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要約のチェック

要約のチェック

 エッセイが終着点ではない。2020年以降の自分を考えることが、今回の旅行中のテーマです。

 1-7まで一緒として、その先です。1-7で社会への提案はします。環境塾で環境社会で提案したことにも、見られるように、ライブラリ・コラボレーション・ネットワーク・事務局の4つの機能になってしまう。ここは地域の活性化という目標にシフトさせましょう。一番、重要なのは自分の内なる社会に対して、どうアプローチするかです。そこへは行動はできません。自分の中だから。

 考えを示して、誰にやってもらうか。インタープリターと言っても難しい。歴史を見ていて、コメントを打つだけでは、何か不満足です。戦争状態になった時でも一つの選択肢しかないです。死ぬか生きるか。もっと、多様な答があるはずなのに、何か、いつも同じところに戻ってきます。結局、自分で考えているのではなく、向けられた方向に従っているだけです。それを変えられるかどうかです。

 本当に自分に帰られるのか。納得したのか。誤魔化していないか。かなり、誤魔化しています。では、皆に分かってもらって、どうするのか。わかるはずがないけど。求めるモノを少なくしたら、はるかに簡単です。求めるモノがあったとしても、それは同じところです。今、言えるのはニーテェです。頂きに行けば、次の頂きが見える。とりあえず、頂きを目指します。あきれるほど、私は誰ともつながっていない。

 やはり、1-3-2の論理はおかしいです。自分が考える存在であることと人に認めてもらう必要はない。一番で誰に当てにされていないのに。三番で願うことです。この矛盾が自分なのでしょう。他人の存在を認めていない私が、1-3-3で、社会を見ることはおかしいのでしょう。結局、1-3-2でないけど、存在を考える。考えることの自分の中にある存在との関係なんでしょう。全体を内側に入れたからです。

 組織が未来ないから、未来への責任を果たそうとした。どう見ても先行きがない。集まるだけ集まっても、考えていないとどうにもならない。考えることで先に行くことを実感したから、社会に出した。社会で実行するには組織が納得しないといけないみたいです。ローカルで考えるのは、当り前です。ローカルしか見えないから。

 1-3-4では、ローカルの存在で考えて、そこから、グローバルを見ていく。本来、ローカルで考えると、そこで留まってしまう。私の場合は、組織を超えていきました。

 1.4.4.4では、唐突に還る準備をしています。その前が、失速しそうな世界を表したので、それに関わりたくない。自分のことは自分です。それに対して、どうしていくかの論理が始まります。サファイアで分析すると言う積極姿勢です。その意味では、1.4.1.4から自分に還ればよかったんです。社会なんて他っておいて。

 そうしている間に、ここ5年間ぐらいにサファイア循環の概念を作り上げました。それで、社会についてみていこうという気になったんです。あくまでもここでは個人について述べます。サファイアで大きいのは、考えたことと行動を循環で考えていることです。基本ループは個人が考えたことが世界の行動につながっていく。世界の行動がから個人に戻ります。これは基本的な循環です。この論理は大きいです。新しい民主主義もこの範疇で説明できます。そこで、自分で考えていること、感じたことを全て、出すことにしました。そこから答を求めます。

 1.4.4は大きく変えました。笑顔でつながるは3のところまでで自分を発信できたから、行動しようとして、そのためのキーを探しました。インタープリター、ファシリテーター、ボランティア、そして笑顔です。1.5.4.4のパートナーに託すは、あまりにも筋が異なっている。頂きを求め、次の頂きに移っていく。生きていることに対して、その時その時にやっていくことに変えていきます。その成果をパートナーに託すことです。だから三番目は一緒です。

 山と降りるを含めて、ここはニーチェに感覚が強くなっている。どうして、全域をやるかを検討してきた。一応の完成を見たけど、凝りに凝っています。これをシンプルにすれば、方法論になります。

 1.7と1.8を加えます。1.7はあくまでも個人のこと、1.8は2015年から1030年までの提案です。自分の第8章はまだ、掛りそうなので、2に行きます。
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考えることと存在すること

境目をなくす

 そこで止めるのではなく、抵抗するのではなく。待つということです。境目をなくすことかもしれない。自分と他人との境、自分と世界との境目、時間での境目。そうなると、最初の出発点に戻ります。存在と無です。自分の存在自体がない。けど、ある。

