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未唯への手紙

未唯への手紙

コンパクトシティのモデル

2011年12月31日 | 3.社会
『流通政策入門』より

理念としてのコンパクトシティは以上のような内容であるが、具体的にはどういった都市をイメージしたらいいのであろうか。欧米の都市のケースとしては、レディソダ(英国)、アーヘソ(ドイツ)、ポートラソドおよびシアトル(米国)、ピルバオ(スペイソ)、ストラスブール(フランス)などがよくとりあげられている。これに対して、日本では「高齢者が歩いて暮らせるコンパクトシティ」を標榜する青森市が、先行モデルといわれている。

① 青森市の場合

 青森市では、JR青森駅を中心とした徒歩約20分圏内に、商業施設やマソショソ、県庁等が集積している。その中心にあるのが生鮮市場、ファッショソ専門店、市立図書館などが入居する駅前の9階建て再開発ビル「アウガ」である(2001年1月開業)。中心市街地の商店街では「青森市街づくりあきんど隊」が組織され、イベント等が活発に行われている。さらに、その界隈にはクリェックや訪問介護ステーショソ等を併設した高齢者向けマンションをはじめとして、分譲マンションが建設中も含めて多く立地している。

 こうした都市機能の集約化を可能にしたのが, 1999年の都市計画マスタープランで、市内を3ゾーンに分け、郊外開発を抑制した(店舗面積3,000㎡超の商業施設が立地できるのは市中心部の約3,000haのみ)。その最大の理由は豪雪にあり、除排雪が必要な道路の延長距離は現状で1,150km,その経費は年10億~30億円に達し、郊外化が進めば負担は一層膨らむ。これこそまさにスプロールの社会的費用であり、これを削減することを目的にコソパクトシティヘと大きく舵が切られたわけである。

 ただし、2003年にアウガから約500m離れた地元百貨店が閉店し、跡地周辺では現在、空き店舗が目立っなど、順風満帆な部分ばかりではなく、課題も少なくないともいわれている。

② その他

 また、金沢市における「歩けるまちづくり条例」(2003年4月施行)に基づく取り組み(中心部の竪町商店街で駐車場確保数増大とセットに全日歩行者天国を実施など)や、山口市における中心部の定住人口増による公共投資の効率化を図るための取り組み(市の委託を受けたNPO法人が中心部の空き家の持ち主に改修や賃貸を働きかける一方、郊外の住民に移住を呼びかける)をはじめとして、各地の自治体で動きが積極化しつっある。

 だが、コンパクトシティの動きに「逆行」するような事例もある。例えば、群馬県太田市において、郊外の田んぼを市街化区域に用途変更して大型ショッピングセンター(SC)を誘致したケースをあげることができる(2003年12月開業)。当市においても、中心商店街に配慮して太田駅前に市営住宅を整備するなどの対策がじっはとられたが、商店街の構成がもともと顧客ニーズに合っておらず、連帯もしていないこと等から、対策の効果はあがらなかったという(『週刊東洋経済』2005年9月3日、「日経MJ」2006年1月4日による)。

 こうしたケースもあるものの、コンパクトシティの取り組みは、それが都市中心部の活性化にとって有効性が高いかどうかという問題以前に、自治体の財政難への対応という点で緊急性や切実性が高いことから、3法見直しが実現することによって、さらに多くの自治体に普及していくものと考えられる。

 ただし、首都圏に代表される大都市が連たんする超大都市圏においても、地方の中核都市クラスや農村部の小都市においても、まちづくりの理念はコソパクトシティ一本でいいのか、都市規模等に応じた階層的な考え方で補完する必要はないのか、といった諸点について、今後、具体論レベルで検討が必要と考える。

ゲーデルとヘーゲル

2011年12月31日 | 6.本
『野蛮人の図書室』より

数学で人生が変わる

 『不完全性定理』
  ゲーデル著
  数学者、論理学者であるゲーデルが1931年に発表した数学基礎論における定理。数学だけでなく、哲学、心理学、現代思想、情報科学などの研究者にも影響を与えた。不完全性定理論文の歴史的経緯を説明した解説つき。

 数学と聞くだけで頭が痛くなってくる人も多いと思う。評者も中学時代、数学は得意科目だったが、高校に入ってから苦手になってしまった。そして、「僕は文系人間だから」と言って数学から逃げ回っていた。しかし、それは大きな間違いだった。数学をきちんと勉強しておくことで人生がだいぶ変わる。

 数学というと無味乾燥で答えがひとつしかないという印象が強い。数学的発想では複雑な人間社会を理解することができないというと、ほとんどの人が「そうだ」とうなずくであろう。

