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集めれば、コミュニケーションなのか? やかましいだけです

未唯へ。急ぎたいのに、なかなか先へ進めずに、精神のバランスを崩しかけています。あなたから「冷凍庫のアイス、食べていいよ」というのはありがたかった。おいしかった。お礼にクリスピーを買いました。

今日は急務の「未唯への手紙」仕事編の内容の再構成をしていたが、会社の机の周りが本当にやかましい。どうでもいいことを自己主張しています。そんなのは「仕事」ではない。単なる暇つぶしです。

挙句は人の頭ごなしに、しゃべり出した。それも同じことを何度も。何も分かっていないなら、しゃべるな! しゃべるなら、別のところへ行け! 机を叩きそうになっています。

なぜ、こんな場所に居ないといけないのか。これも「グループでのコミュニケーション」という方針の表れなのでしょうか。同じようなことをしている人を物理的に集めることが「コミュニケーション」と見ているのでしょう。個々の事情とは関係ない所で、「管理」から見ると分かりやすいし、指導力が発揮できているように見える、ぐらいで決めたのでしょう。実体をみていません。

ライブラリも「グループでのコミュニケーション」がテーマですが、そんな大雑把ではありません。店舗スタッフに「お客様のことを考える」ための“安心・安全な場”を作ることで、一人では「わからない」ことを皆で考え、「時間がない」状態を変えていくようになっています。

「電算部と話をしない」と女性に言ったら、「大人げない」という反応でした。私が電算部の個人のことを言っているのではありません。仕組みの課題を言っているのです。それを変えるのが「仕事」だと思っています・

東富士の時も、一人のプログラマーが障害でした。私は単に彼を取り除くのはなく、プログラマーに依存しないと、実験できない仕組みを課題にしました。プログラムが必要でなくなれば、プログラマーは不要になります。

だから、2億6千万かけてシステムを変えました。プロペラが課題なら、ジェットエンジンを作ります。そうすれば、プロペラは不要です。

電算部の個人の問題ではなく、販売店のために役に立たない電算部の問題です。だから、電算部の仕事をなくして、メーカーのユーザーと販売店のユーザーが直結すればいいだけです。それが私の発想ですし、やってきたことです。私はトポロジストですから、そういうことしかできません。
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