寄ってはいかない

 一つの区切りは2015年です。仕事というファクターがなくなります。フリーの状態です。ある意味では怖いです。では、ボランティア登録して、だれかに寄っていくのか。寄っていきません。発信はするけど、寄らない世界です。要するの弧高の世界です。その結果は見えています。寄ってくれば話します。

 そのために、考えはまとめておきます。自分だけでなく、それを発信できるレベルに、具体的なところを含めて。定年になった時の情報入手は本しかない。マスメディアをウェブも当てになりません。アウトプットはネットしかない。

 何故、組織に寄ろうとするのか。日本はそういうところです。中国は異なります。 本来は2030年の私です。どんなことをしているかではなく、どんなことを考えて、2030年をどう迎えたのか。一般的なところもあるけど、私というところで固定します。

 結局、自分の求めた真理は何か。単にだらしない自分を正当化するだけのものなのか。分かってもらわなくても、いいというところの自分での納得ですね。多分、自分での納得が一番、大きいです。数学というのは、それ自体では、世の中が変わるわけがない。本当は変わるべきです。というのは、真理が動いていないからです。

モデル思考

 数学で社会を見るためには、重要なのは数学モデルですy。モデル化には関数が必要です。関数として、空間として、ローカルとグローバルを用意しました。これは非常に分けにくいものですか。分からないようでで、分かるようです。

 社会モデルで、政治形態を考えると、国家と個人、またその中の地域、今までは国家しかなかったモノが地域が増えて来て、位相が変わってきた。そういう見方ができます。その見かたで整理すると楽です。

 無為に生きるということは、具体的な問題を解くことではない。問題は全てです。解いて、それを自分で解決するわけではない。だから、無為です。シンプルも難しいが概念です。欲張らないことではない、自分から動かないことと、周りをすべてなくしておくことです。シンプルは当然、つながりがなくなることです。

考えることと存在すること

 宇宙の旅人の大きな点は家族を含めて、関係ないということです。宇宙の旅人の言葉に、「存在することは考えること」「考えることは存在すること」というものがある。つまり、実在していない。概念だけです。

 考えるから存在するのであって、考えないと存在しない。こんな単純なことです。組織の中に居るから、存在しているわけではない。考えているなら、存在するのです。

 考えること、まとめること、表現すること、その三つの関係を表します。あれと穴を埋めることによって、考えていなかったことまで考えられるということです。考え方は抽象的過ぎます。未唯空間とアウトライン、それらを拡大させたり、縮小して見えるカタチにします。その中で考えていきます。

 ブログというフローのモノ未唯空間というストックのモノがどう絡んで、変わっていくのか。また、詳細なコメントどこに置くのか。それによって、各項目で本を書ける。ライブラリとして、どのようにして、情報を整理するかというサンプルです。
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内側と外側の逆転

未唯

 今日から19日までロバニエミです。図書館に行くだけなのに、未唯空間のまとめ作業もこのタイミングにしたので、忙しい。

 本を1日から絶っています。この10年で初めてです。ブログもツイッターも時間がありません。

 自分の中で、どこまで、頭の中をクリアーするか。そのための空間をロバニエミに求めました。

内側と外側の逆転

 自分のなかでの最大の特徴は、世界が内にある、その一点でしょうか。だから、サファイアを作ったり、未唯空間を作ったりしているかもしれない。

 本来、自分のことだけ、つまり、内側だけでいい。外側は関係ないというのがふつうです。その外と内が逆転しています。こういう人間がどのように生きていくのは生活編で述べています。自分編では、これがいかに真理であるかを述べることです。社会編はこれを元にして、世界を変えていく、新しい見方をしていく。それぞれの人間がそのように感じれば、社会は変わります。

 この中の一部分としてだけ、存在するのであれば、変わる可能性はないです。元々、そんな類のものではない。もっとでかいです。

 その社会が次の社会になるといいというけど、それを引っ張る人がいない。強引にやったら、カリスマです。真理らしいものは哲学です。皆で作り上げた哲学というのはない。近代数学でのブルバキのようなものです。それはムリなんでしょう。個人で求めるしかない。それも内側に対して。分かるかどうかは関係ない。自分で納得いく世界。真理は納得なんです。納得いくまで考える。それが真理なんです。

