未唯への手紙
未唯への手紙
町の風景を「パブリック」で変えていく
未唯へ。腰痛は徐々に治りつつあります。昨年の五十肩、先々週の高熱、今回の腰痛、ともに原因不明で起こって、病院へ行かずに、「自然」治癒させています。
「未唯への手紙」社会編の見直しをしています。新しい“型”の社会へ向かうことを考えているうちに、「パブリック」という言葉が浮かび上がってきました。
町の風景を変えるために、家庭に駐車している車と電信柱を“消す方法”を考えています。「技術」と「インフラ」の切替と「パブリック」の考え方を活かせば、なくすことができます。「パブリック」を先行させる必要があります。電気自動車にしても、「パブリック」の概念が日本に定着しないと、実現できません。
「スマート・グリッド構想」にしても、「パブリック」が基本になります。メーカーの論理だけで押し付けても、全てがアイデア倒れになります。公共図書館のように、新しい「お互い様」が必要になります。「パブリック」を販売店に入れ込む準備をしていきましょう。
この最近、トルコに旅行する人が増えています。彼らの意識はさほど、高くはありません。
トルコは4つの関係から見ないといけない。一つはイスラムの国との関係、二つ目は旧オスマン帝国として、ギリシャを含む周辺諸国との関係、三つ目はEU絡みでの、キリスト諸国との関係、四つ目は「ガザ侵攻」のイスラエルとの関係です。
大連に行った時に、日本・朝鮮の関係をコールセンターで感じ、満州(中国東北部)との関係を大学で感じ、上海・北京を見ることで、大連のターゲットが分かった。三つの方向で大連を理解した。
ヨーロッパに行った時は、上にあるヘルシンキと下にあるローマのIT環境の差、左側のロンドンと右側のペテルスブルグの強国への反発を感じることで、交差点としての、EU首都のブリュッセルの存在が見えてきた。
これは地政学の捉え方です。旅しながら、歴史を感じ、未来を感じたい。私が行きたいのはヨーロッパのタテの線です。ラップランドからバルト三国、ハンガリーからクロアチア、ウクライナ、そしてトルコまでです。ヨーロッパとロシアの接面です。
それにしても、日本はベクトルを感じない国ですね。いつまで「極東」であり続けるのでしょうか。地球規模の地図を持てるのはいつのことでしょう。「すぐ忘れる」ことと、その裏返しの「変なこだわり」だけを感じます。
「未唯への手紙」社会編の見直しをしています。新しい“型”の社会へ向かうことを考えているうちに、「パブリック」という言葉が浮かび上がってきました。
町の風景を変えるために、家庭に駐車している車と電信柱を“消す方法”を考えています。「技術」と「インフラ」の切替と「パブリック」の考え方を活かせば、なくすことができます。「パブリック」を先行させる必要があります。電気自動車にしても、「パブリック」の概念が日本に定着しないと、実現できません。
「スマート・グリッド構想」にしても、「パブリック」が基本になります。メーカーの論理だけで押し付けても、全てがアイデア倒れになります。公共図書館のように、新しい「お互い様」が必要になります。「パブリック」を販売店に入れ込む準備をしていきましょう。
この最近、トルコに旅行する人が増えています。彼らの意識はさほど、高くはありません。
トルコは4つの関係から見ないといけない。一つはイスラムの国との関係、二つ目は旧オスマン帝国として、ギリシャを含む周辺諸国との関係、三つ目はEU絡みでの、キリスト諸国との関係、四つ目は「ガザ侵攻」のイスラエルとの関係です。
大連に行った時に、日本・朝鮮の関係をコールセンターで感じ、満州(中国東北部)との関係を大学で感じ、上海・北京を見ることで、大連のターゲットが分かった。三つの方向で大連を理解した。
ヨーロッパに行った時は、上にあるヘルシンキと下にあるローマのIT環境の差、左側のロンドンと右側のペテルスブルグの強国への反発を感じることで、交差点としての、EU首都のブリュッセルの存在が見えてきた。
これは地政学の捉え方です。旅しながら、歴史を感じ、未来を感じたい。私が行きたいのはヨーロッパのタテの線です。ラップランドからバルト三国、ハンガリーからクロアチア、ウクライナ、そしてトルコまでです。ヨーロッパとロシアの接面です。
それにしても、日本はベクトルを感じない国ですね。いつまで「極東」であり続けるのでしょうか。地球規模の地図を持てるのはいつのことでしょう。「すぐ忘れる」ことと、その裏返しの「変なこだわり」だけを感じます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )