるよりも、自分が書いた教科書を一冊購入させ、それで自分の思うままに教えるのがいちばん楽なのです。自分のフトコロにもお金が入りますし、これは私も同じです。

 でも、これでは学生は伸びません。文部科学省検定の教科書を使って学ぶ高校までのシステムと全く変わらないのです。大学の教務からは演習方式を一部取り入れてほしいという要望が出されていますが、実際はニクラスの人数といい読書環境といい、そうした条件は満たしていません。また、大学教育では、T几八○年代後半に、教養教育を軽視し、大学によっては教養部を解体して一年のときから専門教育をおこなうという、ある意味でのミスリードかありました。専門という狭い領域や技術は時代とともに変わるので、大学のときに学んだ知識や技術はすぐに変わってしまいます。したがって、幅広い教養を基盤として、柔軟に対応できる力を大学のはじめに培わなければなりません。

 二〇〇二年、中央教育審議会か「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」を発表しましたか、そこでは教養教育を重視する考え方が示され、専門教育の見直しが提言されています。実際には、大学四年のうち前半二年間を徹底した教養教育に、後半二年間を基礎専門教育に当て、専門教育は大学院でという流れになってきています。でも遅すぎたと言うべきでしょう。大学四年間も含めて生涯にわたる読書の基盤を作り上げ、生涯読書を続けて知識を蓄積することが求められています。大学から社会に出ると、公立図書館と専門図書館が読書・情報の基盤になります。

 このように図書館は生涯にわたる読書の基盤施設として、人間の成長と知識の蓄積を支え続けるものになるのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大腸検査で一日過ごした

ロバニエミ行きを邪魔するもの

 また、行くことで、何かを起こすでしょう。大腸がん検査もその一つです。身体のことは、自分の外だから他って置きましょう。人事異動もあるかもしれません。それだけ、行くことに意味があります。

 トルコの時ももめたのは、その日の朝です。あれで、15日間、ずっと考え事をしました。色々なトラップを仕掛けていますね。このトラップは、9.11も3,11も含めて誇大妄想ではない。私の世界です。

 どんな妨害が入るか楽しみです。乗ってからも気をつけましょう。

次期システム資料評価

 バリューのアプローチと何が違いかというのか、お客様が望むのかクルマだけではないし、クルマは望んでいない。

 自分の生活をどうして行くかだけではなく、子供の将来についても考えてはいます。多分。

コメント追加をチェック

 8.5を見ている限りはロジックは出来ています。あとは、分かるかどうか。

 とりあえず、体言止にします。分かり安いかということとその関係です。だから、この形を残します。6行を3行×2、2行×3にするか。そのためには、試作します。

 真ん中において置きましょう。番号を振った方が分かりやすいです。あとから、ロジックを見つけます。

 3は3で集めましょう。幅が大きすぎます。3を見るときと2を見るときが違いすぎます。最終的に2は消えます。

 番号を付けるなら、とりあえずです。そこからロジックがないものは消して、それでないものは付け加えます。問題は明日の午前中です、刈谷から早く帰ってきて、編集は出来るけど、プリントは出来ない。だから、プリント中心に行きます。5は今日中に作ります。明日は、午前中に枠だけ作ります。中身はそのあとです。

 三段論法が多いですね。①グローバルはこうで、②ローカルで知恵を集めて、③ローカルからグローバルをやっつける。2から3へのロジックが飛びすぎています。自分の結論に引きずり込んでいます。ソフトランディングしましょう。社会編でのローカルは地域にしておきます。

ロバニエミ準備

 日清カップヌードルが高くなっているということでした。記念病院の生協で、カップヌードルカレーが170円です。

 色々なことがロバニエミに行こうとした、10年前から始まっていた。

 寒いよねと言っても、12℃あります。ロバニエミはこれよりも25度低いです。そこから北極圏に向けて、オーロラを探しに行くみたいです。

店舗の活性化と地域の活性化

 店舗の活性化は地域の独立と一緒です。それ自身がつながっていくことの真ん中にならないとダメです。メーカーに従ったら、ろくなことはないです。というか、活性化できないです。右から左ですから。

大腸がん検査

 この人間が不便なものに対して、医学というのは変な方向です。余分なことが多すぎます。トータルでの人間の身体管理をしない限り、分からないでしょう。本当のOne-to-Oneですけど。

 大腸のクリーン化の途中です。2リットルの下剤を飲み干しました。まだ、カスがわずかにあるそうです。

 大腸検査には1時間15分掛かりました。ポリープは5つだそうです。一応、すべて除去したそうです。それを生体検査するそうです。

 お腹が張ります。かなろ、上の方まで膨らませていました。自分の内側は外側だから、いいけど。

 結果は、ロバニエミから返ってきた後の、21日です。9時半からです。会社に午後出社できるかもしれないけど、多分休みです。
 手術明細を見たら、6万5千円です。給料から引かれるというけど、そんなに手取りがあるのかな。奥さんには黙っておきましょう。

塾の合宿での書き起こし

 合宿中の夜と早朝にポメラに書き起こします。プレゼンに参画するつもりはない。私の意見を通してはまとまるわけがない。あまりにも考えているレベルが異なる。相談だけに乗ります。

 言葉を体言止で分解してみると、いかに、人がいい加減につなげているか分かります。その間の関係はほとんど無視です。私の場合は、論理の飛躍が大きい。赤ら分からないと言われています。

 言語学から入らないと、空間は出来ないかもしれない。とくに、偶然という言葉の使い方が世の中とは違います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )