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未唯への手紙

未唯への手紙

YouTubeにみる「投票システム」の優位性

2009年05月06日 | 3.社会
未唯へ。あなたも、今日までお休みですね。豊田地区の会社は今日から出勤です。

衛星配信の地上化計画を電算部の妨害で実現できなかったことが悔やんでいます。3年前に、6000店にある、分散サーバの内容を一元的に把握し、夜間に映像コンテンツを配信する計画を立てました。全部で1000テラの情報を店舗のマーケティングに活用したかった。コストは衛星配信の10分の1以下になるし、販売店独自コンテンツの流通も可能になります。

映像コンテンツがメーカーから一方通行では、販売店では活用しない。自分たちのコンテンツでないと、マーケティングでは有用ではない。地上配信でつながった6000台のサーバをインフラにして、コンテンツは販売店と一緒に育ててあげていたら、と悔やまれます。

要因は電算部の能力不足と先を見る目のなさです。それと、当方の室長が代わったので、マーケティングの先行きを見る人がいなくなったのが要因です。現在は衛星配信の再構成で、コストを懸けて、販売店にメリットのない計画が、誰の「思いもなく」動いている。

その3年間にYouTubeは見事に一つの文化を作り出しました。3時に起きて、ブログを書こうとしたが、乗り気がしないので、久しぶりに「太田裕美」の曲を聴いていた。聞きながら、「太田裕美」情報をネットで調べていたら、YouTubeにたどり着きました。そこには、多くの映像がありました。

フル画面にしてもキッチリと見られます。当時のライブ映像、テレビのビデオ録画からのWeb化したもの、アルバムの音源に静止画をストリーミングしたもの、カラオケボックスの映像、そして、「25周年の軌跡」というコンサート映像がありました。コンサート映像は、全ての曲が13に分かれて登録されていました。

YouTubeの仕掛け、Googleの膨大なサーバ群、個人のインターネット回線、そして、個人のコンテンツ群が合わさって、一つの文化になっています。その上に、視聴した人を巻き込むマーケティングの仕掛けも作られています。

サファイア循環ではグローバルはローカルを支援することをGlobal meet Localと表現しているが、その通りの世界です。Googleの根本がソーシャルであるを願うと同時に、せめて、6000台のサーバを接続することを再度、電算部抜きで企画しようと決めました。

正法眼蔵第一「現成公案」の比較

2009年05月05日 | 1.私
未唯へ。今日は外へ出ることなく、「未唯への手紙」と道元の正法眼蔵第一「現成公案」の比較をしていました。こんなに、訳が異なっているとは思っていなかった。現代語訳になると、分からなくなることも分かりました。

以下に記録のために、出だし部分の比較内容を残します。

①原本 道元

 諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あリ死あり、諸仏あり、衆生あり。
 万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
 仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり

2道元禅師全集 [訳注]水野弥穂子 ○

 諸法(四大五蘊、十八界)が仏法である、その時節、そのままで迷いと悟りがあり、修行があり、生かあり死があり、諸仏があり、衆生がある。
 万法(と言われるあらゆるものごと)すべてそれ自身一定したものはない、その時節、迷いもなく、さとりもなく、諸仏もなく衆生もなく、生もなく滅もない。
 仏で生きる生き方は、本来豊(あり)倹(なし)という相対の世界から跳び出ているのであるから、(その上で、)生と滅もあり、迷と悟もあり、衆生と仏もある。

③全訳 中村宗一 △

 すべてのものごとを仏道の立場である「正しくものを見る道」の上から見るとき、その一々は真にそのものごと自らのありのままを現成しているから、迷い、悟り、修行、生、死、諸仏と衆生をありのままに見、明らめるのである。
 総てのものごとを無我の立場、仏道で見るとき、迷いもなく悟りもなく、諸仏もなく衆生もなく、生もなく死もない。
 もともと仏道は、有るという立場にも、無いという立場をも超越し捉われないものであるから、生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、解脱のあるなしを問題としないところに解脱があるのである。しかしなお、そのことがわかっていながら、人は華の散るのは華を惜しむから散ると見る、咲かしておきたいと思う頃に散るとなげき、草の生えるのは草を嫌うからと見る。仏道はものごとを自己の体験として把むところに現成する。

4現代文 石井恭二 △

 森羅万象は普遍不変の理法によって保たれつづけている。そうした事象として、人に迷いがあり、覚りがあり、迷いとはなにか覚りとはなにかを知ろうとする努力があり、生があり、死があり、覚りえた人々があり、覚りえていない人々がある。
 もろもろの自然の事物に自我はない。人の自我も幻想である。人は誰であっても自己であるほかはないのだが、自己という意識は幻想である。迷いも覚りも、覚りえた人々も、覚りえない人々も、生も死も、すべては空である。もろもろの存在現象の本質は空であって、実体ではないのが存在現象の本質である。
 仏の教えは事柄の大小や豊かさ狭さを超えていて、人の世の在りさまは、仏の教えそのままである。この世に、生があり滅「死」があり、迷いがあり覚りがあり、覚りえない人々として衆生があり、覚りえた人々として仏がいるけれど、それらはすべて空であるほかはない。

