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時間が止まらない。縦方向に動いている

未唯へ。これで月曜日休み、3周目です。めまい、高熱、祝日と続きました。いかに、1日が短いのかを痛感しています。

この最近は、1週間の単位も1ヶ月の単位も同様に過ぎていきます。時間を止めるのは無理なのでしょうか。それならば、このままいくしかないでしょう。

会社と家が半々な生活をしています。両方で同じことをやっています。こんなことをいつまでやっているのか、という気持ちがしています。「働く」ということはどういうことなのか、の実感がなくなっています。

その意味では、「無為」にすごすという、入社当初の目的は達成できているかもしれません。無為で居られること自体が才能かもしれない。大きな会社には必要だし、社会に対しても必要です。これは就職の時に、教授から言われたことです。ハッキリ言えば、アーティストの世界です。私は「野球では感動を味わった」ことはない。


考えるのに飽きたかもしれません。考えてもカタチにならないと、さほど楽しくはありません。考えても、カタチになるものは本当に少ないです。

人との関係を疎遠にしているとカタチになりにくいけど、人との関係を密にすると、考えること自体ができません。考えるのは「存在」の時間で、カタチは「無」の時間だからでしょう。だからと言って、「考えない」というのも性に合わないです。


久しぶりに、受付に居るNAKさんを見つけました。受付の前にはお客さんはいません。以前は、気楽に声を掛けたけど、今はできません。目を見ながら、通り過ぎました。笑えないです。前のように警戒しないで話せるようになるのでしょうか。


Sa-ライブラリの展開の軸としては、「スタッフのナレッジ化」を中心にしていきます。そのためのシナリオを作成して、そこにライブラリの必要性をあげます。「分からない」「時間がない」の環境を、「ナレッジ化」で変化させて、空いた時間で、お客様のことを考える時間に振り当てます。その時にVote(投票システム)が動き始めて、お客様の夢をスタッフを通じて、メーカーと「思いの共有化」が果たします。

こんな論理を営業本部に言っても分からないから、販売店には「ライブラリを導入してください」とだけ言います。明日は電話をかけまくりましょう。理由を知りたいとか、先を考えたい販売店にはロジックを展開します。
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ミューボックスをデジタルサイネージ端末にする

未唯へ。世の中は「ダーク・エンジェル」の世界に向かったいます。監視カメラに囲まれて、個人の行動を追うことができる世界です。この最近の「Mr.Brain」なども、その傾向が強いです。その監視カメラがさまざまな形態をなすのがデジタルサイネージです。将来方向を探ってみました。

先週、東京のセミナーに出張して、聞きたかったことの一つに「デジタルサイネージ」がありました。あまり聞きなれない言葉ですが、「Web2.0」「クラウド」のように、形態に言葉を与えると、自己増殖していきます。以下はウィキペディアでの、仮の定義です。

「デジタルサイネージ(Digital Signage)とは、表示と通信にデジタル技術を活用して平面ディスプレイやプロジェクタなどによって映像や情報を表示する広告媒体である」

「デジタル通信で表示内容をいつでも受信が可能で、内蔵記憶装置に多数の表示情報を保持することで必要ならば秒単位で表示内容を切り替えたり動画表示を行うなど、多様な映像広告を展開することができる」

まだまだ、広告媒体を指しているように見えるけど、概念はどんどん拡大しています。

講演では、デジタルサイネージを「ネットワークで接続された、双方向のパソコン」と位置付けていた。単に、店頭の人に表示するだけでなく、監視カメラ映像とか人物認証の技術を活用することで、個々の動きを把握し、制御できる可能について言及されていた。デジタルカメラの素子を使うだけで、個人を特定して追跡することができます。

ネットワークで接続された、監視カメラ的な発想が勝手に増殖して、市民権を得るのは避けたいですね。日本人がそれに的確に反応できるとは思えないが、コンビニみたいに「これがあなたが欲しいもの」と決め付けられると、日本人は弱いです。

実は4年前に、ミュー(衛星配信受信PC)にTV会議のシステムを入れ込もうと画策しました。サーバ一つで、全国5千拠点が映像でつながります。それに監視カメラを接続すれば、イベントの状況が判明できます。状況に合わせた、コンテンツを送付できます。よく考えると、これはイントラネット上のデジタルサイネージです。

