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これからは、新世紀PR・宣伝の時代

『メディア化する企業はなぜ強いのか?』より メディア化戦略をより高次なレベルに--未知を売り込み、顧客と協働する

さて、ここまで統み進められてきた方のなかには、「あなたはそう言うけれど、これまでと同じ手法が有効なケースもあるだろうし、マスメディアの枠を買って広告したほうが投資効果が高いものもなかにはあるはずだ」といった疑問をおもちの方もいらっしゃるでしょう。もちろん、業種や顧客層によってはそのほうが正しいこともあるでしょう。また、旧来メディアの活用に関しては適所適材にチューニングしさえすれば、効果を導き出すことも可能だと思います。

しかし、それらに頼らないで成功をおさめることも可能ですし、実際にそうやってオンラインだけでブランディングに成功し、一定のシェアを占めている企業があることも事実です。そのような企業は声高にそれを宣伝しようとは思っていないはずですし、実際にそうです。なぜなら、ウェブ上は参入障壁が低く、競合者がいつ同じ手法でマネをしてくるのかわかったものではありません。だから防御的な側面が大きいでしょうし、そんな自己宣伝よりも、次々と変わるテクノロジーやアイデアに対して追従していくだけで忙しい、ということもあるでしょう。わたしもさまざまな企業の経営者層とお会いしますが、なかにはIT業界の方よりも勉強熱心で、非常に練られたデジタルーマーケティングを自社、あるいは社長自らと小規模な外部ブレーンのみで展開している企業も存在しています。

本書では、何から何まで教科書のように記すというスタイルを取りませんでした。なぜなら、巻頭で述べたように、自社の業態や強みによって、それらは変わるし、そのような戦略にテンプレート(雛形)は用意できません。仮に一般則のように、それを勉強して明日からすぐに実践できるようなものだとしたら、競合者もそれを採用するでしょう。本書内にも書きましたが、創造性が大切です。そして、オンライン上は「アイデア資本主義」でもあります。あなたのアイデアが千金の価値を持つかもしれません。まず、自ら考えてみましょう。

これも巻頭で述べましたが、オンラインにおける企業からの告知は「統制」ではありません。「移譲」です。そのため、それに呼応するかたちで、オンラインでのコミュニケーションを担当する組織やそのりIダーにも権限移譲が必要となってきます。逆に言えばそれができない組織はメディア化戦略を採用しても、いろいろと矛盾が生じてくると思います。また、クリエイティブやメッセージの伝達手段がこれまでと180度違ってきます。「このコンテンツを絶対おまえたちユーザーは使ってはならない、著作権侵害だよ」という時代ではありません。逆にいえば、バラまけないものはオンラインに出さないといったくらいの態度で臨む必要があるでしょう。

そして、シェアアウトであること。つまり、分配していく。この分配を生み出すような仕組みを作る必要があります。そのためには、ユーザーに自由に参加してもらい、素材を使わせて加工することも受容します。「このキャンベーン面白いでしょう、どんどん加工していってもらっていいですよ」ということで共有を促します。

そこはスポンティニアスな世界です。スポンティニアスというのは自然発生という意味です。ですから、コントロールできません。しかし、コントロールできないことを極度に恐れず、トライ&エラーから学ぶことも必要だと思います。ということで、今までの常識とはまったく正反対の新常識が求められるのが、オンライン上の価値創造です。いかに狙ったクラスターが自社のメディアやそのコンテンツを発見し、自分たちの友人に推薦してくれるのか。そこから誕生したコミュニティをモデレート(調停)し、支援してあげます。そして、それらすべてが持続するような循環型の仕組みを作ることを目指したいものです。

参考までにソーシャル上でフォーラムを作るときの黄金則を挙げたいと思います。初出は、英国のイー・コンサルタンシーというサイトが掲げていた記事です。

 (I)ルールを決める
 (2)カテゴリーごとに場所を決める
 (3)検閲しない
 (4)売り込みの場にしない
 (5)嘘をつかない
 (6)適切なモデレートを行う
 (7)常に平静
 (8)データを守る
 (9)フォ上フムがあることをプロモートする
 (10)目的を忘れない
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スペイン政治の今後

『北欧・南欧・ベネルクス』より スペイン--自治州国家と重層的アイデンティティ

以上、歴史的背景と関連づけながら、政権交代後のスベイン政治を、内政、外交両面から考察してきた。すでに見たように、国家(集権)か地方(分権)か、伝統主義・大西洋主義(保守)かヨーロッパ主義(革新)かという古くからの論争軸は、依然としてこの国を彩る特色となっている。けれども、こうした対立軸が不鮮明なものになってきていることもまた、事実である。