⑤全訳注 増谷文雄 ○

 もろもろのことどもを仏法にあてていうとき、迷悟があり、修行があり、生があり死があり、諸仏があり衆生がある。
 よろずのことどものいまだ我にかかわらぬ時には、迷いもなく悟りもなく、諸仏もなく衆生もなく、生もなく滅もない。
 だが、仏道はもとより世間の常軌をはるかに超えたものであるから、生滅があり、迷悟があり、また衆生・諸仏があっても、なおかつ、花は惜しんでも散りゆき、草は嫌でも繁りはびこるものと知る。

豊田市中央図書館の新刊書コーナーの崩壊が始まりました

2009年05月04日 | 6.本
未唯へ。昨日はパソコンをいじっていたので、11時半に寝たので、起きた時には6時半を過ぎていました。それから、8切りパンを2枚食べたら、7時になっていたので、リクの散歩は中止しました。あなたが散歩に連れて行ってください。午後から、図書館で資料整理を実施していた。

土曜日に借りた、豊田市の18冊の本全てを昨日読んでしまい、日曜日に借りた、岡崎市の本も4冊片付けてしまいました。それだけに留めておきます。

図書館が危機を向かえようとしています。図書館戦争の始まりです。敵は経済の論理で、「一律」という考え方です。多様性を重んじる、私が一番嫌いな言葉です。豊田市だけだと思ったら、岡崎市も明らかに減少しています。

豊田市中央図書館の新刊書コーナーは壊滅的です。ほとんど空っぽです。これで8日も新刊書がないので、2週間ゼロの状況が続きます。カウンターには「複本の購入を控えるので、予約しても手に入るのはずっと先です」という警告文が掲示されていました。

またしても、時代に逆行しています。市民が本を読まなくなります。流行本は図書館に一般市民を呼び込む、絶好の機会です。

単になくすだけでは知恵がありません。他の図書館でも行っているように、市民に呼び掛けて、本を持ち寄ってもらえばいいです。流行本は一度読めば十分です。ブックオフに売ってもさほどの金になりません。図書館に持ってこればいいです。

図書館が無理なら、「図書館友の会」が代行すればいいです。さらに発想を変えるのであれば、ブックオフから購入すればいいです。図書館の本が新品である必要はありません。活字が必要なんです。知識が必要です。「本は読まれてなんぼです」

昨日、岡崎市立図書館で『道元禅師全集』188.8トを借りてきました。中身は水野弥穂子さん訳の「正法眼蔵」です。サファイアの中で「正法眼蔵」の位置づけをしたいと思っています。今日、豊田市中央図書館でNDCが188.8の棚を調べたら、「正法眼蔵」のシリーズが4種類ありました。それぞれ、訳が異なります。

この訳の違いから入って、「正法眼蔵」に馴染むようにしようとして、それぞれの1巻だけを借りました。今週中に答を出します。図書館もハードが崩壊したので、ソフトでの方向を6階のパソコン机で考えていました。そこから、「図書館友の会」の役割も見えてきます。

ケータイをウェブ化すれば、グループでのコミュニティが可能になる 

2009年05月03日 | 3.社会
未唯へ。近所のオーガニックのコーヒーを飲ませてくれるコーヒーショップがあるのを知っていますか。本も並んでいるので、落ち着きそうです。夫婦でやっていて、奥さんは感じがいいのですが、旦那がオーガニックぽいので気になります。明日にでもインドへ行きそう。ファーストフード化したスタバを避けて、ここで本を読んだり、パソコンをすることにします。夜10時までやっています。

この最近のケータイはデジカメになってきています。なぜ、ケータイに色々な機能を付けるのかよくわかりません。邪魔です。ワンセグにしても、デジカメにしても、ボイスレコーダにしてもケータイが邪魔です。

それらのものに、おまけでケータイを付ける発想が必要です。ケータイをウェブ化して、電話モジュールが鳴るようにしておけばいいです。どの端末で受け取っても、サーバにつなぎにいくだけです。。

個人のケータイをカバーするディスク容量をグーグルなら準備できます。ポータルとメールとライブラリをサファイアでくっつけたようなことができるはずです。

その上で、ケータイでのコミュニティを提案していけばいいです。グーグルというクラウドにすべての情報があります。グループでつなぐだけの基本部分ができてしまいます。

豚インフルエンザ騒動を見ていて、一つのサービスを思いつきました。空港にビジネスホテルを作っておいて、パンデミックスの時に、企業と契約しておいて、帰国した社員をそのホテルに留めておくということです。

10日間の滞在期間中に退屈しない設備を用意しておきます。お金は契約会社から払ってもらいます。会社にとっても、市民の中において、糾弾されるリスクを水際で防ぐことができます。