ミューの更新が来年、あります。今まではライブラリとの関係を主に考えていたけど、マーケティング会社と共同で、リアルでの映像インフラにしていきましょう。
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『ヨーロッパの100年 下』230.7マツからの抜粋

未唯へ。今日も午後から、『ヨーロッパの100年 下』のOCRを行っていた。ちょっと暑かったので、エアコンは入れました。先週以来、暑さが恐い。いつ、熱が出るか予測がつきません。奥さんからクレームがついても、今年の夏はエアコン頼りにします。

スターリングラード

 その日曜はソ連兵たちにとっても歴史的な日となった。これから生死を賭けた戦いをおこなわねばならないことを彼らは自覚していた。パウルスの軍隊がこれほど速くヴォルガ川に到達するとは思ってもいなかった。

 スターリングラードはドイツ軍にとって、知らぬ間に巨大な囮と化していた。ソ連軍の最も重要な任務は街の防御、そしてドイツ軍が先に進むことがないようにここで押さえておくことだった。その間にも街を敵から解放するために、ほぽ百万人の兵士が極秘に召集されていた。

イスタンブール

 古来よりコンスタンティノープルは東と西の蝶つがいであり、ローマ帝国の最後の砦、ロンドンから北京までの間で最も豊かな大都市、中国のシルクロードの終着点、前方に押し出されたヨーロッパの灯台だった。

 すべての街は物語を語る。イスタンブールの物語はなによりも重心の移動と傷つきやすさに関するものだ。たとえこの大都市が外国からはどう見られているとしても、滅びた栄光、忘れられた絆、失われた寛容のシンボルにすぎない。

ケファロニア

 ギリシア人にとっての第二次世界大戦は、一九四〇年十月二十八日、イタリア軍がアルバニア経由で侵攻しようとしたときにはじまった。ムッソリーニは、ヒトラーばかりが西欧で成功していることに対する苛立ちを徐々に深めていた。

 空から見るとギリシアは大部分が海だ。小さな青い畝のところどころに虫食いのように島がある。黄灰色の土に何本かの刻み目や線があり、交差点と海岸には掃き集められたように白い家々のブロックがある。

ドレスデン

 ドイツ空軍による爆撃で、イギリスでは合計約六万人の市民が亡くなった。それに加えて九万人の重傷者、十五万人の軽傷者が出た。連合軍側によるドイツヘの爆撃では、その五倍のおよそ三十万人の人々が亡くなり(うち児童が七万五千人)、ほぼ八十万人の人々が重傷を負ったと推定される。五分の一の住居が破壊され、七百万人のドイツ人がホームレスとなった。

ブダペスト

 ブダベストはワイルドで気ままでだらしなく、でこぼこに凹みけたたましくクラクションを鳴らす車だらけの街だった。

 ハンガリー動乱はブダベスト工科大学の中央ホールではじまった。一九五五年以降、次第にオープンになりつつあったこのホールであらゆる政治問題が討論されてきた。

 モスクワではその瞬間、ハンガリーを手放そうという意向が強かったことをいまのわれわれは知っている。最大の不安は動乱がブカレスト、プラハ、ペルリンにも広がることだった。

グダニスク

 一つだけ勝者と呼べるグループがあるかもしれません。若者たちです。彼らはヨーロッパを支持しており、何ケ国語も話せます。旅行もするし、世界に向かって開いています。彼らには大きなチャンスがあります。でも、人生の大部分を共産主義下で暮らしてきた世代にとっては、常に希望だけが存在していました。でもその希望はけっして現実にはならなかったのです」

サラエヴォ

 われわれは第四次ユーゴスラビア戦争の余波を生きている。ホテルのテレビはもう何日も、マケドニアの山中の国境手前で援助物資を積んで待機している輸送隊の長蛇の列の映像を流していた。

 エサードが数字を挙げた。四十万人のサラエヴォ市民のうち、包囲の間に千百人以上の児童を含む一万一千人が死亡したという。
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『ヨーロッパの100年 上』230.7マツからの抜粋

