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メディアが変わる日 不幸なLocal meets Global

未唯へ。会社は相変わらずです。周りと別の空間にいます。喧騒に中にいます。これで周りの連中は考えることができているのか、と思っています。

昨日はめまいでお休みしていたけど、午後からは本を読めるようになったので、半藤一利の『昭和史 1926-1945』210.7ハンを読み始めました。

「日本人の精神構造には何が欠けていたのか? 日本人はなぜ戦争をするのか-。日中戦争から太平洋戦争の時代を検証、「底なしの無責任」がもたらした悲惨とは何かを問い、未来を選び取るために今、考えることの重要性を訴える」

大学の時に「ナチがいかにしてドイツを変えていったのか」と「日本はなぜ、アメリカと戦ったのか」をそれなりに研究していた。

「未唯への手紙」の「歴史」で、Local meets Globalで典型として、昭和史を考えてきた。今回の本は、授業形式の「わかりやすい」通史になっている。

その中で、関心を持ったのは、昭和のマスメディアです。最初は抵抗していた朝日新聞と毎日新聞が満州事変を機に、戦争協力に走った過程を記述しています。

 「この日の朝刊がともに俄然、関東軍擁護にまわったのですよ。繰り返しますか、それまでは朝日も日日も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、二十日の朝刊からあっという間にひっくり返った」
 「当時約六十五万だったラジオの契約者数は、これを契機に月平均六万ずつくらい増え、昭和七年三月には百五万六千に達したといいます。ラジオの時代に突入したわけで、その影響で新聞も「号外」を連発するようになる。つまり「号外」戦となり、どんどん読者を煽っていくことになるのです」
 「この時から大衆か軍を応援しはじめ、強気一方になって「既得権擁護」「新満蒙の建設」といった新スローガンも生まれ、一潟千里に満蒙領有計画が推進されていくのです」
 「こうして「この全国民の応援」を軍部が受けるようになるまで、新聞の果たした役割はあまりにも大きかった」「マスコミと一体化した国民的熱狂というものがどんなにか恐ろしいものであることか、ということなんです」
 「昭和かダメになったのは、この瞬間だというのが、私の思いであります」

つまり、クールなメディアがホットなメディアに変質したのです。大衆に同化すると同時に、扇動を始めたのです。
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