一方では、いかに地方主義の伝統を有する自治州であっても、独立の可能性を視野に入れた試みが住民の支持を得られないことは、バスク・イバレチエ案に6割の住民が反対を表明したことからも明らかである。むしろ、カタルニャにしてもバスクにしても、権限委譲を引き出しながら、できる限り連邦制に近い形で自治州国家体制にとどまり、政治・経済両面でEUとの直接的なつながりを強化しようとする方向性が主流になりつつある。サパテロ政権もこの方向性に理解を示しており、こうした流れの中で, 2005年11月になされたEU地域委員会とスペイン代表部大使との合意を皮切りに、EUの諸機関においてカタルニャ語、バスク語、ガリシア語の使用が認められるようになった。

他方、いかに伝統主義・大西洋主義に立つ保守派であっても、これまでのところ、EC・EUそのものに対する異議申し立ては行っていない。国益を擁護する目的で欧州憲法条約に難色を示したアスナル政権も、決して反EUではなかった。逆に、政治的、経済的な構造改革を進め、国際社会におけるスペインの地位向上を果たすための牽引力として、積極的にヨーロッパ統合-とりわけ経済収斂条件-を引き合いに出した。スペインの伝統を崩壊させる可能性も内包するヨーロッパの圧力は、必ずしも敵対すべきものではなく、むしろ自国の発展に寄与するものという認識が共有されつつある。

このように、自治州、スベイン、ヨーロッパという伝統的な3つのアイデンティティは、排他的なものではなく、複合的なものになってきている。加えて、国際化するテロリズムに対する抗議表明や世界的な景気悪化への対応などを通じて、政府だけでなく国民からも、これまでになく国際社会の一員という意識が表出されてきてもいる。すなわち、今日のスペイン社会では、地方、国家、地域、国際社会という重層的アイデンティティが形成されつつあるのである。ここに、スペイン政治の今後の方向性が表れている。政権交代によって再び政策が転換することはあろうが、この方向性が大きく変化することはないと思われる。
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ソ連邦崩壊とフィンランド政治の転換

『北欧・南欧・ベネルクス』より フィンランド--歴史から見たフィンランド政治と対ロシア政策のゆくえ

ソ連邦崩壊は、フィンランドの対ソ政策を大きく変更させただけではなく、フィンランド政治体制を大きく変更させた分岐点となった。

1991年4月に行われた総選挙では中央党が第一党に返り咲き、中央党党首のエスコ・アホを首班とする保守中道内閣が成立したが、社会民主党は入閣せずに野党に回った。アホの率いる内閣が直面したのは、ソ連邦崩壊とフィンランドの経済危機という新事態であった。

第二次世界大戦以降、フィンランドは諸外国との協定を締結する際に常にソ連との関係を考慮しており、ECとの関係もソ連の意向を配慮して距離を置いてきた。その際に、フィンランドはある特定の超国家的組織に属することは自国の中立主義に沿うものではないという理由を挙げてきた。しかし、「冷戦」が終わり、1991年にソ連邦が解体すると、フィンランド政府はただちに1948年の友好条約を破棄し、翌年の1992年1月に軍事的条項を盛り込まない条約を新たにロシアと調印した。1990年初頭から経済不況に陥っていたフィンランド経済はソ連邦崩壊によってさらに深刻な事態となった。ソ連への輸出に頼ってきた貿易は壊滅的な打撃を受け、失業率が20%に達し, 1992年には通貨の大幅切り下げを強いられるなど、フィンランド経済は戦後最悪の不況に見舞われた。多くの銀行や企業が倒産し、資金の大部分を不動産に投資していた共産党が破産宣告に直面する事態にもなった。

このような状況によって、フィンランドは自国の安全保障政策および対外貿易の見直しを迫られることになり、EC加盟への道を選択し, 1992年にマウノ・コイヴィスト大統領がEC加盟の意向を公的に表明した。フィンランドは、NATO協力委員会のオブザーバー、さらにWEUのオブザーバーとなり、諸外国との連携に新たな安全保障を求める動きを見せた。EU加盟への動きは, 1994年3月に外務次官であったマルッティ・アハティサーりが大統領に選出された後も推進され、国内の農業保護の見地から反対の声が挙がったものの、10月に実施されたEU加盟についての国民投票は、賛成票が反対票を上回った。同年11月には議会が最終的にEU加盟を承認し, 1995年1月1日にフィンランドはEU加盟を果たした。EU加盟以降、ソ連邦崩壊以前の態度とは一変し、フィンランドは北欧諸国の中でEMU (欧州通貨同盟)に参加する意思をいち早く表明し、1999年にユーロ導入に踏み切った。