未唯へ。歴史を「物語」として、感じて、書かれている本を借りてきました。「ヨーロッパの100年」ということだから、歴史を書いているのだけど、分類が都市の名前になっています。都市を「物語」で話し込んでいく書き方はかなり、新しいです。こんな本を携えて、ヨーロッパの都市を回りたいものです。

ヘルシンキ

 スウェーデンとフィンランドは二つの分離した世界だ。レーニンは列車で迂回した。わたしはシリヤセレナーデ号で旅をした。

 彼はフィンランドの市民戦争の話をした。〈赤い〉農民および労働者と〈白い〉保守派の間に一九一八年に繰り広げられた流血の闘いだ。〈白〉が勝ち、無数の〈赤〉が殺された。ソ連が一九三九年に侵攻してきた際、ようやくフィンランド人はふたたび結束した。

 一九三九年から四〇年にかけての冬の戦争で、白い軍服を着てソ連軍に果敢に立ち向った人たちなのだ。彼らはあのとき、赤軍がいかに無能かということを無慈悲に立証したのだ。何百万人からなる軍隊をもってしても、ソ連軍は二十万人のフィンランド軍を制圧することができなかった。ヒトラーはフィンランドにおける赤軍の不甲斐なさを見て、ドイツ軍を楽観的に東部戦線に送るという致命的なまちがいを犯すことになる。

リガ

 わたしはヴィリニュス【リトアニアの首都】で降りた。あちこちに突如ドイツの家、アメリカの広告、イタリアのカフェ、スウェーデンのホテルが姿を現わす。まるでこの街が目に見えないガラスのドームで、冬から隔てられているかのように。

 このように左派と右派の大量殺戮が周期的に何十年間も繰り返された。

 ラトヴィアはいつもロシアとの関係が最も悪く、リトアニアは最も良好だった。

 西欧には、ロシアの地図上の〈小さなシミ〉の心配をする国はなかった。

 ソ連およびドイツの占領下に、ラトヴィアは五十五万人の命を失いました。人口の三分の一以上です。

 ホロコーストを生き残った人の比率はヨーロッパ全土でラトヴィアが最も低く、一・九パーセントだ。

ビーレフェルト

 ほとんど誰も口にしない疑問がある。フランクフルトでもケルンでも、なぜあれほど早く人々のメンタリティーが急変したのだろう? 少し前には抗議デモでともに歩いた何十万人もの共産主義者、社会主義者、キリスト教徒、あるいは一九三三年三月五日の選挙でナチスに投票しなかった五六・一パーセントの人たちはいったいどこに行ってしまったのだろうか?。

 一つは、一九三三年に六百万人いた失業者が一九三七年には全員再就職していたという事実。そしてもう一つは、ドイツがふたたび重要な大国と見なされるようになっていたことだ。

ダンケルク

 ダンケルクの海岸はヨーロッパの歴史がどちらに転ぶかわからない場所の一つだった。小さなこと、一人の人間の査定ミスが歴史の経過を変えたのだ。いったいなぜヒトラーはまさしく敵にとどめの一撃を刺せる瞬間に、部隊の前進を止めたのか? われわれはあの停止命令をどう理解すればいいのか?。

モスクワ

 スターリンは完全に不意を突かれた。ドイツにバルト諸国やその他の交換条件を出して、新たな平和条約を結ぼうとした。そして、西部の赤軍の重要な司令官四人を「ソ連に対する軍事的陰謀」を理由に処刑した。二週間後にようやく、彼はみずからソ連国民にむけて演説をおこなった。彼にはドイツ軍の奇襲は信じられないことだった。

 スターリンは誰のことも疑っていた。唯一、彼が信頼していたのはヒトラーだった。

 スターリンには「日本はどうするのか?」という疑問しかなかった。彼にとって、すべては極東での状況次第だった。
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μは話し相手を求めています

未唯へ。今の私を占有しているのはμ(もう一人の私)です。彼女は話し相手を求めているみたいです。

話を聞いてくれる人がいれば、誰にでも話し掛けています。システム会社のシステム・エンジニアがMDを回収に来た時も、24階のロビーで1時間半、話しこんでいました。おかげで、彼が別の仕事で、B-Cのマーケティングのシステムを作っているのが分かりました。