付加価値として、光ネットワークを設置して、契約会社とテレビ会議を可能にしておきます。企業の本音としては現地に居てもらった方が助かります。人情からするとそうはいかないし、マスメディア対策も必要です。

日本の敗戦の時に、海外在住の600万人を現地に留めておく計画がありました。国民軍と共産党軍との戦いが始まっていた中国の事情としては、日本人は邪魔でした。そこで、アメリカの助言で日本への帰国命令が出ました。同じことが、パンデミックスの時に発生します。

あわせて、国と契約して、収容所を作ることも可能です。これはかなりの最終段階です。

マーケティングの新会社なら、電算部抜きで先へ進めます

2009年05月02日 | 5.その他
未唯へ。「永作博美さんが結婚した」ということを教えてくれてありがとう。あなたが私に話しかけるのは珍しいですね。

早速、「永作博美、結婚報告のFAX全文」をネットで検索。「いつまで経っても足りないところばかりと自身との奮闘を繰り返しているうちに気がつけば38年が過ぎていました。そんな折、仕事を通じて知り合い、その後、お互い支え合うものを感じ、ここに至りました。素直に向き合ってゆけたら考えています」パートナーは大切にしてください。

昨日の朝日新聞に、マーケティング新会社設立の記事がありました。「消費者の声を本社中枢に届ける機能を復活させる」。15年前に名古屋に異動希望出したのは、クルマが好きではない、お客様の声をクルマの反映するためでした。人事部からは、そんな部署がないということでした。そんなところができるんですね。

新会社とサファイアの「投票システム」をつなげたら、私の夢の実現方向が見つかりました。

マーケティングをB-Cで行っては、ダメです。広告会社とか宣伝部の発想では、お客様の多様な意見を扱えません。お客様との接点のプロである、販売店のスタッフを巻き込まないといけません。お客様への「アピール&アンケート」を行い、スタッフが行うこと、店舗・本社が行うこと、メーカーに訴えることを決めます。多様な意見に対して、多様なアクションで対応します。

アンケートを拡大した「投票システム」は全国レベルでないといけないが、メーカーでのシステム化では、電算部が邪魔になります。彼らを外さないといけません。お客様2千万人を対象としたシステムになるので、salesforce.comの発想でないと、システム提案ができません。

この二つの課題の解決のために、新会社の会長=メーカーの新社長へ働きかけをしましょう。柔軟な「投票システム」の有効性をsalesforce.comの社長から直接訴えてもらいましょう。これが、この間からの「偶然の出会い」からの必然でしょう。

私は、販売店の活性化から訴えていきます。別会社に、「投票システム」を開発してもらって、それと販売店のサファイア循環を同期化させます。

同時に、電算部のおかげでとん挫した、衛星配信の地上化と1000テラのライブラリ構想を復活させてもらえば、店舗でのマーケティングを革命的に変えることができます。

5月1日は「メール断絶記念日」です

2009年05月01日 | 7.生活
未唯へ。また、5月1日がやって来ました。6年前に東富士のNAKさんからのメールが断絶した日です。7年間続いていたのに、5月1日を境に一切、なくなりました。それ以来、メールは嫌いになりました。毎年、この日だけは1通のメール「お元気ですか?」を出しています。返事はありません。

今年はメールを出すには止めておきます。未だに、メール断絶の理由がわかりません。いつかは分かる日が来るのでしょう。アラ還とアラフォーとのメールもいいと思います。「定年」前にメールを出しましょう。

この間の営業本部のプロジェクトへのライブラリの報告会はつまらなかった。その理由を考えています。参加していたメンバーは自分の立場が守られている人たち、関係していないのに出させられている人たちが多かったからでしょう、

何しろ、緊張感がありません。だらだらとやってきて、だらだらと始まりました。結論を出して、行動しようとする気概はありません。上位者から、キッチリとした方向が出てないから。しまりのない会議になっています。それは上位者も同じように済ましいるのでしょう。順繰りに行われています。この中間レベルから変えていかないと、この会社は変わらないのです。

参加者のイメージは市役所の審議会です。有識者と代表者と市民応募から成り立ちます。有識者は立場が守られているから、それらしいことを言えばいいし、代表者は組織からの出るように言われただけなので、居ればいい。共に何も考えていません。市民応募は一生懸命、考えて話すけど、市役所には「ガス抜き」としか聞こえない。それで社会の意見を聞いたことにしている。

「グループでのコミュニティ」ではないけど、十分な情報(ライブラリ)、意見の交換(メルマガ)、対等に話せる場(ポータル)があって、はじめて、真剣に考えられ、その結論に従って、行動できる。その行動が次の緊張感を生みだします。

連休中に「未唯への手紙」の検討内容をパソコンで入力する予定です。家での作業を中心にするけど、雰囲気を変えるのと、運動のために、豊田市のスタバまで3時-5時に歩いて行くことにします。

とりあえずは、スタバを目掛けていくけど、休みの日のスタバはファーストフード化して、やかましい時には、図書館6階のパソコン机に切り替えます。5月・6月は「未唯への手紙」の充実を急ぎます。