EUに加盟した1995年の3月の総選挙では、社会民主党が第一党に返り咲き、党首パーヴォ・リッポネンが首相となり、諸政党が勢ぞろいしたことによって「虹の連合」と呼ばれた社会民主党、国民連合、スウェーデン語使用人民党、左翼同盟、緑の同盟の5党連立内閣が誕生した。EU加盟をめぐって党内が分裂状態に陥った中央党は国民の支持を十分に得られず野に下った。政党のイデオロギーを乗り越えてほとんどの政党が連立内閣を結成したのは、戦後初めてのことである。戦後外交の基調であった中立主義政策の見直し問題および深刻な経済不況が党派を超えた団結を引き起こしたのであるが、この驚くべき連立内閣は結果的に成功を収めた。リッポネン首相は、EUにおける経済・通貨統合への積極的姿勢を示すとともに、自国の安全保障に関してもEUに期待を寄せた。「虹の連合」内閣による経済政策によって、フィンランドの経済は徐々に回復していった。また、ノキアに代表されるIT産業に従事する人口が農業および林業人口を圧倒したことは、国の産業構造の変化が急速に進んだことを示した。

一方で、アハティサーリ大統領はNATOに加盟する考えがないことをしばしば口にし、フィンランドはNATOに非加盟の立場を強調した。 しかし, NATOとは個別に「平和のためのパートナーシップ(PfP)」に参加し、この枠内でNATOと協力体制をとることを決定し、安全保障面での軌道修正を進めた。WEUに対しては正式加盟をめざさないと言明した。フィンランドのNATO非加盟の立場は、NATOの勢力拡大を懸念するロシアを刺激させない方策であり、ソ連邦崩壊後もロシアとの関係を重視するフィンランドの姿勢が表れている。

このようなフィンランドの姿勢は, 1999年後半にEU議長国となったときに採用された「ノーザン・ダイメンション(EUND)」構想にも表れている。この構想は, 1990年代初頭の環境問題解決に端を発し、北欧諸国、バルト3国やロシアなどバルト海に隣接している国々とロシア間で発足された環バルト海協力、バレンツ地域協力を土台として、EUの枠内での地域協力を目標とした構想である。フィンランドは、ロシアとEUとの架け橋としての役割を果たすことがロシアをヨーロッパから孤立させないことにつながり、ひいては自国の安全保障にもつながるとの考えから, EUNDを通してEUの親露政策を積極的に推進した。
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OCRからデジタルライブラリ

未唯へ

 この3日間のツキはよくないけど、確実に小銭だけは入っています。

 元町アピタで持ちにくいモノを4点買ったけど、袋をよこさない。この恨みは絶対にはらします。

社会ライブラリへのアプローチ

 プッシュ型のライブラリが期待できます。当然、プル型のライブラリ、情報共有はそこから作っていきます。

 関係者はどこに居るのか、何を考えているかの状況もわかります。これはコミュニティの要素です。相手の状況を掴んで、お互いに利用し合いことです。

スタバのリニューアル

 元町のスタバが模様替えです。三つのパーティションに分けてあります。勉強机も入りました。ちなみに、元旦を含めて、8:00~24:00です。なんとなく、都会型をイメージしている。場所は本当に田舎なのに。

 福袋は諦めます。去年の状況からすると、7:00から待って、どうにか確保です。福袋一つのために、そんな恰好悪いことはできない。

 折角、2杯目で100円だったのに、そのレシートを家に置いてきてしまった。そのかわりに、エキストラホット・トールラテが飲めました。カードのチャージをしないといけない。

OCRで時間つぶし

 これを四日までにまとめましょう。二日間はOCRで時間を潰していた。そうしないと、新しいブログの反映ができません。1ヶ月分が溜まっています。まあ、入れておくかですね。反映は4日に集中的に行いましょう。

 結局、12冊分を入れました。27日から年末までにばら撒きます。

 本・図書館関係:007.5『クラウド「超」仕事法』、010.5『ず・ぼん』、010.23『ドイツ図書館入門』

 歴史関係:238.07『ソ連史』、312.3『北欧・南欧・ベネルクス』

 環境問題:318『市民参加の行政学』、501.6『エネルギー進化論』、501.6『エネルギーを選ぶ時代は来るのか』、『現代地球環境論』

 メディア関係:675『メディア化する企業はなぜ強いのか?』

 OCR化したものをデジタル・ライブラリにしています。iPad2とかキンドル2などで読めるようにしていきます。
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