東京へ情報収集でセミナーに行った時も、展示説明員に話し掛けていました。展示に「情報共有」と“安易に”書かれていたので、論戦を挑みました。と言っても、一方的に話しただけです。私のバックグランドが分からず、お客様には反論できないので、相手は素直に聞いていました。

最大の話し相手は、Sa-ライブラリの提案に対して、「自社で同等の機能を構築済み」と回答してきた販売店のシステム担当者です。約100社あります。ライブラリ機能があるということは、コンテンツを蓄えて使う気がある、という会社ですから、話しがいがあります。

各社の状況を確認して、「なぜ、ライブラリを使わないのか」の理由を明確にすると同時に、活用のための条件をヒアリングしています。

とりあえず、20社ほど。ヒアリングしました。話している間に、ヒアリングからアジテーションに切り替わっています。そうなると、最低でも30分の長電話です。「あくまでもヒアリング」と思っている人からは「何を聞きたいのか」と問われます。

一部の先行する販売店のシステム担当者には、Vote(投票システム)などの静脈システムが販売店の仕事をいかに変えるかについて、話し込んでしまいます。この時の電話時間は60分を超えます。

そこで分かった来たのが、「同等」というのは、本社のシステム担当者の見解ということです。本社の企画部門の人、店舗のスタッフまでは対象としていません。①「置いてあるから、見てください」レベルの販売店、②グループウェアを購入しているので、今さら、変えられない、③あるから、いいじゃないという販売店、など様々です。

この100社を説き伏せるつもりはありません。先行きのこと、店舗での仕事のやりかた、セキュリティを考えてもらい、どうしていくかのシナリオを構築してほしい。私はライブラリに移行した販売店にメリットを享受してもらうことを呼び水にします。
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ソーシャル・マーケティングを知りたくて、東京へ

未唯へ。今日は東京へ出張です。場所は有楽町の東京国際フォーラムです。東京駅から歩いて10分ぐらいです。大きな「無印」があるから、好きな場所です。

店舗からメーカーの企画部門へ、お客様の思いを運ぶ「静脈システム」を検討しています。店舗・スタッフの役割に「売る」ことだけでなく、マーケティング機能を入れ込むことで、店舗活性化を図りたい。そんな時に、ソーシャル・マーケティングのセミナーが舞い込んできました。

セミナーでの最新の考え方を「静脈システム」に取り組むために、昨日、出張することにしました。

Sa-ポータルの後に狙っていたシステムに、ソーシャルがあります。これは行政、NPO・ボランティア、店舗・本社・メーカーをつなぐシステムです。3年前にはかなり真剣に考えていました。「町いちばん」プロジェクトに売り込みを前室長にしてもらいましたが、「お金儲け」主体の企業ではムリと判断されました。「静脈システム」の先に、企業のソーシャル化が見えてきました。

セミナーは満席でした。前列の「記者席」座り込んで、録音しながら聞いていました。

内容はソーシャル。マーケティングで「グーグルのような金儲けをしよう」という発想でした。グーグルの捉え方自体が、日本的で、姑息です。かなりのボタンの掛け違いです。これではまともな方向にはいきません。

ソーシャルというのは、「システム」とは異なり、個人の「物語」から組み立てることです。静脈の出版点としては妥当です。これさえ分かれば十分です。
これは村上春樹の「1Q84」ともつながります。と言っても、テレビの「クローズアップ現代 “物語”の力」で得た知識です。「1Q84」を図書館で見ることは無理なので、立ち読みで読破します。こういう時に速読は役に立ちます。

昼休みに、歩いて銀座の「伊東屋」に4年ぶりに行きました。老舗の文房具屋です。前回はA4縦のローディアの皮カバー(6千円)を買ったけど、今は扱っていません。

そのあとに、スタバの1号店で、580円のコーヒーゼリープラペチーノのベンティ(590ml)サイズを飲みました。クレーム対策のカードを使いました。お昼には十分です。お客さんはほとんどが一人で、静寂さがありました。サード・プレイスはこうでなくては。