 心の穴はブラックホール。無限次元空間です。どこでも住める。穴を埋めることができないから、中と外を変えてしまった。心の中が大きいから、宇宙全体も入ってしまった。それをひっくり返しただけです。この感覚があるのかな。当然ないでしょう。

旅行の経過

 中部国際空港に着きました。やはり、若い女性が多い。一人だと、若い女性に話しかけてしまいます。奥さんが居ないと、パートナーが居ないのと同じような状態です。暴走しないようにしましょう。カバンの重さは12kgです。NZの半分です。国際線のトイレが混んでいます。これは嫌がらせなのか。

 トートバックを持っている性か、海外へ行くという感じではない。どうみても、荷物が多い。やはり、寒さへの警戒心ですね。LA.SFの時はバック一つだったのに。すべて一着でした。ホテルの洗濯で済ました。本当は身一つだから、どうでもいいことです。我慢すればいいだけです。これだけやってきても、結局は我慢でしょうね。

 恰好つけることは何もない。ただ、時間だけは意識します。なるべく、潰さないように。人は自分の外です。関係ないです。では、行きましょう。

 フィンエアーは飛行機は小さいです。乗っている人は半分以下です。この季節はヨーロッパ往復48千円なのに。燃料代が同額だけど。

 2002年にヘルシンキへ行った時に、最初にフィンエアーに乗りました。フランクフルトからヘルシンキまでは、かわいらしいスチワーデスでした。ヘルシンキのオレンジ色の街路灯が暖かった。

 飛び立ったけど、帰ってくるのか、帰ってこれるのか、自分のなかでは不明です。足は先は冷え切っている。持つのかな。さすがに48千円です。食べ物は決め付けです。

 ICレコーダーのボイスレベルを下げました。飛行機の中はやかましいから。なるべく、近づけて話します。飛行機の中で入力しようとしたけど、この飛行機は騒音レベルが高いです。

 飛行機の行き先のディスプレイにはロシアの北極よりの町が目印になっているが、知らない町ばかりです。
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ロバニエミへ図書館に行ってきます

未唯へ

 パートナーは38近くです。だから、あと一年で離れるでしょう。今年、離したことにしましょう。

 お土産はゲイシャです。これなら、話題性はすこしはある。

 フィンランド最初のスタバは2012年にヘルシンキ空港にできるそうです。大規模な工事を行っています。だから、お土産用のマグはないですね。

歴史的変換としての環境社会

 2.8のベースは近傍系の世界からトポロジーを作って、そのトポロジーを制約するところ、その歴史的変換としての環境社会を述べます。それを全て、本にするために書きます。未唯空間の理論化はその前に行っておきます。未唯空間の歴史への適用です。ここまで、様相が変わってくると、エッセイ化がまた遅れます。

要約のチェック

 2.2でサファイアでは分からなくなるので、仕事での本社・店舗間の循環にして置きます。

 2.8.1はライブラリです。未唯空間での検索.社会ライブラリを未唯空間をベースに作ったものだから、ライブラリで述べた方が早いです。数学のところはあまりにも、近傍が出すぎです。どのようにして減らすかです。その次に、数学理論で強化します。

パートナーの行く末

 数学の特徴は空間を作ることです。その技術を使って、新しい空間を見せて、世界観を変えることです。単純に言うと、それだけです。その時に、ローカルと近傍の概念が近いので、近傍の動きがアナロジーになります。

旅行日程

 日本時間から7時間を引けばいいんです。今は、19時だから、日本は12時です。あと4時間ぐらいで、ヘルシンキです。

 寝ると短いけど、未唯空間のチェックしていると、4時間しかない。急がないと。フィンエアーの食事はビーフカレーで、軽食はやきそばでした。ソースがない。日本のインスタントの方がマシです。足が膨らんで、パンパンです。

 国内線への乗換カウンターは暇そうです。ヘルシンキは4℃というけど、もっと、暖かいですね。セーターを脱ぎましょうか。

 ロバニエミ行きの飛行機は満席です。何となく、外人の団体の観光客が多く居ます。我々が外人ですね。
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