 しかし、そのような数学観自体が実際の数学からかけ離れているのだ。数学とはどういう学問であるかを研究する数学基礎論という分野がある。ここで必ず学ぶゲーデルの「不完全性定理」が重要だ。その要点は、ゲーデル自身の言葉を引用すれば次のとおりである。

 〈有限的な数論をある分量だけ含むような任意の無矛盾の形式系において、決定不能な算術の命題が存在し、さらに、そのようなシステムの無矛盾性は、そのシステム内では証明できない、という事実を、厳密に証明できるのである〉

休みにこそ読むべき本

 ヘーゲル著 長谷川宏/訳『歴史哲学講義』

 『歴史哲学講義』(上・下巻)
  ヘーゲル著 長谷川宏/訳
  ドイツの哲学者ヘーゲルが晩年にベルリン大学で講義した歴史哲学の内容をまとめた一冊。「理性が世界を支配している」と語る彼の捉える歴史とは? 原文が講義録という前提のもと、わかりやすい日本語に訳されている。

 ヘーゲルの文章はドイツ語の原文で読んでも難解だ。しかし、19世紀前半、ヘーゲルの大学での講義は大教室がいっぱいになるほど人気があったし、本もよく売れた。現代のタレント学者のような感じだ。

 長谷川宏氏は、ヘーゲルを現代の日本人にわかりやすく訳すことに努めている。ほかの人の訳ではちんぷんかんぷんでも、長谷川訳で読めばヘーゲルはよくわかる。

 哲学のはじまりについてヘーゲルはこう記す。

 〈哲学はおどろきから出発する、といったのはアリストテレスですが、ギリシャの自然観もおどろきから出発します。とはいっても、精神が異常なものに出会って、それと普通のものとを比較する、というのではない。知性によって自然の規則的な運行をとらえたり、それをなにかと比較したりといったことはまだおこなわれず、むしろ、めざめたばかりのギリシャ精神は、自然の自然らしさにおどろくのです。ギリシャ精神は、あたえられた自然をぼんやりとうけいれるのではなく、最初は違和感をいだきつつも、しかし信頼できるという予感のもとで、自分と親しく、自分が積極的にかかわることができるようなものとして自然に信頼をよせるのです。このおどろきとこの予感がギリシャ精神の根本にあるものですが、ギリシャ人はそこにたちどまらないで、予感された内面的なものを一定のイメージに造形して、意識の対象にかかげるのです〉

 最初、何かを見たり、聞いたりして、驚いたことを頭の中できちんと説明できるようにまとめていくことが哲学だとヘーゲルは考える。哲学について難しく考えることはない。ものを考えるということ自体が哲学なのだ。

アテネの姪に無印で出会った

2011年12月31日 | 1.私
未唯へ

 31日です。だから、何なの?

 スギ薬局の赤いパッソは、ここの店員でした。

 カローラ中京のところに、土日の11時まで、モーニングセットをご用意して、来店をお待ちしています、と書かれていた。こういうところを奥さんの仲間たちの集まるところにすればいい。

 カローラ中京には、まだ、Wi-Fiのことは書かれていない。時期を聞いてみましょう。

 クルマで来ると止める、農協の駐車場でポルテを探した。ない!。よく考えたら、今日は歩いてきた。ヤバイですね。忘れています。

未唯空間のチェック作業

 朝から、チェックしていた。寝ながらできるようにしたけど、なかなか続かない。焦って、変な結論にはしたくない。

 自分編の最後をどちらに持っていくかです。社会への提案に持っていくのか、自分に還るに持っていくのか。社会の提案の次のステージとして、社会の活用を継ぎ足すことにしました。

 自分の中の未唯空間のかなりのことは第8章まで作りました。まだ、奥さんとは別の行動になっています。

 あのシートさえあれば、どこでも考え始めます。歩きながらでも、ラウンジでも待合でも可能です。そのときに、ICレコーダーは欠かせない。この社会はどうにかしないといけない。そのためのキッカケぐらいは掴みたい。来年は。

旅行計画

 ニュージーランドからカタルシスは始まった。あそこでは祈りです。祈りは通じる。

 来年はベルギーでしょう。そこを拠点にして、ドイツ・フランス、リトアニア方面、ハンガリー方面に行きたい。そのすべてに電車で行きたい。泊まるのは面倒だから、片道3時間の場所を行き来しましょう。そのために、クックの時刻表だけは買ってあります。

 ベルギーから3時間の図書館を調べましょう。ドイツのフライブルグなどの環境学習に役立つところはチェックしておきたい。ロバニエミと同様に、何を得てくるかです。

書き起こし作業

 本を開始していることを性にするのは申し訳ないけど、ブログアップが遅くなっています。