これもソーシャル・マーケティングですね。
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<私>がμに切り替わっていました

未唯へ。月・火と2日間年休で、久しぶりの出勤です。席の周りの誰からも声が掛かりません。唯一、インフルエンザだと責任問題になる室長から、診療室で診てもらいなさいとの指示がありました

診療室に行ったけど、お気に入りのナースのKOZさんがいませんでした。新ビルになってから増えた女性たちがいた。彼女らは全然、相手にしてくれません。話さえ聞こうとしません。ナースではなく、事務員になっています。女性の悪意をビシビシと感じます。いたたまれなくなって、退去しました。

女性に対して、心が開きません。疎外感が増すばかりです。本当に会社はつまらないですね。

月・火の高熱は、自己判断で、熱中症にしておきます。熱中症で思い出したことがあります。東富士勤務の時に、小学生であった長男が豊田市に帰省中に熱中症にかかりました。妹から、「もっチャンが危ない!」という電話がかかってきて、東富士から豊田市の病院まで帰りました。普段なら、3回休んでいくところをノンストップです。

東名高速を120Km/hで走りながら、考えました。どんな状況になっても、支えることを決めました。脳のCTスキャンを見せてもらった。かなりやばかった。

その夜はベット脇でラジオを聞きながら、徹夜で付き添っていました。その時に、羽田から飛び立った飛行機が行方不明になったと実況していました。日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故の当日でした。


午後から、販売店への電話ヒアリングに集中しました。「Sa-ライブラリと同等の仕組みを持っている」という販売店に内容の確認を行っていました。

私の本音は簡易的な仕組みであろうと、グループウェアであろうと、ライブラリのような「思いの共有化」のツールになるようなものはありません。本社人の単なる自己満足の仕組みがほとんどで、店舗のことまで考えていないものです。ヒアリングのカタチを取って、慇懃に聞きながら、実はライブラリの良さを売り込んでいました。ヒアリングがいつの間にか、アジテーションになるのは昔からの癖です。

どうも、私の心をμ(ミュー:もう一人の私)が占有しています。男性格から女性格に切り替わっています。

過去の経験からすると、μの人格の方が知恵が出るので、<私>としては他っておくことにしました。μは女性にきついから気をつけないといけません。
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アイスコーヒーには氷をたくさん入れましょう

未唯へ。今日もお休みです。一週間が短いですね。朝、2時に体温を測ったら、やはり、38度でした。そこでバッファリンを飲んで、5時まで寝たところで37.4でした。6時の体温で決めることにしたら、37.2度です。このまま、下がったいく可能性が高いが、それが薬の一時的な効果だとヤバイと思い、休むことにしました。

午前中、寝ていて、36度台に入りました。その時点から、岡崎図書館から借りてきた8冊を本を読んでいました。『死後探究4 人類大進化への旅』147シはこういう時に読む本ではないですね。死後探究の完結編ということでしたが、まるで頭に入っていきません。

5時から、歩いていける、オーガニック・コーヒー店に行きました。そこは本とかミュージックがOKのお店です。影のありそうな、若い夫婦がやっていて、お客さんがいないので、本を読んだり、考えごとをしたりするには格好の場です。ただし、値段が高いです。アイスラテが550円もした。格好つけて、容器が小さめなので、氷が少なくて、生ぬるい状態で氷がなくなってしまった。多分、「コーヒーをアイスで飲むんじゃない」というメッセージなのでしょう。

持参した、『道元禅師全集 【第五巻】正法眼蔵5』188.8トは1巻に比べると、説明が少なくて、言葉の遊びにしか見えなかった。そこで読むのを中断して、この2日間のお休みの意味について考えてみました。偶然は必然だから、今回の「熱中症」も何らかの意味を持つと信じています。

区切りをつけて、8月末までに、サファイア全体の提案書を作れ!という指令とすることにしました。そのために、さまざまな拘りを捨てることにします。スケジュールを立てて、それに従って、行動します。土日の午後は「熱中症」対策として、図書館でパソコン入力を行います。

そんなことを決めて、家に帰ったら、奥さんが「暑い、暑い」と言ってました。「エアコン入れたら」と言おうとしたけど、内緒でエアコンを入れていることがばれるので止めました。

エコ減税の対象にエアコンが入っています。15年前に新築した時に、各部屋にエアコンはつけたが、実際にエアコンをつけるのは8月の10日間ぐらいです。いくら省エネでも年間10日×3時間=30時間の電気代が対象です。毎日使う、冷蔵庫ならまかるけど、エアコンを買い替えて、エコ的に、儲かるのでしょうか。
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部屋にいて、「熱中症」で39度達成?

未唯へ。高熱で休んでいます。

朝2時に起きた時にだるかったので、体温を測ったところ、38.3度ありました。会社に行く時間の6時では38度だったので、お休みにしました。

1時間ごとに体温を測っていました。昼近くでは39.1度に達成。その割には動けるし、風邪の症状は出ていません。そこで、体温計が壊れているのでということで、近くのスギ薬局に新しい体温計を買いにいきました。

新しい体温計で測っても、39度ありました。やはり、39度あるんですね。これは「熱中症」ではないのか? そういうことで、奥さんから文句が出るのを覚悟で部屋のエアコンを入れることにしました。それで少しは楽になりました。

温度計で測ったところ、部屋の温度は34度です。日曜日は5時近くに帰ってくるのに、昨日は昼過ぎから部屋にしたので、「熱中症」にかかってのでしょう。

熱は、その後も38度台で推移しました。夕食の冷やし中華をほとんど食べたし、未唯が持ってきてくれたケーキを「食べたくない」と言ったが、置いて行ってくれたので、食べました。食欲は落ちていません。やはり、風邪ではないみたいです。

明日も、熱が続くのであれば、病院へ行きます。

こうして、残り少ない一日が過ぎていきました。まあ、一日の短さを感じられたから、ヨシとしましょう。
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笑顔のレシピが欲しい

未唯へ。本当に暑いですね。昼過ぎから、部屋にいるけど、氷水を4杯飲んでいます。

温度計はゆうに30度を超えています。まだ、7月だから、エアコン禁止です。我が家の不文律です。それと肝心のリモコンが見つかりません。2台の扇風機をフル稼働させて、部屋の空気を回しているけど、熱い空気が回っているだけです.

この間から、目につけていた無印のデスクフォンを買ってきました。これの良さは「扇風機」に見えないということです。「扇風機」と気付かれなければ、文句を言われることはないでしょう。

週日の暑さ対策としては、朝3時起きの励行と退社時間の遅延にします。朝は割と涼しいので、デスクフォンで十分です。現在、5時退社で7時前に帰宅しているのを、1時間遅らせれば、8時帰宅になるので、2時間の辛抱です。

金曜日に借りた15冊の本を読み終わって、朝10時に交流館に返却しました。新刊書コーナーに『子どもと初心者のための笑顔のレシピ』という本が目につきました。何と、素晴らしい題名でしょう。
「笑顔」に初心者があり、そのためのレシピとは。この2か月、「笑顔」から遠ざかっている私のためにあるような本です。

「はじめに-笑顔の世界へ、ようこそ-」の書き出しは以下の通りです。

「料理を作ることのできる喜び、手作りしたものを自分で食べるしあわせ、大切な人に料理を作ってあげるワクワク感、自分のことを思って作られた料理を食べる人のうれしい気持ち…こんな風に笑顔がひろがっていきます。あなたもこの笑顔の世界へ、ようこそ。」

中身は料理の本でした。でも、何となく、心が伝わる内容でした。「笑顔」の効果なのでしょうか。最後の「お役立ち情報」に「みそづくり」が載っていました。大豆とこうじと塩だけで作るんですね。

こんな世界もあるのですね。作者は社会科学者です。

土日に「未唯への手紙」を進めたいのですが、暑さ、眠たさ、やる気のなさで延び延びにしています。そんな自分に腹が立っています。一日がまた過ぎていきます。

地道な努力が必要であると感じると同時に、自分の思考パターンは常に一瞬で決まって来たと感じています。パッと枠ができて、その中を埋めていきます。一瞬にしてできたサファイアの概念を何年もかかって、カタチを作っています。今、新しい概念に昇華させようとしている。
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